入学前にオーダーでスーツを買い大学の入学式に出席した 入学式が終わるとサークル勧誘がそこら中にいたけど俺はなぜかチラシをもらうことはなかった 新入生に見えなかったのだろうか 数日後にオリエンテーションで1泊2日の旅行に参加した その時に友達を何人か作った 周りは現役で入った人ばかりで付属の高校から上がってくることが多かったので かなりぼっちなこともあったがとりあえずそこでつるむ人を見つけたのでその友達とよく行動を共にしていた 白鴎大は学生証のカードを機械に通して出席を取る授業が多かったので出席だけとってよく帰っていた 1年の時はほとんどが必修科目だったので選択できる単位は少なかった 1年間で40単位まで履修可能で卒業までの必要単位数は確か128単位だった 大学に入ってからオヤジからPCをもらい初めてネットが出来るようになった 回線はADSLでゴミスペックのPCだったため、かなり不便だったがネットは楽しかった すぐに2chの存在を知り無職、ヒッキー板をよく見ていた 生活費は家賃を抜いて1ヶ月に5万もらっていた 結構カツカツだったが仕送りが入ったらすぐスロットをやりにいきよくすっていた 入学して間もなくクラスの飲み会があったがスロットで金がなかったため欠席した よくつるんでいた友達がPCに詳しく、エロゲを豊富に持っていたのでエロゲをやりまくっていた 夏休みになると実家に戻りスロットばかりやっていた 夏休みが終わって新しいPCが欲しかったため、10月から初めてのバイトをやりはじめた。 家から車で4,50分ぐらいのところのセブンイレブンだった。 同じシフトの人は若い女性しかいなくて男は俺一人だった。 俺を抜いて3人いたのだが、2人は超絶かわいかった しかしかわいすぎたため逆にやりずらかった bsの人と同じシフトの時は気楽でやりやすかった 最初の給料で新しいPCを買った 予算があまりなかったので自作PCにした 俺はよくわからなかったので友達に頼み作ってもらった そこからスムーズにネットが出来るようになった バイトを始めてから生活に余裕ができるようになり、スロットも勝ち始めるようになった 年が明ける頃にはバイトをやめたくなったので2月にバイトをやめた 春休みが始まってからは毎日朝から晩までスロットをやるようになった しかし2年に上がる前には軍資金が底を尽きスロットをやる機会がかなり減った 1年の時は40単位中18単位しか取れなかった 白鴎大は留年がないため2年生になった 続く
高校の卒業式の次の日、免許合宿に行った。仲の良い友達と一緒に行った。 宿泊先はホテルにしたのだが、そのホテル生活が最高によかった。 メシがうまいし、帰ってきたら部屋が綺麗になってるとこがよかった 合宿だと日程が詰まっているので朝から晩まで教習所にいた。 3日目まではMTだったが教官のじじいとバトって4日目からATにした。 問題なく教習所を卒業し帰ってきた次の日に免許センターで試験を受け合格した。 帰ってくると住んでる場所が交通の便があまりよくなかったため原付を購入した。 そして久々にオヤジとコンタクトを取り車も買ってもらった。 それからは頻繁にオヤジと連絡を取り合うようになる。 オヤジとは関わりたくなかったがうまく利用しようと思った。 春休みが終わり予備校生活が始まった。 中学の同級生の友達は代ゼミの人が多かったので一緒のとこには行きたくなかったので 河合塾に入った。でもそれが大失敗だった。 河合塾はチューターと呼ばれる担任の先生みたいな人がいてかなり厳しかったのだ。 俺はホームルームに出なかったので毎日電話がかかってきた。 管理を求めていないのに河合塾は生徒をちゃんと管理するシステムをとっていたのだ。 代ゼミにはそうゆうシステムはない。 高校の50分授業から90分に変わり非常に長く感じた。 春先から度々学校をサボり、パチンコやスロットをよくやっていた 5月には車で東京と栃木の大学に行った友達の家に泊まりに行った。 