“朝ドラ”こと連続テレビ小説「エール」(NHK総合 毎週月〜金 朝8時〜)はコロナ禍による2カ月半もの放送休止を経て再開し、現在、クライマックスに向かって邁進中だ。
昭和の天才作曲家・古関裕而をモデルにした主人公・古山裕一(窪田正孝)が戦争を乗り越えて、平和への祈りをこめた名曲「長崎の鐘」や、世界にとどろく平和の祭典のテーマ曲「オリンピック・マーチ」を作るまでになるドラマで、10月は、裕一の大きなターニングポイントとなる戦争編が放送されている。
10月12日(月)からの18週「戦場の歌」では、裕一が太平洋戦争史上、「最も無謀」と言われたインパール作戦の行われるビルマ(現ミャンマー)に慰問に向かう。そこでは、かつて裕一を音楽の道に導いた恩師・藤堂(森山直太朗)が部隊を率いていた。
ビルマのジャングルとそのなかにある部隊を再現し、激しい爆発シーンなども交え、裕一が目の当たりにする凄惨な戦場が描かれる。
戦争をそこまで描いた朝ドラはない。今回、あえて戦地を描いた理由を、制作統括の土屋勝裕チーフプロデューサーと、吉田照幸チーフディレクターに聞いた。
「裕一の戦後の生き方が決まる大事な週」
「これまでの朝ドラでは描かれなかった、朝から気が重くなるような戦場のシーンがたくさん出てきますが、こういう経験を経たからこそ、裕一の戦後の生き方が決まる大事な週だと思っています。週の最後に戦後パートの重要な人物であります池田(菊田一夫をモデルにした劇作家)が登場するということで、戦後の部分にも期待していただける回になったと思っています」。土屋さんはこう語る。
朝ドラは女性主人公が多い。そのため戦場が直接描かれることは少ない。女性は戦場で戦う男たちを見送り、空襲や疎開や国防婦人会の活動などを体験しながらその帰りを待つ。
戦場体験が描かれたのは男性主人公の「ゲゲゲの女房」(2010年)。主人公(向井理)の回想という形で戦地の苦労が描かれたのと、「ひよっこ」(2017年)で主人公(有村架純)の叔父(峯田和伸)がインパール作戦に参加したことが長台詞で語られた。
「エール」では回想ではなく、主人公が今、体験していることとして描いており、その衝撃は大きい。
この週の脚本と演出を手掛けたのは吉田照幸。「エール」のチーフ演出家である。
「戦場をどこまで描くか。古山裕一の生き方において逃げられないからやる」と吉田さんは意気込みを語った。
「朝ドラでは普段は省略してしまう戦争の描写は、裕一を描くうえで、避けられないと思い、若干の覚悟をもって撮りました。ここまでの戦争描写は夜のドラマであれば問題はないですが、朝の食卓に届けることへの若干の迷いというか躊躇があるのは確かです。
ただ、戦争描写――裕一の自我の喪失――信じていたもののすべてが崩壊していく描写はこのドラマに重要と考えました。コロナ禍前に台本を書き終えていましたが、コロナ禍で撮影が2カ月半、休止となり、その間に書き直し、それは当初考えていた描写よりもいっそう鮮烈になっています」
裕一は日本とは環境のまるで違う熱帯のジャングルのなかで、恩師・藤堂や、若い兵士・岸本(萩原利久)、戦場を取材に来ている画家・中井(小松和重)の心に触れ、彼らの生き方を胸に刻んで、日本に戻ることになる。
あまりにもむごい体験によって、裕一はどんなときでも大事にしてきた音楽への気持ちに変化を来す。
リハーサルなしの一発本番で撮ったシーン
コロナ禍におけるソーシャルディスタンスを意識した撮影方法を行うための場面変更もあった。撮影再開直後に撮った戦場のシーンは、リハーサルなしの一発本番。裕一を演じた窪田正孝もアドレナリンが出たと言うほどの緊張感にあふれたものになった。そういった集中力を要するアクションシーンのほかに、価値観の喪失という重要な心情を演じるシーンも多く、そこは吉田と窪田が慎重に話し合いながら撮影した。
「例えば最初に、ラングーンのホテルで、裕一と同じく慰問に来た画家の中井に痛いところをつかれる場面では、窪田さんはどう演じるか悩んでいたので、『最初から苦しまないでほしい』と僕は言い、それによって感情の飛距離が大きくなりました。
1テイクめと2テイクめとではまったく違う芝居になっていました。また、日本に戻ってきて、音楽に対するあるセリフを言う場面(90話)。このセリフは僕も考えに考え何度も書き直したもので、窪田さんがどういうふうに言うかすごく興味深かったのですが、思いがけない言い方をされて印象的でした」
「エール」の撮影はライブのようだと吉田さんは言う。スタッフや俳優がそれぞれアイデアを持ち寄って作り、また、撮影現場で生まれたものを活かして作っていく。戦場のシーンの一発本番は最たる例で、「ホンモノの爆発などが、俳優に作用して生まれるものがある。それは、こういう設定だからこういうふうに演じてくれと言葉で言うことを越えてしまうんです」
時には、セリフを言う俳優を変えることもあるとか。また、裕一の喪失と絶望と並行して、裕一の妻・音(二階堂ふみ)の愛知県豊橋にある実家の戦争被害を描く場面でも、音の母・光子役の薬師丸ひろ子のあるアイデアが場面に深みを作りあげた。
窪田の一瞬の表情、薬師丸のセリフを凌駕する表現、こういう工夫の積み重ねが、ドラマというフィクションに、きらりとホンモノの光を感じさせるのだろう。
「エール」は実在する作曲家・古関裕而をモデルにして、彼の作った楽曲はそのまま使用しながら、登場人物とその物語は創作になっている。正確にいえば史実と創作を混ぜて作っている。古関裕而は実際にビルマに慰問に行っているが、そこでの出来事はドラマ上では創作である。前の週・17週で、裕一に召集令状が来て、それを映画の主題歌を依頼した人物のツテでなかったことにするエピソードがあるが、古関裕而の場合、召集令状が来たのは、ビルマ慰問のずっとあと。終戦に近い時期だ。
ビルマで裕一が目の当たりにする衝撃的な出来事もドラマの創作である。その中で極めて重要な役割を担う藤堂先生はオリジナル色の強い人物で、音楽や教師の仕事を大事にしながら、妻子を守るために自ら戦場に赴くという波乱万丈の人生を送る。
「こうやらなきゃいけないと思いました」
史実があるものの中で、創作部分をどう描くか。とりわけ、戦争問題や人間の生死を描く責任は重いのではないだろうか。それについてどう考えるか、吉田さんに聞いてみた。
「古関さんが慰問されて現状を見ている事実を引きずっていくからこそ『長崎の鐘』や『オリンピック・マーチ』が生まれるわけですから、慰問先で見たであろうものを想像して描きました。それが真実かそうでないかと問われれば、正確にいえば、真実は果たしてなんなのかという話になって、『真実はない』と定義づけてしまうと、いまの質問は答えようがなくなってしまいますが、僕の中で彼の本やインタビューを読んだときに、明らかに、『長崎の鐘』などには平和への祈りが込められていると思いました。
なぜ彼がその曲を大事にしたかというとやっぱりそれは戦争の経験があったからだと。戦争の経験が楽しい経験であるわけはなく、無常さを感じたのではないかと思います。これが古関裕而さんの真実かどうかはわからないですが、僕はそう思った。ですからこうやらなきゃいけないと思いました」
「逃げられないからやる」と言っただけはある覚悟が感じられた。
「朝から気が重くなるような戦場のシーンがたくさん出てきます」(土屋)、「ここまでの戦争描写を、朝の食卓に届けることへの若干迷いというか躊躇があるのは確かです」(吉田)と番組宣伝の取材らしくない言葉が続くとはいえ、18週の終わりでは、裕一が平和への祈りの曲を作ることになる戦後編の幕が開け、裕一と戦後ともに多くのドラマや演劇を作っていく劇作家・池田が登場する。彼が自作を巡ってNHKとやりとりする場面は何かがはじまりそうなワクワク感がある。
吉田さんはその場面をこう説明する。
「終戦当時のマスコミの状況がドラマで描かれることは少ないと思います。GHQの下に文化を統率したCIE(民間情報教育局)という組織があり、戦後日本の思想教育を担っていました。当時、NHKも中間管理職みたいな状態にあり、なにが国民にとって重要かよくわからないまま活動している状況です。価値観が非常に混沌としている中で、気概をもって、これが描きたいのだとまっすぐ突き進んでいく池田の力強さを際立たせるためにCIEという存在を描くことが必要だと思いました」
ドラマの中のセリフと重ねて「自分の心に嘘をつかずにドラマを作っている」と言う吉田さん。朝ドラでは「あまちゃん」、そのほか、実話を基にした「洞窟おじさん」をはじめ、映画「探偵はBARにいる」シリーズなどの監督もつとめている才人だ。
笑いを見つけたら、そこに潜む真実を探せ
ドラマの演出をする前に、映画化もされるほど盛り上がったコント番組「サラリーマンNEO」を手掛け、その当時、読んだ演出論『演出についての覚え書き 舞台に生命を吹き込むために』(フィルムアート社)に、「他人の不幸なきところに笑いは起きず」「笑いを見つけたら、そこに潜む真実を探せ」と書かれているのを読み「それを信じてやってきました」と言う。
コント番組の前は歌番組「NHKのど自慢」も担当していたことから、ドラマの中に笑いや歌を挟み込むセンスに長け、名作と名高い「あまちゃん」を、歌や笑いの入ったドラマの最高峰と言っていいものにした功労者のひとりでもある。
歌や笑いのエンタメが得意かと思えば、長谷川博己が主演した横溝正史の「獄門島」では、金田一耕助に戦争のトラウマがある演出を施し、まるで映画『タクシードライバー』のような趣を作り出した。
悲劇も喜劇も自在に描く吉田さん。「エール」ではハードな戦地を描きながら、ユーモアも決して忘れない。
多くの面白いドラマを作ってきた吉田さんのドラマのそこここに真実がそっと忍ばせてあるのだと思う。だからドラマで描かれたNHKとCIEの関係もアイロニーかと思ったら、「現代のなにかのメタファーということはまったくありません」とあっさり否定した。なあんだ、そこは考えすぎだったようだ。
「エール」に描かれた真実とフィクションという嘘の交響詩がどんなフィナーレを迎えるか、一場面一場面、見逃さないようにしたい。
(木俣 冬 : コラムニスト)
外部リンク
丹精込めて育てた農作物の強奪、荒れ果てた田畑――日本では年々、イノシシやシカなどの野生動物による「獣害」が加速しつつある。獣害リスクの現状を森林ジャーナリストの田中淳夫氏が解説。新書『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』より一部抜粋・再構成してお届けする。
筆者は森林ジャーナリストとして、日本中の山・森林をめぐっている。その道中、山間の集落を訪れると、異様な風景に圧倒されることがある。集落周辺が柵だらけなのだ。
高さ2メートルぐらいはある金網が延々と延び、田畑などが柵で囲まれているのだが、まるで監獄のように見える。棚田の場合、山裾に柵が建設されるため、まるで山を柵で取り囲んだ砦のようだ。さらに平地の農地も柵が張りめぐらされ、道路と川に沿って迷路をつくっているかのような景観になる。ときに人家までモノモノしい柵に囲まれていることもある。もはや要塞である。
