15. 独立して1ヶ月が経ちました!
私の家……ナイスナー辺境伯家がフォジーク王国からの独立を宣言して1ヶ月が過ぎました。
もともと水面下で独立の準備が進んでいたおかげか、今のところ、大きなトラブルは起きていません。
独立後の国名については、お兄様から、
「うちの一族で領民からいちばん慕われてるのはフローラだし『神聖フローラリア帝国』にしたらどうだ?」
という提案がありましたが、私は猛烈に反対しました。
自分の名前がそのまま国名になるとか、恥ずかしいとか照れくさいとか、そんなレベルを越えています。
「じゃあ、フローラはどんな国名がいいんだ?」
「神聖ライルライル帝国にしましょうか」
「待てフローラ。なんで二度も繰り返すんだ」
「神聖ライル帝国だと、なんだか響きがイマイチですし……」
まあ、冗談ですけどね。
国名というのは公的なものですし、個人の名前を使うべきではないでしょう。
ここはストレートに『ナイスナー王国』とか『ナイスナー辺境伯国』あたりが適切と思います。
ちなみに、私の横にいたリベルは
「フローベル、いや、リベラリアというのはどうだ……?」
と呟きながら真面目な表情で考え込んでいましたが、聞かなかったことにしておきます。
最終的に国名は『ナイスナー辺境伯国』になりました。
他の国でも、公爵家が独立して『公国』を名乗ることもありますし、それを手本にした形です。
ただ、自分で『辺境』って言ってるのはちょっと不思議な感覚になりますね。
さて。
話はちょっと変わりますが、貴族家の人間というのは多くが魔法を扱うことができます。
というのも、魔法の素質というものは親から子に受け継がれるものだからです。
そのため貴族の結婚においては、相手の家柄だけでなく魔法の素質もかなり重視されます。
フォジーク王国の貴族のなかには、
「魔法の力こそ貴族を貴族たらしめているのだ!
神が我々に与えた特権なのだ!」
と主張する人も多いようですが、私はそう思いません。
だって、魔法を使える人は平民にもいますからね。
これは個人的な考えですが――
貴族は裕福な暮らしを約束されている一方で、領地を発展させ、領民の生活を支える使命を背負っています。
そして、その使命を実現するための手段こそ、魔法なのです。
たとえば水魔法を使って、水不足の地域に雨を降らせるとか――
あるいは土魔法を使って、荒地を整えて開拓するとか――
本来、自分の力をどう使おうが、それはその人の自由でしょう。
けれども貴族の場合、魔法は人々のために使うべきであり、その見返りとして特権的な地位を与えられている。
私はそう考えています。
その日、私はノルスという街を訪れていました。
ノルスは山々に囲まれた高原の街で、辺境伯国の最北端に位置しています。
いま、街の神殿には重い病気の人たちや、事故などで手足を失った人たちが集められています。
私は魔杖メルクリウスを掲げると、意識を集中させます。
「――《ワイドヒール》!」
次の瞬間、青色の光が、ぱあああああああっ、と広がりました。
効果はすぐに現れました。
「ああ、身体が軽い……!」
「右手が! 右手が生えてきた! 生えてきたぞ!」
「顔の火傷が……消えてる……!」
たちまち、神殿は歓喜の声で満たされました。
たくさんの人が私のところにやってきては、お礼の言葉を述べていきます。
「助けてくださって、本当にありがとうございました……!」
「この手、見てくれよ! おかげで大工仕事に戻れるぜ! 本当にありがとな!」
「姫聖女様、このご恩は一生忘れません……」
姫聖女。
最近、私はそんなふうに呼ばれています。
以前から『聖女』と呼ばれることが時々あったのですが、最近ではそこに『姫』がくっつくようになりました。
これはたぶん、現在の私の立ち位置によるものでしょう。
ナイスナー家がフォジーク王国から独立した結果、ナイスナー辺境伯国が生まれました。
ナイスナー家当主のグスタフ・ディ・ナイスナー……つまり私のお父様が、そのまま国王の座に就いています。
だから国王の娘である私の肩書は『姫』になるわけで、そこに『聖女』が合わさって『姫聖女』という奇妙な呼び名が生まれたようです。
治療を終えると、私は街の外へ出ました。
そこにはリベルが竜の姿のまま待っています。
「終わったか、フローラ」
「はい。上手く行きました」
今日は全部で5つの街を回って、病人や怪我人の治療を行うことになっています。
残りは4つ、まだまだ先は長いですね。
どうしてこんなことをしているのかというと、理由は色々とありますが、大きなものとしては2つです。
ひとつは、それが貴族の務めだから、ですね。
人々のために魔法を使うのは貴族として当然のことでしょう。
とはいえ、ただの慈善事業ではありません。
病気や怪我で働けなくなった人が仕事に復帰できれば、それは街の発展に、ひいてはナイスナー辺境伯国の発展に繋がります。
だったら領主の娘……じゃなかった、国王の娘として、やらない理由はないですよね。
もうひとつの理由は、リベルのお披露目です。
私とリベルの婚約はかなり電撃的に決まったため、ナイスナー辺境伯国に住む人の多くはリベルの顔を知りません。
そもそも竜であることすら把握していない可能性もあります。
これはさすがにまずいだろう、ということで、リベルの顔見せのため同行をお願いしたわけです。
いま、私とリベルのまわりには、街の人たちがワラワラと見送りに来ています。
皆、リベルを見て、驚きの声を上げていました。
「なんてデカさだ……」
「オレ、竜なんて初めて見たぜ……」
「竜って、すごく強いんでしょう?
