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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

ハブられリーシャは悪堕ちする

作者:朝夜

一応残酷タグを入れてますが比較的マイルド……だとは思います。

 

 ねえねえ知ってる? お城の地下にある『隠しダンジョン』の噂。


 それって『ソロモンの封印殿』の事?


 あーそうそう! 72階もある、ものすっっっっごーい長いダンジョンでさ、それも一階一階に72体の悪魔が今も封じ込められてて、最深部には今の大魔王エビルドラーナなんて比べものにならない『伝説の大悪魔バァル』が今も封印されてるって場所よ!


 いやいやあれって単なるガセネタでしょ? お城に保管されてる鍵とか魔導書使っても扉が開かなかったみたいだし、初代の王様の墓しかない埋葬地みたいなものって聞いたけど。


 それだって結局噂じゃん。どっちが本当かは入って見ないと分からないでしょー?


 でしょって言われたって、学者達でも開けられない扉を私達がどうやって開けるってのよ。


 だ・か・ら、今回はあの『ハブられリーシャ』を連れてこうって思ってるのよ!


 は……? やだよ怖い。だってアイツ暗くて不気味だし、それに『モンスターと会話できる』んでしょ? だからみんな気持ち悪がって学園で友達誰もいないしずっと仲間外れにされてんじゃん。


 だからこそだって! アイツならさ、雰囲気的に入口の封印を解いてくれそうじゃないの!


 マジで言ってんのー? 万が一扉開いちゃってトンデモない悪魔でも出てきたらどうするのさ?


 だいじょーぶだって! 学者達もあそこからは今は魔力もほとんど感じられないって聞いた事あるし、第一そんな危ない悪魔をこんな平和な国のど真ん中に封印する訳ないじゃん。


 ……要するに肝試ししたいの?


 分かってるじゃんそゆこと。最悪リーシャ囮にして逃げるし。


 あーもう分かったから。じゃ何人でいくの? てか鍵と魔導書はどうやって持ち出すの?


 んふふー。実はもう家にあるんだよねー。お城の保管庫ってボロッちい物しかなくて警備の人がサボりながら見張ってるから忍び込むのめっちゃ楽だったの!


 ……あんたって本当に悪知恵は働くよね。性格悪いし。


 アハハ! じゃなきゃリーシャを今でもいじめてないっての。早速今夜行こうよ! 


 はいはい。


 


 


 

 * * *


 


 


 

 大陸本土から離れた一つの島に存在するリーストヴェル王国。

 都会的な本土とは比べ、お世辞にも活気があるとは言えないこの地は俗に言う田舎国だった。

 そこにひっそりと住む一人の少女リーシャは、小さい頃に村が滅多に無い魔王の尖兵から襲撃に逢い、唯一生き残った孤児だった。

 それから約10年程の年月が過ぎ、国が引き取った後は孤児院に住みながらも国内で運営する学園に通っている。

 しかし、学園はおろか孤児院にも信頼のおける友人はただの一人もいなかった。


 学園に行けば一人で黙々と授業を受け、終わればすぐに学園から身を消す。早々と孤児院に帰って過ごしている訳でもない。


 ならば彼女はどこにいるのか――


 リーシャはとある泉のほとりで歌を唄うのが好きだった。それを朝と夜に毎日二度行い、今では彼女の日課のようにもなっている。


 ここまで聞けば、不思議な雰囲気漂う幻想的な女の子程度で済むだろう。


 小さなスライムから、妖精、ワーウルフ、コボルド、中にはドラゴン、果てには悪魔族らしきモンスターまで、彼女の歌声に引き寄せられるように集まっていたのだ。


 最初にその事に気付いたのは、たまたま彼女の後をついて行った同じ孤児院の子供だった。

 恐怖に腰を抜かし、慌てて逃げかえった少年の口からその噂は瞬く間に広まり、今では国で知らぬ者はいない程にまでリーシャの存在は知れ渡った。


 それからは彼女の物静かな性格も相まって話す人が誰もいなくなり、やがてついたあだ名が『ハブられリーシャ』。人によっては『悪魔の申し子』とまで指差す者も珍しくなかった。反対に学園の生徒らはそれを逆手に取って、ここぞとばかりに『いじめの対象』とする者もいた。


 そして今日も『それ』は、行われようとしている。

 夜の泉で物陰で気を窺っていたのは、同じ年頃であろう3人の少年少女。

 茶色の髪を揺らしながらリーシャが歌を終えると、魔物達が去っていくタイミングを見計らって――。 


 


「はーいリーシャちゃん!」


「あ……な、何かな?」


「もうーそんなにびびらなくてもいいじゃないの! 今日も魔物達と仲良くしてたの?」

「う……うん」


「はは、そうなんだー。相変わらず気持ち悪いねー」


「ご、ゴメン……」


「あやまんなっつの。イラつくから」


「なあ今日はそんな話来たんじゃねえだろ?」


「ああそうだわ。ねえリーシャちゃん、お城の地下にある『ソロモンの封印殿』って聞いた事あるよね?」


「うん……知ってるけど」


「じゃあ話が早い! リーシャちゃんならもしかしたら入口の封印解けるかも知れないからさ、一緒に来てくれる? むしろ来るよね?」


「え? で、でもそんないきなり……」


「あーうぜえ! いいから来いってんだよ!」


 煮え切らない態度のリーシャに我慢の限界に達したのか、別のいじめっ子仲間の一人が無理矢理手を引っ張ってその場を後にする。


 


 

 * * *


 


 

「はは、またあっさり入れたぜ。やっぱこの国は大魔王の城から一番離れた国だけあって本当に平和だなー。深夜になると警備兵がろくにいねえ。いや待てよ、平和だから盗っ人もいないのか。いやそれも違うか、そもそも金目のモンがまともにねえから盗っ人も呆れてんのかな?」


