〔週刊 本の発見〕『滞空女ー屋根の上のモダンガール』 | |||||||
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毎木曜掲載・第174回(2020/10/8) 「高所占拠闘争」はここから始まった『滞空女ー屋根の上のモダンガール』(パク・ソリョン 著、萩原恵美 訳、三一書房、2200円)評者 : 根岸恵子主人公の姜周龍は日帝植民地時代前後に朝鮮半島に実在した女性である。時代と境遇に翻弄されながらも強く生きた誇り高き労働者であった。今日韓国の労働運動で度々みられる「高所占拠闘争」は、周龍が始めたものだ。本書あとがきで朴準成(パク・チュンソン)は、高所占拠は「絶望的な状況で自暴自棄にならずに希望を見出そうとする命がけの闘いだ」と書いている。そして「願いを天に届ける鳥」や「虎に追われる幼い兄弟が天に上り月と太陽になる」という韓国の古い伝説を引用し、「高所占拠闘争もまた生きようと天を目指す闘いだ。今ここで戴く天とは、1894年の東学の農民たちの願いでもあった『飯』であり『人』だ」というのだ。「飯と人が中心の世の中」とは、食べることと生きることへの憂いをなくし、差別のない人間らしく暮らせる平等な社会への東学のスローガンとなった。こうした東学の教えが高所占拠運動の根幹にあるのだろうか。 本小説には直接言及はされていないが、東学党の乱(甲午農民戦争・1894年)は、朝鮮半島の権益を争う日本と清に半島への進出の機会を与え、日清戦争のきっかけとなった。しかし、この運動は植民地主義への覇権争いなどではなく、圧政に苦しむ民衆の闘争であった。東学は西学(キリスト教的価値観)への反発と旧来根強い差別を生んできた儒教的思想に抵抗し、人間の平等と尊厳を説いた。こうした考えが当時権力からの抑圧と困窮に苦しむ農民や民衆の心を捕らえ、各地で蜂起を起こした。周龍の生まれた1901年にはこうした記憶を人々はまだ持ち続けていただろう。 作者のパク・ソリョンがこの小説を書こうと思ったのは、本書巻末に掲載されている雑誌『東光』第23号(1931年7月)「乙密台上の滞空女 女流闘志姜周龍会見記」という記事を読んで、姜周龍という女性に興味を持ち、その生きざまに惹かれたからだという。たしかに、このわずか3ページの独白の中に凝縮された周龍の人生がある。そこから読み取れるのは、不公平を許さず常識に反発する気丈な女性の姿である。 強制された嫁入り、抗日活動家、家族を捨て平壌で女工となり、労働組合に入り、死を覚悟して平壌の名勝・乙密台の屋根の上に上がり、彼女が働く平元ゴム工場の賃金削減反対を叫んだ。当時の女性職工の賃金は日本人男性の4分の1、朝鮮人男性の半分しかなかった。子供を背負って働く女性や一家の大黒柱として働いている女性も多くいた。彼女の行動は多くの女性や労働者を鼓舞したかもしれない。戦後、韓国全国民主労働組合総連盟へ継承された彼女の闘う労働運動は、今でも生き続けている。 たぶん著者が挿入したエピソードだと思うが、この小説の中に周龍がモガに憧れるくだりがある。そこには、古い時代の封建的な考えを否定し、自由で奔放的に生きたかった女工周龍の姿がある。どんなに働いても女工の身分に未来はあったのだろうか。
最初の結婚で夫を失い実家に戻り、家族のために一身に働いていた周龍は、父親から家族が食べていくために地主との結婚を強制され家を出る。封建主義のもと家父長である父に背けば家には戻れない。平壌で就いた工場には繰り返し暴力をふるう男の上司がいた。女であるために受ける多くの差別や理不尽な暴力を作者は周龍を通して描いている。女性の地位などちっとも評価されない社会で、女性を理解しない男性に対し、現在性をもってそこのところを男の人にも読んでもらいたい。 自分も女性のくせに、「女はうそをつく」といった杉田水脈には女性の高潔さが理解できないのだろう。女性の地位の向上や参政権獲得、家父長制からの自由を求め、命がけで闘ってきた女性たちがいたことを忘れてはいけない。姜周龍もその一人だ。そして今も引き続き女は闘っている。 韓国の小説については以前に書評を書いた「別れの谷」(イム・チョル 三一書房)が今でも心に残っている。廃線となる寒村の山間の駅に集う人々の人間の悲哀や寂しさ。かつて慰安婦だった女性の壮絶な人生。また最近鑑賞した「ペパーミント・キャンディー」(イ・チャンドン監督 1991年)は歴史に翻弄され人生を失う男の話だった。 そしてこの「滞空女」もまた、底辺労働者として生きた一人の女工の生き方に心が惹かれる。どの作品もそこで織りなす人間模様に助け救われて、時代のうねりや権力の身勝手さに翻弄されながら生きていく人の姿だ。 「飯と人が中心の社会」、その東学の教えをもう一度考えてみたい。この本を読んで思ったことは、私たちには力があるということだ。周龍に私は元気をもらった気がする。途中何度も涙ぐみながら、それでも生きていくという力を。労働運動が弾圧され潰されても、屋根に上がった彼女は勝ち取ったのだ。勝ち取ったのは給与だけではない、人間の尊厳だ。立ち上がって、こぶしを上げることは、そんなに難しいことだろうか。私たちはいま、国会の屋根に上る必要がある。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2020-10-08 15:10:09 Copyright: Default |