仏法の視点から

教学論苑(12月)

世界市民の自覚教学論苑〈3〉

南秀一 学生部教学室主任

「対話」の力で社会の基底部を動かせ
「通用する」ではなく「変えていく」

 11月5日に落慶入仏式が行われた、師弟誓願の殿堂「広宣流布大誓堂」。同8日には、世界85カ国・地域から集った330人のSGI(創価学会インタナショナル)の代表が出席し、厳粛に落慶記念勤行会が営まれた。
 勤行会に寄せたメッセージの中で、池田先生は大誓堂を「妙法の世界市民が集い合い」「民衆の幸福と安穏、社会の繁栄、世界の平和、人類の宿命転換へ、共々に励まし、誓願へ勇猛精進していく究極の人間共和の宝塔」と語られた。
 間もなく迎える「世界広布新時代 開幕の年」。本稿では、時代先駆の使命を担う私たち学生部が備えるべき、「世界市民の自覚」について考えたい。  

挿絵

◆菩薩にみる価値創造のモデル

 大学教育界を中心に、国際舞台で通用する「グローバル人材」の育成が声高に叫ばれている。
 文部科学省の定義によれば、グローバル人材とは「激動する国際社会の中で政治・経済・文化などの諸領域においてグローバルな課題に対して問題意識を持ち、社会において主体的に行動できる人材」を指す。簡潔にいえば、世界で起きている事柄を自ら考え、行動を起こせる人材、となるだろうか。
 グローバル化の進展は、経済の相互依存の深化やインターネット技術の発展などを通じて、日々の生活に影響を与えてきた。衣類から食品、文化にいたるまで、私たちの日常は、もはや世界と不可分になっているといえよう。
 一方、いまだに続く武力紛争や、人種、宗教の差異に基づいた凄惨なテロリズム、深刻化するヘイトスピーチ(憎悪表現)などを前に、国家間の相互理解が進んでいるかと問われれば、疑問が残る。
 世界の一体化を、より人類益に資するものとするためには、こうした諸課題に取り組むことが急務であることはいうまでもないだろう。海外でも通用する国際感覚や、外国語能力が必要であることは間違いない。
 しかし、その上で、いま本当に志向すべき人材とは、ビジネスや国際機関で活躍する「世界で通用する人材」だけではなく、実際に問題解決に向けて貢献できる人材、すなわち「世界を変えていく人材」ではないだろうか。
 この点を考えるにあたって、池田先生がアメリカのコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで1996年に行った講演「『地球市民』教育への一考察」を参照したい。講演の中で先生は、前述のような問題群は人間を見失い、「人間の幸福」という根本の目的を忘れてきた失敗に起因するものであるとし、その解決のためには、もう一度「人間」に立ち返り、「人間」を出発点としなくてはならないと指摘されている。
 その上で、地球規模で価値を創造する人間の要件として、
 ①生命の相関性を深く認識しゆく「智慧の人」
 ②人種や民族や文化の〝差異〟を恐れたり、拒否するのではなく、尊重し、理解し、成長の糧としゆく「勇気の人」
 ③身近に限らず、遠いところで苦しんでいる人々にも同苦し、連帯しゆく「慈悲の人」――を提示。これらの3点の特質を備え、仏法が説く、たゆみなく他者のために行動し続ける「菩薩」を、世界の混乱を超えて希望の未来を開く人格のモデルとして紹介されている。

