「サッカーを見るなら、サッカースタジアムがいい」。そんな意見は、最近珍しくない。陸上トラックがなく、ゴールラインもタッチラインも近い。選手の声やボールを蹴る音が聞こえる高い臨場感、高揚感。観客席に360度屋根がかかっているなら、ひいきチームを応援する声は2、3倍にも増幅して響く。サッカースタジアムの素晴らしさについては、改めて語るまでもない。

特に、首都にサッカースタジアムがあれば……代表チームは超満員のスタジアムで国の威信と応援を背に最高のプレーを見せるだろう。首都のサッカークラブがあれば、その動員力も桁違いになり、ビッグクラブの有名選手のプレーがサポーターを魅了するだろう。

サッカーの聖地イギリス・ロンドンのウェンブリースタジアム、スペイン・マドリードのサンチャゴベルナベウなど、欧州の主要な国のみならず、アジアでもFCソウルは2002の日韓ワールドカップにあわせて建設されたキャパシティ66,000のソウルワールドカップ競技場を持っているし、シンガポールも2014年にキャパシティ55,000のナショナルスタジアムを建設した。こけら落としでの日本-ブラジル戦は記憶に新しい。

しかし2017年8月現在、日本の首都・東京の中心である23区内に、Jリーグ規格を満たすサッカースタジアムはない。正確には西が丘サッカー場が存在するが、「Jリーグ規格を満たし」「国際Aマッチ基準を満たし」「首都を代表する」という水準では存在しない。日本の首都である東京の中心から、なぜサッカースタジアムは消えてしまったのか? その歴史をひも解いてみたい。

■東京のスタジアム史(Jリーグ以前)

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欧州や南米と違い、Jリーグ以前はサッカーの地位が相対的に低かった。そのこともあり、歴史あるスタジアムはほとんどが陸上競技兼用だ。中でも、長い間「聖地」のステータスを保っていたのが、現在改修中である旧国立競技場だ。

数々の日韓戦、辛酸をなめ続けたワールドカップ予選、名勝負も多く生まれた天皇杯決勝、その舞台は常に旧国立競技場であった。ただ、美しいフォルムをもつナショナルスタジアムも陸上トラックを間に挟んでおり、こと「サッカー観戦」という意味においてはお世辞にも臨場感があったとは言い難い。

東京都内のサッカースタジアムで抜群の臨場感があるものといえば、西が丘サッカー場(味の素フィールド西が丘)だろう。1972年に作られたキャパシティ7,000人余りの競技場だが、圧倒的な臨場感があり、根強いファンが多い。天皇杯の予選や東京の国体、そしてJリーグ創設期には公式戦も行なわれていた。だが現在はJリーグのスタジアム基準に達していないこともあり、日本クラブユースサッカー選手権やプレナスなでしこリーグ、JFLなどの開催が主な用途となっている。周囲の空地の少なさを考えても、このスタジアムをJリーグ基準や国際Aマッチの基準までに増設することは難しい。

国立競技場とおなじく1964の東京オリンピックに合わせて建設された駒沢公園陸上競技場も、数々の記憶が残るスタジアムだ。だが、やはり陸上競技場である。周囲の空地面積を考えると、サッカースタジアム化は考えられなくもないが、国立病院が隣接している現状を考えるとかなりの難関だ。

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■東京のスタジアムの歴史(Jリーグ以降)

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東京の中心にサッカースタジアムが建設されるチャンスは、2度あった。1度目はJリーグ開幕年である1993年、2度目は日韓ワールドカップ共催の2002年だった。

しかしJリーグ開幕時、東京をフランチャイズとするクラブはなかった。JFL時代からの強豪・読売クラブ(ヴェルディ川崎[当時])は実質的には東京のクラブと認知されていたものの、都内にリーグ規格にあうフランチャイズのスタジアムを確保できず、川崎フランチャイズでスタートせざるを得なかった。ヴェルディはたびたび旧国立競技場でホームゲームを開催したが、ここで東京のサッカースタジアムの最初のチャンスをつかむことができなかったことは大きい。

その後「東京のサッカークラブ」設立の動きが加速し、東京ガスサッカー部を母体としたFC東京が設立されたことは周知の通り。1999年のJ2加盟から2001年東京スタジアム(現味の素スタジアム)完成までは駒沢、西が丘、江戸川区陸上競技場などでホームゲームを開催していた。

2001年、満を持して、東京スタジアム(現・味の素スタジアム)が完成した。しかし翌2002年ワールドカップが決まっていたにもかかわらず、味の素スタジアムは多目的スタジアム、陸上トラック完備のスタジアムとして作られた。補助グラウンドを整備しなければ、陸上競技の国際大会が開催できる第一種競技場の公認を受けられないにもかかわらず、多目的競技場にしかなりえなかった当時の事情(多摩国体メイン会場としての整備優先)がうかがえる。

そうした事情は、東京だけのことではない。2002年のワールドカップ会場は日本国内に10か所、新設は8か所あったが、サッカー(球技)専用として建設されたのは埼玉スタジアム2002と神戸ウイングスタジアム(ラグビー兼用)だけ(カシマスタジアムがサッカー専用のまま、ワールドカップ基準に増築)。ちなみに共催した韓国では10会場中前述のソウルワールドカップ競技場を含めた5会場がサッカー専用スタジアムであった。