さらに畑の周囲を柵で囲むだけでなく、その上、つまり畑のうねの上空までネットをかけて完全に塞いでいる場合もある。周辺の柵は主にイノシシやシカ対策だろうが、上部を塞ぐのはカラスなどの鳥に作物を荒らされないためだろう。こうなると柵というよりは、檻だ。そして、檻の中に入るのは人間だ。農作業は檻の中で行うのである。
ちなみに農地を囲む柵は、電気柵の使用が増えている。不用意に触れたら危険だ。人体に影響のない微弱な電流と聞くが、やはり感電したくない。自作の電気柵に家庭用の電源から電流を弱める安全装置なしで配線したため、知らずに小川から近づいた親子二人を感電死させてしまった痛ましい事件も起きている。こうした柵は、もちろん違法である。だが、通常の柵では防げないからやりすぎたのだろう。これが田園風景か。なぜ、こんな状態になってしまったのだろうか。
シカもイノシシも平気で柵を飛び越える
獣害対策の防護柵にも変遷がある。初期の柵は腰くらいの高さの簡易な柵だった。トタン板を並べ、針金を張っただけのものもあった。いかにも農家の自作である。これでは、イノシシは地面すれすれを掘って、くぐり抜ける穴をつくってしまう。柵を飛び越えるような害獣もいる。シカはもちろんイノシシもジャンプ力は意外とあり、容易に柵を飛び越えられる。そこでだんだん柵も高くなっていくが、体当たりで柵を破る害獣もいる。そこで電気柵を仕掛けるようになったわけだ。
しかし、万能ではない。イノシシは剛毛に覆われているから、電気柵に触れてもあまり電気を感じないらしい。唯一、鼻面は濡れているので触ると感電する。しかし鼻面に触るように電気柵を仕掛けるには工夫がいる。イノシシも、柵の弱点を探し出してしまう。また草が繁り、柵に触れると漏電しやすい。
住宅を柵で囲むのは、花壇や庭木が荒らされるからだという。シカは農作物でなくても植物性なら何でも食う。イノシシも油粕や鶏糞など有機肥料を撒いたところには、臭いに惹きつけられるのか、姿を現して掘り返す。そして植えたばかりの苗を全滅させる。またサルのように住宅の中に忍び込むケースもあるから、もはや空き巣・強盗対策と同じだ。
「鍵をかけなくても平気」と治安のよさを自慢していた田舎でも、サルの侵入を防ぐためには窓をしっかり締めて鍵をかける必要が出てきた。
近年は集落全体を防護柵で囲む対策もとられている。だが、道路や河川は封鎖できない。そこで、封鎖せずに道や河川から野生動物が入らないようにする工夫が必要となる。もっとも動物側も人の行動を観察して弱点を探している。そして侵入する可能性がある。
一方で、全然柵のない田畑も見かける。「ここにはイノシシやシカが出没しないのか」と期待したいところだが、ときとして農家の諦めの表れということもある。
よく見ると、農地は荒れてあまり世話がされていない。ほんの一部に少量の野菜がつくられているだけ。広い面積を耕しても鳥獣から守りきれないからだ。防護柵の設置や罠などの対策は体力とコストがかかる。高齢化の進んだ住人は、その余裕を失っている。
生きがいまで奪われる
こうした状況を見ていると、中山間地において獣害がもたらす最大の影響は、物理的被害以上に精神的なダメージではないかと思う。
農業は多くの場合、作付けから収穫まで数カ月〜数年の期間がかかる。その間、せっせと世話を見ることで作物にも愛情が湧く。最後の収穫が最大の喜びであり、生きがいでもある。そして動物が狙うのも最後の収穫物だ。ちゃんと実るまで待って狙うのだ。待望の作物を食われた作り手のショックは大きく、次の作付け意欲まで奪われてしまう。
いわゆる限界集落と呼ばれる地域では高齢化が進んでいるが、実は食うに困らない人も多い。年金があるからだ。子どもらは町に住み仕事に就いていて、「町で一緒に暮らそう」と誘ってくれるが、親の世代は「生まれ育った村で暮らす方が楽しい」と断る。
暮らしは自給自足に近くて、お金もあまりかからないから年金で十分。昔からの知り合いがいたら寂しくない。だから身体が動かなくなるまで集落に住もうとするのだが……そこに必要なのが生きがいだ。それが農業であったりする。食べるものをつくって金銭的に助かるだけでなく、実は生きがいとして精神的にも田舎の暮らしを支えているのだ。
それを破壊するのが獣害である。半年間、丹精こめて育てた稲や野菜類を一晩でやられてしまえば、絶望する。しかも他人のつくった米や野菜を、金銭で買わねばならない。もしかしたら意気消沈することで病気になる確率も増えるかもしれない。
加えて凶暴なイノシシやクマ、サルの出現は、身の危険を感じさせる。最近は昼間でも出没するから、田畑を訪れたときに鉢合わせする心配もあるのだ。農地だけでなく、山に山菜を採りに行くこともできない。これでは農山村の生活が成り立たなくなる。
「こんなはずではなかった」憧れの田舎暮らし
結果的に自ら集落を捨てることになる。仕事を奪われ、生きがいを失い、身に危険を感じては、いくら自らの故郷であっても住めない。
過疎化の原因は、子どもらの教育や就職先、農業の衰退、そして買い物や病院通いの交通の便……などいろいろある。どれも正解だが、実は村を離れる直接的なきっかけは、獣害が多いのではないかと私は想像している。野生動物たちの脅威は、村に住み続ける「意欲」を破壊するからだ。
最近は、田舎暮らしのために山間部の家や農地を買い取って移り住んだり、プライベートキャンプ場をつくる目的で森林を購入したりする人も増えてきた。田舎の土地や山林は非常に安くなっているから、買いやすくなったことも一因だろう。
しかし、自分の土地になったら、自ら獣害と向き合わないといけない。自然の中の暮らし、自由なキャンプ……などを期待していたはずが、野生動物の出没におびえ「こんなはずではなかった」と嘆くことにもなりかねない。のどかなはずの田舎には、「獣害」という大問題が潜んでいるのだ。
(田中 淳夫 : 森林ジャーナリスト)
外部リンク
トヨタは、2019年9月17日に「カローラ」の新型モデル(セダン/ステーションワゴン)を発売開始した。前年となる2018年6月26日の「カローラスポーツ」の発売とあわせて、ハッチバック、セダン、ステーションワゴンというバリエーションがそろったことになる。新型登場から1年の販売動向や顧客層の変化などをレポートしたい。
カローラについて考えるとき、トヨタの中のカローラの存在価値を理解する必要がある。
1966年に誕生したカローラは、50年以上の歴史を誇る。しかし、トヨタにとって50年以上の歴史を持つクルマは、カローラ以外にも数多く存在する。「クラウン」もそうであるし、「ランドクルーザー」や「ハイエース」「センチュリー」「コースター」「ハイラックス」「ダイナ」「トヨエース」といった具合だ。
しかし、そうしたお歴々の面々の中でも、カローラの重要性は群を抜いていると言える。なぜならば、カローラは、世界中をマーケットに圧倒的な台数を販売しているからだ。言ってしまえば“世界ナンバー1”のベストセラーカーなのだ。
2019年7月までに販売された累計台数は、4750万台以上。世界15の拠点で生産され、世界150カ国に向けて今も年間150万台を売っている。カローラ1車種だけで、スバルを抜き、マツダ1社の合計に匹敵するのだ。カローラこそ、トヨタを支える最も太い柱なのである。
販売会社にとっても特別な存在
国内各地には「トヨタカローラ」を名乗る販売会社が数多く存在する。そして、そのほとんどがトヨタとは別資本の独立した企業だ。日本全国の販売会社は、トヨタが勃興する前から日本各地で大きな力を持った有力者たちが興した会社だ。
そうした彼らの力があったからこそ、トヨタは今の地位を得たと言ってもいい。そんな彼らの意向を、トヨタが無視することはできないだろう。
そして、その販売会社は、まだまだカローラを売る気満々なのだ。実際に筆者は、販売会社の人たちがカローラに対して強い思いを抱いていることを実感している。2017年に、こんな出来事があった。
現行のカローラが登場する前の2017年、トヨタはカローラ生誕50周年記念イベントとして「カローラ花冠プロジェクト」を実施した。全国各地のカローラの販売店を巡るという大きなイベントで、ゴールはカローラの生産工場である宮城大衡工場であった。
取材に訪れた筆者がそこで目にしたのは、「過去50年と同様に、これからの50年間も、まだまだカローラをたくさん売っていこう」という意気軒高な販売会社の面々であった。
2017年のカローラの販売は年間8万台を切っており、販売ランキングは12位にまで落ちていた。当時のカローラのオーナーの平均年齢は70歳に近い60代。このままフェードアウトしそうなほど、カローラを取り巻く状況には勢いが感じられなかった。
このままディスコンになるのかもしれないと思っていた筆者は、カローラの存続と繁栄も未来永劫に続けていこうという販売会社の姿に、非常に驚かされたのだ。
最新カローラに求められたミッション
未来永劫にカローラを売っていきたいのであれば、新型カローラに求められるミッションは明確だ。「若いユーザーを獲得」して、そのうえで、「数多く売ること」だ。そのため、まずトヨタは2018年6月に、若者向けのハッチバックである「カローラスポーツ」を投入する。
カローラは、過去にハッチバックをはじめクーペなど、数多くのボディバリエーションをそろえていた。しかし、近年のカローラは高齢化するユーザーに向けて、ボディ形状をセダン(カローラアクシオ)とステーションワゴン(カローラフィールダー)の2つに絞り、さらにボディの拡大も抑えていた。
日本以外で販売するカローラは、世界基準に合わせて大型化していったが、日本だけに高齢ユーザーに向けた小さなカローラが作られて販売されていたのだ。
そうした中、ハッチバックの新型モデルは「カローラスポーツ」と名付けられ、20~30代をターゲットにすると宣言された。そして、その1年後となる2019年9月に、セダンとステーションワゴン(カローラツーリング)の新型モデルが登場する。それが12世代目となる現行カローラだ。
新型の特徴は、「プリウス」などと同じTNGA世代のプラットフォームを採用し、車格が高められた。ボディは拡幅され3ナンバーとなり、ディスプレイオーディオやスマートフォンとの連携機能などを採用。どう見ても、70歳に近づこうという従来の高齢オーナーではなく、若い人に向けての内容となっていたのだ。
しかし、旧来のユーザーを見捨てていないのも、さすがトヨタだ。なんと、5ナンバーの旧型モデルも併売の形で残したのだ。
旧型のまま販売される5ナンバーサイズのカローラアクシオとカローラフィールダーは、高齢ユーザーだけでなく、社用車としてのニーズにも対応するという。
つまり、現在のカローラはハッチバックの「カローラスポーツ」、新型セダンの「カローラ」、新型ステーションワゴンの「カローラツーリング」、旧型セダンの「カローラアクシオ」、旧型ステーションワゴンの「カローラフィールダー」という5車種からなる「カローラシリーズ」となった。
限りなく1位に肉薄した販売台数