 そう言って興奮気味で語るのはグループ唯一の男の子。忍び込むのはこれが初めてではないようだが、今回は内容が内容だけに特に興奮してるようだ。


「いいから行くよもう。例の鍵と魔導書は持ってるよね?」


「そらもうばっちり。いつでも」


「……よし、じゃあ行くよ。リーシャちゃんもしっかりついて来てね? 変な声出したりしてばれたらアンタを囮にしてアタシ等逃げるからね」


「う……うん」


 そして、少年少女は地下へと繋がる階段を下りようとする。


 


 

 ――が、そこで4人の足は止まった。


 


 

 無理もない。辺りを照らすのは階段の脇に申し訳程度に添えつけられた燭台のみ。

 逆にそれが底が見えない階段下の深淵さをより際立たせ、大人でも気軽な気持ちで進むのは難儀であろう。


「ね、ねえあんた男でしょう。早く先進みなさいよ。一回入口まで行ったんでしょ?」


「ば、バカ! 俺が行ったのは真昼間の時だぜ、こんな今にも幽霊が出そうな時になんか来てねえっつの!」


「えーどうすんのさ! ここまで来て帰るの!?」


 お前がいけ。

 いやだ。

 そもそも言い出しっぺのお前が。

 などと、話は一向に進まない。


 そんな険悪な雰囲気にリーシャが見かねたのか――、


 


「あ……あの、じゃ私が先行くから」





 それは他の子供達にとっては一筋の希望そのものだった。

 賛成こそしても、反対する者など誰もいない。

 名案とばかりにそそくさとリーシャを先頭にした子供達は、ようやく階段を下りだすのであった。




 

 ――


 


 


 ――――


 


 

 ――――――――――


 


 * * *


 


 * * * * *


 


 


 

 ……中々下が見えてこない。


 時計もなければ時刻を示すものも無く、同じ光景ばかりが続くばかりで次第に時間の感覚すらもあやふやになってくる。


「ね……ねえ本当に入口あるんだよね? 私もう帰りたいんだけど……」


「おいそりゃねーだろ! ここまで来て帰るってか!? じゃお前一人で帰れよ!」


「やだよーもっと怖いじゃん!」


 見えない恐怖に完全支配されてしまった少女達。

 だがリーシャだけはずっと表情を変えず、むしろその足を速めてすらいるようだった。

「ちょちょっとリーシャ早くない!?」


「大丈夫……もう着くみたい」


「はあ? まだ何にも見えて――」



 リーダ格の少女が最後まで言い切る前に、それは姿を見せた。


 扉には幾何学的な真っ赤な魔法陣が描かれ、何を意味するのか分からない文字やら記号やらでびっしりと埋め尽くされている。

 そして中央には鍵をはめ込むような小さな穴があり、明らかに厳重な封印で護られているのは今や誰の目にも明らかだった。


「ほらな! 俺が言った通りだっただろ?」


「何今頃ドヤってるのよ……。じゃあ早速鍵を開けようよ」


「ま、マジで開けるのかよ……」


「今度はビビってるの!? アンタホント情けないわね!」


「だってよ、これで本当に扉開いたらどうすんだよ! 言い伝え通りとんでもない悪魔が出て来でもしたら、俺等あっという間に食われちまうんだぞ!?」


「そんな事言ったってどうすんのよ! 今更何もしないで帰るのアタシ嫌よ!」


 またも言い争いになる。

 そんな3人には目もくれず、何かに誘われるようにして扉に近づき、そっと触れるリーシャ。サファイアブルーに煌めく瞳に秘められたのは悪意も善意もない、純粋な心のみだった。