免許の取り立てで東京に行くのは間違いだった。でもUターンがうまくなった。 勉強も全くせずだらだらと毎日を過ごし、家に引きこもってゲームばかりするようになった。 夏が過ぎ後期の授業が始まる前にチューターに呼び出されとバトった。 ホームルームに出ないのがよっぽど気に入らなかったらしい。 テキストをもらいにいっただけなのに説教を長々とくらいもういいやと思ったので 「もうめんどくさいんでテキストいらないです。帰ります。」といったら あわててテキストを渡してきた。そしてその日からチューターから連絡がこなくなった。 10月ぐらいに模試を受け白鴎大Cラン、他の滑り止めの大学Aラン判定もらったのでさらに勉強する意欲がなくなった。 11月ぐらいに一人暮らしをやめ、実家に戻る。 12月からなぜか勉強を真面目にやり出すが、時すでに遅しで間に合わなかった。 年が明けると成人式があったが地元の知り合いに会いたくなかったので行かなかった。 センター試験はもちろん受けずに2月から6個大学を受けた 日大、東海大、神奈川大、関東学院大、白鴎大、関東学園大 白鴎、関東学園は受かるが他は見事に不合格だった。 白鴎大には中学の同級生がいたのでそこに入ることにした。 受験が終わり入学するまでスロットをやりまくっていた。 そして4月になり、大学生になる。 続く
高3のクラスは最悪だった 1,2年一緒だった人もバラバラになり知ってる人が少なかった そして人生初のぼっちの学生生活を送る 冬から続いている欝が相変わらず続いた 学校をサボるペースも増えたし、行事にも参加しなくなり、人と絡まなくなった 担任にもかなり嫌われていた 1学期2学期前半まで赤点を取りまくり再び留年危機に陥る 自分は常に計算して欠席していたのだが その計算違いで週2回ある数学Aが後1回しか休めない事実に10月ぐらいに気づく かなり焦った テストは年に4回あり1教科合計160点取らないと単位を落とすのだが 俺はあと7単位までしか落とせずかなり窮地に追い込まれた 前半2回のテストでかなり赤点を取り、追試も受けなかったため平均点はかなりやばかった それからは学校に毎日行き、テスト前にちゃんと勉強するようになった 高卒だけは是が非でも欲しかったからだ 進路より卒業に専念していたため大学に行きたかったが受験はしなかった 周りは進路も決まり学校をサボる奴も増えたが俺だけは毎日必死に学校に通っていた そうしてようやく卒業前の2月の最終登校日にようやく卒業が決まる 俺はほくそえんだ やったー!これでこのクソみたいだったクラスともお別れで自由だ!! そう思った 卒業式の日 友達からお前なんでここにいんの?とかちゃかされることが多かったが 俺は満ち足りていた気分で出席した 友達と次の日から免許合宿に行く予定だったので楽しみだった クラスのお別れ会みたいなものがあり誘われたがそれもあったし断った 無事卒業式も終わり高卒をゲットした 家に帰って髪を染め免許合宿に行くことになった その前に 以前から計画していた一人暮らしを始めた 確か卒業決まった後の2月に始めた 親ともう一緒に暮らしたくなかったからだ あの頃俺は親に嫌悪感しかなかった 一人暮らし、高校卒業、免許合宿、そして予備校生活が始まる 続く
2年生になるとクラス替えがあったが、1年の時と一緒のクラスの人が多かったから ぼっちになることはなかった 2年の時もクラスはよかったと思う 何より好きだった子と同じクラスだったのでうれしかった 2年になってからは学校をサボることが増えた そのため秋には出席と単位不足で留年しそうになる 6月ぐらいに好きなこと初めて話す機会があった 高総体の応援の帰りかなんかで好きなことその彼氏と3人で絡む機会があった 某駅前で3人で色々話をしていた その時なんと!!