1. 婚約破棄されました!
辺境伯というのが、どれくらいの地位にいるかご存知でしょうか。
もしも知っていたらごめんなさい。
一応、念のために説明しますね。
というのも、世の中には
「辺境伯? ジメジメした辺境で暮らしてる貧乏伯爵だろ?」
なんて勘違いをしちゃう人もいるからです。
たとえば私の婚約者である第一王子のクロフォード殿下とか。
王族なのに辺境伯のことを理解してないとか頭だいじょうぶですか?
……と言いたいところですが、個人的な話は後にしましょう。
ともあれ。
辺境伯というのは、国を守るための防壁です。
国外から押し寄せる魔物、蛮族、海賊、あるいは他国の侵略――
要するに、国を脅かす“悪いもの”を追い払うことが辺境伯の役割です。
そして、それを実行するために大きな権限をいくつも与えられています。
たとえば魔物の大群がわらわらと国境線に近寄ってきた場合、辺境伯家は自分の判断だけで兵士を動かすことができます。
王宮に許可を取る必要はありません。
事後報告だけで許されます。
「あっ、王様ー。オレだよ、オレ、オレ。辺境伯。
さっき兵士ちょっと動かしたからー。うん、十万人くらい。
周りの貴族家にも号令かけちゃったんで、ちょっと騒がしくなるけどヨロシクー」
さすがにここまで軽い雰囲気で報告するのはどうかと思いますが、周辺の貴族家にも出兵を要請できるようです。
また、魔物との戦いが終わったあと、城や砦の修復にとても大きな費用が必要になった場合、辺境伯家は宮廷への納税を拒否できます。
「あっ、王様ー。悪いんだけど、いまちょっと余裕ねーんだわ。
今年マジやばくってさ、税金、ちょっと許してくんない?」
ちなみにこの発言は、私のご先祖さまのものです。
宮廷との通信水晶に記録が残っているのですが、なんというか……もうちょっと貴族らしい口調を心掛けたほうがいいと思います。
ともあれ、辺境伯家というのは、その一員である私から見ても、びっくりするくらい大きな権限を持っているわけです。
あ。
自己紹介を忘れていました。すみません。
私はフローラリア・ディ・ナイスナー、ナイスナー辺境伯家の末娘です。
今年で十五歳になりました。
さてさて。
ここまで辺境伯家のことについて説明してきましたが、別に、ナイスナー辺境伯家のことを自慢したかったわけではありません。
もちろん私自身は、国の防壁として西から攻め寄せてくる魔物を追い払い続けている我が家のことをすごく誇りに感じています。
ただ、それを他の人に押し付けるのはいけないことだな、と思います。
もしも気を悪くしていたらごめんなさい。
実は今日、王宮で夜会が催されたのですが、その途中でいきなり第一王子にして婚約者のクロフォード様がこんなことを言い出したのです。
「フローラリア・ディ・ナイスナー! おまえとの婚約を今日をもって解消する!
そもそも辺境伯など、国の端にいるだけのゴミ貴族ではないか!
そんな卑しい血を王家に入れるわけにはいかん!」
いや、まあ、私自身への罵倒ならサラッと受け流すところなのですが、家のことを悪く言われると、さすがに冷静ではいられません。
国の端にいるだけのゴミ貴族?
それはあまりにもひどい言い草ではないでしょうか。
ナイスナー辺境伯家はこの300年に渡り、フォジーク王国の西部一帯を魔物から守り続けてきました。
とくにこの10年は魔物の攻勢が激しく、私のお祖父様、お母様、そして3人いたお兄様のうち2人が命を落としています。
そんな厳しい状況だからこそ、あらためて王家とナイスナー辺境伯家の結びつきを強くするべきだ……という意見が宮廷でも強く、私とクロフォード様の婚約が決まったのです。
けれど残念ながら、クロフォード様本人はそのことをまったく理解していなかったようです。
「俺は真実の愛に気付いた。
今日からこのクロフォード・ディ・スカーレットの婚約者はフローラリアではない!