「ば、バカ気安く触んなよッ!」


「大丈夫……確かに魔力はほとんど感じられないから。噂通りみたい」


「へ、へ、へーアンタすごいね。そんなのも分かんだー?」


 恐怖に完全に声が裏返りまくりの少女だが、そんなのは全く気にも留めず平然とリーシャは返事する。


「うん……私のは学者さんみたいに根拠は何もないけど……なんとなくかな」


「ねえ。よく見たら足元にも魔法陣あるよ?」


「……本当だ。この上に立ってなんかしろって事じゃねえの? おい、お前立ってみろよ」


「はあ!? なんでアタシなのよ!」


「お前今回の言い出しっぺだろ? こんなとこまでリーシャにやらせる気なのかよ」


「何よ、今更コイツなんかの肩持つ気なの?」


「わ、私なら大丈夫だから……喧嘩しないで?」


「アンタにゃ言ってねえってんだよ!」


「ごごめん……。じゃあ立つね」


 いつしか皆が固唾を飲む中で、リーシャは魔法陣の中央に立つ。


「えと……ここに鍵を刺せばいいのかな?」


「おおお、おいおいおいおい。マジでやる気かよ。本気かよ」


「なな何ビビってんのよ。はい鍵」


「お前だって声、裏返ってんじゃねーかよ」




 手に持っていた鍵をリーシャが刺しこむと――ピッタリはまった。




「鍵、回すね?」


「――ひい!」「――ひい!」


 手を捻ると、鍵はそれに合わせてゆっくりと回る。




 そして――。




 ――5秒。





 ――――15秒。









 ―――――――――――1分。






 ……しかし、何も起きなかった。




「ふ、ふうーーーーーーーー。ほらやっぱりガセネタだったんじゃん? ささ帰ろ?」


 期待外れもほんの少し混じったが、当初の目的などすっかり忘れ、何よりも開かなかった事に大きく安堵していた三人だった。



「ちぇ、つまんないの。リーシャ連れて来た意味ないじゃん」


「いや俺は開かなくてよかったって本気で思ってるよ。こんなとこで死にたくねーし」


 最早いる意味もないと、気を取り直して引き返そうとした。





 ――しかし、リーシャを除く3人だけ。


「ねえごめん。確か魔導書もあるんだったよね? 見せて貰ってもいいかな」


「……へ? ちょちょっと何すんのよ」


 淡々と近づき、強引に奪うまでもなく、ごく自然に魔導書をリーダーの少女の手から取るとパラパラと捲る。


「あ……やっぱり。ほらここ、『大いなる魔に認められし者が唱える事で扉を開く事ができる』って書いてあるよ」


「おいおいもういいだろ? まさかそれまで試すってんじゃねえだろうな?」


「うん、一回だけ」


 ――正気かよと、誰もが目を疑った。

 だが、鍵も魔導書も今や全てリーシャの手に委ねられてしまい、彼女が満足するまで帰るにも帰れない形となってしまう。


 これで最後だからとリーシャは付け加え、扉の前に再び立つ。


「えと――『偉大なる悪魔の神バァルよ。我にその資格があるならば、どうか我が声に耳を傾けその扉を開き給え』……だって」


 ――これでも駄目ならばリーシャも帰るつもりだった。


 それから……少し経ったが、特に変わった気配はない。


「な? やっぱり何も起きねーじゃねえか。さっさと帰って――」


 


 ――――かちり、と何かが外れる音が聞こえた。


 次に起きたのは、扉に描かれた魔法陣全体が紅く光り、それに合わせて魔法陣に描かれた文字や紋章らしきものも一つ一つ順番に輝く。


 そして最後の紋章が輝き終わると――。


 

「と、扉が……!?」



 ぎぎぎ――と長い間開かれなかった扉が、錆び付き軋んだ音を反響させながら少しずつ開くと、やがてぽっかりと空いた、先へと続く道がそこにあった。



「ま、マジで開いちゃったのか……?」


「――みたい、だね」



 しばらくは皆、心が何処かへいったようにここに在らずといった様子だった。


 それでもやがて次第に我を取り戻し始める。――そして。




「――うわあああああああああッ!?」


 最初に大声を張り上げたのは少年だった。


「もうやだぞ俺は逃げるぞおおおお!?」


 混乱しながら階段を一人駆け上がると、それに続いて他の少女二人も置いてくなとばかりに後を追い、残ったのはリーシャ一人だった。




 ――どうしよう。とリーシャは考えた。




 扉の奥にある深淵を見ても、不思議と彼女は悪い予感は何もしなかった。

 しかし、今あるのは手に持つ魔導書だけ。如何にモンスターと心を通わせるリーシャでも、万が一という事もある。もし罠にでも引っかかれば、間違いなく命はないだろう。


 それでも――彼女は歩き出した。何かに導かれるように。



 少し歩いた先にあったのは、少し開けた部屋。


 その中央の床には最初に描かれていた魔法陣と似たような性質の物があった。


 近づいても、何も起きない。魔法陣の中にも入ってみたが、やはり変わらない。


「何したらいいんだろ……」


 魔法陣の先には再び扉があった。


 ここで何かをしなければあの扉は開かない。今の彼女にあったのは、その『予感』だけだった。


 取りあえず持っていた魔導書を読んでみる。

 そして少し探る内に、どうやらこの本の通りならば72階に分けられた非常に深い遺跡らしき場所である事も改めて分かった。


「この本があるから72体の悪魔がいるなんて噂も立ったんだよね……」


 今まではこの中に直接入れなかったから、この本に書いてある事を信じるしかなかった。その結果何が真実なのか分からないままずっと、ある者は本の伝承通り伝説の悪魔がいると大袈裟に伝え、またある者は単なる昔の王の墓だと信じずにいた。


 リーシャもリーシャで、まだ入ったばかりで今のままではどちらが本当なのかははっきりしない。


「でも、最初にこの本の通りに言ったら扉は開いた……」


 ならばと、リーシャは72体の悪魔の名前が記されているページを開いた。


 


 ――あった。これだと、リーシャは珍しく感情を湧き上がらせて言った。


 


『先を進む者よ。その扉を開きたくば、かの偉大な72の悪魔の名を呼べ。但し、その名を呼ぶ度にそなたの御霊は悪魔によって吸われるだろう。自らの器を全て捨てる覚悟無き者はその名を上げる前に現世へと帰る事だ――』


 魔導書に書いてある事をそのまま読み上げても、それが何の事を言ってるのかは、リーシャはいまいち分からない。

 そんな気持ちのまま次のページを捲ると、書かれていたのは序列72番目の悪魔の名前とそれに関する記述だった。

 そして最後に書かれていたのは、こんな記述だった。


 


『――バァルの下を目指す者よ。かの場所にてかの名を読み上げよ――』


 

「かの場所って……まさか『ここ』?」


 ここに来て今まで臆さなかったリーシャも、少しだけ迷った。

 しかし見えない何かに取り憑かれたように、やがてリーシャは72番目の悪魔の名を告げたのだった。


 


「第七十二位の悪魔――その名前は……『アンドロマリウス』」


 


