10. 独立の予感&世界の傷を塞ぎます!
こうして私はふたたび「世界の傷」に挑むことになりました。
まずは我が家の屋敷に行って、ご先祖様が遺したという杖を入手すべきでしょう。
私はそのことをお父様とお兄様に伝えると、リベルを連れてガルド砦を出ました。
空は青く、太陽は私たちをポカポカと照らしています。
天気がいいと、気分も上向きになってきますね。
周囲に広がる草原も、心なしか、いつもより生き生きしているように感じられました。
「屋敷までは、俺が運んでやろう」
リベルは竜の姿に戻ると、私に向かって右手を差し出します。
「ありがとうございます。
いつもお世話になっちゃってすみません」
私は靴を脱ぐと、その掌にピョンと飛び乗ります。
リベルの右手はとても暖かく、油断するとそのままお昼寝してしまいそうです。
「ふぁ……」
「到着したら起こしてやるから、眠っていても構わん。
さて、どちらに向かって飛べばいい?」
「ちょっと待ってくださいね」
いまはお昼だから、太陽のある側がだいだい南ですよね。
で、ガルド砦はナイスナー辺境伯領の西側にあるわけなので――
「たぶん、あっちだと思います」
私は東のほうを指差しました。
「本当に合ってるんだろうな……?」
結果から言えば、合ってました。
リベルに全速力で飛んでもらうと、半刻、ご先祖様のことばで言うところの『30分』ほどで大きな街が見えてきます。
ナイスナー辺境伯領の領都、ハルスナーです。
ここに我が家の屋敷があります。
街の手前で地面に降りて、リベルには人間の姿に戻ってもらいました。
そうしているうちに、街の中から何人もの騎士が出てきます。
街の近くに竜が現れたのだからパニックを起こしているのかもしれない……と思ったのですが、どうやら私が出発するのに前後して、お父様が通信水晶で連絡を入れてくれたようです。
それもあってか、騎士たちに混乱の色はありませんでした。
むしろリベルの存在に興奮しているようにも見えます。
まあ、今の時代、竜はほぼ絶滅したと言われてますからね。
伝承にしか残っていないような存在が目の前に現れたら、誰だって驚きますし、気持ちも高ぶるものでしょう。
「フローラお嬢様、お帰りなさいませ!」
「お迎えに上がりました!」
「領主様から通信水晶で話は伺っております。さあ、屋敷へどうぞ!」
「そちらが婚約者のリベル様ですね。まさか本物の竜にお会いできるとは光栄です」
「いやあ、二人ともお似合いですな。美男美女の組み合わせで本当に羨ましい」
美女……?
いや、私ってどう考えても「美女」の枠じゃないですよね?
背も低いし、幼児体型ですし。
まあでも、ご先祖様の遺言だと二年後にはすごく成長するらしいので、今後に期待させてもらいましょう。
領都ハルスナーの中に入ると、街はお祭りムード一色でした。
リベルが西からの魔物をまとめて退治したことはすでに伝わっているようです。
たぶん、ガルド砦にいる冒険者や傭兵のみなさんが昨日のうちに家族や知り合いに連絡を入れたのでしょう。
ナイスナー辺境伯領では通信水晶と記録水晶が一般家庭レベルまで普及していることもあり、情報の出回る速度がものすごく早かったりします。
「世界の傷」について知っているのは今のところ私とリベル、お父様にお兄様の四人だけですが、いつ、誰の口から情報が漏れるかは分かりません。
できれば大きな騒ぎになる前に片付けてしまいたいところです。
「……あれ?」
私はこのとき騎士たちの用意してくれた馬車に乗って屋敷に向かっていたのですが、街並みを眺めているうちに、ふと、あることに気付きました。
「どうした、フローラ」
隣に座っているリベルが声を掛けてきます。
「えっと……王国旗がないんです」
フォジーク王国では習慣として、街の中では一定距離ごとに王国旗と領主旗を交互に掲げることになっています。
これは街を歩く時の目印になっていて、たとえば道案内をするときに「この先の王国旗を左に曲がって、二番目の領主旗を左」という形で説明できるんですよね。
私としては便利な決まりだと思っているのですが、今日は街に入ってからというもの、一度も王国旗を見かけていません。
本来なら王国旗があるはずの場所も、すべて領主旗に置き換わっていました。
いったいどういうことなのでしょう。
屋敷に到着したあと、出迎えに来てくれた執事長さんに旗のことを聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「実は、フローラお嬢様が婚約破棄された経緯について、かなり複雑なことになっておりまして……」
「詳しく教えてもらっていいですか?」
