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28 「アイシャ・グレイラット」
二人を連れて家に戻ってきた。
アイシャの大きなお腹を見て、まずリーリャが卒倒した。
気絶はしなかったが、すとんと尻もちをついた後、すぐに立ち上がり台所に直行。包丁を持って出てきたので慌てて取り押さえた。
「お離しください、もう、こうするしか、お詫びする術はないのです……!」
そう叫ぶリーリャから包丁を取り上げ、アイシャの駆け落ち先で何が起きたか、何を話したかを説明し、納得していると伝えた。
すると、リーリャは疲れきった顔をしつつも、ひとまず落ち着いてくれた。
だが、すぐに寝込んでしまった。
リーリャは、こんなに弱い女性だっただろうか、と思うぐらい、青い顔をしていた。
この一年間は心労で倒れそうになっていたし、仕方ないのだろう。
俺は倒れたリーリャを看病しながら、彼女とじっくり話をした。
家族同士での結婚には、確かに思う所はあること。
でも、アルスもアイシャも、歪ではあるが真剣であるということ。
アルスはこの一年で覚悟を決めていたし、アイシャもまた、成長したということ。
俺は出来る限り、人は自由に生きるべきだと思っていること。
そんなことを、黙りこくるリーリャを前に、ぽつぽつと話した。
「私は、不義の女です。パウロ様を誘惑し、ゼニス様を怒らせ、悲しませました」
「そんな私の娘だから、あの子はアルス様に手を出してしまったのだと、そう思っております」
「この一年で、あの子を生まなければよかった、と何度も思いました」
「もちろん、アイシャに言うつもりはありません。すでにゼニス様に吐露して、叱られていますので」
リーリャの部屋には、椅子に座ったゼニスがいた。
相変わらず、どこを見ているのかわからない、ボーっとした表情。
何時言ったのかはわからない。
だが、こんな状態になっても、ゼニスは俺たちの話を聞き、行動を見ている。
生まなければよかった、なんて口に出したのなら、グーで殴られただろう。
俺だって怒る。
あの日、パウロとゼニスと俺とリーリャと、四人で話し合いをしたことの意味が、無くなってしまう。
ノルンとアイシャが生まれた日の喜びが、無くなってしまう。
「手を出しただけならまだしも、アイシャの大きくなったお腹を見て、取り返しが付かない所までしてしまったと、そう思いました」
「……結局、あの子は私の娘だったのです。守るべき主人を誘惑し、体で自分の居場所を作ろうとする、卑しい淫魔のような血が流れているのです」
「アルス様が自分を好きになるように仕向けていなくとも……アイシャがアルス様の御心に影響を与えたのは、確かです」
俺はそれに、違うと答えた。
卑しくなどない。
主従関係だったのは、たまたまだ。
偶然、俺たちがそういう関係だっただけなんだ。
誰かを好きになれば、振り向いてもらえるように努力をする。
そうすれば、相手側だって、何かしらの影響は受ける。
当たり前のことだ。
アイシャとアルスは、身近すぎて、ただ歳が離れすぎていただけ。
アルスは、確かに幼かったかもしれないが、アイシャだって、年齢を重ねていただけで幼かったのだ。
そう説得した。
「ルーデウス様、私は一体、どうすれば良いのでしょうか」
その問いに、俺は自分は納得したと答えた。
だから、アイシャとアルス、それにリーリャの三人で、落ち着いて話をしてみるべきだと言った。
そうすれば、わかるはずだ。
幼いとはいえ、アルスもちゃんと意志を持って行動していたのだということが。
アイシャが、アイシャなりにアルスを好きで愛しているということが。
アルスはアイシャを好きになるように誘導されたかもしれないが、決して騙されたわけではないのだということが。
「わかりました」
では、今すぐ二人を連れてくるか。
それとも、もう少し時間を置くか。
「今で、構いません」
俺はその言葉にうなずき、部屋を出た。
リビングへと戻り、他の子供たちにあれこれと質問をされつつ、神妙にしているアイシャとアルスを呼んだ。
「はい」