では、新型カローラの実際の販売はどうなったのか。それは、乗用車ブランド通称名別順位の推移を見れば明らかだ。カローラスポーツの発売の前年となる2017年は年の前半には13位であり、通年では12位。往年を知るカローラファンであれば、残念至極のポジションだ。
ところが、カローラスポーツを投入した後となる2018年の通年は、8位にアップ。翌2019年前半は、さらに順位を上げて6位に。そして、セダンとステーションワゴンの新型を投入した後の2019年の通年は4位に。2020年に入ると、1~6月の前半戦で2位にまでポジションアップしている。
ちなみに1位は、コンパクトSUVの「ライズ」だが、1位と2位との差は、わずか1257台しかなかった。つまり1位に限りなく肉薄したのだ。新型の投入により、販売は順調に回復したと言える。
ただし、カローラの順位は、旧型モデルを含めたシリーズ全5タイプを総合した数字だ。重要なのは内訳で、これが旧型の比率が高ければ「若いユーザーを獲得できた」ことにはならない。
トヨタの広報を通じて内部資料を手に入れたところ、旧型の比率は、昨年夏から20~30%程度で推移していることがわかった。直近の2020年8月でいえば、約24%が旧型となる。
面白いのは、新型も旧型もステーションワゴンの人気が高いこと。とくに新型カローラでいえば、ステーションワゴンのカローラツーリングは、ハッチバックとセダンの合計の1.5倍以上も売れている。また、このカローラツーリングは、ステーションワゴンとミニバンからの乗り換えが多いという。
先代からの代替えが多いと考えれば、ミニバンからの乗り換えが新規のユーザーだと言える。なお、2019年の発売1カ月後の受注状況のアナウンスでは、カローラツーリングの受注の半数は、最上級グレードの「W×B(ダブルバイビー)」であったという。
販売台数のうち、旧型はわずかに2~3割という状況を鑑みれば、新型モデルは順調に新たな、より若いユーザーを獲得したのは間違いない。「新規ユーザーを獲得」して、「より多く売る」というミッションは無事にクリアしたのだ。
成功と見るのか足りないと見るのか
では、新型カローラは、完璧な成功を収めたと言えるだろうか。販売は順調とはいえ、「YES」と言うには微妙なところだ。カローラは「世界ナンバー1のベストセラーカー」なのだ。2位では足りないだろう。
実際に、7月と8月の販売では、順位を3位に落としている。ライズの上に「ヤリス」が1位に飛び出したのだ。さらにヤリスは8月末に「ヤリスクロス」という新型SUVを追加した。
人気のコンパクトSUVがヤリスシリーズに加わったことを考えれば、さらにヤリスの数字が伸び、相対的にカローラの株が下がる。
そうとなれば、カローラにも新たなテコ入れが必要になるのではないだろうか。たとえば、7月にタイで公開された新型「カローラクロス」を日本に導入する案も一例だ。そうなれば、カローラだけでなく、国内市場のカンフル剤にもなるだろう。トヨタがどんなアクションを起こすのか、次の一手が需要な一手になることは間違いない。
(鈴木 ケンイチ : モータージャーナリスト )
外部リンク
ベーシックインカムの議論が盛り上がっている。きっかけは、2001年からの小泉純一郎内閣で経済財政政策担当大臣・金融担当大臣に就任、日本の金融システム建て直しに力を振るったとされる竹中平蔵氏の最近の発言にあるようだ。まずは氏の発言を伝えるインタビュー記事を読んでみよう。
「これまでの現金給付は、消費刺激効果がなかったと言われるが間違いだ。これは景気刺激策ではなく、生活救済策だ。10万円の給付はうれしいが、1回では将来への不安も残るだろう。例えば、月に5万円を国民全員に差し上げたらどうか。その代わりマイナンバー取得を義務付け、所得が一定以上の人には後で返してもらう。これはベーシックインカム(最低所得保障)といえる。実現すれば、生活保護や年金給付が必要なくなる。年金を今まで積み立てた人はどうなるのかという問題が残るが、後で考えればいい」(週刊エコノミスト誌6月2日号『コロナ危機の経済学』より)
追記しておくと、この発言のうち「月に5万円」の部分は、9月のテレビ番組(BS-TBS)出演では「月に7万円」に増額されているようだが、さすがに元経済財政政策担当大臣の発言である。彼の一声で、これまではやや理念的に議論されてきただけの感があったベーシックインカム論、にわかにコロナ後の社会におけるセーフティネットのあり方として舞台中央に進出してきた感もある。
ちなみに「月に7万円」とはずいぶん塩辛い数字だが、日本の生活保護の平均月額支給額約15万円の半分は医療費支給という現状などから見ると、この金額辺りが「生活」というよりは「生存」のための最低ラインとは言えるかもしれない。
どうだろう、読者は竹中提案に賛成だろうか。
コロナ禍で注目されたベーシックインカム
まずは、ベーシックインカムそのものについて簡単に解説しておこう。すべての国民あるいは市民や住民に一定の金額を、他の条件とかかわりなく、つまりお金持ちにも貧乏人にも、元気に働ける人にもそうでない人にも、政府が一定の金額を一律に給付する、というものだ。
この考え方の歴史は古い。ものの本によると、発想の源は米国独立戦争当時の思想家トマス・ペインにまでさかのぼるとされている。近年は、グローバリズムがもたらした格差拡大や経済成長の陰での貧困深刻化に対する問題意識もあって注目度が高まっている。2017年には、フィンランドやカナダのオンタリオ州で、一種の「社会実験」としてではあるが、一定地域に一律の現金支給を行うなどの試みなどがあった。
それを加速させたのが今回のコロナ禍である。本年5月のスペインでは、ベーシックインカムの名の下に、200万人を超える生活困窮者を対象とする現金支給政策が開始されている。スペインの政策には受給に生活困窮などの条件が付いているので、こんなものはベーシックインカムでないという批判もあるようだ。それはさておき、たとえばドイツやスコットランドなどでも導入を求める動きが起こっている。日本の全国民一律10万円給付も、ベーシックインカムという旗印こそ掲げていないが、実質的にはスペインの例よりはベーシックインカムに近いといえる。
とはいえ、「毎月7万円をベーシックインカムとして全国民に支給」などと言われると、心配になる向きも少なくあるまい。心配の種は、こうした政策が「働かないこと」への報奨になるのではないかという点、そして「財源」をどうするのかという点、大きくはこの2点だろう。
もっとも、前者つまりベーシックインカムが働かないことへの報奨になるという点については、そうでもないはずという議論もできる。
「効率的な生活支援策」とはいえる
理屈が好きな経済学者の間でこそ通用するような話なのだが、「人頭税の効率性」とでも呼べそうな命題がある。個々の人の資産や所得の状況にかかわりなく一律同額の税金を取り立てるのが人頭税だが、そうした税金のほうが、たとえば労働することで得られる報酬の多寡に応じて課税する所得税より、労働市場での取引に対する介入の度合いが小さく、したがって市場メカニズムの効率性が最大限発揮されるなどと論ずるのである。
ところで、この議論とパラレルに考えると、ベーシックインカム推進派の主張もあながちナンセンスではなくなる面がある。なぜなら、人頭税が最も効率的な税ならば、マイナスの人頭税とも言えるベーシックインカムは最も効率的な生活支援策ということになるからだ。この辺り、その資産効果は、というようなことまで考え始めるとあまり単純でない面もありそうなのだが、その種の面倒な話はほどほどにしよう。
海外で行われた「ベーシックインカム実験」の結果などをみると、一律現金支給で人々が働かなくなるという現象は、少なくとも短期的には観察されていないようだ。だから、今のコロナ禍という現実に対してベーシックインカムに答を見いだそうとすること、それ自体はナンセンスではない。
では、竹中提案に問題はないのか。そんなことはない。その第1は、彼の提案がそもそもベーシックインカムにすらなっていないところにある。
もう一度、彼の発言を伝える記事を読んでみよう。彼は、自身の提案をベーシックインカムだと言いながら、他方で「所得が一定以上の人には後で返してもらう」と付け加えている。しかし、いったん給付しながら後で返してもらうというのでは、政府による生活資金貸付と同じことだ。単純な貸付と違うのは「所得が一定以上の人には」という条件が付いていることだが、そんな条件を付けても、彼の提案がベーシックインカムになっていないことに変わりはない。
住宅資金を借りて後で返済する住宅ローン(モーゲージ)の順番を逆にして、住宅を担保に生活資金を借りて後で住宅を売って返済するローン商品を、「リバースモーゲージ」と呼ぶ。その用語法を借りれば、竹中提案は要するに「リバース年金保険」であって、ベーシックインカムなどではないことになる。彼の提案の本質は、ベーシックインカムつまり全国民対象の無償現金給付ではなく、全国民を網に掛ける強制的国営金融プランの一種なのである。
「後で返してもらう」ことの問題点
そして、ベーシックインカムを金融プランにすり替えてしまうことは別の問題を生む。それが金融関係者ならおなじみの「モラルハザード問題」である。ベーシックインカムで給付を得た人が「所得が一定以上なら返してもらう」などと言われたらどうだろう。カネをもらうのはうれしいが、もらったカネを返すのは嫌だ、だから、後で働くのはほどほどにしておこうという気分も生じそうだ。
これがモラルハザードでなくて何だろうか。もちろん、かつての金融危機でモラルハザード問題と格闘した実績のある竹中元大臣のことだ。きっとここには深い考えがあるのだろう。できたら、それを聞かせていただきたいものである。
そして、もう1つ。ここでの竹中氏、給付の財源についてどう考えているのだろうか。そこもわからない点である。必要になる資金は軽く見過ごせるような規模ではない。日本の人口は1億2000万人超だから、生活ではなく生存ぎりぎりラインのはずの1人当たり月額7万円給付でも、総費用は何と年額100兆円を超える。これは現在の一般会計規模にも匹敵する大きさである。それを論じないままで「全国民に一律定額給付」などと言ってほしくない。
この点、竹中氏へのインタビュー記事には生活保護と年金をまとめて縮小あるいは廃止して財源とすることを考えているような節がある。だが、これまた気になる点である。生活保護をベーシックインカムに吸収するという話なら聞いたことがあるが、年金保険をベーシックインカムに吸収などというのはありえない筋と言うほかはない。
厚生年金であれ国民年金であれ、そこに積み立てられている資産は年金制度に参加していた人々が過去に積み立てた汗の結晶であり、国家が人々に贈与を行うための準備資産などではない。生活保護と年金は別のものなのだ。それを混同して「年金を今まで積み立てた人はどうなるのかという問題が残るが、後で考えればいい」などと片付けてしまっては、日本という「国のかたち」が変わってしまう。
