朝ドラ「エール」凄惨な戦地の描写に透ける覚悟、天才作曲家・古関裕而を描く為に逃げられない

10/11 11:11 配信

東洋経済オンライン

“朝ドラ”こと連続テレビ小説「エール」(NHK総合 毎週月~金 朝8時~)はコロナ禍による2カ月半もの放送休止を経て再開し、現在、クライマックスに向かって邁進中だ。
昭和の天才作曲家・古関裕而をモデルにした主人公・古山裕一(窪田正孝)が戦争を乗り越えて、平和への祈りをこめた名曲「長崎の鐘」や、世界にとどろく平和の祭典のテーマ曲「オリンピック・マーチ」を作るまでになるドラマで、10月は、裕一の大きなターニングポイントとなる戦争編が放送されている。

10月12日(月)からの18週「戦場の歌」では、裕一が太平洋戦争史上、「最も無謀」と言われたインパール作戦の行われるビルマ(現ミャンマー)に慰問に向かう。そこでは、かつて裕一を音楽の道に導いた恩師・藤堂(森山直太朗)が部隊を率いていた。
ビルマのジャングルとそのなかにある部隊を再現し、激しい爆発シーンなども交え、裕一が目の当たりにする凄惨な戦場が描かれる。
戦争をそこまで描いた朝ドラはない。今回、あえて戦地を描いた理由を、制作統括の土屋勝裕チーフプロデューサーと、吉田照幸チーフディレクターに聞いた。

■「裕一の戦後の生き方が決まる大事な週」

 「これまでの朝ドラでは描かれなかった、朝から気が重くなるような戦場のシーンがたくさん出てきますが、こういう経験を経たからこそ、裕一の戦後の生き方が決まる大事な週だと思っています。週の最後に戦後パートの重要な人物であります池田(菊田一夫をモデルにした劇作家)が登場するということで、戦後の部分にも期待していただける回になったと思っています」。土屋さんはこう語る。

 朝ドラは女性主人公が多い。そのため戦場が直接描かれることは少ない。女性は戦場で戦う男たちを見送り、空襲や疎開や国防婦人会の活動などを体験しながらその帰りを待つ。

 戦場体験が描かれたのは男性主人公の「ゲゲゲの女房」(2010年)。主人公(向井理)の回想という形で戦地の苦労が描かれたのと、「ひよっこ」(2017年)で主人公(有村架純)の叔父(峯田和伸)がインパール作戦に参加したことが長台詞で語られた。

 「エール」では回想ではなく、主人公が今、体験していることとして描いており、その衝撃は大きい。

 この週の脚本と演出を手掛けたのは吉田照幸。「エール」のチーフ演出家である。

 「戦場をどこまで描くか。古山裕一の生き方において逃げられないからやる」と吉田さんは意気込みを語った。

 「朝ドラでは普段は省略してしまう戦争の描写は、裕一を描くうえで、避けられないと思い、若干の覚悟をもって撮りました。ここまでの戦争描写は夜のドラマであれば問題はないですが、朝の食卓に届けることへの若干の迷いというか躊躇があるのは確かです。

 ただ、戦争描写――裕一の自我の喪失――信じていたもののすべてが崩壊していく描写はこのドラマに重要と考えました。コロナ禍前に台本を書き終えていましたが、コロナ禍で撮影が2カ月半、休止となり、その間に書き直し、それは当初考えていた描写よりもいっそう鮮烈になっています」

 裕一は日本とは環境のまるで違う熱帯のジャングルのなかで、恩師・藤堂や、若い兵士・岸本(萩原利久)、戦場を取材に来ている画家・中井(小松和重)の心に触れ、彼らの生き方を胸に刻んで、日本に戻ることになる。

 あまりにもむごい体験によって、裕一はどんなときでも大事にしてきた音楽への気持ちに変化を来す。

■リハーサルなしの一発本番で撮ったシーン

 コロナ禍におけるソーシャルディスタンスを意識した撮影方法を行うための場面変更もあった。撮影再開直後に撮った戦場のシーンは、リハーサルなしの一発本番。裕一を演じた窪田正孝もアドレナリンが出たと言うほどの緊張感にあふれたものになった。そういった集中力を要するアクションシーンのほかに、価値観の喪失という重要な心情を演じるシーンも多く、そこは吉田と窪田が慎重に話し合いながら撮影した。

 「例えば最初に、ラングーンのホテルで、裕一と同じく慰問に来た画家の中井に痛いところをつかれる場面では、窪田さんはどう演じるか悩んでいたので、『最初から苦しまないでほしい』と僕は言い、それによって感情の飛距離が大きくなりました。

 1テイクめと2テイクめとではまったく違う芝居になっていました。また、日本に戻ってきて、音楽に対するあるセリフを言う場面(90話)。このセリフは僕も考えに考え何度も書き直したもので、窪田さんがどういうふうに言うかすごく興味深かったのですが、思いがけない言い方をされて印象的でした」

 「エール」の撮影はライブのようだと吉田さんは言う。スタッフや俳優がそれぞれアイデアを持ち寄って作り、また、撮影現場で生まれたものを活かして作っていく。戦場のシーンの一発本番は最たる例で、「ホンモノの爆発などが、俳優に作用して生まれるものがある。それは、こういう設定だからこういうふうに演じてくれと言葉で言うことを越えてしまうんです」

 時には、セリフを言う俳優を変えることもあるとか。また、裕一の喪失と絶望と並行して、裕一の妻・音(二階堂ふみ)の愛知県豊橋にある実家の戦争被害を描く場面でも、音の母・光子役の薬師丸ひろ子のあるアイデアが場面に深みを作りあげた。