「承知いたしました。
すでに街の様子をご覧になった以上、隠したところで意味はありますまい。
ただ、どうか気を悪くなさらないでください」
そうして執事長さんは説明を始めました。
私の婚約破棄ですが、国の公式発表では「深刻な性格の不一致が原因」ということになっています。
まあ、国としての体裁を考えるなら、本当の経緯なんて表にはできませんよね。
ただ、情報なんてものはどこから漏れるか分かりません。
とくに、今の時代は通信水晶がありますからね。
話が広がるのは一瞬です。
私がお父様とともに王都を離れてナイスナー辺境伯領に戻ったころには、一般の人たちのあいだでも婚約破棄の本当の経緯は知れ渡っていました。
街を歩けば、あちこちから王家への悪口が聞こえてくるような状態でした。
問題はここからです。
執事長さんの話によると、私やお父様がガルド砦に向かった直後、まるでその隙を狙うように国王陛下が『婚約破棄騒動の真相』とやらを大々的に発表したそうです。
それは、まあ、なんというか――とんでもない嘘に塗り固められたものでした。
私が不特定多数の人とアレコレしていて、だから王妃に相応しくない……とか。
不貞の証拠を巧みに隠しているため、マーロン男爵家のミーシャさんはやむなく嘘の告発を行った……とか。
確かに告発の内容は嘘だったが、結果として王家を守ることができたのでミーシャさんは褒め称えられるべきだし、その勇気はまさに王妃に相応しい……とか。
さらには王家の息がかかった吟遊詩人たちが私を糾弾するような歌をあちこちで広め始めたのです。
この、あからさますぎる情報操作に対してナイスナー辺境伯領内の人たちは大きく反発し、通信水晶で連絡を取り合った上で、一斉に王国旗を街から取り除いたそうです。
「以前から『辺境伯領は王国から独立すべし』という声もありましたが、これまではごく少数の意見でした。ですが、今では……」
執事長さんは困った顔でため息を吐きました。
私としては驚くばかりです。
ガルド砦で怪我人の手当てに追われているあいだに、まさか、領内でそんなことが起こっているとは思ってもいませんでした。
「このことは、お父様も知っているんですか?」
「もちろんですとも。
フローラお嬢様にいらぬ心配をかけぬよう、黙っていたのでしょう」
「……分かりました。
まったく、なんでもかんでも一人で背負い込むのはお父様の悪いクセですね」
私が肩をすくめると……なぜか、横にいたリベルが困ったような表情を浮かべました。
「フローラ、おまえも似たようなものだぞ」
「ええと……はい」
困りました。
これはまったく反論できません。
身に覚えがありすぎます。
そもそも私って、お父様の背中を見て育ったようなところがありますからね。
似ているのは仕方のないことでしょう。
「話は変わるが」
リベルは考え込むような表情を浮かべながら言います。
「確かに、国と縁を切り、独立しても構わんのではないか?
そもそもフォジーク王国に、ナイスナー辺境伯領などというものは存在しなかったのだからな」
えっ。
なんですかそれ。
ものすごく初耳なんですけど。
「この街やガルド砦を含め、ナイスナー辺境伯領と呼ばれている場所は、300年前においては魔物の生息地だった。
そこをおまえの先祖が切り開き、発展させたのがナイスナー辺境伯領だ。
もともとはナイスナー王国とやらを作るつもりだったらしいが、当時のフォジーク王国の国王と話し合った結果、辺境伯領という形で傘下に入った……と聞いている。
少なくとも当時の国王は、おまえの先祖のことを辺境伯と呼びつつ、同じ王のように扱っていたぞ。
そのような経緯があるからこそ、ナイスナー辺境伯家の当主は独自の判断で兵を動かせるし、王宮への納税を拒否できる。状況によっては国からの離脱も認められていたはずだ
……まあ、300年もすれば『伝言げえむ』で話は変わる。
フローラが知らなくとも無理はない」
なるほど……。
でも、いくら領内の人たちが騒いでいるとはいえ、私の評判が傷つけられただけで国と縁を切るのはさすがにやりすぎでしょう。
これでたとえば、国王陛下が『婚約破棄騒動の真相』とやらを理由にして我が家に慰謝料を請求してくるとか、「次期王妃の実家が小さいままじゃ箔が付かないから……」とか言ってナイスナー辺境伯領の割譲を求めてくるとか、「回復魔法の優秀な使い手であるおまえを逃すのは王家としても惜しい。不貞の女を許すのも男の器だ。クロフォードの側室になるがいい。どうせ他に嫁の貰い手などおらんだろう」とか、そういう無礼で頭のおかしなことを言い出してくるなら話は別ですけどね。
「……フローラ」
ん?