日本においてここまでサッカー専用スタジアムが少ない理由の一つに、「国体開催を契機にした施設整備の多さ」が挙げられる。

スポーツの競技場で、単体で経営的に黒字を安定して出せるのは年間60試合以上のホームゲームを開催するプロ野球のみ。それ以外は、アマチュアスポーツの場としても提供される公共施設として建設されることがほとんどだ。その名目として長い間活用されてきたのが、各都道府県持ち回りで開催される「国体スタジアム」整備なのである。この特異な習慣が、各競技にフィットした球技場で競技の魅力を高めるというスタイルを阻害してきたのは否めない。

■サッカースタジアムとしての新国立競技場計画(ザハ・ハディド案)

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このような日本特有のやり方ではなく、サッカーの魅力を最大限に演出するサッカースタジアムも、日韓ワールドカップ以降増えてきた。仙台のユアテックスタジアム、千葉のフクダ電子アリーナ、鳥栖のベストアメニティスタジアム、大宮のナックファイブスタジアムなどだ。

そして、サッカー専用のスタジアムの価値が認知されるようになり、サッカー日本代表も女子代表もワールドカップの常連となり、サッカー競技自体の地位も向上してきた中で、新国立競技場の計画はスタートした。国際コンペを勝ち抜いたのはイラン系イギリス人女性建築家のザハ・ハディド氏。その特異で未来的なスタジアムデザインは、オリンピック誘致に最大限利用され、日本は2020年の東京オリンピック開催を勝ち取った。

当初の新国立競技場の仕様は、巨大かつ豪華極まりないもの。日本サッカー協会は、可動スタンドにより陸上競技スタイルとサッカースタイル両方で使える仕様を求め、エンターテイメント業界は芝への配慮とピッチ部分の全天候利用を両立するための巨大な開閉式屋根を求めた。

そしてスポーツ外交やエンターテインメント外交のため巨大なVIP/VVIPエリアを仕様にうたい、採算化のために地下に巨大なスポーツジムまで併設した8万人収容の超弩級スタジアムであった。建設物価の高騰もあいまって建設費が完全にオーバーし、最終的に安倍晋三首相の政治決断で白紙撤回されたのは衝撃であった。誰が悪いのかの犯人探しの中で、ザハ・ハディド氏がスケープゴートとなり、それが正しかったのかを振り返る前に、ザハ氏は急逝してしまった。

■サッカースタジアムとしての新国立競技場計画(現行案)

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最終的に新国立競技場は再コンペの形となり、非常に厳しい参加資格のなか、2つのグループの一騎打ちとなり、隈研吾氏と梓設計、そして大成建設のグループが勝ち名乗りを受け、ようやく工事に着手された。だが厳しいコスト制限が条件化されたため、サッカー界の希望であった可動スタンドも、エンターテイメント界の要望であった可動式屋根もはずされた。

これらは稼働率向上のための設備であったため、これらが外されたことにより、新国立競技場のレガシー利用の方向性は不透明になってしまい、今年になって将来のサッカー専用スタジアム化やJリーグクラブのフランチャイズ化、さらには可動式屋根の復活などが議論に上がってきている。ザハ氏は「それみたことか」と天国であきれ返っているに違いない。

こうして東京にはJリーグ開幕、ワールドカップ誘致、そしてオリンピック招致と3度もチャンスがありながら、サッカースタジアムが実現できない、ということになってしまっている。もちろん新国立競技場にそのチャンスはまだ残っているのであろうが、規模縮小があったとしても、そのキャパシティは7万近く、日常的なプロサッカー興行として現実的なバランスとは言えない。

2017年7月には、新聞報道で、23区である渋谷区の代々木公園敷地内に、複数民間事業者がサッカースタジアムを構想し、都側と協議に入っているとの報道があった。まさに新国立競技場の将来活用を球技専用化の方向で検討しているという報道が入った直後のため、この報道は一種の「観測気球」のようなものではないか?(報知新聞1社のスクープで他社の後追い報道がなく、複数民間事業者の情報もほとんどないため)という見方もある。

だが、これも「東京の首都のサッカースタジアムが、巨大すぎてピッチも中途半端に遠く、お世辞にも見やすいとは言えないであろう新国立競技場→(改)球技場で本当にいいのか?という議論が詰まっていないことにたいしての警鐘をならす意味がないとはいえないだろう。

東京の、首都のスタジアムはどうあるべきなのか。いかに首都東京とは言え、プロサッカーの適性キャパシティは大きく見ても5万程度だろう。そして、そこをFC東京が使うにしても、東京ヴェルディ1969が使うにしても、サッカー日本代表の国際試合が開催されるとしても、「東京ならでは」のアイデンティティがないと、ウェンブリーのように永くは愛されないだろう。

もちろん採算は度外視することはできない。ただ、それよりも必要なのは、政官財界と、サッカーを愛する都民の「シンボル的なスタジアム」への熱意を表に出すこと以外にないと思われる。それはいつの日にか、「コスト」問題を凌駕すると、筆者は信じてやまない。

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mataroviola

著者プロフィール mataroviola

広島生まれ、広島育ちのスポーツ好きな建築アカウント。カープの初優勝時に小学一年生ながらデパートの振る舞い升酒に口を付けてしまったところを中国放送に抜かれ、親ともども学校に呼び出された経験から、スポーツと社会を見つめつつ、都市・建築の知識からスポーツを語る熱いアラフィフ。