りん
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1984年に2両車がありましたね。59ー2改正でモハ103ーモハ102の1ユニットを抜き、山手線内回り増発用で宮原から池袋に、また常磐快速線増発用でモハ103ー778 モハ102ー2035が松戸へ、大鉄淀川へ2ユニットが宮原から移動し、1974年高槻新製配置の中期車2ユニットが、淀川から松戸に移動がありましたね。
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返信先: さん
183系0番台、海水浴に行った時に毎年利用しましたので、大変思い出深い列車です。また、石打スキー臨をはじめ、定期列車で中央線に運用され、「あずさ2号」は、183系0番台の運用と記憶しております。
大船から転属してきた、スカ色の113系も0番台も含まれ、1000番台共にバラエティーに富んでましたね。
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返信先: さん, さん
チョッパは営団の分際で、6000系が誕生したことに味をしめて天下の国鉄103系1000番台にいちゃもんをつけましたが、1981年から21世紀への電車と鳴り物入りの「不細工」極わりない「黒い軍団」に中央線は統一されおかしくもなんとなくなってしまいましたのが残念でなりません。
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返信先: さん
改装前の阪和天王寺ホームと鉄道ファン75ー11月号「くろしおへの道」は、小生が阪和線への出会いがあった思い出の1冊です。大変バラエティーにと富んだ車種に魅了されました。特に、103系と113系です。
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返信先: さん
片福ドッキングだけなく、本線緩行の運転形態が大幅に変わりましたね。また、高運のクハ103とクハ103ー530 サハ103ー765をはじめ、カナリア時代に第1次量産冷房車のラストナンバー、クハ103ー267、268も在籍し、バラエティーに富んでおりました。
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昭和時代の東急は5200系からセミステンレスを30年台からいち早く採用した他、大手私鉄においてそれぞれ個性的で、とても楽しいかったですね。
また、記録を拝見しまして、とても懐かしいです。
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1987年浦和のサハ103ー128に東日本初の簡易分散冷房車が試作車で、1988年から電車区で冷房改造されたのが、AU712でした。若番車に同工事が施工されたのが、特徴でした。
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返信先: さん
動物園線で4年間6000系にお世話になりました。クーラーのバリエーションや分割編成、都営新宿線に乗り入れ時、6000系の冷房が入っていたこと等、思い出が尽きないです。
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