彼氏がその場所から離れ少しの間だけ2人きりになれたことがあった!!!! その好きだった子は俺のことが結構好きだったらしく色々話をきいた もちろん好きだったといってもLikeの方だが このLikeで好きってのはクラスの女子から結構あった 学校で面白い奴は人気があるからだ それは中学の時もそうだった でもLikeはよくあるけどLoveは俺の知るうちではなかったと思う 2人きりで話してそして突然驚くべきことをその子から言われた 「ちょっと抱きしめてもいい?」 えっ!!!??? 俺は驚いて心臓が高鳴った 「別にいいよ」 俺は素っ気無く答えた 多分顔は超にやけていたと思う そして後ろから抱きしめられた 「これだよこれ いいなーこれ」 どうやら抱き心地いいのが好きなのか太ってるのが好きなのかはわからなかったが彼女はそう答えた ちなみに俺は抱きしめられて間もなくフルボッキ状態で前かがみになっていた そして初めて自分の気持ちを出してしまった 「○○(友達の名前)がいなかったらなー」 そうつぶやいてしまった 彼女は「えっ?」って言っていたがその先の気持ちを伝えることはなかった 彼氏が間もなく戻ってきたため、楽しい時間は終わってしまった 2人きりで話すのはそれが最初で最後だった 夏休みになると仲のいい友達と2人で計画していた自転車の旅をした 最初は東京まで行こうと思ったのだが結局会津若松まで行って帰ってきた 2泊3日の旅で外で敷物を持っていき野宿した あの頃は体力に自信があったしアクティブだった 後は男友達3人で遊園地に行ったり、海に行ったりと楽しい夏休みだった そういえば高2の夏休みに初めて髪を染めて調子に乗っていた 夏休みが終わると一番仲のいい友達は学校をサボることが増えた 多分俺のサボりが影響したんだと思う 俺に家に入り浸るようになった うちは特に親が厳しくなかったので1週間とか平気で家に滞在し始めた 長くなるとそれがうざかったが中々そいつは家に帰ることがなかった 俺は出席日数を計算して学校をサボっていたがその友達は全く出席せず俺の家でゴロゴロしていた 一方その頃、俺は出会い系を続けて別の高校の女子と何人かとリアルで会ったりしていた けど実際に付き合ったりとかは全くしなかった そうしていく日々の中で2000年11月25日にそこで知り合った女の子と初めてキスをする 最初は公園のベンチで語りあっていたのだが次第にいちゃいちゃしはじめてキスをした 初めてのキスはやばかった いきなり舌を入れられてディープキスだった なんなんだこれは気持ちいい そしてなんか甘い味がする そう思った そして今までにないほどギンギンに反り返っていた そこの公園は夜でもわりかし人通りの多い公園だったが 胸まで触り揉みはじめた 最初ブラの上から揉んでいたためか硬かったが中に手を入れて揉み始めた 女の乳首ってこんなに硬くなるもんだなぁと思いながらやっていた そしてそれ以上先のことがしたくなったので人通りの少ない公園に移動した それ以降のことは割愛します その子に付き合ってとは言われたが俺は答えを曖昧にしていた そうしてるうちにその子との関係がめんどくさくなり切ってしまった なぜならその子のことは別に好きじゃなかった 自分には1年生の時から学校に好きな人がいてそこが変わることはなかった ただ学生特有のヤリたい、童貞早く捨てたいという思いから 出会い厨をしまくっていたのだ 結局好きでもない子にそこまでのことをしたことと好きな人を裏切ったという罪悪感で心は支配された そして欝になっていった 出会い系もすることがなくなった この時から人と関わることが億劫になり休み時間も一人で過ごすようになった 学校で笑うことも少なくなり、気分が上がることがなくなった 12月に修学旅行があり年が明けた 出席日数はギリギリだったため毎日学校に行き試験の時はちゃんと勉強をした記憶がある 一番仲のよかった友達は留年が決まり俺は留年をギリギリで免れて3年生になった 続く