 ――足元の魔法陣が強く光る。最初の入口で見た時と同じように。


 そして扉はまた開かれる。


「ひ、開いた――!」


 興奮冷めやらぬ様子で駆け出そうとしたリーシャ。


 ――が、その足取りはややふらつき気味で、扉に着いた所で身体を支えきれず思わず手をつく。

 同時に彼女は直感した。


「御霊を吸われるってまさか……」


 覚悟無き者は引き返せとも書かれていた。

 その意味を、リーシャはやっと理解したのだ。


 だが――時既に遅かった。


「そんな――!」


 唯一の出入り口であろう最初の扉が、閉ざされてしまったのだ。

 言ってしまったからには引き返せない。まるで手に持った魔導書から声が聞こえてくる感覚にリーシャは囚われた。


 ただ一つ分かるのは、この先にあるのは生半可なモノではない。今彼女が予感しているのはそれだけだった。


 自分が生きて帰れるかどうかなど、今やこの際どうでもよくなっていた。


 


 ――――この先を下りた所に何があるのか知りたい。その気持ちだけだった。


 


「私を呼ぶのは……誰なの?」


 


 


 * * *


 


 


 第七十位の悪魔―――――セーレ。


 


 第六十三位の悪魔――――アンドラス。


 


 第五十五位の悪魔――――オロバス。


 

 第五十一位の悪魔――――バラム。


 


 


 


 第四十四位の悪魔――――シャックス。


 


 


 下へ下へと降り、何度魂を吸われても、リーシャは『知りたい』という一つの欲望だけでひたすら歩き、階段を下りた。


 


 第四十二位の悪魔――――ウェパル。


 


 ――――が、やはり気持ちだけではどうしようもなかった。


 


「第四十位の悪魔――その名は……」


 魔導書を持っていた手に力が完全に入らず、こぼれ落ちてしまった。


 拾おうとしゃがみ込んだが、そのまま踏ん張れずに尻もちを突く。


 


「まだ……。半分も降りてないのに……こんな所で」


 

 リーシャの心は折れなかった。むしろ心だけは満ち溢れていたが、肝心の身体がついていかない。

 度重なる悪魔の吸精に、今や立つのもやっとのリーシャだった。


「でも今の私には引き返せない……。だったら……」


 少女はただ歩く。

 最も地下深くで待っている誰かの下へたどり着く為に。


 


 

 第三十七位の悪魔――――フェネクス。


 第三十六位の悪魔――――ストラス。


 

「やっと――半分……ね」


 


 遂に折り返しまで到達したリーシャ。

 ――だがここで遂に魔導書すら持つ力が消え失せ、何度もなんとかして持とうとするが完全に力が抜け落ちた手では、僅かに上げるのが精一杯だった。


 


「どう……しよう……」


 


 ここでリーシャはある一つの決断を下した。


 


「もうこれ……いらないよね?」


 


 後ろ髪引かれる想いだったが、彼女は魔導書を置いて先へ進む事を決意した。

 頭には既に残りの悪魔の名前は入っている。ならば奥を目指すのに、もうあの本はいらない。

 もしかしたらここから出る手段も書いていたかも知れない。単に自分が見逃している可能性だって十分にあった。


 

「……会いたい。私は逢いたい」


 


 何が彼女をここまで突き動かすのか。


 

「私を必要としてくれている誰かがいるの……」


 

 それは――彼女の名を初めて心から呼んでくれたと、リーシャは感じていたからだった。


 


 * * *





 第三十位の悪魔―――――フォルネウス。


 第二十九位の悪魔――――アスタロト。


 


 この辺りからリーシャは次第に五感を無くし始めていた。


 

 最初は『触覚』だった。


 

 最初は感じていた痛みや苦しみも全く感じなくなり、意識も朦朧とし始める。


 

 汗も出なくなる程に身体の水分は抜けきり、空腹も限界を当に超えていた。


 時折転んで血が出ても痛がる様子もまるでない。瞳も虚ろで生気もほとんど感じられない。


 


 

 第二十五位の悪魔――――グラシャラボラス。


 


 


「あ……あれ……? 目がなんだか……」


 


 次に――リーシャの視界が妙にぼやけ出す。


 

 何度目を擦ったり瞬きしても、変わらず視界は曇ったまま。

 体内の栄養をほぼ失いかけてたリーシャは、眼に行き渡る血液すらも循環させる力すら無くしていた。


 しかし、その気持ちに変化はない。

 この封印殿の構造は至ってシンプルなのも幸いだった。扉を開けたら階段を下り、一旦折り返してもう一度下る。そして再び部屋が広がる、という繰り返しの構造だからだ。


 


 第二十一位の悪魔――――モラクス。


 


 そして遂に序列が十代に突入した。


 


 

 第十九位の悪魔―――――サレオス。


 


 同時に今度は『嗅覚』を失う。


 最初は感じていた汗や血の臭い、地下独特の湿っぽい陰気臭さ。

 ぼんやりとだが、普通の人ならば確実に感じられる感覚すらも削ぎ落とされる。


 


「まだ……。私は、歩ける……」


 


 ――――――


 


 * * *


 


 * * * * * * 


 


 

 第十三位の悪魔―――――ベレト。


 


「ぁ――――」


 


 彼女の不運は続く。


 今やよぼよぼな年寄り。――いや、それにすら劣る、正に死にかけの身体で階段を下りたリーシャが、足を滑らせ途中で転げ落ちる。


 視界がぼやけていたのもあり、せめて転ばないようにと心掛けていた――つもりだったが、同じ事を何度も続ければミスはいつか必ず起こる。


 そして転んだ時に、顔から滑り落ちたリーシャは顔中傷だらけになり、口も切ってしまう。


 

 ――――だが、口から垂れた血が口内に入っても何も『味』を感じられなかった。血の味も、唾の味も、試しに舐めた自らの腕さえも。


 


 ――これで彼女は、5つの内4つの機能をほぼ失った。


 


「あ、あれ……右足が。折れ……ちゃった……かな?」




 不規則に曲がった足を見ながらも、最早身体が前に進めばいいと言わんばかりの意志で壁に寄り掛かりながら先へ進む。




 第十位の悪魔――――――ブエル。




「やった…………。残り…………後、少し……」




 本当にうっすらとだが、かろうじて残っていた視界さえも完全に閉ざされる。

 リーシャの前にあるのは黒の世界。絶望で塗り固められた虚無だった。


 


「身体が……覚えてる……もん、ね……」


 


 

 第八位の悪魔――――――バルバトス。


 


 第七位の悪魔――――――アモン。


 


 第六位の悪魔――――――ヴァレフォル。


 


 第五位の悪魔――――――マルバス。


 


 ここで、最後の五感だった『聴覚』が失われた。


 

 歩く時に聴こえる筈の砂利を引きずる音ならまだしも、自分が発している声すらも聴きとれない。


 


(あはは……これはいよいよやばい、かな……?)