ベーシックインカムを政策メニューに入れるのなら、私自身の前回寄稿『菅義偉は安倍晋三のような悪代官になれるのか』(9月30日付)でも書いたように、消費税と法人税あるいは個人所得税との関係整理など、税制全体の全面的な再デザインが必要になるはずなのである。
財源と税制改革の議論なしに語れない
私がベーシックインカムに関する議論を聞くときいつも思うのは、それを唱えるのなら、財源つまり税の問題とセットで議論すべきだということである。
ベーシックインカムとは直接的対価なき政府による給付であり、税とは直接的対価なき政府による賦課である。ベーシックインカムと税とは、どちらも政府と家計との間での市場外における経済価値の強制移転であり、向きが反対になっているだけのコインの表裏なのだ。
繰り返しになるが、ベーシックインカムを唱えるのなら、提唱者が財源をどう確保しようと思っているのか、年金をいじるのではなく税制全体をどう変えようと思っているのか、それを明らかにして世に問うてほしいものである。
ベーシックインカムにおけるさまざまな問題については、私も拙著『国家・企業・通貨』(2020年2月・新潮選書)で今後の国家のあり方とも絡めてやや懐疑的な見方から、他の観点も含めて議論をしているので、ご関心のある方は読んでいただきたい。
(岩村 充 : 早稲田大学大学院経営管理研究科教授)
外部リンク
親が犯罪者になった子どもの立場の人に話を聞きたい、と思ってきました。被害者やその遺族の手前、表に出てきづらい存在ですが、被害者側の苦しみとはまた別のところで、加害者家族の苦しみも、確実に存在します。
取材申し込みフォームから連絡をくれたのは、20代の田嶋架純さん(仮名)。架純さんの父親は、彼女が高校生のときに殺人と覚せい剤使用により逮捕され、いまも刑務所で服役中です。メッセージからは彼女の迷いや苦しさが、輪郭をもって伝わってきました。
待ち合わせたのは、7月の休日、都内のデパートのカフェでした。新型コロナの緊急事態宣言が出てからはオンラインの取材が続き、外出が久しぶりだったためか、目に入るものがどこか生々しく感じられます。蒸し暑いテラス席でコーヒーを飲み、ちょっと一息ついた頃、まっすぐな瞳をした架純さんが現れました。
薬物中毒者の娘である自分も、人間ではないのか
架純さんが5歳のとき、両親は離婚しました。父親は仕事柄、遠くへ行くことが多く、また「遊び人だった」こともあり、もともと家にはあまりいませんでした。
架純さんたちが住んでいたのは、父方の祖父母の持ち家の1つでした。会社を起こして財を成した祖父と、名家の出身で手に職があった祖母。伯母やその夫も社会的地位の高い人物でした。父親はそんな親きょうだいに囲まれ、コンプレックスを感じて育ったのでしょうか。
祖母は「優しいおばあちゃん」でしたが、後に聞いた話では、意外と豪胆な人物でもあったようです。父親が悪い相手から金を借りた際は、身一つで事務所に乗り込み、金をたたき返してきたこともあったとか。そんな祖母のすすめもあり、母親は離婚後も祖父の会社を手伝いつつ子育てをし、そのまま祖父母の持ち家で暮らしていました。
父親は覚せい剤を使用して刑務所にいる。それを知ったのは、小学5年生のときでした。祖父母が同じ敷地内に家を新築してくれ、引っ越し作業をしていたところ、引き出しの奥から父親が書いた手紙が出てきたのです。この頃、父親に手紙を送っても宛先不明で戻ってきていたので、どうしているのかと気になり、つい中身を読んでしまったそう。
それは架純さんにとって、「とんでもない」手紙でした。父親が犯罪者になっていたことへのショックと、母親に宛てた手紙を読んでしまったことへの罪悪感。誰にも話すことができず、むしろ「母親の前で不用意に父親の話題を出すのはやめよう」と思ったといいます。
普段は以前と変わらず、活発に過ごしていましたが、中学校の授業で「薬物乱用防止」のビデオを見たときは泣いてしまいました。「薬物中毒者は人間ではない、人間をやめたのだ」と言われ、「薬物中毒者の娘である私も、人間ではないのか」と感じてしまったのです。
「人間やめますか?」という薬物防止のキャッチフレーズは、依存症患者を追い詰め、回復をより困難にするものであることが認識され、最近はあまり見かけなくなりましたが、実は依存症患者本人だけではなく、その子どもたちのことも、ひどく苦しめていたのです。
娘には優しく、厳しかった父親への思い
服役していた父親が「帰ってきた」のは、中2のときでした。この頃、祖父母は架純さん一家のすぐ「裏の家」に住んでおり、父親もそこで暮らすようになったのです。架純さんには、戸惑う気持ちと、うれしい気持ちが両方ありましたが、弟はただただうれしかったようで、毎日のように「裏の家」に行って父親と過ごしていたそう。
母親は内心、複雑だったでしょう。以前、父親が一時帰宅した際、母がインターホン越しに「帰ってよ!」と怒鳴っていたことを、架純さんは覚えていました。一方的に離婚を告げた父親に対し、怒りがなかったはずはありません。しかし母親は、子どもたちの前ではいっさい父親の悪口を言わなかったといいます。
「すごいな、と思います。私や弟が『お父さんに会いたいな』と言ったとき、『あんな男、父親だと思うのはやめなさい』とか、そういうことは一度も言われたことがないので。
大人になってから『なんでそういうことを言わなかったの?』って聞いたら、『どんな人であっても、あなたたちにとって父親であることに変わりはないから。自分の親を嫌いになるのは悲しいし、つらいことかなと思ったから、ママはそういうことは言わなかった』って。
そういうふうに育ててくれたことには、すごく感謝してます。自分の血縁って、ある意味1つのアイデンティティーじゃないですか。それを悪く言われるのは、少なからず自分の一部も否定されることになると思うから」
ただやはり、架純さん自身も父親に対しては、複雑な気持ちがあるようです。話を聞いていると、父親を好きだと言いたい気持ちと、それを口にしてはいけない、するべきではないという気持ちが、彼女の中でせめぎ合っているのが感じられます。
昔一緒に住んでいた頃、どんな父親だった? そう尋ねると、「優しい、怖かった」と口にし、いろんな思い出を話してくれました。
料理が上手で、周りの子どもたちがうらやむようなかわいいキャラ弁を作ってくれたこと。小さかった架純さんが食べ物を残したり、片付けができなかったりすると、とても厳しくされこと。弟の出産のため母親が入院していたときは、架純さんの髪を結ってくれていたこと。
「そういう日常的な、超どうでもいいことが、自分の中では『めっちゃ大事だったな』と思えるんです。かわいがってもらったと思うし、大好きだった」
事情を察して電話をくれた幼なじみのお母さん
事件が起きたのは7月、夏休みに入ったばかりの時期でした。高校で部活の練習を終えた架純さんは、先輩とおしゃべりをしており、「じゃあ帰ろうか」と戸を開けると、土砂降りの雨が降っていました。そこで母親に電話をかけ、車で迎えを頼んだのです。
家に着くと母親はすぐ、祖父母が住む裏の家へ。よくあることで、ここまではいつもどおりでした。しかし、弟の様子がいつもと違います。聞くと、この日は父親が祖母の看病をするはずだったのに帰ってこなかったため、代わりに弟が裏の家にいたところ、警察から電話がかかってきたそう。「お父さんに話を聞いている」と告げられたようです。
お父さんが、また何かした――。架純さんはこのとき察しました。
「うち、普段はテレビをつけないんですけれど、たまについていることがあって。夕方6時過ぎ、キー局番組の合間の5分とかで、地方ニュースをやるんです。そこで『〇〇市の民家から、女性の遺体が発見された。一緒にいた男性に事情を聞いている』みたいなことが報道されて。なんか、2人で見入っちゃって。弟と何か話をしたと思うんですけれど。全然覚えていないけど」
殺されてしまったのは、父親が入れ込んでいた、近くの飲食店の女性でした。
その後、電話がかかってきたのか、かけたのかわかりませんが、弟が泣きながら父親に「いつ帰ってくるの? 今日約束してたじゃん、早く帰ってきてよ!」と言っていたことを、架純さんは覚えています。夜になると、おそらく新聞記者でしょうか、家のチャイムが鳴りましたが、「出てはいけない」と感じ、弟と2人でやり過ごしたそう。
夜8時頃、架純さんの携帯に電話をくれたのは、幼なじみのお母さんでした。家族ぐるみで仲良くしており、架純さんの家の事情もよく知っている人です。
彼女もおそらくニュースを見て察したのでしょう。しかし事件のことには何も触れず、「最近物騒だからさ、架純ちゃんたち大丈夫かな?と思って電話しちゃった」と言います。「大丈夫、ありがとね」と答えましたが、架純さんはほっとして泣きそうでした。本当は、どうしようもなく不安だったのです。
この日は眠れませんでした。深夜、幼なじみに電話をかけて、何を話したかは覚えていませんが、2人で大泣きしていたところに、母親が帰宅します。このとき架純さんは、父親が覚せい剤で捕まった過去を知っていることを伝え、父親から来た手紙を読んだことを謝ったところ、母親は「架純が知っててくれて、よかった」と言ったそう。すべてを自分の口から説明せずに済んで、ほっとしたのでしょう。
その後、架純さんたちは、警察から事情聴取を受けました。何を聞かれたかは覚えていませんが、ずっと「ドラマみたい」と感じていたそう。あまりのショックの大きさに、現実を現実として受け止めることを、脳が拒否していたのかもしれません。
「親父さん、刺しちゃったんでしょ」泣いて帰った弟
心配になるのは周囲の人々の反応ですが、当時弟が通っていた中学校の対応は、ありがたいものでした。以前、架純さんの担任をしていた先生がちょうど弟の学年におり、報道を見て「架純の家では」と気づき、連絡をくれたのです。そこで3人で中学校へ行き、母親は校長と弟の担任と話をし、その間、架純さんと弟は、連絡をくれた先生などと話をしました。
「いま何がいちばん心配か、と聞かれたんですけれど。その亡くなった方には、私たちと同じくらいの子どもたちがいたんです。そこもシングルマザーだったから、それがすごく心配で申し訳なくて。その子たちはどうなっちゃうんだろうって、本当に申し訳なくてしょうがなくて。そのことばかり言っていました。
ママたちも話が終わって家に帰ろうとしたとき、私、本当にそれまでお母さんが泣いた姿を一度も見たことがなかったのに、そのとき初めてお母さんが先生たちの前で、『本当にありがとうございます』って言って涙を流したのが、すごい衝撃で、覚えています」
世間では残念なことに、犯罪加害者の家族を犯罪者と同一視して、差別する人もいます。でも架純さんの通った中学校は、そのようなことがないよう、静かに、かつ速やかに配慮をしてくれたことは、心底ありがたいことでした。
なお、架純さんが当時通っていた高校には、近所の生徒があまりおらず、事件に気づく人はほとんどいませんでした。電話で一緒に泣いてくれた幼なじみがずっと同じクラスだったこともあり、周囲の差別でつらい思いをすることは、幸いなかったと言います。
