8. 空から星を眺めます!
私はお風呂上がりで、本来ならそのまま寝るつもりでしたが、リベルの言う『空から眺める星々』にも興味があったので、彼の誘いを受けることにしました。
二人揃って砦の廊下を歩き、外に向かいます。
「~♪ ~♪」
私が鼻歌を歌っていると、リベルが横でクスッと笑いました。
「フローラ、楽しそうだな」
「ふふん。分かりますか。
ここ最近はずーっと魔物の襲撃が続いていましたし、気軽に外出もできなかったんですよね」
とくに私の場合、ヘトヘトになるまで回復魔法を使い倒してはベッドに倒れ込むような毎日でしたから、気晴らしの散歩に出かけるという発想すら浮かんでこなかったんですよね。
あのままだったら、遠くないうちに過労死していたかもしれません。
だから、ナイスナー辺境伯領を救ってくれたリベルには、深く、深く感謝しています。
「ありがとうございます、リベル」
「急に、どうした?」
「私がこうしてのんびりと過ごしていられるのも、リベルが魔物を倒してくれたおかげですし。
あらためて、感謝の気持ちを伝えておこうかなあ、と」
「ならば俺も礼を言わねばならん。
フローラがいなければ、俺はいまも身体の傷に苦しんだまま、暗い洞窟の底で孤独の眠りに沈んでいただろう」
そういえば最初、リベルは身体の内側に深い傷を負っていました。
あれって、やっぱり痛かったんですね。
癒すことができて、本当によかったと思います。
砦の階段を下り、中庭に出ました。
宴会はすでにお開きになっていますが、まだチラホラとお酒を飲んでいる人もいます。
楽しそうでいいですね。
こういう光景を見ると、戦いも終わったんだな、という気持ちになりますね。
私はリベルを連れ、中庭を横切って城門のほうへ向かいました。
城門のすぐそばには騎士団の詰所があって、窓から煌々とした明かりが漏れています。
さて。
私は領主の娘なわけですし、そんな人間が深夜にフラッと姿を消せば大騒ぎに発展するかもしれません。
夜間の見回りを担当する騎士たちには、事前に一言くらいは伝えておくべきでしょう。
私は詰所のドアを、コンコン、とノックしてから中に入りました。
詰所の中には他に五名ほどの騎士がいて、みんな剣を磨いたり鎧の手入れをしています。
砦の近くに魔物は残っていないはずですが、万が一の事態に備えているのでしょう。
こういう姿を見ると、頼もしいな、と思います。
「おや、フローラお嬢様に竜神様……ああ、失礼、リベル殿ではありませんか」
騎士の一人が私たちに気付いて声を掛けてきます。
名前はクラッセ・クライさん。
浅黒い肌の男性で、南方の島の生まれだそうです。
我が家の騎士団は実力さえあれば誰でも入れるので、フォジーク王国の外から来た人もチラホラと混じっています。
「お疲れ様です、クラッセさん。少しよろしいですか?」
「もちろんですとも。……というか、わたしの名前をご存知でしたか」
「我が家に仕える騎士のみなさんについては、ちゃんと覚えてますよ」
実際は騎士だけじゃなくて、ナイスナー辺境伯家で働いているメイドさんやコックさん、庭師さん、文官さん、それからガルド砦に来てくれた冒険者さんや傭兵さんについては、顔と名前をすべて記憶しています。
「おお……。さすがフローラお嬢様……」
「貴族として当然のことです。
ところで、今からちょっとリベルと出掛けてきますね」
「リベル殿と……?」
「うむ」
リベルが私の横で頷きました。
「安心するがいい。フローラに危険が迫ることは絶対にありえん。
世界で最も安全な場所は、俺の隣なのだからな」
「確かにリベル殿の仰る通りでしょう。
自分も、フローラお嬢様の安全については心配しておりません。
ただ……」
クラッセさんは私の方をチラリと見ました。
「深夜に異性と出掛けるのですから、もう少し、こう、コッソリと出ていくものではありませんか?