もしもフォジーク王国と戦争になっても安心ね」
「そうね。あたし、辺境伯国の住人でよかったわ」
街の人たちは、巨大な竜であるリベルに対して、恐ろしさよりも頼もしさを感じているようでした。
「そういえば姫聖女様、婚約したみたいよ」
「あら、お相手はどなたかしら」
「知らないの? あの竜よ!
洞窟で封印されていたところを助けて、そのまま恋に落ちたんですって!」
「さすがフローラ様ね……。結婚ひとつでもあたしたちとはスケールが違うわ……」
ええと。
これもひとつの伝言ゲームというやつでしょうか。
私がリベルを助けたのは事実ですが、そのとき恋に落ちたわけではありません。
婚約も、ご先祖様の意向を受けてのものです。
とはいえリベルは私のことを大事にしてくれていますし、私も、その、リベルのことは……まあ、うん、いい関係を築いていけそうだな、と思っています。はい。
……なんだか耳のあたりが熱くなってきましたね。
「顔が赤いな、フローラ。
風邪でもひいたのか?」
リベルが心配そうに声を掛けてきます。
「いえ、大丈夫です。
それよりも早く出発しましょう」
私は少し俯きながら、そう答えました。
「分かった。乗るといい」
リベルはスッと右手を差し出してきます。
私は靴を脱ぐと、ピョン、とその上に飛び乗りました。
「行くぞ」
リベルはそう告げて、ゆっくりと翼を動かし始めます。
ふわり、と巨体が宙に浮かびました。
すると、街の人々がワッと歓声を上げました。
「姫聖女さま、ありがとうございました!」
「結婚式、観に行きます!」
「神聖フローラリア帝国、ばんざーい!」
いや、ちょっと待ってください。
ここはナイスナー辺境伯国ですよ?
どうしてライルお兄様発案の名前が聞こえてくるんでしょうか。
これは後で分かったことですが、国の正式名称が決まる直前、ライルお兄様が側近たちに「国名はやっぱり『神聖フローラリア帝国』がいいよな。うちの妹が国の名前になるとか最高だろ」と漏らしていたそうです。
そしてお兄様の話を聞いた側近たちを起点にして伝言ゲームが始まり、一部の人は「神聖フローラリア帝国」が正式名称であり、「ナイスナー辺境伯国」はあだ名のようなものだと勘違いしてしまったようです。
なんというか……うん。
お父様に強く言って、ちゃんと「ナイスナー辺境伯国」が正式名称であることを周知してもらいましょう。
このまま放っておくと、将来、この国は「神聖フローラリア帝国」として歴史に名を残すような気がしますからね。
* *
辺境伯国の北側にある5つの街を巡ったあと――
領都……じゃなくて首都ハルスナーの屋敷に戻る途中、リベルが言いました。
「少し、寄り道をしていかないか」
「いいですよ。どこに行きますか?」
「そうだな……」
リベルは少し考え込んだあと、こう言いました。
「どこか、
えっと……。
それはどういう意味なのでしょうか。
「屋敷では、あまり落ち着いてフローラと話ができん。
2人きりになれる場所ならば、どこでも構わん」
「じゃあ、あの湖はどうですか?
