2020年10月19日(月曜日)
平凡な日々に感謝。
人ってね、平凡な日々が続くとね、退屈の虫が胸の中で踊り出します。
刺激が欲しいわけでもないのですが、毎日に変化がないと、今までと少しでも違うことが起きただけでも嬉しくなったりします。
でもね。気を付けないと、心の隙間に魔が入り込むかもしれません。
平凡な日々って、本当は幸せなことなのです。
2020年10月19日(月曜日)
ネエ ネエ、ご存知でした?
本能寺の変の名台詞といえば、
「敵は本能寺にあり」ですよね。
この名台詞って、江戸時代に書かれた『明智軍紀』の記述ですが、なんと著者不明の史料なのです。
インパクトのあるこの言葉。
明智光秀といえば必ずどのような作品にも出て来ますが、信頼性はまったくありません。
光秀が謀反を起こした動機は今も謎だらけです。羽柴秀吉との山﨑の戦いで敗れた後、敗走中に落ち武者狩に遭い深手を負い自害したと言われていますが、「本当かな~」と私は思っているのです。
あの当時、首が証拠としてあげられるのですが、光秀らしき首は腐敗が進んでいて、本人確認は出来なかったと思うのです。
自害したといわれる日は7月でした。
「明智光秀は、実は生き延びていた」
こんなふうに思うだけで、明智光秀という人物に興味が湧いて来ます。
そもそも「敵は本能寺にあり」と書かれてある明智軍紀、実は本能寺の変から約100年も経って書かれたものなのです。
100年後は徳川時代です。
光秀が生き残り、徳川家康の参謀天海上人になったと言われる説には拍手を送りたくなります。
だって、光秀って116歳まで生きたことになるのですものね。
ただね。
日光東照宮に、光秀の家紋である桔梗紋の彫り細工が多く見られるのには、「何かある」と思いたくなります。
日光に“明智平”という場所があるのも偶然とは思えません。
それより何よりも、比叡山に光秀の名で寄贈された石碑があるのですが、この石碑って、光秀が亡くなった後のものだったというのですから興味が湧くお話でしょう。