どうしたんですか、リベル。
「いま、未来視の魔法を使っていたか?
一瞬だが、眼が金色に染まっていたが……」
もしかして私、無意識のうちに未来を見ていたんでしょうか。
まあ、ともあれ――
王家のことは後回しです。
今は「世界の傷」が最優先ですね。
私はリベルとともに屋敷の地下に向かいます。
そこには『封印の間』と呼ばれる場所があり、今までは立ち入りを禁じられていました。
けれど今回は当主であるお父様が許可を出しているとのことで、執事長さんが鍵を開けてくれました。
『封印の間』は小さな部屋となっており、ひんやりとした空気が漂っていました。
奥には祭壇のような場所があり、一本の杖が安置されています。
それは金属製でしたが、錆ひとつ浮いていません。
おそらくはオリハルコンでできているのでしょう。
杖の形状はとても変わっていて、柄の部分には二匹の竜が螺旋状に絡み合うような意匠が施されています。
そして先端部には青色の水晶玉が据え付けられていました
「これが、ご先祖様の杖……」
「そのとおりだ」
リベルは懐かしそうな表情を浮かべて呟きます。
「魔杖メリクリウス。高名な錬金術師でもあったおまえの先祖が生み出した、最高傑作だ。
……これがあれば、確かに『世界の傷』すらも塞げるだろう。
いや、あるいはもっと大きな偉業を成し遂げることも可能かもしれん」
「さすがにそれは持ち上げすぎですよ」
私は苦笑しながら魔杖を手に取りました。
その瞬間――
水晶玉がカッと光を放ったかと思うと、私は、青白く輝く空間に浮かんでいました。
ええと……。
ここはどこでしょう?
私は『封印の間』にいたはずなんですけどね。
リベルの姿も見つかりません。
首を傾げていると、後ろから声が聞こえてきます。
「やっぱり、この程度じゃ動揺しないよな。
さすがオレの子孫、腹が据わってるぜ」
「えっ……?」
振り返ると、そこには黒髪の青年が立っていました。
ちょっと童顔で可愛らしいですね。
どちら様でしょうか?
「あんまり時間もないし、自己紹介は省略するぞ。
オレはおまえの先祖だ。以上、終わり」
もしかして、初代当主のハルト・ディ・ナイスナーさんでしょうか?
記録水晶で声を聞いたことはありますが、姿を見るのは初めてです。
というか、とっくの昔に死んだはずじゃ……?
「おまえの考えている通りだよ。
本物のオレはとっくに死んで、たぶん別の誰かに生まれ変わってるはずだ。
このオレは幻というか、杖に宿った残留思念みたいなもんだな。
たぶん5分もしないうちに消えちまうから、さっさと本題に入るぞ」
5分というと、私たちの国のことばで言うところの5限ですね。
ちなみに1時間=1刻=60限だったりします。
それはさておき、本題とは何でしょうか。
「なんつーか、その……すまん。
たぶん、おまえは今から『世界の傷』を治しに行くんだよな」
ええ、その通りです。
魔杖も手に入りましたし、すぐに『傷』のところに向かいますよ。
……というか、喋ってないのにどうして会話が成立しているのでしょう。
「それはここが精神世界だからだよ。
ま、要するに魂と魂で喋ってると考えてくれ。
時間がないから話を戻すぞ」
あ、はい。
脱線しちゃってすみません。
「『世界の傷』を直すのって、本来はオレの仕事だったんだよな。
けれど力が足りなくて、『傷』を封印するのが限界だった。
300年の時間を稼ぐことはできたけれど、そんなのは問題の先送りだ。
面倒事を押し付けて、本当にすまない」
ご先祖様は深々と頭を下げました。
その表情には悔恨の色が強く浮かんでいます。
心の底から申し訳なく感じているのでしょう。
「お詫びと言っちゃなんだが、いいことを教えてやる。
この先、王宮の謁見の間に行くことになったら、玉座に水の魔力を注ぎ込んでみろ。
たぶん、俺が残した仕掛けはまだ残ってるはずだからな。
……さて、そろそろか」
見れば、ご先祖様の身体はだんだんとその輪郭がほどけ、青色の粒子に変わりつつありました。
「繰り返しになっちまうが、面倒事を押し付けて悪かった。
オレに言えたことじゃないが――頑張れよ、フローラ。
この世界の主役はおまえだ。好きにやっちまえ」
やがてご先祖様の姿は完全に消えて――
私はふたたび『封印の間』に立っていました。
「フローラ、どうした。
ぼんやりしていたようだが、未来視の魔法でも使っていたのか?」
「いえ、そういうわけじゃありません。
ちょっとご先祖様とお話していただけです?」
「なんだと?」
「この杖に、残留思念みたいなものが残っていたんです。
頑張れ、って言ってもらいました」
「……そうか」
リベルはフッと笑みを浮かべました。
昔を懐かしむような表情で、ぽつりと呟きます。
「おまえは、アイツに会ったのか。
それは羨ましいことだ」
* *
私たちは魔杖を手に入れると、すぐに領都ハルスナーを離れました。
竜の姿になったリベルに乗せてもらい、一路、西へ向かいます。
ガルド砦を通り過ぎ、丘陵地帯と湖を越え、無数に連なる山々へ……って、あれ?