 

 ここまで来ると逆転の発想に至るのか、奇妙な笑いすらこみ上げてくるリーシャ。


 

 そして着いた、地下69階。


 

(大丈夫かな? ちゃんと声、出てるかな?)


 


 第四位の悪魔――――――ガミジン。


 


(やった――開いた。あ……でも、もう『立てない』……かな?)


 


 どたり、と軽く乾いた音が部屋に響く。


 


 だが倒れた所で痛みも見る事も、感じる事もできない。


 


(後三階。……でも、これで何にもなかったら……どうしよう?)


 


 リーシャがそう思ったのは、偶然だった。


 


 最初はなんとなく浮かんだだけの、うっすらと記憶に残る彼女の生まれ故郷。


 


 ――それから大群の魔物が真夜中に襲って来て、村の人は全て牙に貫かれ、食われ、魔法で焼かれ、凍てつかされ、バラバラにもされた。


 残ったのは、唯一魔物と心を知る事ができるリーシャのみ。


 リーシャは生き残る為に、無我夢中でその時から知っていた村の歌で魔物達から食われる事を避けた。


 まず結果として、リーシャは助かった。


 だが後からやってきた王国の騎士団達は、リーシャに群がる魔物の光景に、彼女が呼び寄せたのでは――と勘違いしてしまったのだ。

 そして、魔物達が彼女の歌に聞き惚れている内に殺してしまうべきだと、偶然ではあったが騎士団は不意を突けたおかげで彼女を救う事は容易かった。


 そして彼女の歌の秘密は王国だけの秘密となった。


 


 第三位の悪魔――――――ヴァサゴ。


 


 そして彼女が過去を思っている間にも、地下70階に到達する。


 


 ――話はリーシャの過去に戻る。


 長い年月を送ると、誰しもその暮らしになれ、いつか気の緩みは訪れる。それは彼女も例外ではなかった。


 何気ない気持ちで、泉で歌ったリーシャはやはり魔物を呼び寄せる事になったが、問題はその後だった。


 リーシャに一番懐いていた子供が、一人で何処かへ出かける彼女の後をこっそりつけようとしたのが始まりで、それは電撃が走る勢いで国中に広まるきっかけとなった。


 いくら国が擁護し、彼女が直接害を与えた事はないと言っても、一度定着した先入観は離れる事はない。親共々を初め、学園の生徒達も純粋な孤児院の子供達すらも魔物を呼んだという恐怖感から上手く接する事ができず、瞬く間にリーシャは孤独な環境に陥っていった。


 そしていつしかついたあだ名が『ハブられリーシャ』。大人達からは『悪魔の申し子』とも呼ばれる。


(なんか懐かしい……なんで今頃、こんな事思い出してるのかな……?)


 一通り思い耽るのが終わると、今度は自分が今何をしてるのかが分からなくなって来る。


 

(あれ……私なんで……こんな所で寝てるんだっけ?)


 

 五感を失い、立つ事も適わない。思考能力すらも低下している。

 自分は今――『死』に直面しているという事に、ようやく気付いたのだ。


(今何処だっけ……? ああ、地下70階まで来たんだった)


 誰かが自分を呼んでいる。だからここにいるのだとも、同時に思う。


(進まなきゃ……。這ってでも……)


 すると――それまで閉じていた瞳が、ほんの少しだけ開いた。


 目もぎりぎりではあるが見えていた。


 立てなくても、前には進める。

 リーシャは尽きかけた力をもう一度だけ、振り絞った。


 


 

 第二位の悪魔――――――アガレス。


 


 

(……後は、一階だけ)


 彼女の全ては、今や這って前を進む為と魔法陣でその名を口にできる為にあった。


 来ていた服もボロボロ。ここに来るまでは艶やかだった髪も潤いも無くし、ボサボサである。彼女は今死んでいると言っても、誰も疑いはしなかっただろう。


 


(私は……まだ生きている。私を呼んでくれる誰かに逢うまでは……死ねない)


 


 

 * * *


 


 

 ――そして遂に。


 

 遂にリーシャは着いた。

 地下72階。ソロモンの封印殿最深部である。


 

 その場所は今までの薄汚い部屋とは違い、まるで世界から切り離されたように神秘的な部屋だった。


 中央に魔法陣があるのは相変わらずだが、その少し奥には明らかに格式の高い、豪華な椅子――『玉座』があったのだ。


 

(や……やった。わ、わたし……ここまで来たんだ)


 

 これが最後。リーシャは水が入った小瓶の最後の一滴を口に垂らすように、全精力を込めて口を開いた。


「第一位の悪魔――――その名は……『バァル』。」


 リーシャが解放の言葉を唱えると、今までとは全く違った光景が現れる。


 魔法陣が部屋全体を覆わんばかりに輝くと、その光は玉座に向かって収束し、やがてそれはヒトらしき形へと象られた。


 


 ――――そこに座っていたのは。


 