「ただ、弟は本当にかわいそうでした。中学は近所の子がたくさんいたので(みんな父親の犯行を知っており)、何か言い合いになったとき『おまえの父ちゃん人殺しのくせに』と言われたり、部活の先輩に『おまえの親父さん、刺しちゃったんでしょ』と言われて、なんかさめざめと泣きながら帰ってきたりしこともあったらしくて。でも、ちゃんと学校に行き続けたんですよ。本当にすごかった、えらかったと思う」
弟がそれでもなんとか通い続けられたのは、おそらく、中学の先生たちのフォローのおかげもあったのかもしれません。
その後、弟は大学生のときにアルコール依存症になってしまい、一時は入院して治療を受けていたといいます。父親の事件との関係はわかりません。「でももう立ち直って、いまでは私をたくましく支えてくれる、立派な、優しい大人になりました」と架純さんは話します。
弟には見せられなかった、父親から来た手紙
架純さん自身は、父親の犯行で周囲から責められたりはしなかったものの、それでも大きな苦しみを抱えて生きてきました。それは、なぜだったのか? 理由の1つは、「私たち(架純さんと弟)がそばにいるだけではダメだった(父の支えになれなかった)」という思いだといいます。
もう1つは、架純さんは亡くなった女性と面識があり、「私のことも応援してくれる、優しい人だな」と好感を抱いていたことです。
また親しく話したことはなかったものの、女性の子どもたちとも面識があったといいます。亡くなった女性や子どもたちのことを想像すると、とてもやりきれませんが、そのやりきれなさと架純さんは向き合ってきたのです。
最も苦しんだのは、父親から送られた1通の手紙です。大学生のときに初めて、弟とともに刑務所へ父親の面会に行ったのですが、その後父親が送ってきた手紙に「お父さんは、君たちを守るためにやった」と書かれていたのです。
真相はわかりませんが、父親は殺害した女性とその兄が手を組み、架純さんや弟を傷つけようとしていたと信じており、それを防ぐために罪を犯したのだというのです。架純さんには、耐えがたい話でした。
「だって、自分を守るためにお父さんが人を殺しているっていうことですよ。『私は一生幸せになれない』と思いました。聞きたくなかったです。お父さんが私や弟のことを大事に思っていたのはわかったけれど、それでも、やっていいことと悪いことがある。弟には、この手紙のことは言っていません」
この頃が、いちばんつらい時期でした。なんでもないときにふと父親や事件のことを思い出し、涙が止まらなくなることも。高校を出て地元を離れ、やっと「新しい人生を始められる」という希望があったのに、実際はまったくそんなふうにはいかなかったのです。
その後、架純さんの中で1つの転機となったのは、「ダルク」との出会いでした。ダルクは薬物依存の人の回復を手助けする民間施設で、全国にグループがあります。大学のとき、彼女が住んでいた家の近くにもたまたまダルクの施設があり、連絡をしてそこを訪れたのです。
「つらかった」と言っていいと思えたダルクとの出会い
「過去と向き合うために行ってみようと思ったんですけれど、でも私が行っていいのかな、とも思いました。私は(薬を)やっていないし、父がやっているところを見たわけでもない。でも電話をしたら『来てみてください』って言われて。2度目に行ったクリスマス会のとき、『みんなの前で、架純の話をしてほしい』って言われて、話をしたんです。
めっちゃ泣きながら話したから、顔も上げられなかったんですけれど、終わってみたら本当にみんな泣いていて。来ている人が本当にみんな、『よく頑張ったね』『話してくれてありがとう』って言ってくれて。自分の気持ちのままでいいんだなって思えて、すごく救われたな、と思ったんです」
救われた、というのは、自分を責めなくていいと思えたということですか? そう私が尋ねると、架純さんは「自分を責め『すぎ』なくていい」と感じたのだと言いました。
「『私よりつらい思いをしている人はもっといっぱいいる、だから、つらいって言っちゃダメだ』って、本当に暗示のように思っていました。でもダルクで話をしたとき、私も『つらかった、しんどい』って言っていいんだって思えて、すごくラクになったんです。いまでもたぶん(我慢するところは)まだあると思うけれど、昔よりは本当にましになったので」
さらに決定的な転機は、最近になって訪れました。いまの夫との出会いと、結婚です。新婚ほやほやなので仕方がありませんが、架純さんがここにきて、急に全開でのろけ出したので、笑ってしまいました。ここまでの話とトーンが違いすぎます。ほっとして、涙さえ出そうです。
「(夫は)めっちゃかっこいいんですよ(笑)。それにすごく優しい。付き合い始めた頃、ちょっとつらいことがあって電話で話したら、彼が泣いてくれたんです。私は泣いていなかったんですけれど、私のことをすごく心配して泣いてくれたとき、『あ、この人とだったらずっと一緒にいられるかもしれない』と思って。
それまで私は、たぶん一生幸せにはなれないと思っていたし、結婚もたぶん無理って思っていた。でも彼と出会って、私は幸せになれるかもしれないと思って。この人と家族になるんだ、この人と生きていけるんだと思ったら、未来に希望がもてるようになってきた。いまの状況は、これまでつらかったことをトントンにしているんだなって思えるんです」
架純さんは、こうしていまやっと、自分の人生を取り戻しつつあります。
この話を読んで、「被害者がいるのに、加害者の家族が幸せになるなんて許せない」と感じる人も、もしかしたらいるのでしょうか。
でも、父親が犯罪者であることについて、架純さんには、何も責任がありません。子どもは、親を選べませんし、架純さんと父親は、別の人間なのです。
(大塚 玲子 : ジャーナリスト、編集者)
外部リンク
多くのフランス人にとって「バカンス」は、1年の中で最も重要なときです。フランス人は休暇のために働いていると言っても過言ではありません。とくに夏には、家族連れで少なくとも2、3週間、あるいは1カ月もの間どこかに出かける「グランドバカンス」(7月か8月)があります。
通常、8月のパリにはパリジャンはいません。ほとんどのフランス人は海外旅行が大好きで、最近ではヨーロッパ以外で最も人気の行き先として日本が挙げられており、私は非常にうれしく思っていました。
フランス政府が求めたこと
ですが、今年はこの光景が様変わりしました。
新型コロナウイルス関連の規制によって、旅行ができるのかどうか、休暇に出かけられるのかどうか、直前までまったくわかりませんでした。ロックダウン中には旅行・移動がまったくできなかったうえ、その後は自宅から100キロ以内という移動範囲の制限が課せられていたのですから。
いまだ規制は続いており、ウイルスもはびこっているなか、人々はこのバカンスという非常に大切な時間に関する決断を土壇場で行いました。政府は国民に、フランス国内にとどまりフランスの地方に旅行すること、「ブルー、ブラン、ルージュ(青、白、赤)」(トリコロール、フランス国旗つまりフランスを意味する)の旅をするよう求めました。
この理由の1つは、ウイルスの状況が悪化した場合にすぐに対応するため、そしてもう1つは、直接フランス経済を支援するためです。結果、フランス人の半数以上にあたる53%が7、8月に休暇旅行に出かけました(2019年は71%)。さらに旅行に出かけた人の94%がフランス国内を旅行しました。
フランスは30年以上にわたり、外国人観光客を最も多く受け入れている国として知られています。フランスの人口がわずか6500万人のところ、2019年の外国人観光客は9000万人以上でした。
外国人観光客がフランスを好む理由は、その多様な景色にあります――パリのような都市や美しい田舎、地中海、山――フランスはどこを訪れてもフォトジェニックです。それだけでなく歴史的、文化的、芸術的遺産(城、教会、博物館など)があり、もちろん美食もあります。とくにパリはつねに外国人観光客に愛される世界随一の都市でもあります。
しかし今年は、パリはからっぽでした! 普段は街中で見かける中国人、アメリカ人、ドイツ人など海外からの観光客の姿はどこにも見えませんでした。もちろん、ホテル業界――とくに高級ホテル――には悲劇的でした。いくつかのホテルは改装を終えて公式に「パレス」として認められたばかりだったのです。
ルーヴル美術館、ヴェルサイユ宮殿、エッフェル塔(昨年同時期に比べ訪問者数が3分1以下となっています)、凱旋門……といった誰もが知っているパリの名所も、今年は訪れる人の数が激減し、静まりかえっています。
パリジャンたちは地方を目指した
一方、フランスのいくつかの地方は、海外に行けなくなったフランス人観光客の間で非常に人気を博しました。かの有名なモンサンミッシェルは、昨年の訪問者数の8割をフランス人だけで達成しました。ただ、お土産を買ってくれる日本人観光客の存在なしには、地域の産業が生き残るのはなかなか難しいものがあります。フランス人にはあまりお土産を購入する習慣がないのです。
フランス国内の親戚や友人を訪ねる人も少なくありませんでした。フランスでは親戚を家に招くことはよくあることです。感染リスクを下げるために、ホテルに滞在するより一軒家を借りたほうがいい、という人も非常に多く、エアビーアンドビーの需要も高かったようです。とくにプール付きの家が好まれました。
今夏、もう1つ人気だったのが、「ホームエクスチェンジ」です。キャメロン・ディアスとケイト・ウィンスレット主演の映画『ホリデイ』を見た人は知っているかもしれませんが、ホームエクスチェンジとは文字どおりお互いがお互いの家を交換して一定期間滞在すること。家を「交換」するため、お金がかからないので、現在のような経済危機の時期にはとてもいいアイデアです。
このホームエクスチェンジの行き先として人気だったのが、プロヴァンスやブルターニュ、ヌーヴェル=アキテーヌなど。つねに人気の南フランス(コート・ダジュール)はフランス人観光客で過密状態でした。
銀行員のマルクは、妻と3人の子どもと共にタイで3週間過ごす休暇を計画していましたが、旅行の中止を余儀なくされました。代わりに、マルクはフランスのコルシカ島を探検することに決め、家族全員とても楽しみました。
教師のローランスは、夫と子どもと共にフランス中部のオーヴェルニュ地方に出かけ、先史時代の洞窟巡りや(暑さのためとても人気)、ハイキング、カヌーカヤックに興じました。彼女はいつもなら3週間の休暇をアメリカなどヨーロッパの外で過ごしますが、今回は世界最古の先史時代(紀元前4万年)の洞窟、ユネスコ世界遺産のショーヴェ洞窟を家族で訪れました。
こうした狭い地域での多様性は、フランスの地方都市の魅力の1つです。こうした場所、とくに普段は大自然が有名な場所は観光インフラが整っていないことが多く、今夏は予約でパンク状態だったようですが、多くのスタッフは再び仕事ができることを喜び、普段より接客が丁寧だったとか。ご存じのとおり、フランス人のウエイトスタッフは態度がよくないときがありますが、多くが顧客を満足させる姿勢を見せていたようです。