「なんでしょうか」
俺はリーリャの状態を話し、彼女の思いを伝えた。
アイシャがこんな風になったのは、自分のせいだと思っていること。
アルスはきっと、アイシャに騙されているのだと思っていること。
こういう結果になり、とても落ち込んでいるということ。
最後に、二人でリーリャさんと話をしてきなさいというと、二人はうなずき、立ち上がった。
リビングを出て行く二人。
それを、俺はふと呼び止めた。
「はい、なんでしょう」
言っておくべきことがあった。
まずアルスに三点。
今から会うリーリャは祖母ではなく、自分の大切な人の母だと思うこと。
自分はその大切な人をあらゆることから守りきれず、このような窮地に立たせてしまっているということ。
そして、自分は母親から、大事な娘をもらうのだということ。
さらに三点。
今、アルスに必要なのは知ることだ。
自分がどれだけ、周囲に心配をかけていたのか。
自分の行動の、どこが間違っていたのか。
また、アイシャの行動はどこが間違っていたのか。
アイシャの弱い部分はどこだったのか。
そして考えるべきなのだ。
今回、アイシャを守るためにどうするべきだったか。
今後、何を学ばなければならないのか。
そのためには、まずはリーリャの気持ちを知らねばならない。
アイシャを誰よりも心配し、見守ってきたあの母親の本音を。
その上で否定し、納得させなければなるまい。
アイシャと一緒になりたいのなら、まず彼女を。
「はい! わかりました!」
アルスはエリスそっくりの表情で頷いた。
アイシャには、今回俺と話した内容や、駆け落ちに至った気持ちの経緯を正直に話すように伝えた。
いつものように、こうすれば黙るだろうとか、嘘でもこう言っておけば納得するだろうとか、この場は乗りきれるだろうとは思わずに。
リーリャが怒ったり、激高するだろうけど、それも受け止めて話をしなさい、と。
腹を割って話すとはそういうことだと。
「わかりました」
アイシャはアルスと同じように、真面目な顔で頷いた。
俺は頑張れよとつぶやき、二人の背中を見送った。
その後、アイシャとアルス、リーリャの三人がどんな話をしたのか、俺は知らない。
話し合いは長く、五時間か、六時間か、あるいはもっと掛かった。
途中で何度もリーリャの叫び声が聞こえてきた。
一度だけ、アイシャの叫びも聞こえた。
だが、叫び声は時間が経過するにつれて少なくなり、やがて途絶えた。
そして、話が終わった。
降りてきた時、リーリャはぐったりと疲れ果てていたが、思った以上にスッキリとした顔をしていた。
わだかまりが完全に無くなったわけではないだろうが、きっと彼女の中にも納得が生まれたのだと思う。
---
その後、アイシャとアルスは家族に謝罪をした。
心配を掛けてごめんなさい。
迷惑を掛けてごめんなさい。
裏切ってしまってごめんなさい。
そう言って頭を下げた。
ひとまず、その件について、我が家族から糾弾する者はいなかった。
ルーシーがアルスを睨みつけ、ノルンがアイシャを叱ったが、そのぐらいだ。
むしろ、ほっとした空気が流れていたように思う。
それから、アイシャとアルスの処遇について話をした。
これは少々複雑なことになった。
まず、アイシャは勘当という事になった。
グレイラット家の名簿から抹消する。
これは、アイシャ自身の提案だった。
裏切り者に制裁を与える。
これは、どこの世界においても必要なことだ。
本来なら不貞を働いた輩は性器を焼き潰して放逐すべきだ、なんてアイシャは言ったが、俺は全力で拒否した。
アイシャは子供を産んだ後、グレイラットの名を捨てて、放逐される形となる。
放逐とは言うが、向かう先はアスラ王国で、王立学校に通うこととなる。
彼女も今回のことで、自分に未熟なことに気づいたのだ。
学校に通えば完璧な人間になれる……というわけではないだろうが、学び直したいことがあるようだ。
人の気持ちのわかる人間になりたいと、彼女は言った。
そして、今回の一件の罰として、生まれてくる子供を俺が預かる事となった。
アルスが一人前になり結婚するまでの数年間、アイシャは子供に会えない。
