あまりにショッキングな安倍首相のコメント

水素製造施設の開所式に自ら水素燃料電池車を運転して登場した安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町、撮影・筆者
水素製造施設の開所式が始まると、安倍首相は女性アナウンサーのコールに導かれ、自ら水素燃料電池車を運転して会場に姿を現した。
その直前、首相に随行してきたとみられる記者団の一行が会場に到着したのを私は見逃さなかった。皆、長旅に疲れ切ったような表情で、腕に「内閣」の腕章を巻いている。安倍首相が壇上でスピーチをしている間、私は彼らの動きをずっと目の端で追っていた。

水素製造施設の開所式で挨拶をする安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町、撮影・筆者
すると、安倍首相が演説を終えた瞬間、その首相番の群れが誰かに導かれるようにして別の場所へと移動し始めたのだ。
私は彼らの後ろをそれとなくついていくことにした。
彼らが向かった先は開所式が開かれている式典会場から数百メートル離れた、水素製造施設の建物のちょうど裏側にあたる通路だった。幸い、私は誰かに制されることもなく、許可のいる場所にも立ち入っていない。
問題は服装だった。原発被災地に勤務する私はいつでも現場に飛び出せるよう、普段からアウトドアウェアを着て取材している。全員がスーツ姿の首相番の中で一人だけアウトドアウェアの人間が紛れ込んでいれば、確実に目立ってしまう。
私は慌ててぶら下がりの会場にセッティングされていたテレビカメラの三脚の下にしゃがみ込んだ。代表取材のテレビカメラの撮影アシスタントのような雰囲気を装い、ぶら下がりが始まるまでの時間をなんとか乗り切ろうとした(ただ、その作戦はどうやら失敗だったようだった。官邸や国会で撮影するカメラマンや助手は通常スーツ姿で仕事をするらしいということを後に私は同僚のカメラマンから聞かされた)。
数分後、安倍首相はSPに囲まれて我々の前に現れた。それまで何度も小声で質問の練習をしていた女性記者がマイクを差し出し、質問を1問だけ安倍首相へと投げかけた。
「東日本大震災からまもなく9年となるなか、震災や原発事故の影響で避難生活を余儀なくされている方は先月の時点で4万7000人にのぼっています。節目となる10年を前にこれまでの政府の復興政策についてどのように総括されますか」

記者の質問に答える安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町、代表撮影
安倍首相は事前に通告されていたのだろうその質問に頷くと、次のようなコメントを実に4分以上もかけて一方的に話し始めた。
「まもなく東日本大震災から9年を迎えます。来週いよいよJR常磐線が全線開通致します。それを控えて発災以来、町全体で避難が続いていた双葉町では一部で避難指示が解除され、本格的な復興に向けて大きな一歩が踏み出されました。(中略)福島の復興なくして日本の再生なし。この考え方の元に福島が復興するその日が来るまで国が前面に立って全力を挙げて参ります」
原発被災地で取材を続ける私にとっては、あまりにショッキングな内容だった。あるいは彼は1日のうちに沿岸部のいくつもの場所を訪問したので、自分が今どこにいるのかわかっていないのではないか、とさえ私は思った。
彼がその時立っていたのは、事故を起こした東京電力福島第一原発からわずか8キロの場所だった。近くの請戸漁港からは原発の排気筒がはっきりと見えるまさに「目と鼻の先」。そこまで原発に近づいていながら、記者会見で「原発」という言葉を一度も使わず、事故への認識も感想も示さない会見者を、私はこれまで見たことがなかった。
東京電力も認めているように、福島第一原発の廃炉は思うようには進んでいない。東京電力は廃炉までの道のりを「30~40年」と発表しているが、その実現可能性はほぼゼロに近く、その達成が50年後になるのか、100年先になるのか、今の科学技術では結局誰にもわからない。そもそも「廃炉とは何か」という定義でさえ、明確には決められていないのが実情なのだ。