一方、フランス人の一部は、「非ヨーロッパ人観光客」がいないという、またとない時期を利用して、フランス以外のヨーロッパ諸国を旅行することを選びました。9歳と7歳の2人の子どもを持つ建築家のベルトランはイタリアを旅行しました。誰もいないヴェネツィアのサンマルコ広場を楽しみ、わずか150ユーロでプレジデンシャルスイートに泊まったと言います。
パトリックと妻はイタリア好きで、イタリア中を旅行し、これまで想像もできなかったような形でローマを堪能したといいます。サンピエトロ寺院にはほぼ誰もおらず、システィーナ礼拝堂の絵画を眺めるのは天国のようだったと言います。そして、どこにいっても最上の形で歓迎を受けたそうです。より大胆な人たちはギリシャ、とくにギリシャの島に向かい、新型コロナのストレスをまったく感じずに過ごしたと言います。
スイスもまたフランス人にとって人気の近距離の旅行先の1つでした。ピエールとエレーヌはローザンヌに2週間滞在し、山や文化、スイスの清らかな環境を楽しみました。マスク着用の義務はありませんでしたが、レストランを利用する際には追跡が必要になったときのために備えて電話番号と名前を申し出る必要があったと言います。
フランス人が見つけた「新たな旅の仕方」
今回の「特別な夏」で実は、フランス人は新たな旅先を発見しただけでなく、新しい旅の仕方も見つけました。もっとゆっくり、もっと近距離で、より本格的で、自然に近いもののよさを見つけたのです。
あなたがワインに詳しいなら、こうした考えが理解できるかもしれません。フランスでは、地方の特性にリンクしたテロワール(terroir)というコンセプトがあり、それは気候や習慣、歴史、信頼性……そしてもちろん、地元産の製品や食品、産業とつながっています。
例えば自転車で、とくにロワール川やアルザス地方のワインヤードを巡るという旅行。実際、「サイクリングツーリズム(cyclotourisme)」はいま、非常に人気があります。
自転車人気の背景には、昨年12月から今年1月まで続いた交通機関のストライキで通勤などに新たな移動手段が必要になったこともあります(「『長期間スト』にフランス人が怒らない根本理由」)が、この夏はこの動きが一段と加速しました。なかには、日帰りだけでなく、1週間まるごとの本格的なサイクリング旅行をした、という人も。
サイクリングは言わずもがな、いい運動になるほか、環境にも優しいですし(ecoloと言います)、ソーシャル・ディスタンシングを守ることもできます。
近年、電動アシスト自転車が普及していることで、丘や山にも登ることができるようになりました。
こうしたなか、今年は海外旅行に行けない人々が、「フランスにとどまるんだったら、何か新しいことを始めよう」と決意したいのです。旅行代理店は、自転車レンタルや、旅行中の荷物の移動、ホテルの事前予約など、オールインクルーシブな新たなパック旅行を提案するようになりました。
この夏はキャンピングカーも人気でした。自動車で移動するので旅行の自由度が増すうえ、宿などの事前予約がいらないので予定をギリギリで決めたり、変更できたりする気軽さもあるからです。
近年、フランスでは「グリーンツーリズム」に注目が集まっていますが、キャピングカーであれば移動中に景色を満喫することもできますし、キャンプ場や海辺など、禁止されていないところならば、自然の「中」に駐車して滞在することができます。
実際、今年のキャンピングカーのレンタル数は昨年の夏に比べて60%増えました。初めての人は2、3週間レンタルするパターンが多いですが、どこにでもいける「第2の家」として購入を検討する人も増えているようです。
コロナで芽生えた「暮らしの美学」
この特別な夏のバカンスを通じて、フランス人が改めて発見したことが2つあります。1つは誰もがリラクゼーションを求めていたということ、そしてもう1つは「今を楽しみたい」「何もしないこと(farniente)を楽しみたい」ということです。
それは前述のとおり、ゆっくりしたペースで観光スポットなどを訪れ、1日をアクティビティーでいっぱいにしないという旅の仕方です(どのみちいまは、有名観光スポットに行くには事前予約が必要です)。そして、これは非常にフランス人らしいと言えるのですが、こうした柔軟な旅の仕方が「暮らしの美学(art de vivre )」となりました。
見通しがつかない状況が続くなかで、観光関連業界もこの新たな美学に柔軟な姿勢を見せています。いまでは、列車の乗車券や航空券は変更や払い戻しが以前よりできるようになりました。ホテルはキャンセルポリシーを、レストランはテーブルセッティングの見直しを迫られています。
フランス人の旅行先や旅行の仕方が変わるなかで、旅行代理店からホテル、ベッド&ブレックファストから地方都市、有名観光スポットなど多くがより多くの人を惹きつけるようなホームページに作り変えました。興味深いことに、これは個々でやっているように見えて、実はそれぞれがその土地でどこを訪れるべきかなどアイデアを出し合っており、それぞれを「助け合う」形になっているのです。
フランス経済にとって重要である旅行業界を支援しようという思いは政府も同じです。フランス政府は12月末までこの産業の「部分的失業(chômage partiel )」について、一時的に解雇されているスタッフの給与を支払うという形でサポートすることを決めています。
フランス人が特別な夏を通じて新たな旅先や旅行の仕方を見つけた背後には、この産業の未来を支えたいという意思もあります。これによって旅行産業は希望を取り戻しつつありますが、それでも外国人観光客の不在をいつまで埋めることができるのでしょうか。
(ドラ・トーザン : 国際ジャーナリスト、エッセイスト)
外部リンク
若者たちよ、未来を恐れず、過去に執着せず、「いま」を生きろ――。コロナ後の学びを変える47の行動スキルを収めた堀江貴文氏の新著『将来の夢なんか、いま叶えろ。 ―堀江式・実践型教育革命―』から一部を抜粋・再構成し、堀江氏のメッセージをお届けします。
親の思考で子の将来を縛るな
いつの時代も、「モンスターペアレンツ」は存在するものだ。20年ほど前、最初の会社を興して順調に成長していたとき、有望な若者がバイトとして入ってきた。灘中高出身の東大生で、驚異的な速さでITのスキルを伸ばしていった。社員として働いてくれたら、1億の売り上げが立つ。そう言って励ますと、彼はがぜんやる気になって、大学を中退して入社したいと申し出てきた。僕としては大歓迎だった。
ところが、彼の母親がオフィスに怒鳴りこんできたのだ。「こんな会社に入れるために、うちの子は東大に入ったわけじゃない!」と、わめき散らした。呆然とするしかなかった。スタッフがなんとかなだめて、母親には引きとってもらった。
それがきっかけで東大の彼は意気消沈して、バイトを辞めてしまった。
直後に会社は上場して、僕たちはIT界の旗手となった。もし入社していたら、収入的にも将来的にも、彼の人生はすごく面白いものになっていたはずだ。
母親の言い放った「こんな会社」が、一般的な親たちの考え方を象徴している。じゃあ、どんな会社だったらいいのだ? 名の知れた老舗の大企業に息子が就職すれば、東大に入れた苦労が報われるというのだろうか。報われるかどうかは、子どもが決めることなのに、勝手な決めつけで、子どもの選択を操作するのは最悪だ。
大企業なら安泰という古い価値観にこだわっているような親には、決して従ってはならない。東大生のバイトの彼は、いまでも後悔しているんじゃないだろうか。
親の思考は、だいたい20年ほど前の「常識」でつくられたものだ。いまの社会に通用するわけがない。世間は厳しいぞ!などと言うけれど、これから訪れる未知の世間を理解しているわけではない。世間の当事者は、むしろ子どもである君のほうなのだ。
「いま」を生きていく君は、「いま」の情報と感情を、最優先にして生きていくべきだ。親の命令に従って成功できたビジネスマンを、僕は知らない。
熱意を持って論理的にプレゼンすれば、親は基本的に君を後押ししてくれる。媚びる必要はないが、自分の意見をしっかり通し、親の理解を得られるなら、それに努めよう。親の協力と共に行動できれば、気持ちのうえでも安心できるだろう。
親の意見や、他人に振り回されたり、他人の意見によって自分を変えてしまうのは、嫌われるのが怖いからだ。指示や期待に応えられなかったり、好かれたい人たちの気持ちを満たすことをやめたとたん、見放されるのを恐れているのだ。
しかし周囲の反応などは、君の問題ではない。君の行動に対してどんな感情を抱くかは、周囲の問題だ。自分に関わりのないことのために、君が気を惑わせる必要なんて、ない。
人生を充実させるのは「変わらない自分の時間をいかに確保するか」だ。君にも僕にも、1日は24時間しかないのだ。相手がどう思うか、他人がどう感じるかなんて、一切考えないでいい。たいていの大人は、君の時間と環境が変わっていくチャンスを奪おうとする。「言うとおりにする君」を押しつけ、「変わっていく君」を否定する大人は、毅然と遠ざけよう。
大人に変えられてはいけない。逆に、大人から「あいつは変わった」とあきれられるようになろう。
つまらない大人だけを反面教師に
一方で、大人とは付き合うな!とは言わない。大人と交流すると、情報感度は飛躍的に上がる。情報のクオリティーも情報量も、間違いなく大人のほうが上だし、若くて経験の少ない自分のポジションを、相対化することもできる。気が合えば、現状の実力では出会えないような人とのパイプをつないでくれることもある。つまらない大人もいないわけではないが、それは反面教師にすればいいだけの話だ。
大人をバカにするのも若さの特権だが、本当の若者の特権とは、若さと大胆さを利用して、大人から情報をうまくいただくことだ。
新卒一括採用なんて、正直なくなってしまえばいいと思う。誰得で、あんな非効率で粗悪なルールが残っているのか? 僕にはさっぱりわからない。新卒一括採用を企業が採用しているうちは、まず学生側の不利益が大きすぎる。学校を卒業した後に身を置く環境を学生主導で選べないのだ。それはつまり、自分の人生を自分で決められないことを意味する。
例えば、就職する会社が大企業であったとしても、安心でいられるか? 数年したら不況で沈没する船かもしれない。しかも、その船には乗員全員の救命ボートが積まれていない危険だってある。図体が大きいだけのタイタニック号は、乗り心地はいいかもしれないが、航海の途中で悲惨な末路を迎える可能性もありえるのだ。
学生に不利益だらけなのに、新卒一括採用の習慣はなかなかなくならない。日本人は昔から初ガツオをありがたがったように、新築の家や新車とか、まっさらなおろしたてのものが好きだ。潔癖症に近い、新物をありがたがる文化だ。それが人材募集にも影響している。
しかし、無色透明な人間とは、言い換えると何の個性もスキルもない人間ということだ。「君は素直に言うことを聞くから期待できる」と評価されても、僕ならまったくありがたいとは思わない。「無色透明で、素直に言うことを聞く」人材を必要としているような会社に、未来はあるだろうか?