アイシャは子供を産んだ後、その顔を一目だけ見せられた後、引き離される。
それが、アイシャに下された罰だ。
アイシャは手ぬるいと言ったが、俺はこれでいいと思う。
子供に会えない辛さを、よく知っているつもりだから。
まあ、アイシャはいいとして、何の罪もない子供と母親を引き離すことには、少しブレーキが掛かる。
子供が可哀想だ。
もちろん、俺は責任を持って世話をするつもりだが……。
もしかすると、子供の心に、大きな傷を残してしまうかもしれない。
それを考えると、正直、もういいじゃん、アイシャは家にいれば、アルスとイチャイチャして暮らせよと、そう思う部分はある。
だが、やはり今回の一件で、アイシャは何らかの罰を受けなければいけないのだ。
きちんと自分が悪いことをした結果を、自分が大きな失敗をした結果を、噛みしめなければいけないのだ。
それを考えると、俺が出来ることは生まれてくる子供に実の母親以上の愛情を注ぐことだけだろう。
無論、放逐というが、俺も見捨てるつもりはない。
アルスと引き離され、一人で暮らすことでアイシャがきちんと成長できるか。
それは俺が、きちんと見守らせてもらおうと思う。
今度こそ。
アルスは我が家に戻り、復学することとなった。
アイシャと同程度の罪を背負うには、アルスは幼すぎた。
彼はまだ、肉体的にも、精神的にもアイシャを守ることは出来ないのだ。
今回の件をしっかり反省し、全力で成長しようと努めることが、彼の責務となるだろう。
そして、アルスが成人し、学校を卒業し、俺やエリスに一人前と認められたら、家を出て好きにしていい、ということとした。
好きにしていいとは、つまりアスラ王国に行ってアイシャを娶ろうが何しようが、好きにすればいい、ということだ。
アルスはアイシャと離れ離れになるのは、やはり嫌なようだった。
だが、先日のエリスとの戦いの結果と、目の下にクマの出来たアイシャを見て、神妙に頷いた。
肉体的にも精神的にも未熟だが、すでに心構えと気合はバッチリだ。
アルスは必ずや成長し、アイシャを迎えに行ってくれることだろう。
もし仮にアルスが年齢に従いアイシャへの興味を失ったとしても、俺はアイシャを孕ませた責任を、必ず取らせるつもりだ。
対外的には、アルスは婚約し、アイシャは嫁に行った、と言う事になる。
我々のことをよく知らない相手に醜聞を周知させるべきではない、でなければ他の子に迷惑が掛かるいけない……というのがアイシャの弁だ。
それから、アルスとアイシャを連れて、各所を回り、頭を下げさせた。
今回、捜索に協力してくれた人たちだ。
彼らには、今回のことをきちんと話した。
もちろん迷惑を掛けた相手だから、アイシャとアルスの処遇に関しても正直に話した。
ザノバはいつものように「ハハハハハ、見つかったようで何よりですな!」と快活に笑った。
アリエルは「アイシャを放逐するのなら私が拾ってもかまいませんね?」と怪しげな事を言った。
オルステッドはいつも通り、怖い顔で頷いた。
魔大陸方面を探していたアレクはキシリカを見つけたらしく、ドヤ顔で潜伏先を教えてくれたが、もう遅い。
ルイジェルドは今回の結末に、少し複雑そうな、しかしほっとした顔をしていた。
ペルギウスは「ハッ、結局捕まったか」と鼻で笑っていた。どうやら彼は、今回の駆け落ちについてアイシャに消極的だが協力していたようだ。あとでオルステッドにチクっておこう。
傭兵団に行くと、アイシャ側についていたと思われる者が即座に尻尾を丸めて直立不動になり、視線を中空へと浮かべた。
こいつらの中に何人か俺を裏切り、アイシャ側についた者がいるのだ。
オルステッドのために世界中に張り巡らせた、傭兵団のネットワーク。
裏切り者がこんなにたくさん出るというのであれば、潰してしまおうか。
なんて思う所だが、裏切り者が出るのは最初から承知の上だ。
ヒトガミの専売特許だし、そういう組織づくりをしている。
アイシャが団員の弱味を握っていたというのも、むしろヒトガミの助言で裏切ることを防止するための措置だ。
