前回「知性の堕落は頭の問題ではなく、心の問題ではないか」という記事を書いた。
圧政や貧困、病気や障害といった理不尽に自分が苦しんだり、また他者の苦しみに共感する事で、人は社会について学ぼうとする。そして自ら学ぼうとするから詳しくなってゆく。
言い換えれば、心や情といったものがない(もしくは希薄な)人には、苦しみや共感を覚える機会もない(もしくは少ない)ので、社会を学ぼうとするきっかけがそもそも無いのである。金にしか興味のない、心のない人はそれ単体では金にならない社会を学ぼうとしない。
そもそも心の起源とは何なのだろうか
以前こんな記事を読んだ事がある。
「ゾウは取り乱した仲間を慰める https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8921/?ST=m_news 」
※以下の""は出典部
"アジアゾウは類人猿、イヌ、カラス、そして私たち人間と同じように、群れの仲間が取り乱すと、それを認識し、優しく愛撫し、同情の声をかけるそうだ。 タイのカーンチャナブリー県にあるマヒドール大学の行動生態学者ジョシュア・プロトニク(Joshua Plotnik)氏と、米ジョージア州のエモリー大学リビング・リンク・センター所長を務める霊長類学者フランス・デ・ワール(Frans de Waal)氏は対照研究によって…中略…ゾウが、この場合では人間の管理下にあるアジアゾウ(学名:Elephas maximus)が困惑するほかのゾウを見た時、人間が同情してかける気遣いのようなものをみせるということ(を発見した)"
"群れの仲間が取り乱した個体と同じような行動や感情の状態になる「感情の伝染」の証拠も見つかった。つまり、「友人」がショック状態にあるのを見ると、ほかのゾウたちもショックを受ける。そしてゾウたちはお互いを慰め合うのだ。
「ゾウたちは強い絆で結ばれているので、ほかのゾウに気遣いを見せても驚くべきことではない」とデ・ワール氏は説明する。共感は「哺乳類の一般的な特徴」なのだという。 "
つまり、デ・ワール氏の言葉を借りれば、ゾウやサルを始めとした群れを形成する哺乳類には、生まれつき共感力(=心)があるのだ。
分断が進み薄れゆく「心」と「情」
では、現代人はどうであろうか。集団で狩猟や農耕を行っていた時代と違い、今は資本主義社会、それもインターネットが発達した時代である。パソコンさえあれば学校に行かずとも勉強でき、プログラマーなどになって収入を得ることが可能である。つまりわざわざ群れをなさずとも、自分と身近な人だけで生活が成り立ってしまうのである。なんなら、愛情や友情といった"情"を一切受ける事なく、孤独のまま社会人になる事だって出来てしまう。このような状況で他者への情や共感力が芽生えるであろうか。
恐らく芽生えない。もし芽生えたとしても、自分の属する限られたコミュニティのみへの共感力にすぎないであろう。自分の力だけでのし上がった人が他者に冷笑的になるのは、想像に難く無い。
現代社会はもはや、大日本帝国軍という仮想敵のもと、平和憲法を抱きしめながら一丸となり、経済成長に向かって邁進した時代ではない。
正規雇用と非正規雇用、勝ち逃げ世代と年金を貰えない世代、バブル世代と氷河期世代、限界集落と栄え続ける都心、様々な形で日本という国は分断されてしまっているのである。
このような群れる必要のない社会、いや、もはや社会とも言えない「個人」の集合体になりつつあるこの国において、情のない、心のない政治が横行するのは当然の帰結だったのかもしれない。恐らくここ数十年の新自由主義的な政策、弱者を切り捨てるのを当然とする政治は、このような裏付けがあったのだろう。
今の日本社会は、他の個体に共感したり、助けたりしない非哺乳類と同じ様相を呈しているのである。
そして群れる必要がなくなった現代社会で、人々は孤独を感じるのである。しかし、孤独を埋めようとしても頼れるコミュニティが無い。人生や金に困っても相談できる相手は限られる。心の拠り所となる宗教もない。このような行き場のない孤独感と強力に結びつくもの、それが権威なのだ。その権威とはファンネル攻撃を仕掛ける有名人であり、勇ましいことを言いつつ売国を繰り返す政治家である。人々は孤独による寂しさを埋めるため、強者に醜くしがみつき、弱者をいじめるのだ。
長くなったが、心や情の根源は群れである。言い換えれば群れる必要がない状態では、心や情など芽生えるわけがないのである。
「教養がない人」「権威にすがりつく人」は頭が悪いのではない。心や情が希薄なのである。そしてその希薄さの根源は群れの崩壊であり、社会の分断である。このような認識を持つことは、これからの政治を変えていくために必要ではないだろうか。
少なくとも「首相はバカ」「国民はバカ」という頭の問題に矮小化するやり方では、8年間政治が変えられなかったのだから。