結婚して20年が経った40歳の頃には、A子さんは精神的にも肉体的にも疲弊し、「信頼関係が崩れた夫婦では、もう一緒にいられない」と吉文氏に伝え、離婚を訴えた。しかし、吉文氏は世間体を気にしてか、「離婚はしない」の一点張り。A子さんの精神はさらに追い詰められていったという。
「あの頃の母は常にボーッとした状態で無表情でした。毎日『死にたい』と口にしていました。追い詰められ、父が家に戻らない日しか決行できないので水泳の行事のある日に、母は荷物をまとめて段ボール箱を持って家を飛び出しました。1995年7月、母が44歳のときでした」(長女)
「テレビを見て感じた思いつきで全てが変わる」
一方で、A子さんが自宅を去った後、「ヨコミネ式」の名前は全国に広まる。その経緯を吉文氏の長女が打ち明ける。
「2001年当時は、(吉文氏の姪にあたるプロゴルファーの)さくらがゴルフで活躍し始めたときでした。横峯家に注目が集まり、その延長で伯父にあたる父の保育園で園児が次々に跳び箱を跳ぶ様子が雑誌などで取り上げられた。05年には、その話題性に飛びついたコンサルタント会社と提携(現在は契約解消)して事業は日本全国に拡大していったのです。
園児には2000冊の本を読ませる父ですが、本人は本や新聞はめったに読まない。情報はほとんどテレビからですが、テレビで影響を受けた人の発言や考えを取り入れて自分の言葉にすることに長けていた。テレビを見て感じた思いつきで全てが変わるから、『ヨコミネ式』では、マニュアル作成が追いつかない状態なのです」
「ヨコミネ式」が全国に広がった要因には、2008年に放送されたテレビ番組「エチカの鏡~ココロにキクTV~」(フジテレビ系)の影響も大きいという。ヨコミネ式の教育方法が紹介され、教育の一環で子供たちが川へ飛び込むシーンなどが不定期でたびたび放送された。当時の最高視聴率16.6%を記録した回もあった。
「スーパー園児を育てる男」として注目
その結果、「父が『スーパー園児を育てる男』として取り上げられるようになり、それを機に金儲けに走るようになった」と、長女は語る。