就活に臨み就職を勝ち取った人は、「何のスキルもない、ただ言うことだけを聞く素直な若者」と軽く見られている証拠だ。そして将来性の低い会社に雇われてしまった不運に気づくのは、何年も職場で酷使され、たくさんのトラウマを植え付けられてからになるだろう。
学生に告げたい。いますぐ就活ルールから飛び出せ!
新卒一括採用で一生安泰という保証は何もない
「新卒一括採用での就職は、将来安定した暮らしを得るのに確実」だというエビデンスはまったくない。就活は、「新しモノ好き」な大人たちの好みと都合に振り回されているだけだ。大切な学生のうちに、そんなものに神経をすり減らすのはバカげている。
毎年10月になると、学生たちが一斉に衣替えするようにリクルートスーツで、就活に臨む景色は普通ではないのだ。
いまこそ有名校から有名企業への「レール型」から、自分の価値観で生き方を決める「航海型」へと人生の舵を切る時だ。
みんなが知っている「桃太郎」の話をしよう。子どものときに親から聞かされて、よく覚えているのは主人公の桃太郎だと思う。だが、本当に注目すべきは、おばあさんだ。
川に洗濯に行ったおばあさんは、上流から「ドンブラコ」と流れてきた巨大な桃を、迷いなく拾い上げた。そして家に持ち帰り、何が入っているのだろう?と、包丁でパカンと真っ二つに割ってみた。すると、かわいらしい桃太郎が誕生した。
昔話のオブラートに包まれてはいるが、おばあさんの行動は完全にぶっ飛んでいる。抱えきれないほどの巨大な桃を素手で拾ってくるだけでなく、家まで持ち帰って包丁で切るなんて、変わり者すぎる。普通だったら、そんな得体の知れない巨大桃が流れてきたら、ビビって見送ってしまうだろう。
おばあさんの「ありえない行動」が、桃太郎の大冒険の始まりとなり、名作童話を後世に残したのだ。
ドンブラコと流れてきた桃は、僕の場合はインターネットだった。その桃をビビらずに両手でつかみ、味わい尽くした。だからこそ、僕はビジネスの世界で早く結果を出せたのだ。成功したいなら、川上から流れてくる桃は、怖がらずに拾え!
「異常行動」を起こせばいいのだ。みんな、桃太郎のおばあさんになろう!と伝えたい。
ファーストペンギンこそ最強の生き方
ベンチャービジネスの世界には“ファーストペンギン”という言葉がある。リスクのある新分野にチャレンジして、大きな利益を得る人のことだ。
南極に住むペンギンは、群れで暮らす。彼らのエサは、海中の魚類だ。獲るには海に潜る必要があるが、アザラシやシャチといった大型の天敵と遭遇するかもしれない。だから、ペンギンの群れはなかなか海に飛び込もうとしない。海を見つめて、様子をうかがっているペンギンたち……やがてついに、1羽のペンギンが勇気を出し、海へ飛び込む。群れはそのペンギンの無事を確認するやいなや、次々に海に飛び込んでいく。
最初の1羽は、襲われるかもしれないリスクを引きうけて海へ飛び込んだ。だから、群れの仲間たちに邪魔されることなく、豊富なエサ、つまり先行者利益を腹いっぱい食べることができる。この最初の1羽になぞらえた存在が、ファーストペンギンだ。
歴史を変えたビジネスには、必ずファーストペンギンが現れる。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスク――まあ、彼らの突き抜けぶりは、僕が語るまでもないだろう。
ファーストペンギンたちの成果を見るとき、肝心な部分を忘れてはいけない。彼らはそれぞれの分野のビジネスで最初に始めた者ではなく、「最初に勝ちパターンを見つけた者」なのだ。彼らより早く、海へ飛び込んだ者はいたかもしれない。だが読みが外れたり、どこかで保険をかけたりして、中途半端に終わった。
でも、ジョブズもゲイツもザッカーバーグも、自分の信じる「勝ちパターン」に振りきり、リスク覚悟で挑戦した。その結果、先駆者としての恩恵を、たっぷり得ることができたのだ。
ファーストペンギンとは、失敗する恐怖を克服し、自分の「勝ちパターン」を信じ抜いて、ためらわず海に飛び込んでいける、メンタルの強い人を言う。失敗するかもしれない。でも腹いっぱい食べたいから飛び込む!という強いハートが求められる。
誰も彼も失敗しまくっている
大丈夫だ。ペンギンと違い、君は決して誰かに命を取られたりしない。
社会に出れば、よくわかる。失敗すれば周りから叱られる。責任を問われる場合もある。ただし実際は誰も彼も失敗しまくっているので、すぐに他人の失敗なんて、忘れ去られるのだ。
逆に、失敗が多くても動きを止めないヤツは「あいつはメンタルが強い」と評価され、意外と途切れずにチャンスを回してもらえたりする。やらないヤツには、検証の機会もなければ、誰にもチャンスをもらえないのだ。
僕は世間的には成功者と言われるかもしれないが、それは違う。うまくいったビジネスの陰で、たくさん失敗している。普通の起業家の何倍も痛い思いをしながらそのたびに検証と改善を重ね、プランを磨き上げ、大きな収益を上げられるようになった。
いいアイデアを持つ人が勝つのではない。実践→検証→再実践のサイクルの数が多い人が、最後に勝つのだ! PDCAではなく、「DCA」なのだ。多くの若者が安心して行動し、検証と改善を重ねられるよう、僕は失敗を大いに推奨する。
(堀江 貴文 : 実業家)
外部リンク
6月19日に始まった今年のプロ野球も終盤戦を迎えようとしている。当初は無観客だったが、7月10日からは5000人を上限として観客を入れ、9月19日からは上限が「球場キャパシティの半分、あるいは2万人のうち少ないほう」にまで緩和された。
最近の試合を見ていると、にぎわいが戻ってきて昨年までのペナントレースと近い雰囲気になったような気もする。メディアも例年と同じような報道になってきた。あたかもこのまま緩和が進んで、来年にはまた元通りのプロ野球が開催できそうな雰囲気さえある。
しかしながら多くの識者は、新型コロナ後の日本は、決して元には戻らないだろうと予測している。日本野球機構(NPB)も平穏に戻ると思うのは楽観的すぎだろう。
マスク着用の静かな「観戦スタイル」
観客を入れるようになってから、筆者は観客として13試合を観戦したが、パ・リーグを中心に5000人の上限でさえもいっぱいにならない球団がある。
NPBは、ファンクラブを中心に積極的なリピーター戦略で観客動員を拡大させてきた。これによって2019年には史上最多の2653万人余を動員したが、その多くは「野球」そのものではなく、選手を大勢で応援したり、イベントに参加したり、グルメやグッズを楽しむような顧客だった。
そもそも「ボールパーク構想」とは、「試合だけでなく、さまざまなイベントを通じて野球場で1日楽しく遊ぶ」顧客をターゲットにしていた。
しかし今年は、スタンドから声援を送ることも、選手のテーマソングを歌うことも、風船を飛ばすことも禁じられている。ビールや食べ物の販売も制限されている。
拍手やメガホンをたたいて応援することはできるが、着席中はマスク着用を求められ、試合中は黙って観戦しなければならない。観客同士もソーシャルディスタンスをとっている。ハイタッチなどもできない。
こうした「行動変容」は、今年1年で終わるとは考えにくい。以前とは異なる観戦スタイルが続く中で、「球場で応援してストレス発散をしたい」という観客が離れる可能性もあるだろう。
9月19日から観客数の上限が緩和されたが、興行収益的にはNPB各球団は大きなダメージを被っている。球団によっては売り上げが8割減になったという報道もある。
球場内の物販収入も含め、売り上げの大幅ダウンは避けられないところだ。このままいけば入場料の値上げも不可避だろう。さらに野球中継の視聴率も落ちている。来年以降の放映権収入にも影響が出そうだ。
こうした状況下、今季もそろそろ「FA」の話題がメディアで取り上げられるようになった。今季は、ヤクルトの山田哲人、中日の大野雄大、西武の増田達至が「FAの目玉」とされている。しかし球団の経営が厳しさを増す中、各球団が巨額のFA資金を用意するかどうかは予断を許さない。
FAはMLBに倣って導入されたが、日本独特の「FA宣言」という制度によって有名無実化している。選手の職業選択の自由を担保するため、という本来の趣旨が損なわれている。コロナ禍によって、FA制度はさらに形骸化するのではないか。
日本プロ野球の「限界」
こうした問題を正面からとらえた著書が刊行された。中島大輔の『プロ野球 FA宣言の闇』だ。この本は、日本にFA制度が導入された経緯や、それがどのように変化していったかを追いかけている。
日本特有の制度である「FA宣言」が、本来独立した事業者である選手を球団の支配下につなぎとめる「保留制度」との兼ね合いで生まれ、その背景には、自社の目先の利益を声高に叫ぶ一部球団の専横があるという。
その対比として、若いころから野球に専心し、世の中の常識をほとんど会得しないままに、「個人事業主」になった選手の存在があることを浮き彫りにしている。
一方でパ・リーグを中心に、NPB全体のことも視野に入れて改革を進めた球団があったことで、プロ野球は21世紀以降、観客動員が大幅に増加し、収益構造が改善された。しかし、FA宣言に象徴されるように野球界の体質そのものはあまり変わっていない。
MLBでは、選手本人が契約書を隅々まで読み込む。そのうえで腕利きの代理人が加わって球団側と契約交渉をするが、NPBでは多くの選手が入団時に球団とかわす「統一契約書」でさえもほとんど読んでいない始末だ。
