OVERLORD -the gold in the darkness- 作:裁縫箱
頭いい悪魔たち二人の会話って、格好いいけど書きにくいんですよね。
何考えてるかわからないし。
ナザリック地下大墳墓、第九階層の自室にて、アルベドは政務に勤しんでいた。彼女の手元には、大量の用紙が散らばっており、仕事量の膨大さが窺える。常人では、考えただけで憂鬱になる光景だ。
しかし、アルベドの顔にはいつも通りの笑顔が浮かんでいた。激務であればあるほど喜ぶ彼女にとっては、この状況は地獄ではない。天国だ。
軽快にペンを走らせるアルベド。室内には、彼女の他に誰もいない。普段であれば、ホムンクルスのメイドたちのうち、一人が雑用として待機しているのだが、それもいなかった。 メイドは、つい先ほどアルベドが処理した書類の束をもって、彼女らの支配者の部屋にまで届けに行っているのだ。
アルベドは、別にメイドの一人や二人いなくとも気にしないので、仕事のスピードは変わらない。というよりも、そんなことに影響されて仕事に差し支えるのなら、守護者統括として失格だろう。何しろ、ナザリックの支配者である御方のもとに行く書類は。大半がアルベドによって最終チェックされるのだ。もしミスに気付かずに御方のもとにまで行ってしまえば、アルベドの責任ということになってしまう。そんなことは許されない。御方には、常に完璧な状態の自分を見てもらいたいし、ましてや、失望されたときには、生きていける自信がない。
故に、アルベドのやる気はどんな時でもマックスだ。やる気が上限を突破することはあっても、下がることはない。
「よしっ。」
丁度ひと段落したのか、小さく気合を入れたアルベドは、ペンを置く。散らばっている紙を整理してまとめると、清書したものをバインダーに閉じる。バインダーは、そのまま机の端に置かれた。提出用ではない紙も、引き出しに保管しておく。万が一問題が起こったときには、過程を調べられるように当然の備えだ。書類を破棄してはいけない。
「さて。」
机の上にある書類の山の一つを自分の正面に移動させ、処理すべくペンをとる。
やる気は十分。さあ、捌いてやろうと、書類のうち一枚に手を伸ばす。
しかし、
『失礼します。デミウルゴスです。入室の許可を出していただけませんか、アルベド。』
間が悪いというかなんというか、闘志を新たにしたアルベドに水を差す声が、ノックの音に続いて扉の向こうからした。
そのことに若干気分を害しながらも、アルベドは一旦ペンを置く。
「・・・入ってきていいわよ、デミウルゴス。」
『有難うございます。』
声をかけると返事があり、それと共に扉が開いた。
アルベドの白いドレスとは対照的に、紅いスーツを着こなす悪魔が、室内に入ってきた。その奥からは、先ほど使いに出したメイドが頭を下げながら続く。
メイドが自分の後方に待機するのを横目で捉えながら、アルベドは正面で直立しているデミウルゴスに視線を移した。
「彼女も一緒だったのね。」
「ええ。廊下を歩いている最中に、バインダーの山を抱えて苦労しているのを見かけましてね。手伝ってあげた次第です。」
悪魔でありながらも、実に紳士的な回答をするデミウルゴス。実際のところ、彼が同胞として認識している者たちにとっては、まさに完璧な紳士であるから、そのことに関しては、疑問はない。むしろ、アルベドのほうが、メイドに荷物を持たせすぎたかと、少々反省した。
だが、本来第七階層の守護者として活動しているデミウルゴスが、至高の存在の住居である第九階層にいたというのは、何を指すのか。
アルベドが、そのことについて自分の推測が正しいか確認する前に、デミウルゴスが口を開いた。
「私も丁度、御方にお会いしようとここまで足を運んでいたのですが、残念ながらお留守のようでして。」
そこでデミウルゴスは、眼鏡を指で押さえた。口元にも、意味ありげな笑みが浮かんでいる。
「なんでも、件の人間のところに訪問しているとか。」
普段と変わらない口調、態度だが、観察力に優れるアルベドは、デミウルゴスが此方の表情を探るような目つきをしていると察する。
あの人間の娘に関してアルベドの考えを確認しておきたいのだろう。
その視線に対して、別に知られて困るようなことは考えていないが、習慣として表情の読めない微笑を浮かべる。
「ええ。そうみたいね。最近私たちの間でも話題に上がっていた、食文化に関する問題を課題としてあの人間に与えると仰られていたわ。」