そして我々騎士はそれに気付きながらも『仕方ないな』と苦笑しながら見逃すのがお約束と言いますか……」
は?
クラッセさんの発言は、私にとって完全に予想外……というか、斜め上とか斜め下のものでした。
何を言ってるんでしょう、この人。
リベルもリベルで首を傾げています。
「フローラ。今の発言はどのような意味なのだ?」
「ええと……」
私は眉を寄せて考え込みます。
以前に聞いた噂ですが、クラッセさんは男性ですが恋愛小説が大好きだそうです。
たしかに恋愛小説なんかだと、貴族の令嬢がこっそりと深夜に恋人と
でも、実際にやっちゃうと大騒ぎになるかもしれません。
世の中って難しいですね。
* *
私とリベルは騎士団専用の通用口を使い、城壁の外に出ました。
わざわざ城門を開けてもらうのは、さすがに騎士団のみなさんに手間をかけてしまいますからね。
「……なるほど。あの騎士の言葉は、そういうことだったのか」
「はい。恋愛小説にものすごーく影響されちゃってるんだと思います。
まあ、趣味は人それぞれ、ってことです」
私とリベルは、先程のクラッセさんの発言について話をしながら、しばらく一緒に歩いていました。
やがて、
「このあたりでいいだろう」
と、リベルが足を止めます。
その身体がピカッと青白い光に包まれたかと思うと、みるみるうちに大きくなり――青色の鱗、金色の角と
人間の姿もいいですけど、やっぱり、竜の姿はこう、ドーンと威厳があって格好いいですね。
私はかなり好きだったりします。
「乗るがいい」
リベルはそう言うと、身体を少し屈めて、右手を差し出してきます。
私は靴を脱ぐと、その上にピョンと飛び乗りました。
「やはり、靴を脱ぐのだな」
「ダメですか?」
「いいや、構わんとも」
リベルはふっと口の端を緩めました。
人間とは顔の作りが異なるので分かりにくいですが、きっと、微笑みを浮かべているのでしょう。
「行くぞ」
リベルが、ばさ、ばさ、と翼を動かし始めます。
風がヒュウウウウウと渦を巻き、その巨体が少しずつ宙に浮かんでいきます。
この浮遊感、実はちょっと好きだったりします。
頬を撫でる風が気持ちいいです。
「リベル、ひとつ訊いてもいいですか」
「もちろんだ。どうした?」
「人間の姿になったり、竜に戻ったりって、大変じゃないですか?
大きさ、かなり違いますよね」
「いや、さほど苦労はしていない。
人間の姿になるのは、身体を折り畳むだけのことだからな」
「身体を、折り畳む……?」
私の頭に浮かんだのは、まるで洗濯物みたいに四角く折り畳まれたリベルの姿でした。
……たぶんこのイメージは間違ってますよね。
「存在を圧縮する、と言ってもいい。
逆に、竜の姿に戻る時は、魂のかたちに合わせて身体を広げている。
こちらのほうがフローラには分かりやすいかもしれんな」
「どうしてですか?」
「ん? 回復魔法とは、そういうものだろう。
魂のかたちに合わせて、実際の身体を復元するのだからな」
「……知らなかったです。
というか、たぶん、この世界の誰も知らないと思います」
フォジーク王国は世界でも有数の魔法技術大国だったりしますが、王立アカデミーに教室を持っているトップクラスの魔法学者さんたちでさえ回復魔法の原理を解き明かせていません。
せいぜい「回復魔法は自然治癒力を促進させているのだろう」という仮説が提唱されているくらいですが、これだと、たとえば魔物に食べられた手足がニョキニョキと生えてくる理由が説明できないんですよね。
だからリベルの話は、回復魔法の使い手である私にとってすごく興味深いものでした。
「魂のかたちって、どういうことですか?」
「人間の肉体には魂が宿っている。
魂は目に見えないが、身体と同じかたちをしている。
たとえば傷を負ったとき、痛みを感じるだろう。
あれは、魂のかたちと身体のかたちがズレてしまったために、魂が悲鳴をあげている……と考えればいい。
そして回復魔法とは、相手の魂のかたちを読み取り、それに合わせて身体を復元する魔法なのだ」
なんだか複雑な話になってきましたね……。
でも、まあ、要するに、魂のかたちという『お手本』を参考にして現実の身体を治療している……ということなのでしょう。たぶん。
