カスタマーレビュー

2018年10月21日に日本でレビュー済み
 著者は難しい思想を納得できる形で翻案する手腕に定評があるらしい。本書でもその能力の高さはわかる。ただ、これはヘーゲル入門であるよりも、その影響を受けた人たちへ重心がかかっているようではある。もし現代思想を肯定的に見るつもりなら、読む価値はある

 そのうえで、どうせこの本のレビューには星五つが並ぶだろうから、私は苦言のみを呈しておきたい。ヘーゲルをうまく現代思想に取り込むことは、結局のところこの分野の可能性を狭めることになると私は思う。講壇哲学の内部では盛り上がっても、一般人から見るとあまりに現実離れしていて信ずるに値しないというのが、思想界の現状である。著者はいろいろなものと闘っているようだが、もし現状を脱したいと思うなら、ヘーゲルはまともに考える人たちの味方ではないし、武器にもならない、と言いたい
 訓詁学という言い方は、単に字義の解釈を本義とする態度を指すのではなく、その価値を祭り上げてしまう結果に対する憂慮を含む。現にこの本のようにヘーゲルの影響力の高さを論じられてしまうと、読者はヘーゲル思想を頭から否定することができなくなる。過去の本の緩やかな引きうつしで回して行くという、昔から哲学の最大の悪弊とされることに、またとらわれるのか
 ラッセルやポパーのヘーゲル批判がこの本でも紹介されているが、彼らの前提は、ヘーゲル思想は前後で矛盾した、支離滅裂な、考察に値しない駄文である、というものであろう。そのうえで、ホーリズムであるとか、狭量な政治思想を批判しているのである。 その前提を取り払って、ヘーゲルを擁護あるいは評価することが、哲学として正しいだろうか?
 
 ヘーゲルの功績とされる考え方が、果たしてその名にふさわしいのか。個と環境の互いの交渉から、それぞれが別物に進展していくという概念は、ラマルク、キュビエ、ダーウィンの思想をたどっていけば、自然にたどり着く発想である。人間社会の中でも進化論的な力が働くということは、たとえばコンラート・ローレンツの著書(「鏡の背面」や「動物行動学」)を繙けば理解できる。私はダーウィニズムには疑問を持っているが、それでもダーウィンとヘーゲル、ローレンツとポスト・モダンの社会進化論などと併記することはあまりに失礼であると感じる。知的な誠実さがあまりに違いすぎて比較の対象にならない
 つまり弁証法などという与太は存在しないのだ。岩と岩をぶつけて岩ならざるものに止揚されるか? 水と塩酸から何かがアウフヘーベンされるか? あるものとあるものの混交によって全く新奇な何かが創出される可能性は限りなくゼロに近く、あったならば、個別に探求されるべきである。弁証法などという一般化は何も見ないに等しく、これをもっともらしく振り回す輩は、実証科学はもちろん、人文系においても思想家の資格がないとしか言えない
 弁証という語源的な意味においても、話し合いが必ずしも好結果につながらないことは周知のとおり。もしありうるなら、よい結果を導く議論の方法論、みたいなものにしかならないだろう
 ヘーゲル的な考え方は、自然科学の思想からでも十分にたどり着けるのである。自然科学がヘーゲルを参照したという話は聞かないが、ヘーゲルが科学の知見を引用元を明かさずに、我流に引いている証拠ならいくらでもある

 私はこの本を高評価する人に、ぜひともヘーゲルそのものにあたって、それがまともな思想家の書くものかどうか、冷静に判断していただきたいと思う。ただし以上のことは、著者がこの本を書く元の善意や、他の著書に及ぶものではない
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