部活をやめて自由な時間を取り戻して新鮮だった この4ヶ月ほぼ部活で1日が終わったからだ 夏休み中ってこともあり友達と遊びまくった しかし常に心の中に引っ掛かりがあった 野球をやるために高校に入りなおしたのにそれをやめてしまった もう高校にいる理由はない 学校をやめたくなった しかし、我侭いって入りなおした高校だったし、高卒は欲しかったのでそれからも通い続けた 夏休みが終わり、野球部員、監督と顔合わすのが気まずかった 2学期からは学校もサボるようになった そしてタバコを吸うようになった 野球をやめてからも相変わらず外では飯が食えなかったし、授業中によく吐いていた そのことは誰にも言わなかった 高校に入ってからは男子と女子が別れるようになり、ほとんど話すことはなくなった 相変わらずクラスの好きな子のことは好きだったため絡みたかった しかし友達と付き合っているため中々近づけなかった 秋になるとPHSを買い、さらに交流が増えた 連絡先をクラスの女子に聞かれコンタクト取るようになった でも自分から連絡取ることはなかった 当時ワンコールが流行っていたのでそれがきたら返したり たまにPメールするぐらいだった 通話はほぼなかったと思う 周りが1個下だったし積極的に絡むことが出来なくなっていた でも女の子とは絡みたかったってのはあったから出会い系を始めるようになる 同じ県内で別の学校の女子高校生のメル友を作りまくっていた しかし実際にリアルで遊ぶってのはその当時はしてなかった 冬になると夏から計画していた中学校の同級会があった その時幹事をしていたのだがめんどうだった 男子はそこそこ集まったが女子の集まりは悪かった 中3の時同じクラスの気になっていた女子に学校入り直して野球は始めたことを友達から聞いたらしく その話きいて感動したよと言われたが既にやめていたので笑って誤魔化した 自分が情けなかった 同級会をきっかけにして中3の時クラス一緒だった女子と交流が増えた 年があけてからは飲み会をした その時、王様ゲーム的なことをしていたのだが その中で初めて女の子を抱きしめた 抱きしめた時に胸の感触があったが思ったより硬かった ブラジャーのせいかもしれない 結局中学の女子との交流は増えたがワンチャン狙うことはなかった 狙えそうにもなかったが正しいかもしれない 学校に好きな子もいたしね そしてなんと高校の同じクラスの好きな子の連絡先をゲットできた その子の彼氏から俺の連絡先を教えていい?ってきかれたのですぐ了承した でも連絡することはあまり出来なかった 友達の彼女だったし、あまり仲良くしたら迷惑かけるかなと思ってたし、気持ちを我慢できなくなりそうだったからだ 俺はその子のことより友達の方が大事だった だからその関係を壊したくなかった でもその子からワンコールが来た時は速攻返していた たまにメールもしてたと思う 高校の時は1年の時のクラスが一番楽しかった 学校をサボりながら日々生活し、2年生になった 続く
高校の2度目の入学式 人とは違う生き方を歩んでいたからか周りがやたら幼く見えた しかし、自分で掴み取った人生だったので満足して学校生活と部活動を励んでいった 最初はかなりぼっちだったと思う 周りも年齢1個下だし、大分壁を作っていたからだ だけど部活を通して壁もなくなり、友達の輪は広がっていった ここでも人に恵まれていたと思う 野球はやっぱり楽しかった その年から監督が変わり練習もきつくなったし時間も増えたが やりたかったことだし毎日充実していた ポジションは希望のライトをやっていた 硬球を使い始めて打球の飛距離は落ちた気がする 軟式では芯に当てなくても飛んだ打球が全く飛ばなくなった 硬球は芯に当てた時の感触が気持ちよかった ただそれでも他の新入生や上級生にも飛距離は負けていなかったと思う 毎日朝6時半集合で夜家に帰るのは大体21時過ぎることが多かった 野球が出来ればそれでいい 恋人なんていらないって思っていたが 入学して間もなく、とあるクラス女子のことが好きになる 人目ぼれって奴かもしれない リアルの知り合いに恋するのはこれが最後になった しかしその子は同じ野球部員の友達と付き合うことになった