それをアイシャが悪用したという見方もあるが……。
まあ、今回に限り傭兵団は不問でいいだろう。リニアやプルセナのように、俺の側についてくれた奴もいることだし。今回のことを許すことで、恩を売るという結果にも繋がる。
ていうか、仮に潰すのだとしても、すでに世界中に作ってしまった組織だ。潰すことは大変だし、中には転移魔法陣や通信石版の知識も持ってしまっている団員もいる。今やデメリットの方が多いのだ。
ちなみにリニアとプルセナは最初の段階で俺側についたせいか、すごいデカイ顔で裏切り者を糾弾していた。
ほとんど何もしてないのに……。
それにしても、今回アイシャ側についた傭兵団の面々は、怯えながらも誰一人としてアイシャに言われてやったとか、脅されて仕方なかったとか、そういった言葉を吐かなかった。
アイシャは、なんだかんだ言って彼らに慕われているのだ。
今度こそ、アイシャはそういうことを、ちゃんと理解してやって欲しい。
ともあれ、誰も怒ってはいなかった。
それだけが救いだ。
そして謝罪は終わり、出産の時がきた。
---
アイシャとアルスの子供。
俺にとって初孫となる子は、男の子だった。
名前はルロイ。
ルロイ・グレイラット
アイシャに似て利発で、アルスに似ておっぱい好きで、二人に似て奔放そうな子だった。
両親の名前や祖父や祖母の頭文字を使ったりはしないのか、と聞いてみると、お兄ちゃんじゃないんだからと笑われた。
それにしても、初孫だというのに、あまり実感が沸かない。
クリスが赤ん坊同然だったのが、つい数年前のことだからだろうか。
なんだか、新しい息子が出来たような、そんな感覚だ。
もう、お祖父ちゃんだというのに……。
アイシャの子育ては、流石に堂に入ったものだった。
初めての子供とは思えない。
だが、考えるまでもなく、ルーシーからクリスに至るまで、みんなアイシャが世話をしたのだ。
アイシャ一人で世話をしたわけではないが、アイシャは一通り、なんでもした。
なら、実際に母親になっても、なんでも出来るのだろう。
そして、うちの女連中は、皆子育てを手伝ってくれる。
あんなことがあったというのに、みんなルロイを受け入れ、かわいがってくれている。
それが少し嬉しかった。
特にリーリャは、ルロイが生まれると豹変した。
アイシャとアルスの結婚をあれだけ嫌がっていたとは思えないぐらい、ルロイをかわいがっている。
でも、わからないでもない。
俺とリーリャの血が繋がっていないことを考えれば、彼女にとっては初孫なのだ。
アルスが俺の息子、という一点についてのわだかまりがなくなれば、可愛がることに抵抗はないだろう。
リーリャなら大丈夫だろうが、甘やかしすぎないか心配になる。
アルスは真面目くさった顔で、赤ん坊のおしめを取り替える練習をしている。
アルスは現在、アイシャやリーリャから積極的に子育てを学んでいた。
赤ん坊は俺が預かるが、面倒の大半はアルスが見ることとなる。
もちろん、サポートはする。
でもアルスはこれから親の役目を学ばなければならない。
12歳という若さで親となったが、その責任は取らなければならない。
アルスはそれを自覚し、全力で物事に取り組んでいる。
もちろん学校には行っているし、エリスとの修行も激しさを増している。その他にも色々と頑張っているようだ。
いずれアイシャを迎えるために。
「……」
それにしても、こうして子供たちも一人、また一人と結婚し、孫が増えていくのだろうか。
アルスは随分と早かったが、ルーシーはもうお年ごろだ。
成人前はクライブと付き合っていたようだが、今はクライブがミリスに移り住んだ事で、疎遠になった。
お引越しの前に将来の約束とかしていたかもしれないが、現実は非情だ。
アスラの王立学校で新しい恋を見つけたルーシーが、別の恋人を作ってもおかしくはない。
ララはまったくそんな気配は無いが……でも、ああいう子がいきなり誰かを連れてくる、なんてのもありうる話だ。
彼女は相変わらずレオにべったりだし、まずレオのメガネに叶う人物が見つかるところからかもしれないが……。