 窪田の一瞬の表情、薬師丸のセリフを凌駕する表現、こういう工夫の積み重ねが、ドラマというフィクションに、きらりとホンモノの光を感じさせるのだろう。

 「エール」は実在する作曲家・古関裕而をモデルにして、彼の作った楽曲はそのまま使用しながら、登場人物とその物語は創作になっている。正確にいえば史実と創作を混ぜて作っている。古関裕而は実際にビルマに慰問に行っているが、そこでの出来事はドラマ上では創作である。前の週・17週で、裕一に召集令状が来て、それを映画の主題歌を依頼した人物のツテでなかったことにするエピソードがあるが、古関裕而の場合、召集令状が来たのは、ビルマ慰問のずっとあと。終戦に近い時期だ。

 ビルマで裕一が目の当たりにする衝撃的な出来事もドラマの創作である。その中で極めて重要な役割を担う藤堂先生はオリジナル色の強い人物で、音楽や教師の仕事を大事にしながら、妻子を守るために自ら戦場に赴くという波乱万丈の人生を送る。

■「こうやらなきゃいけないと思いました」

 史実があるものの中で、創作部分をどう描くか。とりわけ、戦争問題や人間の生死を描く責任は重いのではないだろうか。それについてどう考えるか、吉田さんに聞いてみた。

 「古関さんが慰問されて現状を見ている事実を引きずっていくからこそ『長崎の鐘』や『オリンピック・マーチ』が生まれるわけですから、慰問先で見たであろうものを想像して描きました。それが真実かそうでないかと問われれば、正確にいえば、真実は果たしてなんなのかという話になって、『真実はない』と定義づけてしまうと、いまの質問は答えようがなくなってしまいますが、僕の中で彼の本やインタビューを読んだときに、明らかに、『長崎の鐘』などには平和への祈りが込められていると思いました。

 なぜ彼がその曲を大事にしたかというとやっぱりそれは戦争の経験があったからだと。戦争の経験が楽しい経験であるわけはなく、無常さを感じたのではないかと思います。これが古関裕而さんの真実かどうかはわからないですが、僕はそう思った。ですからこうやらなきゃいけないと思いました」

 「逃げられないからやる」と言っただけはある覚悟が感じられた。

 「朝から気が重くなるような戦場のシーンがたくさん出てきます」(土屋)、「ここまでの戦争描写を、朝の食卓に届けることへの若干迷いというか躊躇があるのは確かです」(吉田)と番組宣伝の取材らしくない言葉が続くとはいえ、18週の終わりでは、裕一が平和への祈りの曲を作ることになる戦後編の幕が開け、裕一と戦後ともに多くのドラマや演劇を作っていく劇作家・池田が登場する。彼が自作を巡ってNHKとやりとりする場面は何かがはじまりそうなワクワク感がある。

 吉田さんはその場面をこう説明する。

 「終戦当時のマスコミの状況がドラマで描かれることは少ないと思います。GHQの下に文化を統率したCIE(民間情報教育局)という組織があり、戦後日本の思想教育を担っていました。当時、NHKも中間管理職みたいな状態にあり、なにが国民にとって重要かよくわからないまま活動している状況です。価値観が非常に混沌としている中で、気概をもって、これが描きたいのだとまっすぐ突き進んでいく池田の力強さを際立たせるためにCIEという存在を描くことが必要だと思いました」

 ドラマの中のセリフと重ねて「自分の心に嘘をつかずにドラマを作っている」と言う吉田さん。朝ドラでは「あまちゃん」、そのほか、実話を基にした「洞窟おじさん」をはじめ、映画「探偵はBARにいる」シリーズなどの監督もつとめている才人だ。

■笑いを見つけたら、そこに潜む真実を探せ

 ドラマの演出をする前に、映画化もされるほど盛り上がったコント番組「サラリーマンNEO」を手掛け、その当時、読んだ演出論『演出についての覚え書き 舞台に生命を吹き込むために』(フィルムアート社)に、「他人の不幸なきところに笑いは起きず」「笑いを見つけたら、そこに潜む真実を探せ」と書かれているのを読み「それを信じてやってきました」と言う。

 コント番組の前は歌番組「NHKのど自慢」も担当していたことから、ドラマの中に笑いや歌を挟み込むセンスに長け、名作と名高い「あまちゃん」を、歌や笑いの入ったドラマの最高峰と言っていいものにした功労者のひとりでもある。

 歌や笑いのエンタメが得意かと思えば、長谷川博己が主演した横溝正史の「獄門島」では、金田一耕助に戦争のトラウマがある演出を施し、まるで映画『タクシードライバー』のような趣を作り出した。

 悲劇も喜劇も自在に描く吉田さん。「エール」ではハードな戦地を描きながら、ユーモアも決して忘れない。

 多くの面白いドラマを作ってきた吉田さんのドラマのそこここに真実がそっと忍ばせてあるのだと思う。だからドラマで描かれたNHKとCIEの関係もアイロニーかと思ったら、「現代のなにかのメタファーということはまったくありません」とあっさり否定した。なあんだ、そこは考えすぎだったようだ。

 「エール」に描かれた真実とフィクションという嘘の交響詩がどんなフィナーレを迎えるか、一場面一場面、見逃さないようにしたい。

東洋経済オンライン

関連ニュース

最終更新:10/11(日) 11:11

東洋経済オンライン

投資信託ランキング

Yahoo!ファイナンス 投資信託特集

最近見た銘柄

最近見た銘柄はありません