その友達とはすごい仲良かったので応援することにした でも自分の気持ちをその友達には伝えていた 充実した毎日を送っていたが 体に異変を感じ始める 体重は入学前の3月は107kgだったが入学する頃には101kg そして二桁になっていたのである 制服がぶかぶかになり、着れなかった服も着れるようになった 腹も大分へっこんでチンが見えるようになった 痩せていくことに喜んではいたが、いつからか飯が食えなくなっていた 多分5月から6月にかけてぐらいだったと思う 家に帰ってきてからは飯は食えたが外では食っても吐くようになった そして飯を食わなくても学校に行る時は吐き気を度々もよおした 授業中に気持ち悪くなりよく吐いていた 胃液しかでなかったが 病院に行き胃カメラなどやったが異常は特に見つからなかった それから学校で昼飯を食っても吐いてしまうので食わなくなった 学校が休みの時はコンビニでアクエリ2ℓを買って部活の昼休みに飲んでいた それが俺の外での唯一の飯だった 暑さと共に練習も次第にきつくなっていっていった 段々と野球がやめたくなったしつまらなく感じるようになった 部活はきつかったが終わった後、同級生と会話するのが楽しかったから頑張って続けていた それに野球をやるためにここに入りなおしたのもあったし野球やめたらここにいる理由がなくなる そう思っていた ただ、毎日毎日朝家を5時半に出て、家に帰るのは21時過ぎ、そして23時前には寝る その生活に嫌気がさしていた 休みもGWに1日だけあってそれ以降全くなかった 俺は求めていた野球はこんなのじゃないと思うようになった もっと楽しくやりたい こんな朝から晩までやる野球を求めていたんじゃない もっと自由な時間が欲しかった 疑問を感じながら部活を続け夏の県大会予選を迎えた うちの高校は弱小だったのですぐ負けた 3年生が引退して1,2年メインで練習が出来る 楽しみだった 1年生はあまり打撃練習ができなかったからだ うれしいのも束の間、3年生が引退してから練習のきつさは増した 3年生が引退するまで髪は坊主じゃなかったがそれから坊主にさせられた 練習中よく吐くようになり耐えられなくなってきた そしてついに野球をやめる決意をする みんなには止められたがもう自分は続けることは出来なかった 教官室に行き監督にやめる意思を伝えたがそこで号泣してしまった なんのために育英をやめてここに入ったんだろう これから何を支えにして生きていけばいいんだろう そう考えながらよくわからない涙がこみ上げて流れていった しかしもう俺には続けていくのは限界だったのでそれ以降部活に参加することはなかった 監督から選手が無理ならマネージャーやれと言われた 体の調子が戻ったらまた復帰すればいいって言われた しかし俺はもうこの野球漬けの毎日は嫌だったから断った 部活を3月下旬から始めて7月下旬には体重は107kgから78kgになっていた 野球をやめてだらだらとした毎日に戻った ここから俺の転落人生が始まったと思う 続く
当時15歳だった子供の俺が学校をやめるという決断をするのは中々覚悟が必要だった しかし決意は固かったのですぐ親にその意思を伝えた そして当たり前に反対された 何日か経った後、少年野球の時の監督から1本の電話をもらった 少年野球、中学の野球部の先輩が育英の野球部にいたので入部させてあげれるように話をつけてくれたらしい そして親も育英野球部の監督に会いに行き俺を野球部に入れるようにお願いしたらしい 弁当に親からの手紙があってそのことが書いてた だから一応野球部には入ろうと思えば入れたのだが俺はそれを拒否した 俺にあんな思いをさせた先輩がいる部なんか入りたくない 親がしゃしゃり出て恥ずかしい思いをしてまで部なんか入りたくない 俺は別の高校に入って育英を倒すんだ 一度壊れたレールを周りの人達がまた作ってくれたのに俺はその人達を裏切って拒否したのだ 俺は俺だけで作るレールの上に乗って生きていくんだ 周りの助けで作られたレールなんかで生きたくない 