「……私を呼び覚ましたのは、お前か?」


「え……?」


「私は誰の命令も受けぬ『究極の悪魔バァル』。全てを無に還す存在だ」


 現れたのは、優雅に足を組み頬杖をつく20代半ばのような出で立ちをした流麗な風貌をした黒髪の男性。


「え……えと……」


 何か話そうと思っても、彼女にそれだけの力は最早無い。

 そんな様子を男も分かっていたようだ。


「どうやら命からがらでここまで来たようだな。……成る程、ソロモンも中々の役目を果たしたようだな。仕方ない、まずは目と口と耳くらいは働く様にしてやるか」


「あ……あれ声が聞こえる。私の声も……?」


「やはりお前は良い声をしているな。聞いてるだけで、心が安らぎそうだ」


「私を入口から呼んでたのは……貴方なの?」


「だったらどうするのだ?」


「いえ……どうするもないけど」


「ふむ。中々に空虚な心をしているな。殺すには惜しすぎる存在だ」


「貴方がさっきから何を言ってるのか分からないよ……」


「私にも分からぬ」


「え、ええ?」


「何せ最後に眠ったのはたしか3600年程前なのでな。使命なども当に忘れた」


「そんなに昔から……」


「時に娘よ。名は何という?」


「り、リーシャだけど」


「お前は歌を唄えるのだろう?」


「え。そ、そうだけど……どうしてそれを?」


「あの泉のほとりでいつも歌っていただろう? あの場所はこの封印殿の真上だからな。眠っていても心地よかったのは覚えている」


「そうだったんですね。えと、つまり……『歌って』って事かな?」


「ああ」


 迷う事無く頷いたバァル。

 かつてこれ程までに自分の歌を頼まれた事はあっただろうかと思いながら、立とうとした。


「あ……足が……」


「なんだ骨が折れてるのか。仕方ない」


 バァルが指をリーシャの足元に向けると、折れていた右足は瞬く間に元の状態に戻り、立つ事ができるようになっていた。


「さあ、頼む」


「うん……」


 ――それから少しの間だけ、リーシャは心を込めて歌った。今まで歩いて来た辛い道や過去も忘れて。


 その間もバァルはずっと表情を崩さずに聞いていたが、別に不快ではないのはリーシャにも何となく伝わっていた。


 歌い終わると、ただ一人の観客だったバァルはリーシャに拍手を贈った。


「いいぞ。とてもいい。気に入った。本来ならば衝動のままに何かを破壊していた所だが、今日は機嫌がいい。お前の願いを一つ叶えてやろう」


「ね……願いを……?」


「ああ。だがタダでという訳にもいかん。本来、お前はここに来るまで器を空にする為の存在だったのだ。少しでも悪魔としての力をその身に注ぎ込めるようにな」


「えと……もしかしてあの魔導書に書いてあった事言ってるんだよね……。私はどうしたらいいの?」


「私を初めとする72の悪魔は何万年という長い月日を生きて来た。だが、我等の命とて無限ではない。いつしか『終わり』は来る。そこで我等の長でもあったソロモンはこの地に封印し、最も力がある私の目に適う後継者をいつか招き入れる為に、この地に我等を封じ込めたのだ。もっともその後、天使等に殺されたようだがな」


「……バァルさんってそんなに凄い人だったんだね」


「ヒトではない。悪魔だ。それに普通に呼べ」


「あ……ご、ごめんなさい。バァル……」


「……だが、結果としてソロモンの危惧していた事は見事に当たったという訳だな。私以外のソロモンの悪魔は封印されていても息長らえる事はできず、消滅してしまった。このままでは私とて、持って後二千年だろうな」


「それだけ生きれたら十分な気が……」


「悪魔の歴史は長くあるべきだからな。その血を絶やす事は許されないのだ」


 それと自分に何の関係が、とリーシャは思った。

 だが死にかけだった時だったとは違い、今はバァルに身体を癒して貰い、頭も体もほぼ万全だ。


「だからお前が『新たなソロモンの悪魔王女』となって、我等伝説の悪魔の命を繋ぐ役目を担って貰う」


「そうですか。私が悪魔――って。え……ええっ!?」


 普段感情の起伏が薄いリーシャがこんなに驚いたのは初めてだった。


「だからその代わりにお前の願いを一つ叶えてやろうと言っているのだ。何が欲しいのだ、金か? 理想の愛か? 友情を分かち合える友か? はたまた力か? まあ、お前が悪魔になれば力などは、わざわざ欲さなくとも手に入るがな」


「私は……」


 急に言われても正直どうすればいいかなど、分かる筈もなかった。


 ――だが、ひとつ分かっていたのは、バァルの言ったそのどれもがリーシャの胸には響かなかったという事だけ。


 逆にリーシャが生きて来て最も辛かったのは、それまで住んでいた村が一夜にしてなくなり数々の人生が閉ざされてしまった事だった。

 自分はどうなってもいいが、他の誰かが目の前でいなくなる。それだけは彼女は二度と見たくなかった。

 幾許か悩んだ末に、導き出した願いは――とても単純だった。


「うーん、世界が平和になればいいかな……って思う」


「……そんな陳腐なモノでいいのか? 自らの私利私欲を満たしたくはないのか?」


「私は何処かでのんびり暮らせれば、それでいいかなって。それにほら――私って魔物と話せちゃう『ハブられリーシャ』だから、みんな怖がっちゃってて。本当は孤児院からもいつか離れたいって思ってたの」