「ほう。あの問題は君の手で対応案が作成されていたと記憶していますが、それをわざわざ人間の手で作り直させると。」
微妙に皮肉の込められたデミウルゴスの言葉を、アルベドは動ずることなく訂正する。
「作り直すとは、少し違うわ。私の案は見せずに、課題だけをあの娘一人に考えさせるそうよ。前回と同様、プランは二つとも守護者たちに与えて、その裁可を話合わせるお考えのようね。」
「要するに競争ということですか。いやはや、随分と高く評価されたものですね、あの人間は。推薦したのは私ですが、少し妬ましいくらいですよ。」
頭を振って苦笑するデミウルゴスに同意するように、アルベドは頷いた。
「本当に。貴方だけじゃなく、あの人間について知っているナザリックの者は、皆似たようなことを思っているでしょうね。至高の存在にあれほどの寵愛を受けられると想像すれば。」
少しだけ、その場にいる全員が、至高の存在に手ずから教育を受けることに関して思いをはせる。
素晴らしい光景だ。
ただ、・・・臣下としてはありえない。
人間がナザリック外の存在だからこそ許される環境だろう。
高速でその結論に至ったアルベドは、聞くべきことを思い出して意識を現実に戻す。
「そういえば、貴方はなんで私の部屋に来たの?話を聞く限り、面会を求めていたのは私ではないのよね。」
デミウルゴスが面会を求めていたのは、ナザリックの最高支配者である至高の存在であり、アルベドではない。にも拘らず、彼はアルベドのところにやってきた。まさか雑談をしに来たわけではないだろうから、何か目的があったのだろうが、それが何かは分からない。
いくつか思い当たる節がないわけではないが、大した根拠もなしに言うのは憚られた。
アルベドの説明を求める視線に対して、デミウルゴスは肩をすくめる。
「いえ、少々順番は変わりますが、君に渡しておくものがありましてね。」
そう言ってデミウルゴスは、虚空に手を突っ込むと、中から一束の書類を取り出した。
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彼は、ラナーの部屋からロ・レンテ城上空へと転移した。流石に雲の上に昇るほどの高さではないが、それでも、外周千四百メートルとまで言われる巨大な城が、おもちゃのように見える。
夜空は暗く、地上の光など届かない。
しかし、彼の碧い目は、城に使われている積み石の数まで、ハッキリと捉えていた。
ただ、別にそんなものを見るために、わざわざこんなところに転移したわけではない。彼の目的は、自分の去った後の室内の様子を窺うことにあった。万が一、問題が解決されていなかったら、即座に引き返すつもりなのだ。
彼の心配は杞憂に終わった。
その尋常ならざる眼で、城の中に残してきた少女への課題が、問題なく処理されているのを確認し、彼は観察を止める。
視線を正面に戻し、口を開いた。
「イクティニケ。前回僕が訪ねてきた時から、彼女の周りで何か変わったことはなかったかい。」
傍目からは、彼以外誰もいない空間に、声をかけたように見える。
だが、
「御座いません。我が君。かの人間は、周囲に気取られることなく巧妙に演技をやり通しておりました。」
渋く、深みのある声と共に、彼の背後の空間が歪み、一体の異形が現れた。
黒光りする仮面をつけた、人一人分ほどの靄だ。仮面以外に手で触れられそうな箇所は見当たらず、どうやって仮面をつけているのかすら分からない。何しろ、実体がなく常に靄は動いているのだ。そのくせ、仮面は変わらず人間でいうところの顔の部分を覆っている。
そういった超常現象は、魔法という概念にある世界ということで納得するほかないのだろう。
この異形の名は、『イクティニケ』。彼が生み出した眷属のうちの一体だ。隠密・変身能力に優れ、王国に配置された諜報員たちの統括を行っている。普段は、ただの人間に扮し、王城で生活しているが、今は彼と会話するために本性を表していた。
世界の異質さを、身をもって示す配下の姿を視界のふちに収めながら、彼は会話を続ける。
「そうかい。演技という道に関してはピカ一の君にそうまで言われるんだったら、彼女の行動制限に関しても、そろそろ見直していいのかもしれないね。」
「御意。」