自分で一度決めた道を邪魔されたくなかった 学校は日々楽しかったが思いが変わることはなかった しかし高校をやめるってことは中々大変なことで 親を説得するのに時間がかかった 結局悩みながら1学期を終え、夏休みになった ようやく決意が伝わったようで夏休みの終わってから親に退学届けを出しにいってもらった 人生初めての無職、高校浪人の始まりである まさか自分がこうなるとは思いもしなかった しかし断固たる決意があったのでそれに向かって進んだ 9月から家庭教師をつけて受験勉強することになった それまではほぼ勉強したことがなく学力も中1以下だった 月水金19:00~21:00家庭教師 21:00~5:00自主勉強 人生で一番勉強した 勉強はそれまで嫌いだったが中学時代全くわからなかった問題を解けるようになってきて 楽しくなった そして何より野球がやりたかったので頑張って勉強した 中学レベルの勉強はやればやるほど伸びて楽しかった 元々知識が0に等しかったため教えてる方も楽しかったかもしれない 特に英語と数学の伸びは目覚しかった 英語は英文を文章を文章として読めるようになり理解することが出来るようになった 数学は中学時代全く解けなかった図形の問題や関数を理解して解けるようになった 今までの勉強はただ暗記するだけで問題を理解することはなかったが問題を理解して解けるようになった ただ、家にいることが増え体を動かさないことが多かったので 夜にトレーニングをするようになった 勉強の合間に河原を走ったり、バットを振ったりして体を鈍らない様にしていた 中学の時の友達から参考書や問題集をもらって勉強していた 俺が学校をやめたこと非難するやつは誰もいなかったし、協力してくれたのが嬉しかった 人とは違う人生を歩み始め、俺は人とは違うんだっていう思いがどんどん強くなっていった そういうことを考えて続けていたら周りが幼く見えてきた しかしやはりその年でそうゆう生活ってのはストレスがたまるもので やたら過食していたかもしれない その時期に髪も薄くなり始めたのかも そして受験前ぐらいになると中学校に呼び出された 中3の時の担任にすごい心配された しかし応援してくれたから心強かった 受験までに模試を何回か受け、日々の勉強で学力をさらに上げていった そして私立受験 俺は好き勝手やって迷惑かけてたのは自覚していた だから学費のかかる私立には行く予定はなかったのだが一応滑り止めとして受けた 受験の日 うちの中学では一度生徒が受験校前で集まってから教室に向かうのだが 俺だけ既卒なため、かなり気まずかった 試験を受ける教室の席も並んでいた 空気が気まずかったが試験自体はうまくいった 去年は全く解けなかったが今回は違った スラスラ問題が解けた そして合格した うれしかった 今まで頑張ってきたことが結果になった これでまた高校生にはなれる 野球が出来る 親も褒めてくれた しかし学費のかからない公立に行きたかったので気を緩めずに勉強を続けた ちなみに私立と公立では年間5倍以上学費が変わる 育英の時は毎月6万だが公立に入れば年間13万程度だった気がする 学力が上がっていったためもう少し高いとこを狙おうと思えば狙えたのだが 俺の目的はあくまで野球をすることだったので偏差値の低い公立に確実に入ることを目標とした そして公立高校入試が始まった 私立の問題より簡単に解け多分、結構高得点だったと思う 具体的な点数は覚えてないけど8割以上は解けたと思う そして見事合格した これで公立高校で野球が出来る!!! 野球一本に専念できる!! 自分の決めた道が思い通りになって努力が結果に出て最高にうれしかった 今度は絶対遅れを取らないようにと入学前の3月から野球部の練習に参加した 4月になり2度目の高校生活が始まる 続く