「リベル。山の数が減ってませんか?
むしろ抉れて窪地になっているような……」
「フローラが倒れたあと、ブレスでその場にいた魔物を一掃したからな。
あの時は俺も少しばかり動揺していた。
力加減を間違えてしまったが……まあ、大したことではあるまい」
いや、かなり大したことだと思いますよ。
たぶん5つくらい山が消えちゃってますし。
これも私の回復魔法で元通りにできませんかね。
ただ、まあ――
すべては『世界の傷』を治してからです。
『傷』は昨夜と変わらず、同じ場所にありました。
山々の連なる風景の一部がジグザグに裂けて、向こうには深淵の闇が広がっています。
大きさは……あれ?
「リベル、『傷』を見てください。
昨日より広がってません?」
「ああ。……悪い予感がするな」
リベルが頷いた、ちょうどその時でした。
キィィィィィィィィィィィ――――!
私の頭の内側で、まるで金属を引っ掻いたような高音が鳴り響いたのです。
さすがに二度目ともなると慣れがあるのか、めまいは感じません。
このフローラに同じ手は効きませんよ……とでも言っておきましょうか。
ですが、異変はそれだけではありません。
原理はまったく分かりませんが、周囲の空だけが夕暮れのように赤く染まったのです。
魔物の中には敵と戦う時にだけ眼や身体の色が変わるものが存在します。
『世界の傷』にも同じような性質があるのでしょうか?
傷口はどんどん広がっていき、そこから巨大な影が這い出してきました。
影は――リベルと瓜二つの竜でした。
ただ、全身は漆黒に染まっており、ひどく禍々しい気配を漂わせています。
「……っ」
私は息を呑みます。
それは黒い竜に怯えたからではありません。
未来視の魔法で見た光景とまったく同じだったからです。
……こんな時に言うのも不謹慎かもしれませんが、未来視の魔法って、使い勝手が悪いですね。
どうせなら黒竜が出てくる場面じゃなく、私やリベルがどうやって黒竜を倒したのか分かるような場面を見せてほしかったです。
「フローラ、来るぞ!」
リベルは大声をあげると、グン、と一気に高度を下げました。
その直後、
「――グゥゥゥゥァァァァァァァ!」
黒竜が唸り声とともに、牙を向いて噛みついてきたのです。
リベルはそれを紙一重で躱すと、カウンターのように尻尾を横薙ぎに叩きつけます。
「この……!」
「ガァァァッ!」
尻尾の威力はかなりのもので、黒竜は勢いよく弾き飛ばされ、そのまま山々に激突します。
ドオン、という轟音が鳴り響き、砂煙が上がりました。
これで決着……のわけがないですよね。
実際、砂煙の向こうでは黒竜が動き出そうとしています。
というか、尻尾での攻撃ですが、リベルは全力を出し切れていないように見えました。
右手に乗っている私を落とさないように配慮するあまり、本気を出すことができないのでしょう。
私はリベルに告げます。
「地上に降ろしてもらっていいですか?