ジーク以下の子供たちは、さすがにまだ早いだろう。
と、思っているが、同じく早いだろうと思っていたアルスが子供まで作ってしまったのだから、どうなるかわからない。
そしてそれは、今回のように複雑な相手かもしれない。
実はクリスが凄まじい親父趣味で、成人と同時にでっぷりと太った34歳の無職ニートを連れてくるとか……。
その時も反射的にダメだと言ってしまいそうだが、ちゃんと話しあおう。
無職でニートなら、もしかすると俺と話が合うかもしれない。
いや、合うだけじゃ流石にアレなので、もうちょっとちゃんとした所を見せては欲しいが。
「あらら、おっぱいですか~、ルロイ君は甘えん坊でちゅね~」
「アイシャ、あまり甘やかしてはいけませんよ」
「はい。お母さん」
ルロイが幸せそうな顔でアイシャの胸に顔を埋めている。
リーリャは隣に座り、優しい笑みを浮かべている。
アルスは「しょうがないなぁ」って顔してる。
そんな顔しているがなアルス、そのおっぱい好き、幼い頃のお前そっくりだぞ。
……あれ?
となると、もしかしてルロイも10歳ぐらいでリリとかクリスに手を出される、とかあったりするのか……?
俺は四十代でひいおじいちゃん?
いやいや、そんなまさか。
我が家で今回みたいなことは繰り返させません。
「……」
ま、どんな形かはわからないが、来るべき時は、予測しない形で来るのだろう。
その時は、今回のように取り乱さず、冷静に対応していきたい。
ほんの一時だけの、幸せそうな三人を見て、そう思った。
---
そして、別れの時がやってきた。
アイシャはいつものメイド服とは全然違う旅装をして、カバンを持って玄関に立った。
カバンの中には、僅かな衣類や彼女の部屋にあったものが入っている。
だが、その中にメイド服は入っていない。
彼女が長年着続けたメイド服は、地下の倉庫にしまわれた。
「じゃあね、ルロイ君……」
アイシャはルロイを抱きしめた。
ほんの数日の間、かわいがっていた子供。
子供と別れるのが罰なんて手ぬるい、なんて言っていたアイシャだったが、ルロイを抱きしめると、ボロボロと涙をこぼした。
アルスも泣き、リーリャも泣いた。
それを見ているだけで、ルロイは決して望まれずに生まれてきた子供ではないのだと知れて、俺も泣いた。
「じゃあ、お母さん、お兄ちゃん、ルロイ君をお願いします」
アイシャはリーリャにルロイを渡した。
ルロイはきょとんとした顔で、アイシャを見ていた。
だが、何かを察したのか、すぐに泣き出した。
母親と別れることを、本能的に察知しているのだろうか。
アイシャは泣き出したルロイの頭をなで、顔のそっとキスをした。
「アルス君。頑張ろうね」
「うん」
アルスは頷いた。
彼はまだ小さい。
背丈だってアイシャと同じぐらいだ。
でも、アイシャと再会する頃には、きっとアイシャよりずっと大きくなっているだろう。
「じゃあ、皆様……行ってきます」
アイシャは最後に、見送っている人たちに、行ってきますといった。
さようならでも、ごめんなさいでもなく、行ってきますだ。
俺はその言い方が嬉しかった。
アイシャは門からまで歩き、もう一度振り返った。
俺の三人の妻を見て、子供たちを見て。
ぺこりと頭を下げた。
そして門柱に絡みつくビートを一撫ですると、門の外へと出て行った。
「……なあ、シルフィ、ロキシー、エリス」
家へと戻る途中で、俺は三人の妻に呼びかけた。
三人はそれぞれの足を止めて、俺を見た。
怪訝そうな顔だ。
「話があるんだ。寝室に来てもらってもいいかな?」
「……大事な話?」
「ああ、大事な話」
必要ないと思っていた。
今も思っている。
けど、俺は言おうと思った。
アイシャが行ったことで、話さなければいけないと思った。
前世の記憶があること。
前世でどんな人間だったかということを。
今後、子供たちと色んなことを話したり、聞いたり、遊んだりする。
その時、俺はきっと今回のようなことを、繰り返してしまうだろう。
どれだけ気をつけても、頭でわかっていても、体が言うことを聞かない時はある。