高校の入学式、まずその新入生の数に驚いた 確か700人ぐらいいたと思う 中学では1学年大体150~60人だったため約5倍だ 仙台育英は特進コース、英進コースは共学なのだが教養コースは男子のみ外国語コースは女子のみだった 育英は校舎が二つあった 一つは宮城野校舎で教養と外国語女子 野球部のグラウンドがある多賀城校舎は特進と英進コースだった 教養コースにいる連中はすごいガラの悪い奴らばかりだった それまでヤンキーというものは身近にいることはなかったが一気に環境が変わった 俺はここでやっていけるのだろうかと不安だった 同じ中学から育英に入った人はいたが一人も同じクラスになることはなかった 完全にぼっちだ しかも周りはヤンキーばかり 俺の高校生活の最初は最悪な気分でスタートした だけどクラスに恵まれた そこまでヤンキーが多くなく、持ち前のデブキャラを生かし笑いなど取りながらすぐクラスの人となじめた 最初は席の近くの人と仲良くなり、それを基点にクラスの大半の人と仲良くなった しかし、ヤンキーっぽいのもいるため挨拶で肩パンくらうことがあった ヤンキーって結構ボディコミュニケーション?みたいなものが好きな奴が多かった気がする しかし俺がやり返すと痛すぎたのか怒られることが多かった じゃあやるなよって思ったし、体育会系なめるなよとも思った 初めて教室に入った瞬間驚いた なんとエアコンがついていた それまで教室にエアコンがついていることがなかったから私立高校はやっぱり違うんだなって思った 高校に入ってからずっと悩んでいたことがある それは野球部に入るかどうかだ 入学してまもなく部紹介があった時圧倒された 野球部の紹介の時に他の部は色々パフォーマンスやら色々話していた中で 硬式野球部だけは 「やる気のある人だけ来て下さい」 この一言だけで終わった 俺はそれでびびったんだと思う その部員からはものすごいオーラを感じた 今までに感じたことないオーラだった 甲子園常連校のここで俺の野球は通じるのか 特待生ばかりの部員の中で人間関係をうまく構築できるのか そして3年間続けていけるのかと しばらく悩んでいたが 自分を変えてくれた野球、好きだった野球、プロになりたかった思いもあった ようやく決意ができ、野球部に入ろうとグラウンドのある校舎の方に向かった 授業を受ける校舎と実際に練習するグラウンドのある校舎は別にあったから 電車で20分ぐらいのとこまで行くことになった そして駅で野球部の人を見つけ入部意思を伝え部室に連れて行ってもらった 部室に入り上級生らしき人に入部意思を伝えた しかし、入部拒否された 「お前舐めてんの?」 と開口一番に言われた なぜそんなこと言われたのか不思議だった 「なんすか?舐めてないんですけど?」 と俺は言った そしたら 「今更来たとこで遅い やる気ある奴は3月から来て練習してんだよ」 と言われた 確かに入学して部紹介から2~3週間は経っていたと思う 迷っていたためすぐにそこに行くことはできなかった 「あとお前なんだその制服の着方は?」 と制服の着方まで注意された 「お前うちに入れる気ないから!帰れ!」と言われた まさかそんなことを言われて入部拒否されるとは思わなかったのでかなり動揺した 自分は甘かった 甲子園常連校をなめていたかもしれない 高校野球をなめていたのかもしれない しかし野球がやりたかった ここで終わらせたくなかった 「俺は野球をやるためにここに来たんです やらせてください!」と半ベソをかきながら言った だけど 「お前もう無理だから!帰れ!」と言われた 俺は放心状態で泣きながら帰った もう野球が出来ないんだ ここで終わりなんだと 俺から野球を取ったら何も残らない 初めて気づいた 当たり前にそこにあった野球は自分の全てになっていたのだ どうやってその時家に帰ったかはあまり記憶がない ただ、俺がその時考えてたことは一つだった ここではもう野球が出来ない・・・ じゃあ育英やめて別の高校に入りなおして野球をやろう と まだ野球を諦めたくなかった 続く
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