ミーシャ・ディ・マーロンだ! ……おいで、ミーシャ」
クロフォード様はそう言うと、近くにいた栗色の髪の令嬢を呼び寄せました。
「はぁい、クロフォードさま」
ミーシャと呼ばれたその子は、ややたれ気味の瞳で、小動物のような雰囲気を漂わせていました。
いかにも男性の庇護欲をくすぐりそうな感じですね。
でも、私に一瞬だけ向けた眼光は刃のように鋭くて、あっ、この子、男を手玉に取るタイプだな……と直感しました。
「フローラリアさま、謝るならいまのうちですよぉ。
そうしたら、あたしへの嫌がらせは水に流してもいいですけどぉ」
ミーシャの言葉は、私にとって意味不明なものでした。
嫌がらせ?
いや、そもそも私、あなたと初対面なんですけど……。
けれど事態は私を置いてけぼりにして、どんどん進んでいきます。
「ははははっ、驚きのあまり言葉もないようだな。フローラリア」
クロフォード様が勝ち誇ったように笑い声を上げます。
「ミーシャが俺に近付いている、と嫉妬に狂い、この半年間ずっと影で嫌がらせを重ねてきたことは知っているぞ。
他ならぬ、ミーシャから聞いたからな!
特に今日、夜会の前にはミーシャを階段から突き落とそうとしたそうではないか!」
「……は?」
それはまったく身に覚えのない罪でした。
繰り返しになりますが、このミーシャさんという男爵令嬢とはまったくの初対面なのです。
そもそも私、昨日、王都に着いたばかりなんですけど……。
この半年はずっと辺境伯領にいたんですけど……。
けれどもクロフォード様は私の言葉にはまったく耳を傾けようともせず、一方的に罵倒を繰り返してきます。
「まったく、これだから辺境の人間は信用ならんのだ。
おまえの家は、魔物と争っている間に、うっかり魔物と混血になったのではないか?」
「あははははっ、クロフォードさまぁ、きっとそうですよ!
フローラリアさま、この半年間ずっと領地にいたみたいですけど、魔物さんと“仲良く”しちゃってたんじゃないですかぁ?」
あの、ミーシャさん。
婚約者の座を奪えていい気になりすぎたせいか、口が滑ってませんか……?
あなたの話だと、私、この半年間ずっと陰であなたに嫌がらせをしていたはずなんですけど……。
そのことをやんわり伝えると、クロフォード様は「うるさい!」と怒鳴り声を上げました。
「下らない言葉で俺とミーシャのあいだを引き裂けると思うな!
真実の愛は、おまえのような心の卑しい魔女には負けん!
俺の前から永遠に立ち去れ、役立たずの辺境貴族が!」
そしてクロフォード様はミーシャさんを連れ、私から離れていきました。
なんというか、その。
ここまでひどい展開を見せつけられると、なんだか怒りも悲しみも通り越して、ポカーンと呆けてしまいます。
『あの人が次の王様って、この国、大丈夫なんでしょうか……?』
私は、この国の言葉ではなく、遠い場所からやってきたというご先祖様の言葉で呟きました。
さすがに他の人に聞かれるとまずいかな、と思ったからです。
余談ですが、ナイスナー辺境伯家のご先祖さまはもともと遠い異国から来た人で、当時の王国の危機を救ったことで西の辺境伯になったそうです。
ご先祖さまはすごい魔法使いでもあり、記録水晶という音声や映像を記録できる魔導具を残しています。
その水晶のひとつに、ご先祖さまが自分の故郷のことばについて説明したものがありました。
ナイスナー辺境伯家の人間はこれを見て、ご先祖様の故郷のことばを学ぶこととなっています。
ただ、使い道といえば、こうやって誰にも聞かれたくない愚痴を漏らすくらいなのが悲しいところです。
私は、はぁ、とため息をついたあと、夜会の会場を見回しました。
周囲は微妙にぎこちない雰囲気になっています。
それはそうでしょう。
今日の夜会は、もともと、魔物の大軍勢を退けたナイスナー辺境伯家を讃えるために王家が主催したものです。