腕を後ろに組んで、楽しそうに笑う彼に、異形はなんの迷いも見せずに同意した。そのことに引っ掛かりを覚えながらも、もう諦めの心境に入っていた彼は、特に何も言わずにおいた。
配下のイエスマンぶりを改革するには、もう少し時間がかかると悟っていたのだ。この世界に、彼が所属する勢力が転移して早百年。いろいろと外の世界に触れさせることで改善されてきたらしい者もいるが、末端のしもべにまで浸透するには、まだ足りない。
(性格まで詳細に設定されているNPCと違い、イクティニケのような僕の手で作られた眷属や、ただの召喚モンスターたちに自発性を期待するのは酷なのかもしれない。しかし、ほとんど性格について触れられていないセバスがあそこまで確固とした自我を形成しているんだ。事前に与えられた情報だけで判断するにはまだ早い、か。いやはや道は長いな~。ツアーとかに聞いた内容からすると、600年以上解明されていない問題だし。ハア~。)
この世界の神秘に関する考察の旅に浸っていた彼だが、背後からかけられた言葉に、意識を引き戻される。
「ただ、あの人間の周りに限定しなければ、ここ十数年は矮小な人間の世界にも変化が多かったように思われます。・・・あくまでも私の考えに過ぎませんが。」
異形の発言に少々驚きながらも、彼は相槌を打つ。
「ああそうだね。僕も最近の報告書は楽しませてもらっているよ。いろんなところで新しいことが始まっているようで、僕としてもとても嬉しい。」
事実、ここ十年の人間諸国の変化は彼としても想定外だった。王国では、言わずもがなラナーという知能の特異点が誕生しているが、それだけではない。同じ王国内でも、貴族の令嬢が冒険譚に憧れて出奔し、そのまま冒険者になってしまったり、平民の中でも英雄に届きかねない潜在力を持つものが複数現れたりしている。その中の一人は、かのご老体に匹敵する位階に上り詰めるだろうという報告さえあった。また、平民が王の側近になったりするなどという意識面での変化も見られている。
国外に目を向けてみても、帝国が既存の体制を壊そうと、大改革に勤しんでいたり、聖王国では、史上初の女性君主の誕生といったビッグニュースばかりだ。他にも、スレイン法国で新たな神人が確認され、王国のアダマンタイト級冒険者がパワードスーツを装備していたり、二百年前の魔神たちを討伐した十三英雄の生き残りが動いているという話もある。
(面白いよ。あれだけ古臭い考えが染み込んだこの人間世界で、新しい風が吹き始めている。)
今の世界は、誰かが舞台を整えたかのように、面白いもので溢れていた。彼にとって本当に好都合なことだ。そう、あらゆる種族の繁栄を願う彼にとって、これほど楽しいことはない。
「フフッ。まあ、それは別の話か。僕もあまり長話している暇はないし、他に言っておきたいことはない?待遇面での相談でもいいよ。君たちが困っているなら、何とかするのが僕の役目だしね。」
「いえ、私どもの待遇に関しては、既に身に余るほどの温情を頂いております。これ以上は、過分かと。」
「・・・・・。」
冗談交じりで言った言葉だったが、異形は至極真面目に答える。こういうところでは、やはりまだ壁があるなと、彼は思った。何回か実験してみたのだが、今では、休暇を与えることが罰則になっているほど、ナザリック内の配下たちは仕事好きだ。ナザリックの外の配下たちは、普通に休みや給金を与える必要があるのだが、そういう時に、普段やらないことをやるから、どの程度あげればいいのか混乱してしまう。
(いつか、まともに感謝祭とかしたいんだけどなー。)
一旦問題を棚上げして、彼は指令を下す。
「それじゃあ、僕は帰るから、後は頼んだよ。」
「御意。」
深く頷く異形に見送られ、彼は今度こそ本当に転移で帰還した。
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デミウルゴスは、手にした書類を机の上に置いた。
「御方から指示されていた計画に目途が付きましてね。お渡ししようかと思ったのですが、君にも伝えておくべきだと思ったのですよ。」
アルベドは、紙束に目を落とす。
表紙には、
【人類更正計画】と、記されてあった。
「惰眠を貪る家畜には、そろそろ躾が必要でしょう。君もそう思いませんか、アルベド。」
人類の未来を揺るがす計画が、人のあずかり知らぬ深い闇の中で、胎動しつつあった。
次回はもう少し長く書きたいですね。多分また一週間後くらいになると思いますが。