ほら、前にリベルがブレスで作っちゃったところです」
「……名案だな」
そう言ってリベルは進路を西に変えました。
西側の開拓はまだ始まっていませんし、湖のあたりなら、誰かに邪魔されることもないでしょう。
しばらくするとガルド砦が見えてきました。
外壁の修理は少しずつ進んでおり、本来の頑丈な姿を取り戻しつつあります。
さらにその向こうには大きな湖が広がっていました。
水面には、西に傾いた夕日が映り込んでいます。
リベルはゆっくりと湖のほとりに降り立ちました。
私はその右手から飛び降りると、うーん、と大きく伸びをしました。
「……ふう。
今日もよく働きましたね」
「ああ。フローラはよく頑張っている。それは間違いない」
そう言いながらリベルは尻尾の先で、ぽんぽん、と私の背中を撫でました。
「だが、無理はしていないか?」
「平気ですよ。私、頑丈ですから。
……あ、でも、よかったら尻尾にもたれていいですか?」
「もちろんだ」
「じゃあ、失礼しますね」
私はそのままリベルの尻尾に背を預けます。
青色の鱗は見た目よりもずっとやわらかで、身体の重みをふんわりと受け止めてくれます。
しかも内側からはポカポカと暖かい体温が伝わってくるので、気を抜くと眠ってしまいそうです。
「リベルの鱗、気持ちいいですね」
「それは光栄だな」
ふっ、とリベルは口元に笑みを浮かべました。
喜んでいるのかもしれません。
「リベルこそ、無理はしていませんか?
あっちこっちの街に運んでもらってますけど、疲れたら言ってくださいね」
「大丈夫だ。心配には及ばん。
この程度で疲れるほど、やわな身体はしていない」
リベルは力強い様子でそう頷きました。
実は今回、移動はすべて自分一人で済ませるつもりでした。
えいえい (仮称)を使えば水面から水面へと転移できるわけですし、問題はありません。
ですがリベルのほうから「俺も同行する」という提案があり、彼に運んでもらうことになりました。
「そういえば、リベルはどうして一緒に来てくれたんですか?」
「……ふむ」
リベルは少し間を置いてからこう答えました。
「俺は竜だ。地上最強にして地上最大の存在だ。
そのような存在が味方にいると分かれば、ナイスナー辺境伯国に住む者たちの心も少しは安らぐだろう……と思ってな」
「だからいつも竜の姿のまま、街の外で待ってるんですか?」
私が国内で重病人や怪我人の治療を始めてから、今日で5日目になります。
合計で20を越える街を巡りましたが、その間、リベルは一度として人の姿になっていません。
ずっと竜の姿を保ったまま、むしろそれをアピールするように街の周囲を飛び回ったり、場合によっては周辺に生息する危険な魔物を狩ったりしています。
なぜそんなことをしているのか。
私としてはちょっと疑問に思っていましたが、どうやらリベルなりの考えがあったようです。
「貴族というのは、自分の力を人々のために使う存在なのだろう。
ゆえに、俺なりに貴族らしい振る舞いというものを試してみた。
上手く行っているかどうかは、分からんがな」
「大丈夫だと思いますよ」
私は街の人たちの反応を振り返りながら答えます。
「みんな、リベルのことを頼もしく感じているみたいです」
「それならば、よかった」
リベルは満足そうに頷くと、さらに言葉を続けます。
「……なるほど。これがフローラの生き方か」
んん?
どうしてここで私の名前が出てくるのでしょう。
首を傾げていると、リベルが真剣な様子で告げてきます。
「俺は、おまえのことをもっと知りたい。
だから手始めに、おまえの生き方をまねてみることにした。
貴族とは自分の力を誰かのために使う存在なのだろう?
俺の存在が、この国に住む者たちの安心に繋がったというのなら……なるほど、こういう生き方も悪くない」
リベルは、くくっ、と満足そうな笑みを漏らしました。
一方で私のほうは……ええと、その。
かなり動揺していました。
心臓がバクバク鳴ってます。
おまえのことをもっと知りたい、とか真正面から言われると、さすがに照れてしまいます。
「ただ」
リベルはそっと顔を私のほうに近付けると、囁くように言いました。
「フローラと少しでも長く一緒に居たかった、という気持ちもある。
俺が安心できるのは、おまえがこの手に乗っている時くらいだからな」
あの。
リベルさん?
