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――幼児教育者としてご自身の子供の教育はどう思いますか?

「ある講演会で『子供たちへの教育はどうなってるんですか?』って質問があった。あの子供たち(長男、長女)を育てていたときは(商店で)商売をしていて、保育園をしていませんでした。ヨコミネ式で育ったのは、孫たちがちょこっと(ヨコミネ式を始めた時期に)ひっかかります。この孫たちは優秀なので。末娘も1、2年(ヨコミネ式教育法に)関わった。(長男、長女は)並以下です。まだそのときは私の考え方も整っていなかったからね。並以下にしか育ってませんと、答えたね」

ヨコミネ式教育法ウェブサイトより

2人の実子は暴力を否定

 吉文氏は約2時間に渡って反論を繰り返した。取材班は、吉文氏と共に暮らしていた他の実子にも話を聞いた。吉文氏の次女は、次のように語る。

「父が(家族に)暴力をふるうのは、私の目の前では見たことがないです。父と母は随分昔に別居をしておりますので、籍がどうなっているか、現状がどうなのかわかりません。母のほうもそれ(C子さんのこと)を理解して、それが原因で揉めているとか夫婦の中でそれが問題のように感じたことはありません。何年からかはわからないですが、(父は)C子さんとそれなりには一緒にいます。私が知っている父は、仕事に一途で一生懸命前を向いて、仕事のために死に物狂いで私たち子供を養ってきた。そのなかで、いっぱい夫婦で衝突したりとかケンカがあったりとか、そういうものが違う方向に取られてしまったら、とても残念なことです」

 一方の長男は、次のように語る。

「(暴力は)見たことないです。僕もされたことは1回もないです。(母たちから暴力の話を)聞いたことはありますけど、実際に見てないから。(家族で家出したことは?)そういう話って、どこでもあるじゃないですか。そんなに珍しいことじゃないと思うんですけど。大昔のことですから、僕は何も思ってないです。世代とかもあるから、価値観のズレがあるじゃないですか。今は理事長(吉文氏)ががんばってやっているから。本人の責任で仕事されていると思うので。(内縁の妻である)C子さんにはありがたいなと思っています。(父が)1人で暮らしていたら病気になったりとか、寂しい思いをしたりとかするので感謝しています」

 現在、次女はヨコミネ株式会社の役員の一員で、長男はヨコミネ式の保育園で働いている。

「(私は)教育者ではない」と吉文氏

 後日、吉文氏から改めて「話がしたい」と連絡があり、自宅へ向かった。自宅では吉文氏、顧問弁護士、さらにヨコミネ株式会社の役員に名を連ねる吉文氏の孫(長女の娘)らが同席。20代前半の孫は一連の騒動に対して以下のように述べた。

「母は病気で会社では働けないです。診断書に出ているのは適応障害による合併症で更年期障害、鬱病です。普段の自分とは違う感情の変化があったりして、定かではない情報を言うことが多いんです。薬も飲んでいます。母が暴力を受けたと話したのは私利私欲のためだと思います。祖母も鬱なんですけど、理事長からは一人では広すぎる家をいただいている。毎日ご飯が食べられて、寝る場所も困らなくなり、手を差し伸べてくれたのは祖父なのに……。(母は)どれだけ恩知らずなのか、私が知っている中で(祖父の)そういうの(暴力や不貞行為)は絶対にあり得ないです」

 最後に吉文氏は、「(私は)教育者ではない」と、付け加えた。

「あなたは、教育者という言葉を何度も使われたけども、私は(自分のことを)教育者だと考えたことはない。言ったつもりもない。私は人格者でもない。来年70歳になって、ようやく人間らしいことが、ちゃんと考えられるようになったのかなって思っている。それを病気を持っている人(元妻やA子)たちの証言で私を潰そうとしている」

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