私がいると、戦いにくいですよね」
「……だが」
「大丈夫です。信じてください。
私は『傷』を、リベルは黒竜を。
共同作業で大切なのは、役割分担です」
「……分かった」
リベルは一瞬だけ考え込んだあと、すぐに頷きました。
「あまり無茶はするなよ」
「前向きに善処します」
「まったく、おまえというやつは……」
リベルは苦笑すると、地面に降り立ちました。
「いいか、死ぬなよ」
「リベルこそ、ちゃんと生きて帰ってきてくださいね」
「当然だ。俺の名は青き星海の竜リベル、たとえ相手が竜であろうと、絶対に負けることはありえん。
……今の俺には、婚約者と家族がいるからな」
リベルは頼もしい口ぶりでそう告げると、翼を広げ、はるか天空へと舞い上がりました。
同時に、黒竜も同じ高度まで急上昇し、空中での戦いが始まります。
「……黒竜はリベルに任せておけば大丈夫ですね」
これでもしも黒竜が私を狙ってきたら大変でしたが、幸い、リベルのほうに気を取られているようです。
さて。
今のうちにやるべきことをやってしまいましょうか。
私は山々の上に広がる『世界の傷』に視線を向け、魔杖を構えました。
意識を集中させます。
すると、それに呼応するように杖の先端に据え付けられた水晶玉がまばゆい光を放ちました。
キラキラとした青色の粒子が溢れ、私の身体を包みます。
「……すごい」
これが杖の効果でしょうか。
体内全身の魔力が何倍、いえ、何十倍にも増幅されていました。
それだけではありません。
五感、いえ、ありとあらゆる感覚がすべてがかつてないほどに研ぎ澄まされています。
空気に含まれる微量な水のつぶをひとつひとつ見分けることもできますし、それらを触媒として魔力を込めることで、何もない場所に突如として激流を生み出すことも可能になっていました。
こんな大きな力を人間が手にしていいのでしょうか。
制御を一歩でも間違えれば、神話に語られるような破滅の大洪水が起こるかもしれません。
とはいえ、まあ、今から世界そのものを癒すわけですからね。
世界を壊せるだけの力が必要なのでしょう。
破壊と再生は表裏一体、等価交換なのだ……みたいな。
まあ、ただの思い付きなので本当かどうかは分かりませんが。
……そんなことを考えつつ、魔力を練り上げていきます。
その時でした。
『傷』から漆黒のしずくが飛び散り、私の周囲に落ちました。
しずくは地面にぶつかると、グネグネと形を変え……魔物へと姿を変えます。
それはロンリーウルフという、獰猛な狼の魔物でした。
数は合計で十二匹、どれも凶暴な目つきで私を睨みつけています。
ロンリーなのに群れで襲ってくるとか、ちょっと詐欺じゃないですか?
それはさておき、すぐにでも対応しなければ命はないでしょう。
ですが、あえて放置します。
いまの私は魔力を制御するのに精一杯で、魔物に構っている余裕はありません。
「グォォォォォッ!」
一匹のロンリーウルフが咆哮と共に飛び掛かってきました。
そして、その牙が私に到達する直前――
「オレの妹に、気安く触れるんじゃねえ」
ライルお兄様の声が聞こえたかと思うと、ロンリーウルフの身体が弾き飛ばされていました。
「悪い、遅くなった」
私を庇うように立つと、お兄様は剣を構えながら言います。
「心配だから来てみたが、予感的中だな」
「私も、予感的中です」
いえ、予
魔杖の効果によってありとあらゆる感覚が研ぎ澄まされた結果、今、私には近い未来であれば簡単に見通すことが可能になっていました。
だからお兄様が来ることは分かっていましたし、さらに、この後に起こる出来事もすでに理解しています。
もうすぐ、あの人の声も聞こえてくるでしょう。
「――《
凛々しい女性の叫びとともに、空から光の剣が降り注ぎます。
それによって十二匹のロンリーウルフはすべて串刺しにされて絶命しました。
光の浄化魔法のひとつ、
本来はアンデッドを仕留めるための魔法ですが、純粋な攻撃魔法として運用した場合の威力もかなり高いと言われています。
「……遅れました」
そうして私の目の前に現れたのは、一人の女性騎士でした。
シール・フロークさん。
昨日、私を竜神の洞窟まで送ってくれた人ですが、どうしてここに来てくれたのでしょう?