なんだか今日はものすごく攻撃力が高くないですか。
このまま会話が続くと心臓が爆発しそうなんですけど、ええと、その、あう……。
――けれど幸い、リベルからそれ以上の言葉はありませんでした。
飛ぶわけでもないのに、パタ、パタ、と翼をゆっくり上下させています。
えーと。
もしかして、なのですが。
「リベルも、照れてますか」
「……ああ」
リベルは小声で答えました。
「俺らしからぬことを言った。
……だが、撤回はしない。
竜は絶対に逃げない種族だからな」
いや、そこは意地を張るところじゃない気がしますよ?
それからしばらくのあいだ――
私とリベルは寄り添ったまま、西の山に沈んでいく夕日を眺めていました。
「……こういう時間の過ごし方も、たまにはいいですね」
「おまえは放っておくと、すぐにどこかに行って、何かを始めるからな」
まったく、とリベルはため息を吐きます。
「危なっかしくて仕方ない。目が離せん。
……だが、面白いな」
「もしかして私、珍獣扱いされてます?」
「いや、そういうわけではない」
リベルがフッと笑いました。
「竜を振り回す女など、おそらく世界におまえしかいないだろう、というだけだ」
なるほど。
あれ?
それって、実質的に珍獣扱いのような……?
「さて、そろそろ夜になる。
屋敷に戻るとしよう」
リベルはそう言うと、身を起こして、右手を差し出してきました。
珍獣扱いはともかくとして、たしかにそろそろ帰るべきでしょう。
私はいつものように靴を脱ぐと、その右手に飛び乗りました。
屋敷に戻ると、執事長のレストさんがやってきて、こう告げました。
「フローラお嬢様、リベル様。国王陛下がお呼びです。執務室にお越しください」
「……あっ、はい。分かりました」
おっと。
一瞬、素で「国王陛下って誰だっけ?」となりました。
もちろんお父様のことなんですが、今までは「領主様」と呼ばれていたので、ときどき頭が混乱を起こすことがあります。
まあ、そのうち慣れるでしょう。
私はリベルと一緒にお父様の執務室へと向かいました。
もちろんリベルは人の姿になってもらっています。
その背は高く、私が両手を伸ばしてもリベルの頭には届きません。
なんだかちょっと悔しいですが、まあ、別に構いません。
未来視の魔法を持つご先祖様の予言によれば、将来、私はとっても成長するはずなので大丈夫です。
未来視の魔法、外れませんよね?
外れたら、さすがの私も泣くかもしれません。
それはともあれ、お父様の執務室に到着しました。
コンコン、コンコンとノックをしてから中に入ります。
「お父様、何かご用事ですか?」
「うむ。……だが、その前にひとつ話がある」
「なんでしょうか?」
「今は、あちこちの街で病人と怪我人の治療をしているのだったな。
人々の様子はどうだ? 独立したばかりで、不安を感じている者はいなかったか?」
「それは大丈夫だと思います。一緒にリベルが来てくれるのも大きいですね。
やっぱり、竜が味方にいるというのは頼もしいみたいです」
「なるほど。では、リベル殿にも礼を言わねばならんな」
そう言ってお父様はリベルの方を向きます。
「リベル殿、我が国の安定に手を貸してくれて感謝する。
西での戦いといい、貴殿には世話になってばかりだな。
返礼に、何かできることはないだろうか?」
「義父殿、礼には及ばん」
リベルは首を振ってそう答えました。
「俺が好きでやっていることだ。
それに、我々は家族だろう」
「リベル殿。家族であろうとも、働きには報いるのが貴族というものだよ。
私にできることなら何でもしよう。遠慮なく言ってくれ」
「何でもする、と言ったか」
リベルはなぜか口元にニッと笑みを浮かべました。
まるで、とっておきの悪巧みを思いついたような表情です。
「その言葉に二言はないな」
「もちろんだとも」
「では、家をくれ」
リベルはそう言って、ぽん、と私の肩に手を置きました。
家というのは、どういう意味でしょうか。
「フローラと二人で暮らすための家をくれ。
俺が竜の姿のまま過ごせるような庭も欲しい」
次回更新は6月13日 (土)23時00分頃を予定しています。
→今後しばらく土曜日も出勤になったため6月14日 (日) 23時00分頃に変更します。
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