 それは嘘偽りのない、真っすぐなリーシャの回答だった。

 そして、そこまで言われてしまっては、バァルとて無碍にもできなかった。


「ははっそうか! そんな透き通った声で言われてはな。何万年と生きて来た私がここまで感慨に浸った事などあろうか?」


 誰に言うでもなく、ひとしきり笑った後にとても満足な表情でバァルは告げた。


「――分かった。そこまでの覚悟ならば、後は何も言うまい」


 バァルはようやく立ち上がると、リーシャに近づく。


「器を可能な限り空にする必要があったのは、お前の身体により多くの悪魔の力を注ぎ込む必要があったからだ」


「ほ……本当に悪魔になっちゃうの私?」


「見た目などいつでも今の姿に替えられる。それともやはり怖くなったか? 帰るならば今の内だ。――その歌声を手放すのはとても惜しいがな」


 リーシャは揺れた。そして迷った。


 今ならばまだ人間としての道を歩める。バァルの言う通りになってしまえば、元の生活には戻れないのも分かっていた。


 ――でも、今更帰ってどうする?


 帰ったとしても自分を心配してくれる人などどこにもいない。

 学園はおろか、自分達より年齢が低い孤児院の子供達にすらも忌避されている。


 そんな自分をいつだって慰めてくれたのは――他でもない魔物達だった。


 だったら、バァルに願いを叶えて貰って世界を平和にして、自分はとっとと別の場所にでも去ってしまった方がまだ合理的だ。


 そして今。自分の歌声を『惜しい』とまで言ってくれる誰かがいる。


「うん――なるよ。私、悪魔になる」


「良いのだな?」


「願い、本当に叶えてくれるんだよね?」


「無論だ」


「じゃあ――お願い」


 リーシャはそれだけを言うと瞳を閉じ、胸の前で手を組んだ。


 そしてバァルが手をかざすと、リーシャは妖しげな紫の光に包まれる。


 


 ――背中から漆黒の大きな翼が生え。


 ――頭にも同様の色をした捻じれた暗黒の角が生え。


 ――腰下からは深紫の悪魔の尻尾が生え。


 ――耳は鋭く尖った大きな耳へと生まれ変わり。


 ――爪はより鋭利さを増して、真紅に輝き。


 ――肌は滑らかになり、胸もより膨らみを増して瑞々しい透明な素肌へと。


 ――髪は今より長くなって、その色も艶やかな純白色に染まる。


 ――最後に目を開くと、眩しさが際立つ金色の瞳へと変化していた。


 


 そして全ての変化が終わった頃には、リーシャは自分の身体だと信じられないのか、しばらく身体のあちこちを見比べていた。


「すごいね……。これが悪魔になるって事なんだ……」


「私にとって空になった器に力と叡智を授けるなど容易い事だ。さて、次はお前の願いを叶える番だな――いくぞ」


「行くって何処に?」


「世界を平和にしたいのだろう?」


「ええっと……もしかして、もしかする?」


 次の瞬間――二人はそこから忽然と姿を消していた。


 


 

 ――――――


 


 ――


 


 

 * * *


 


 


 

「な、なんだお前達は!?」


「コイツを倒せばいいのだろう? 実に簡単な願いだな」


 バァルとリーシャが飛んだのは、何を隠そう大魔王エビルドラーナの根城の真っただ中だった。

 エビルドラーナが驚くのも無理はない。何せ『突然』目の前に現れたのだから。


「何を言っておるのだこの愚か者が! このワシに歯向かうとどうなるか思い知らせてやるッ!」


 ――戦いは、いつも前触れなく始まる。


 それは人間同士だろうがスライムだろうが大魔王であろうが、伝説の悪魔にとってはどれも同じ事に過ぎない。


 エビルドラーナはバァルに手から激しく燃える炎を飛ばす。

 しかしバァルには全く効かなかった。


 ならばと今度は凍て付く巨大な冷気を投げ付ける。

 バァルはそれにも意に介さない表情で受け止めると、今度は一気に投げ返した。

 予想だにしない反撃にエビルドラーナはまともに喰らってしまうが、大魔王としての意地があるのか立て続けに多彩な魔法を繰り出す。


 そんな必死の抵抗に、バァルはただ笑うばかり。


「こ、こんなのってありなの……?」


 後ろで見守っていたリーシャも突然の超展開に全くついていけない。


「もう終わりか? なら、そろそろこちらから行くぞ?」


 バァルはその言葉と共に手から火炎の魔法を放つと、それは地獄の業火となってエビルドラーナを完全に飲み込み、あまりの熱量に大魔王の叫びすらも聞こえない。


 火が収まる頃には、当に影も形もなくなっていてもう終わってしまったのかと、バァルはため息をつく。


「あ、あれ! まだ何かいる!」


 中央にぷかぷかと浮かんでいたのは、手の平ほどの大きさをした何かの塊だった。


「このザマでは、流石に大魔王としての威厳が許さぬようだな。面白い、お前の本気をもっと見せてみろ」


 その言葉で塊はやがて醜く蠢き、それは見る見るうちに醜悪な巨大な化け物としての形を成していく。


 そして新たに姿を現したのは、最初の人型と比べてまるで原型を留めていないおぞましい大魔王の真の姿だった。


 

「貴様ら……許さん、許さんぞおおおおッ! この姿になったからには、骨も残さず喰らい尽くしてくれるわあッ!」


 大気が張り裂けんばかりの咆哮にもバァルは退屈そうに耳穴をいじり、まるで相手にしていない。


 そんなエビルドラーナは自らに補助魔法を施した。

 防御力が上昇する魔法。攻撃力が上昇する魔法。瞬発力が上昇する魔法。ありとあらゆる魔法を掛け続ける様子を、バァルは黙って見ていた。


「死ねぇ!」


 エビルドラーナは巨大になった右手をバァルに直接叩き付ける。

 とてつもない地震を巻き起こしながら、初めて手応えがあった攻撃に大魔王はニタリと顔を歪めた。


 