お兄様の方を見ると、すぐに説明してくれました。
「オレたちが『傷』について話をしていたとき、シールのやつ、ドアに張り付いて盗み聞きしてたんだよ。
で、やたらソワソワしてたから連れてきたんだ」
「……すみません。
昨日はフローラリア様に話しかけるチャンスがなかったので、今日こそ、と思って部屋を訪ねてみたのですが、なにやら深刻な話をしているようだったので、つい……」
「別にいいですよ」
私はシールさんに軽く笑い掛けます。
「というか、昨日、言ったじゃないですか。
私たちはもう友達だ、って。
だからフローラでいいですよ」
「ありがとうございます。
その、ええと……フローラ」
シールさんは顔を赤らめながら私の名前を呼びました。
なんだか可愛らしくてほっこりします。
「和んでるところ悪いけどよ、次、来るぜ」
お兄様はそう言って空を指差しました。
『傷』からまたも黒いしずくが落ちてきます。
またもロンリーウルフが現れましたが、これはライルお兄様とシールさんに任せておけばいいでしょう。
私は、私のすべきことに集中するだけです。
そろそろ魔力も練り上がりました。
始めます。
「――《ワイドヒール》!」
回復魔法を発動させた次の瞬間、白銀の閃光が弾けました。
『傷』の周囲の、赤く染まっていた空がだんだんと青色に戻っていきます。
さらに『傷』そのものも少しずつ、少しずつ、小さくなっていました。
前回のような頭痛はありません。
むしろ、普段の回復魔法よりずっと楽でした。
魔杖の効果によって魔力が増幅されているおかげでしょう。
「――はああああああああっ!」
柄にもなく気合を込めて、杖を振り下ろします。
最後にもう一度だけ大きな閃光が広がり――『傷』は消滅していました。
「すげえ、すげえぜ、フローラ。
本当に『傷』を塞いじまいやがった……!」
剣を振るいながら、ライルお兄様が感嘆の声を上げます。
「先程の光は、とても暖かい感じがしました。
まるで、フローラ様そっくりです」
シールさんはポツリとそんなことを呟いたあと、ハッとした表情で私の方を向きました。
「あ、いえ、その、今のは……
――《
照れ隠しのように放たれた光の攻撃魔法が、残ったロンリーウルフたちをまとめて引き裂きました。
シールさん、顔を真っ赤にしてますね。
いちおうクールな女騎士として知られているはずなんですけど、これはこれでアリと思います。
ともあれ――
『傷』は完全に塞がって、開く気配もありません。
地上にいる魔物は、ライルお兄様とシールさんが全滅させてくれました。
空を見上げれば、リベルと黒竜の戦いはまだ続いています。
状況としては、リベルの方が優勢です。
黒竜はすでに翼の一部を引き裂かれ、墜落しそうになっています。
手助けは……いらなさそうですね。
そもそもリベルは最強ですから。
負けるわけがありません。
「グゥゥゥゥァァァァァァ!」
黒竜は大きく咆哮すると――突然、こちらを睨みつけました。
「ガァァァァァァッ!」
いきなり急降下を掛けてきます。
どうやらリベルとの勝負を諦めて、標的をこちらに移したようです。
「危ねえ!」
「フローラ様!」
ライルお兄様とシールさんは、ほとんど同時に私を庇おうとしました。
大丈夫です、それには及びません。
私は魔杖を空に向けると、空気中の水のつぶを増幅し、温度を奪って凍らせ、巨大な氷の槍を生成します。
「――えい」
本当ならこの魔法にすごく格好のいい名前をつけるべきなのでしょうが、急には思いつきませんでした。
えい (仮称)が発動し、氷の大槍が黒竜に向けて放たれます。
黒竜はすでにかなりの速度をつけていたため、大槍を避けることができません。
さらには――
「グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
リベルが大きく翼を広げ、ブレスを放っていました。
ブレスと氷の大槍が、黒竜に到達したのは、ほぼ同時でした。
空中に、大きな爆発の花が咲きました。
氷槍によって身体を貫かれたところにブレスを受け――黒竜は、跡形もなく、消滅しました。
こうして――
私たちの戦いは、終わりを告げたのです。
いつもお読みくださりありがとうございます。
皆様の応援もあって、現在も日間総合ランキング上位をキープしております。
ありがとうございます!
明日の16日 (土曜日)ですが、更新をおやすみします。
明後日の17日 (日曜日)22時30分ころ、更新予定です。
前回の後書きにも書きましたが、次回から「私の家は独立します!」編が始まります。
残り4話、お楽しみいただけると幸いです。
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どうぞよろしくお願いします!