引用元:
http://mainichi.jp/area/nara/news/20080904ddlk29070627000c.html
◇「目の薬師」眼病平癒願う人が信仰
古くから山岳信仰の場だった金剛山の南側山ろく。標高約400メートルの山懐(やまふところ)にある。
創建は修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられる。
役行者は葛城山に住み、妖術で人を惑わせるとして699年、伊豆に流されたことが「続日本紀」に出ている。
寺は今も修験道の葛城二十八行場の一つ。尾来(おぐる)孝志住職(63)は「昭和30年代の台風まで近くの谷に3段の滝があり、寺に来た人が打たれていた」と言う。境内には護摩壇(ごまだん)もある。現在は高野山真言宗。
寺は低い尾根上。流れ込む谷川は無いのに、境内の青竜池は豊かな水をたたえる。寺のすぐ下まで水田。住職は「ここは30センチも掘ると水がわく。寺の名はそのことから付いたのでは」と言う。
14世紀後半のものとされる縁起も、名の由来を寺の前に枯れることがない沢があるから、と説明。境内の「琵琶の池」は目洗い池といい、「昔、目が悪くなった人が洗うと治った」との伝承がある。
寺の前の道はかつて五條と大阪府河内長野市とを結んだ河内街道。住職によると「峠の向こうの石見川地区の人は、バスが河内長野市街に通るまで五條に買い物に来た」。
修験道の行場、農民に大切な水源、交通の要地--。寺が成立した背景が見える。
本尊は薬師如来(187センチ)で秘仏。両脇の増長天像、持国天像とともに平安時代後期の作だ。
寺は「瀬之堂」の方が通りよい。江戸時代の「五條十八景」には「勢堂紅葉」の詩がある。
寺は「目の薬師」として眼病などの平癒を願う人の信仰を集める。尾来住職は県立二階堂高校長を定年退職した元数学教師。「科学が進んでも人間の心は神仏に頼らないと救われない部分がある。参拝者には、医者の指導を守るのはもちろんだが、それから自分を治すのは自分の意志、信心。お薬師さんにすがってください、と話している」そうだ。
妻登美子さん(58)は言う。「2、3年前、寺の帳面に、大阪の高校生が、学校をさぼってバイクで来たが、ここの境内にいると心が楽になり自分のしたことが、ばからしくなった、と書いていた。ここで座っているとまた頑張る気になるという人も」
登美子さんと住職の母英美子さん(95)は地元の人から聞き集めた話を冊子「せのどうの昔ばなし」にまとめた。500円。
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