 ――――が、それもほんの一時の事。


 

 大魔王の右手が強引に押し戻されると、なんとバァルはそのまま捻じ切ってしまう。


 悲鳴が大魔王の間に響き渡った所で、バァルはリーシャに声を掛ける。


「お前もやってみるといい」


「わ、私も!?」


 リーシャは生まれてこの方戦った事などない。並の狼はおろか、その辺にいるスライム一匹ですらやっつけられるか分からないのに、自分に何かできるのかと訴える。


「心配はいらん、この程度の強さなら魔法を適当に唱えるだけで十分だ」


「本当に……?」


 半信半疑ながら恐る恐る手を突き出し、何となく頭に思い描いた風の魔法を放つと、それは見るも無残な超真空波となって今度はエビルドラーナの左手を斬り裂き、吹き飛ばしてしまう。


「わわ。すご……」


「後で力加減も覚えておくことだな。――さて」


 

 バァルは虚空より呼び寄せた杖を天高く掲げると、大魔王の魔力などとは到底比較できない魔力で無数の魔法を一気に唱えた。



「――遊びは終わりだ」




 地獄の炎。

 絶対なる冷気。

 天を穿つ雷。

 魔力そのものの大爆発。

 全方位から襲い掛かる無慈悲な重力。

 聖も悪も超えた絶大なる魔法。


 


 全て唱え終えた時には大魔王の身体はほぼ消滅しており、辛うじて一つの目玉だけが残っていた。


「な……なんだ? 一体何が起きたのだ……?」


 大魔王は未だに自分の身に何が起きたのか、心底理解できていなかった。

 圧倒的なエネルギーが来たかと思えば、次の瞬間には身一つ残っていなかった。それだけの話だった。


「お前達は一体なんなのだ……!?」

「答える義務はないな。消えろ」


 バァルはあくまでリーシャの願いに忠実だった。


 ――世界を平和に。伝説の大悪魔は、ただそれに従ったのみ。


 

「この領域の主が消え去った事でこの場所も崩れるようだ。出るぞ」


「う、うん……」


 


 ――――かくして、世界に平和が戻った。


 バァルの復活と、新たな悪魔王女の誕生によって。


 


 

 * * * * *


 


 

 外観から魔王の城が崩れていく光景を、リーシャはただぼうっと見つめていた。


 あの封印殿を悪戯心で潜って――それからここまで、たった一日。

 そう。たった一日で、彼女の願いは叶ってしまった。

 ならばこれから何をすればいいのかと、黄昏ながら考えていた。


「これでいいのだろう?」


「確かによかったんだけどもね……」


「不服か?」


「ううん、不服なんて事はないよ。むしろとってもありがたいんだけど……」


「あまりにもあっさりし過ぎて、拍子抜けしたか?」


「そう……だね」


「伝説の悪魔ともなればそんなものだ。直に慣れる」


「悪魔かあ……そう言えば私も『仲間入り』しちゃったんだよね」


 リーシャはまだ慣れない自分の紅く鋭い爪や真っ白になってしまった髪を触りながら、そう呟いた。


「さて――では私も行くとしようか」


「何処に行くの?」


「あれから魔界の様子もずっと見てないからな。まずは様子を見に帰るとする」


「私はいいの? 命を繋ぐ役目があるんじゃなかったの?」


「悪魔の寿命は長いからな。少なく見てもあと三千年は大丈夫だろう」


「三千年……全然実感が沸かないよ……」


「それも慣れる――では、歌がまた聞きたくなったら逢いに来るとしよう」


 バァルはその言葉を最後にリーシャに背を向けて歩き出した。


 彼にもやはり役目はある。

 ――なら自分はどうすれば、とバァルが一歩進む毎に考えた。


「待って!」


 後一歩でバァルが魔界に旅立つその寸前。リーシャは大きな声で叫んで止めた。

 そして急ぎ足でバァルの下に寄ると、はっきりとした意志で答えた。


「私も魔界に行く。ううん、行かせて」


「別に構わんが……お前にとって好みな世界かは分からぬぞ?」


「いいの。これが自分から選んだ道だから」


「そうか――ならば好きにするがいい」


「うん。ありがとう……バァル」


 

 そして二人の姿は、再び消えた。


 誰にも告げず、魔界を目指す為に。


 


 


 * * *


 


 


 その後、封印が破られた王国から再び新たな噂が広まった。


『封印を解いたあのリーシャは、大魔王を倒す為に訪れた古の巫女だったのだ』と。


 忽然と姿を消したリーシャの行方を知る者は誰もおらず、更に不意に始まった平和に誰もが戸惑いを隠せなかった。

 そんな街行く人々のざわついた様子を満足気な顔で眺める真っ白な髪の少女と、漆黒の髪の青年が常に寄り添って今日も世界を駆け巡っているという噂が、今度は世界中に出回っているのだと。


 


 


 ――


 


 


 ――――


 


 


 

「……うーんどうしようかな」


「何をどうするのだ」


「よく言うじゃない。世界を最も危機に晒しているのは人間だって」


「だから次は平和の為に『人間を滅ぼす』とでも言いたいのか?」


「……それも悪くないかなーって」


「僅か半年で、つくづく悪魔になったものだな。ヒトの恨みとはかくも恐ろしきか」


「だって――――私は『ハブられリーシャ』ですからっ」



とあるRPGのおまけシーンに感銘を受けていつか書いてみたいと思った悪堕ち(?)作品でした。

思い付きで書いた上に拙い文章で申し訳なかったですが、ここまで呼んで下さった方ありがとうございます!

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