「フローラは、先程、家に仕えている騎士の名前をすべて覚えている、と言ったな」
「はい。騎士だけじゃなくて、砦にいる冒険者さんや傭兵さんの名前もきっちり覚えてますよ」
「そうだろうな。
おまえに自覚はないだろうが、それは簡単にできることではない。
回復魔法の才能を持つ者は、無意識のうちに、相手の魂を認識してそのかたちを記憶している。
名前を覚えているのはその副産物だろう」
「あっ」
「どうした?」
「我が家の騎士団って、実力さえあれば素性は問わないんですけど、偽名を名乗っている人もいるんですよね。
でも私、ときどき、聞いたことがないはずの本名で呼んじゃうことがあるんです」
「それは魂を認識しているからだろう。
本当の名前は、魂に刻まれるものだからな。
……さて、そろそろ雲の中に入るぞ」
「えっ……? わふっ!?」
突然、視界が薄暗いモヤに閉ざされました。
なんだか全身がひんやりとして、まるで霧の中に飛び込んだような感覚でした。
というか「わふっ」って何ですか。
できればもう少し、可愛らしい悲鳴を出しかったのですが、そういうのって意識しないと難しいですよね。
そんなことを考えていると、やがて視界がパッと開けました。
「フローラ、着いたぞ」
「わ……!」
雲の上に広がる世界は、満天の星空でした。
幾千、幾万、幾億の星がまるでシャンデリアのようにキラキラとした光を放っています。
遠くに眼を向ければ、満月が銀色の光でもって雲の上を照らしていました。
流れる雲の動きは、まるで揺らめく海のようです。
「きれい……」
「いい景色だろう」
リベルは、ふふん、と得意げに鼻を鳴らします。
「かつて世界には多くの竜が生息していたが、雲の上まで飛ぶことができたのは俺だけだった。
この光景を誰かに見せるのは、フローラが初めてだ」
「……ありがとうございます、リベル。
私、この星空をずっと忘れないと思います」
「喜んでくれてなによりだ。
もし、星を見たくなったら遠慮せずに言うがいい。
いつでも、何度でも、連れてきてやる。
おまえは、俺の婚約者だからな」
「……はい」
リベルの言葉に対して、私はそう短く答えるのが精一杯でした。
えっとですね。
なんというか、反則じゃないでしょうか。
このシチュエーションでサラッと「婚約者」とか言われると、さすがになんというか、心臓がドキドキします。
あう……。
耳と頬がかぁっと熱くなっているのが自分でも分かりました。
どうやら私、柄にもなく照れているみたいです。
リベルのほうはどうなのでしょう。
チラリと彼のほうを見ると……困ったような表情で私から目を逸らしていました。
もしかすると、彼も彼で、自分自身の言葉に照れているのかもしれません。
それからしばらくのあいだ嬉しいような、恥ずかしいような、もじもじとした沈黙の時間が流れ――
「その、だな」
リベルが口を開きました。
「竜がどのようにして生まれるのか、覚えているか?」
このまま黙っているのは気まずいですし、話題としても気になる内容です。
私はすぐに返事をしました。
「いえ。たしか竜には、親がいないんですよね」
「そのとおりだ」
リベルは頷いて、頭上の星々へと視線を向けました。
「老いた竜から、こんな話を聞いたことがある。
星はその寿命が尽きるとき、最後の力を振り絞り、みずからがこの世界に存在した
真実かどうかは知らん。
だが、もしそうだとすれば、この夜空が俺の親のようなものだろうな」
「じゃあ、私、リベルの親御さんのところに挨拶に来ているわけですね。
ええと……彼のことは幸せにしますので、どうかよろしくお願いします」
私はペコリと頭を下げました。
すると、
「……くく」
リベルが小さく笑い声を漏らしました。
「おまえは本当に律儀だな、フローラ。
きっと夜空も、俺たちのことを祝福してくれるだろう」
いったい何が面白かったのかは分かりませんが、リベルはなんだか楽しそうです。
尻尾をぐるりと身体の前に持ってくると、ぽんぽん、と私の背中を撫でました。
「おまえがいれば、どんな場所でも、今までにないほど愉快に感じられそうだ」
「ええと、ありがとうございます……?」
よく分からないですけど、たぶん、褒められてるんですよね?