なにせ、前世の記憶で、憶えていないけど引っかかっているだろうことは、きっとまだまだあるだろうから。
そのことを、妻たちに知っておいてもらいたかった。
そして、俺がまた何かよくわからないことで引っかかった時に、助けてもらいたかった。
「とても大事な、ね」
きっと幻滅されることはない。
そんな確信を持ちながら、俺は寝室へと向かった。
---
それから四年後。
アルスはエリスから光の太刀を伝授された。
剣神流聖級。
水魔術に火魔術が、それぞれ上級。
治癒魔術は少し苦手だったが、それでも中級を無詠唱で。
留年したため主席とは行かなかったが、極めて高い成績で魔法大学を卒業した。
卒業式の日、アルスが完璧に大人になったか、アイシャを精神的にも肉体的にも守れる力を手に入れたか。
それを聞くと、彼はわからないと答えた。
あの日のことは反省しているし、あの日のままではダメなのはわかっている。でもアイシャの事はあの日と変わらず好きだから、精一杯やると言った。
俺はその答えに満足し、期待している、と言った。
するとアルスは驚いた顔をして俺の顔をまじまじと見つめた。
そして、元気よく「ハイ!」と頷いた。
その後、アスラ王国へと赴き、アスラ王立学校を卒業してアリエルの下で働いていたアイシャを迎えにいった。
この四年間でアイシャは少し変わった。
努めて、人の気持ちを理解しようとするようになった。
人の弱みに付け込まなくなり、ワガママをほとんど言わなくなり、行動からも打算的な部分が消え、物事一つ一つに時間を掛け、最適ではなく最善を求めるようになった。
あるいはそれは、以前あったアイシャの強みが無くなったといえるかもしれない。
きっと今のアイシャでは、自分の都合のために周囲を利用したり、弱味を握ったりといった、最適解のための強引な手管を使わないだろうから。
しかし、俺はそれを「成長した」と思う。
現在、二人は魔法都市シャリーアに家を購入し、住んでいる。
アルスと、アイシャと、ルロイの三人で。
もちろん、うちとは家族ぐるみの付き合いだ。
彼ら三人は俺の家によく遊びに来るし、俺たちは彼らを歓迎する。
アイシャは以前のように、家事を手伝ったり、庭の手入れをしたりしてくれる。
でも、もうメイド服は着ない。
彼女はメイド服を、もう着なくなったのだ。
+注意+
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最終掲載日:2016/02/18 22:51
盾の勇者の成り上がり
盾の勇者として異世界に召還された岩谷尚文。冒険三日目にして仲間に裏切られ、信頼と金銭を一度に失ってしまう。他者を信じられなくなった尚文が取った行動は……。サブタ//
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最終掲載日:2015/05/28 11:00
理想のヒモ生活
月平均残業時間150時間オーバーの半ブラック企業に勤める山井善治郎は、気がつくと異世界に召喚されていた。善治郎を召喚したのは、善治郎の好みストライクど真ん中な、//
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最終掲載日:2015/11/03 23:30
無職転生 - 異世界行ったら本気だす -
34歳職歴無し住所不定無職童貞のニートは、ある日家を追い出され、人生を後悔している間にトラックに轢かれて死んでしまう。目覚めた時、彼は赤ん坊になっていた。どうや//
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最終掲載日:2015/04/03 23:00
オーバーロード:後編
最強領域の魔法『超位魔法』を発動し、たった一撃で10万以上という敵対する国の兵士を主人公は殺戮する。これにより周辺国家にその圧倒的強者としての存在を大々的にア//
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最終掲載日:2014/12/24 21:56