ところがホスト側の一人であるクロフォード様が、他ならぬナイスナー辺境伯家の娘にして婚約者の私に婚約破棄を叩きつけたわけですから、なんというか、色々とぶち壊しです。
招待客の貴族たちはクロフォード様の所業に眉をひそめながらも、どこか諦めたような表情を浮かべつつ、こんなことをヒソヒソと囁き合っています。
「やっぱり今の王家はダメだな……」
「でも第二王子のギーシュ様も微妙なんだよな……」
「他の公爵家から王を出したほうがいいんじゃないか?」
「でも、誰が王になっても同じようなもんだろ」
実はこのフォジーク王国に、正式な“王家”というものは存在していません。
もともとは四つの公爵家の当主を候補として、侯爵以上の貴族たちによる話し合いで国王を決める制度だったのです。
しかし100年ほど前、スカーレット公爵家から出た王様がものすごい失政をして国を大きく傾けたのです。
普通ならここで他の公爵家が王様を務めるところですが、どの家もみんな揃って後始末を嫌がり、スカーレット公爵家にすべてを押し付けました。
その結果、以後、ずっとスカーレット公爵家の当主が国王を務めています。
だからフォジーク王国での“王家”というのは慣例的なものというか、スカーレット公爵家の綽名と考えたほうがいいかもしれません。
……この状況でよく国が割れないな、と思うのですが、私を含めてこの国の人たちは基本的に面倒事を嫌がるタイプなので「反乱を起こすとか面倒くさい」と思っているのでしょう。
基本的にどこの土地も豊かなので「反乱を起こさないと死ぬ」という状況に追い詰められたりしないのも、理由のひとつかもしれません。
そんなことを考えていると、会場の入口のほうでざわめきが起こりました。
そちらに眼を向けると、背の高い大柄な男性がこちらに駆け寄ってきます。
私のお父様です。
名前はグスタフ・ディ・ナイスナー、ナイスナー辺境伯家の現当主でもあります。
「フローラ! 大丈夫か!」
お父様はとても心配そうな表情を浮かべていました。
フローラというのは私の愛称です。
フローラリア、ではちょっと長いですからね。
「話は聞いた。わたしが国王陛下と今後について話しているあいだに、とんでもないことが起きたようだな」
「ええ、まあ……」
私はあらためて会場を見回して気付きます。
そういえば、夜会にはまだ国王陛下の姿がありません。
……クロフォード殿下は、自分の父親である国王陛下と、私のお父様がいない隙を狙って婚約破棄を宣言したのでしょうか。
『クロフォードの小僧、こういう時だけ知恵が回るようだな。小賢しい』
お父様は、ご先祖様の故郷の言葉でそう呟きました。
私も同じ意見だったので、つい、うんうんと頷いてしまいました。
クロフォード様は決して頭が悪いわけではないのです。
ただ、思い込みが激しいというか、他人に騙されたがっているというか……なんというか、被虐趣味というか破滅願望でもあるのかな? と感じる瞬間が多いだけなのです。
……でもそれって次の国王として致命的な気もします。
ともあれ――
「今夜はもう帰るぞ、フローラ。
大切な愛娘を傷つけられたのだ。こんな場所にいられるものか」
お父様は怒りに燃え滾った眼でそう呟きました。
当事者である私のほうは腹が立つのを通り越して醒め切った気分なのですが、お父様のほうは背後に陽炎が生まれていました。
感情が高ぶるあまり、火の魔力が漏れ出しているようです。
ちょっとビックリですが、それだけ私を大事に考えている、ということなのでしょう。
正直、嬉しく思います。
「このまま泣き寝入りなどするものか。
いざとなれば地下の封印を解いてでも――」
「地下の封印?」
「ご先祖様がかつて……いや、なんでもない。行こうか」
お父様の言葉は気になりましたが、私としても夜会に長居したくなかったので、早々に出ていくことにしました。
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