私、そこまでズレたことは言ってないはずですし。
「さて、親への挨拶も終わったことだ。帰るとするか」
「分かりました。……あっ、ちょっと西の方に寄り道してもらっていいですか?」
「構わん。何か用事でもあるのか?」
「念のために、軽く見回りでもしておこうかな、と。
また新しい魔物がゾロゾロと近付いてたら大変ですし」
「ふむ、確かに一理あるな。
ならばもう少し散歩してから帰るとしよう」
そう言ってリベルは翼を動かし、ゆっくりと高度を下げ始めました。
雲を抜けたあと、西の方へと向かいます。
異変が起こったのは、昼間の戦いで生まれた湖の上を通り過ぎた直後でした。
キィィィィィィィィィィィ――――!
まるで金属を引っ掻くような高音が頭の内側で鳴り響いたのです。
私は思わず両耳を押さえたのですが、まったく意味がありません。
それは聞いているだけで魂を抉られるような、断末魔の絶叫にも似た高音でした。
「フローラ! どうした、フローラ!」
リベルの声が上のほうから聞こえてきます。
いつになく焦ったような表情で私のことを覗き込んでいました。
どうやらリベルには聞こえていないようです。
私はそのことに少しだけ安堵します。
しばらくすると音は鳴り止みましたが、まだ、少しめまいがします。
「大丈夫か、フローラ」
「ええ、なんとか……」
私は自分自身に回復魔法をかけましたが、それでもめまいは残っています。
いったい何があったのでしょう。
突然聞こえてきた奇妙な高音についてリベルに話すと、どうやら思い当たるものがあるらしく、あたりを見回しながらこう言いました。
「300年前、おまえの先祖も同じようなことを言っていた。
それは『世界の傷』が開く前兆らしい」
「世界の傷」?
それは初めて耳にする言葉でした。
いったいどんな意味なのか、ちょっと気になるところです。
「俺も詳しいことは分からんが、おまえの先祖によると、その傷が開くと魔物が大量に生まれるそうだ。
……見つけた。あれだ」
リベルはそう言うと、さらに西の方へ向かって飛び始めました。
そしていくつかの山を越えたところに、あまりにも常識外れの光景が広がっていたのです。
たとえるなら、それは、破けた絵画のような光景でした。
山々が連なる風景の一部がジグザグに裂けて、その向こうに深淵の闇が広がっています。
それはまさに「世界の傷」としか言いようのないものでした。
傷口からは、まるで血のように、ぽたり、ぽたりと闇色のしずくが落ちてきます。
しずくは地面に広がると、ぐねぐねと形を変え……やがて何十匹もの魔物になりました。
不気味な光景ではありましたが、私は目を逸らすことができませんでした。
頭の中で、ひとつの仮説が組み上がっていきます。
もしかして――。
この十年、魔物が今までにないほどの大群で西から攻め寄せてきたのは、これが原因なのでしょうか?
同時に、ふと、思いました。
……傷であるならば、私の回復魔法で治せるかもしれません。
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