研究成果紹介


SARSコロナウイルス


はじめに
持続感染の成立
ヒトおよびラットの神経系細胞への感染
感染時のlipid raftsの役割
熱感受性


はじめに

SARSコロナウイルスは呼吸器系に感染し、特に肺に強い細胞傷害を与え、致死率が約10%の疾患を引き起こす。このウイルスの宿主レセプターとして、ACE2という膜分子が同定されており、ヒトの肺や腸管にこのACE2分子の強い発現が認められている。実際、SARS患者の死後臓器の検討でも、肺や腸管に大量のSARSコロナウイルスの存在が確認されている。それ以外にも、腎臓、皮膚、甲状腺、下垂体、肝臓、大脳などにもウイルス粒子の存在が確認されている。ただ、これらの発現には、ACE2の発現と必ずしも関連性が認められてはいる訳ではない。

培養細胞レベルでは、アフリカミドリザルの腎臓上皮由来のVero E6に高い感受性を示し、強い細胞傷害性とともに、大量の子孫ウイルスを放出する。


持続感染の成立

Vero E6細胞株にSARSコロナウイルスを感染すると、3日以内に強い細胞傷害が現れ、ほとんどの細胞が死滅したかに見える。しかし、その後も培養を続けることにより、再び生細胞が現れ、増殖し続ける細胞株が得られる。この状態の培養細胞上清中には大量の感染性粒子が放出されていることから、感染を受けたVero E6細胞の一部の細胞集団は持続感染を成立することが明らかになった(図1)。

図1.Vero E6細胞にSARSコロナウイルスを感染すると、2~3日目に強い細胞傷害が出現するが、その後も培養を続けると細胞の増殖が認められ、これらはウイルスを産生しながら細胞も増えていく、いわゆる持続感染状態になっている。上は、細胞の生死を見るための顕微鏡像で、その時のウイルス抗原の発現程度をみるための蛍光顕微鏡像。

そこで、この生き残り細胞の細胞クローニングを、96穴マイクロプレートにウェル当たり1細胞播くことにより行い、計87クローンを分離した。その結果、4クローンのみがウイルスRNA陽性であった。この内の3株は、クローン後に継代培養を続けると徐々にウイルスRNAが陰性に転じたが、#21クローンのみ、長期間安定して持続感染を維持し続けた。この#21細胞から産生されるウイルス粒子は、エンベロープ蛋白質が少ない特徴があったが(図2)、感染性に大きな影響を与えるものではなかった。

図2.Vero E6細胞にSARSコロナウイルスを感染し、その後の2~3日目の急性期に産生されるウイルス粒子と、持続感染を成立した細胞を数カ月培養した後の細胞から産生されるウイルス粒子を電子顕微鏡で比較観察を行ったもの。生化学的解析の結果と一致して、粒子表面のエンベロープ構造が持続感染機の粒子では希薄になっている。横の棒は、100 nmのサイズを示す。

Vero E6細胞を非感染状態で同様に細胞クローニングを行い、32クローンを分離し、レセプターACE2の発現程度を検討したが、ほぼ同じ程度の発現程度であった。しかし、これらのクローン細胞にSARSコロナウイルスを感染すると、やはり、持続感染成立の程度に大きな差異があることが判明した。従って、レセプターの発現と持続感染成立との相関性は認められなかった。

 同様のコロナウイルス持続感染成立という知見は、他のコロナウイルス、たとえばマウスの肝炎ウイルス(mouse hepatitis virus; MHV)やヒトコロナウイルスであるOC43や229Eでも報告されているが、これらはマイクロプレートに播く際にウェル当たり1細胞ではウイルスRNA陽性クローン細胞を分離することができなく、最低でも100細胞を播くことによって初めてRNAを維持し続ける細胞集団が得られている。このように、コロナウイルスには、細胞クローニングという少数の細胞からの増殖を強いられる過程でストレスがかかり、その際の宿主ストレス応答がウイルスを細胞から排除する機構があるのかもしれない。

現在、この#21クローン細胞内のSARSコロナウイルスの全長遺伝子配列を決定し、元の野生型ウイルスと異なる変異領域の同定とともに、そのような変異の意義について検討を行なっている。

 


ヒトおよびラットの神経系細胞への感染

SARSコロナウイルスの標的は、細胞傷害が引き起こされ、致死性の原因になっている肺以外にも、特別の細胞傷害が引き起こされない腸管や脳でもウイルス複製が起こっている。実際、ヒト結腸癌由来細胞株であるCaCo-2細胞に感染すると、Vero E6と同様に、培養液1 ml当たり107以上もの感染性ウイルス粒子を産生し、顕著な細胞傷害生は認められなかった。一方、ヒトとラットの神経系細胞株である、それぞれOLとC6細胞株へのSARSコロナウイルス感染では、培養液1 ml当たり101.5-4.0程度の感染性ウイルス粒子を放出することが明らかになった。この場合にも細胞傷害性は認められなかった。これら神経系細胞株には、SARSコロナウイルスのレセプターACE2分子の発現は検出限界以下であり、何らかの別のレセプター分子が神経系細胞に種を超えて存在するのかもしれない。


感染時のlipid raftsの役割

細胞膜上に存在するlipid raftsは、さまざまなウイルスが感染する際に、また感染後のウイルス粒子形態形成や宿主細胞からの粒子放出過程で重要な役割を演じていることが明らかにされている。私たちは、SARSコロナウイルスが宿主細胞へ侵入する過程でこのlipid raftsが必要であることを初めて明らかにした。

 Vero E6細胞をmethyl-b-cyclodextrin (MbCD)で処理することにより、膜表面からコレステロールを除去すると、SARSコロナウイルスの感染が顕著に低下すること、除去後にコレステロールを添加すると、再び感染が成立ことを見出した。ウイルス吸着後3時間目にMbCD処理して

も大きな影響は認められなかったことから、ウイルス複製の初期過程に影響していると考えられた。また、細胞分画により、lipid raftsはレセプターACE2と同じ局在を示さないことから、ACE2を介する吸着後のステップで何らかの役割を演じてウイルス粒子の侵入に貢献しているものと考えられる。


熱感受性

 SARSコロナウイルスの熱感受性試験を、60℃・10時間処理が導入されている各種血液製剤について検討した(図3)。その結果、SARSコロナウイルスは60℃処理で全体に不活化されやすい性質であることが判明したが、Antithrombin III製剤へのSARSコロナウイルス添加の条件では、60℃、30分処理でも僅かに感染性を残しており、それぞれの製剤に用いている安定化剤によっては本ウイルスの熱安定性に違いが生じることが明らかになった。

図3.血漿分画製剤中のSARSコロナウイルスの不活化実験結果。製剤は60℃で10時間の処理を施されているが、1時間以内に検出限界以下にまで不活化されていることが確認できた。