挿絵

◆「良き市民」として生きるSGIの挑戦

 ここで「菩薩」の生き方の実例として、人類が抱える諸課題に取り組むSGIの運動をみてみたい。
 1975年1月のSGI結成の折、池田先生は参加者に対して「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼び掛けられた。
 以来、「よき市民」を合言葉に、SGIの友は、地域に根差した民衆運動を世界192カ国・地域で展開している。
 台湾では、社会の文化・教育の向上を目指す「地域友好文化祭」を開催。地元市民と共に音楽・芸術の催しを行い、SGI制作の展示などを開いている。2011年には人口の2割に迫る410万人が参加し、馬英九総統も出席。「SGIの皆様による社会のための行動は、決して容易になされるものではありません」と語るなど、大きな信頼と期待を集めている。
 南アフリカでは同年、COP17(国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議)に合わせて、SGIと地球憲章インタナショナルが共同制作した環境展示「希望の種子――持続可能性のビジョンと変革へのステップ」を開催。「南アフリカ宗教団体環境機関」との共催ともなり、多くの市民から共感が寄せられた。
 アメリカでは、青年部が展開する非暴力啓発運動「ビクトリー・オーバー・バイオレンス(VOV=暴力に打ち勝つ)」が反響を呼び、運動に賛同する宣言書には100万人以上が署名している(2013年3月時点)。また、2013年9月には、トルーマン元大統領の令孫ら来賓を招いてシカゴ大学で核兵器廃絶をめぐるフォーラムを開催するなど、「核兵器なき世界」を目指す民衆の草の根の連帯は、大きく広がっている。
 こうした取り組みは全て、一庶民が「対話」という手段を用いて行っている。そして、その底流にある信念とは、日蓮大聖人が「立正安国論」の中で示されたように、「一対一の対話によって社会の基底部を構成する人々の思想、信条を変えていく以外に、根本的な変革はない」というものである。
 広宣流布という使命を自覚した庶民が主体的に立ち上がり、対話の力によって人々を結び続けるSGIメンバーの姿は、これからの時代に必要とされる「世界を変えゆく人材」のモデルを提示していると考える。これこそ、「妙法の世界市民」の姿ではないだろうか。
 192カ国・地域ともなれば、当然、宗教も文化も政治体制も異なる。しかしSGIのメンバーは、それぞれの地域の特色を最大に尊重しながら、地域の発展と繁栄のために社会貢献の行動を続けている。こうした連帯と多様性の両立を可能ならしめているのは、仏法が説く「中道」の思想にある。中道とは、二つの両極端に執着しない、人間として正しい道を指す。具体的には、アメリカ・デューイ協会のジム・ガリソン元会長の言葉を借りるなら「困難に創造的に対応し、常に最高の可能性を発見し続けていく実践」ともいえる。
 おのおのの社会にあって、体制に反抗するのでもなければ、ただ現状に追従するのでもない。仏法が説く最極の「生命尊厳」「人間主義」の思想を社会に浸透させていくために、「中道」の思想に基づいて、どうすれば最適な形で発信できるかを模索し、対話という平和的手段を通して地道な挑戦を続けているのである。だからこそ、往々にして宗教が陥りがちな、「信仰者に対しては同胞としての尊厳や、見知らぬ人々の世界の中での平等を約束するが、非信仰者からはその同じものを取り上げてしまう」(ウルリッヒ・ベック著、鈴木直訳『〈私〉だけの神』岩波書店)といった独善性を超え、差異も文化も超えて、人間主義の思想を地域社会に広げられているのではないだろうか。

挿絵

◆師弟共戦が希望の未来開く

 ここまで、これからの時代に求められる「世界市民」の資質とその実践モデルについて考察してきた。
 池田先生は語られている。
 「日本人だから、外国人だからということではなくて、同じ人間として、ともに苦しみ、悲しみ、喜び、連帯していける人こそ、本当の『国際人』ではないだろうか」(『青春対話1』普及版)
 日蓮大聖人は、「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758㌻)との一節をはじめ、御書の中で「一閻浮提」「一切衆生」などの言葉を幾度もつづられており、身は日本にありながら、常に世界の全民衆の救済を展望されていた。
 また、牧口先生はご自身を「一世界民」であると宣言され、『人生地理学』で世界の相互依存を説かれた。戸田先生は、かつて朝鮮戦争で苦しむ民衆に思いをはせ、「『どっちの味方だ』と聞かれ、驚いた顔をして、『ごはんの味方で、家のあるほうへつきます』と、平気で答える人もいるのではなかろうか」と心を痛められた。そして、「地球民族主義」を掲げ、民衆救済の大闘争を繰り広げられた。
 大聖人も、牧口先生も、戸田先生も、日本を出られたことはなかった。しかし、池田先生の死身弘法の戦いにより、その思想は海を越え、創価の人間主義の思想として結実。今や世界中で、多くの民衆が御書をひもとき、希望の哲学を学ぶ時代を迎えた。
 先生は、師の構想の実現を誓い、励ましの「対話」を広げながら、世界中に人間主義の善の連帯を築いてこられた。「世界を変えゆく市民」として、これほどの範はないだろう。
 前述の「菩薩」の話に戻れば、生命の相関を認識し、互いの差異を理解・尊重し、遠くの苦しむ人々に同苦する智慧と勇気と慈悲を涌現する人格を備えた人が、希望の未来を開く。
 では、その人格を磨き顕す方途とは、一体、何か――。それこそまさに、悩める友のもとへ走り、共に同苦し、人間革命をかけて、広宣流布という大願のために学会活動に励む、私たちの日々の活動そのものの中にあるといえよう。
 「世界市民」の陣列の拡大が、人類の諸課題を超克する力となる。私たち学生部は、世界を変えゆく「妙法の世界市民」に連なる誇りを胸に、創価の大道を先駆したい。

(創価新報2013年12月4日号)