この本は、NPBという組織が「制度疲労」を起こし、ポストコロナの新しい時代に対応する能力に疑問符が付くこと。そして選手の意識も高いとは言えないことを端的に表している。
アメリカのコロナ禍は、日本の比ではなかった。世界最多の感染者数、死者数が出る中、MLBでは従来162試合のペナントレースを4割以下の60試合にまで圧縮した。すべて無観客試合のまま9月末でレギュラーシーズンは終了した。
放映権収入はあったが、入場料収入や物販収入などはほぼゼロだ。そこでMLB機構はポストシーズンを充実させて、放映権収入を少しでも多く獲得しようとしている。
しかし、それでも大幅な減収は不可避だ。それを見越してシーズン前にMLB経営者はMLB選手会と協議して、今季の年俸を大幅に削減した。さらには2軍(AAA)から8軍(ルーキーリーグ)まであるマイナーリーグは経費削減のため、今年は全休になった。マイナーリーグの選手たちは事実上職を失ったのだ。
来季以降もMLBは改革の手を緩めないだろう。おそらくは球史に残るような大改革をするだろう。これまでの枠組みを見直すことだけでなく、マイナーを含めた球界再編も不可避だ。
こういう時期ではあるが、ロブ・マンフレッドMLBコミッショナーは、MLB球団数を30から32に増やすエクスパンションの意向を持っているといわれる。
MLBの徹底的な生き残り策
その一方で、コロナ禍の直前に2軍から8軍まで160あった球団のうち、下部に属する40球団との契約を打ち切っている。
NPBと異なり、MLBのマイナー球団のほとんどは独立採算の単独企業だが、こうした球団との契約を解除することで、選手育成コストを削減したのだ。こんな時期でも市場拡大を志向する一方で、コストカットも果敢に行っているのだ。
これまでもMLBはコミッショナーの強いリーダーシップで、次代を見越した施策を次々と打ってきた。新型コロナの危難も、大胆な機構改革とマーケティングで乗り切るつもりだろう。
おそらく選手会との激しい対立があるだろうが、それも織り込み済みのはずだ。北米4大スポーツでも最も老舗で守勢にまわりがちなMLBだが、生き残るためには何でもするという腹積もりだ。
NPBでもコロナ禍になって、一部球団オーナーから選手年俸を削減する提案があった。しかし多くの球団がこれに反対して見送りになった。
前述のように、今季、ほとんどの球団が大幅減収となり、赤字決算になる可能性があるが、親会社のある球団は従来通り補填をして乗り切るだろう。親会社がなく独立採算の広島も、過去5年はほぼ満員の観客動員であり、内部留保で乗り切ることが可能ではないかと思う。
しかしながら「ポストコロナ」には、世の中は大きく変わると考えられる。すでに「野球離れ」が危険水域に達する中で、NPBはプロ野球というマーケットを維持、拡大するために積極的な手を打つべきときが来ていると思われる。
ソフトバンクの王貞治球団会長は、球団数を増やすエクスパンションを提唱した。オリックス球団からは各地の独立リーグ、クラブチームを傘下に収める球界再編の話が出た。またプロアマの垣根を越えた連携などの話もある。しかしNPBは一向に動く気配がない。
NPBにもコミッショナーがいて、最高権限を有しているとされるが、実際にはNPBの運営は各球団の思惑で動いている。プロ野球、野球界全体を見渡してドラスティックな改革をする旗振り役がいないのだ。
“老いた日本”と“若いアメリカ”
日米のプロ野球の体質の差は、そのまま両国の社会のあり方の差でもある。高齢化が進む日本では、改革よりも既得権益を守る空気のほうが優勢なように思える。
危難に直面しても、先手を打って動くのではなく周囲の変化を見まわしてから動こうとする。そして「使えないFA制度」は、格差社会が深刻になる中でも、人材の流動化がなかなか進まない「やり直しがきかない国、日本」を象徴している。
日本人から見れば「やりすぎ」と思うほどに矢継ぎ早にドラスティックな改革が行われ、目まぐるしく人材が流動するアメリカは、少なくとも「自分の才覚で困難を打開し、未来を拓こう」という気概があることが見て取れる。アメリカは若い。
『プロ野球FA宣言の闇』では、代理人として野茂英雄や伊良部秀輝をMLBに導いた団野村がこう言っている。
「プロ野球はもっと計画性をもって、14球団、16球団に増やしていくべきだと思います。独立リーグもNPBの傘下に入れて、若い選手を育成するためにどんどん試合をやっていく。そうすることで地域が活性化して、少年が野球をやるような環境を作っていく。やっぱり身近にプロ野球を見ていくことで、子どもたちの夢も変わると思うんですよね」
筆者も全く同感だ。日本プロ野球は若々しい決断をすることができるだろうか。
(広尾 晃 : ライター)
外部リンク
7月22日にスタートしてジワリ活況を見せているGo To トラベルキャンペーンは、旅行代金の割引と地域共通クーポンの配布の2本立て。その2つ目の「地域共通クーポン」の配布がいよいよ10月1日から始まった。除外されていた東京都も10月から仲間入りし、日本中のいたるところで人との接触も避けられなくなりそうだ。
そんな中、気になるのが、やはり新型コロナウイルスの蔓延だ。旅立つ前の備えとして、改めて保険のカバーを確認しておきたい。
旅行に備える保険といえば、海外なら「海外旅行保険」、国内なら「国内旅行保険」を思いつくかもしれない。ただ、あまり知られていないことだが、両者には決定的な違いがある。それは❝病気❞に関するカバーが付くかどうかだ。
コロナ対策としては頼れない「国内旅行保険」
実は、いずれも正式名称は海外旅行傷害保険と国内旅行傷害保険で、傷害つまり❝ケガ❞の補償をベースにした保険だが、海外旅行保険には❝ケガ❞だけでなく、新型コロナウイルス感染症になった場合も含めて❝病気❞の治療費をカバーすることができる。だから、海外旅行に出かける際のコロナ対策として、空港やWebなどで海外旅行保険に入っておくことは大正解だ。
しかし、コロナ対策の視点で国内旅行に出かける際に、Webなどで国内旅行保険に入るのはあまり意味がないかもしれない。国内旅行保険は、あくまでケガの補償中心で、「自分がケガをしたときの補償」「他人への賠償責任の補償」「救援者費用の補償」の組み合わせで販売されているものが主流だ。
おみやげ店でものを落として壊し賠償責任を負った、温泉で足を滑らせた、ハイキングでケガをした、といった旅行ならではのリスクには備えられても、新型コロナウイルス感染症はケガに該当しないため、残念ながら、自分で入る国内旅行保険では備えられない。
ただし、旅行会社などのパッケージプランに組み込まれている国内旅行傷害保険では、新型コロナ感染時に一時金が出るものがある。
例えば、ANAトラベラーズでは、同社Webサイトで国内ツアー「ANAトラベラーズダイナミックパッケージ」(2020年10月1日~2020年12月31日出発分)を予約すると、自動的に東京海上日動火災保険の国内旅行傷害保険「コロナお守りパック」が組み込まれる。
(外部配信先ではグラフや図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)
主な特徴は2つで、旅行中および旅行終了後14日以内に感染が判明した場合に一時金2万円を支払う「新型コロナウイルス感染症一時金特約」と、医療相談サービス「メディカルアシスト」が付く。
24時間電話相談に乗ってくれるサポートも
もしも、新型コロナ感染の疑いがある場合、感染判定のためのPCR検査などの費用自体は、結果が陽性・陰性にかかわらず公費扱いとなり、自己負担はない。治療のための入院や医師の指示によるホテルでの療養については宿泊代・食事代は公費で賄われる。
ただし、ホテルなどの日用品の費用は自己負担となる。この国内旅行傷害保険からの一時金は、この入院時の日用品や消毒費用など想定外の費用が発生する可能性も考慮し、それをまかなう位置づけだ。
また、「メディカルアシスト」では、旅行期間中24時間対応で、救急科の専門医および看護師が、緊急医療相談や新型コロナウイルス相談などの電話相談に応じる。
旅行パックに組み込まれた国内旅行傷害保険に頼るのではなく、自分の保険で備えるのであれば、「医療保険」が王道だ。医療保険の主な保障内容を見てみよう。
まず「入院給付金」は、新型コロナに感染し、医師の指示のもと入院した場合は、通常の疾病での入院と同様に契約通りの給付金が受け取れる。新型コロナの疑いで入院を指示され、検査の結果、陰性であった場合でも、陽性の場合と同様に入院日数に応じて入院給付金を受け取れる。
なお、医療機関の事情で、新型コロナ感染者が入院できず自宅やホテルなどの臨時施設で療養した場合でも、医療保険の給付金の対象とする旨の発表をしている保険会社が増えている。治療期間を確認できる医師の証明書の提出が必要となるなど要件もあるため、加入先の保険会社のリリースなどは確認しておきたい。
また、「手術給付金」は、新型コロナによるか否かは関係なく、保険会社所定の手術であれば給付金を受け取れる。
ところで、「通院給付金」が付いている場合、通院給付金の要件として入院して退院後の通院について支払われるところが多いが、新型コロナによる場合も、条件を満たしていれば契約通りに給付金が受け取れる。
なお、新型コロナの感染拡大防止を理由に、オンライン診療や電話診療となった場合でも、医師の証明書の提出と入院日数などの条件を満たしていれば通院給付金の対象となるところもある。ただし、期間限定の措置としていることもあるため、加入先の保険会社の対応は確認しておきたい。
職場復帰までの収入減の不安に備える
さて、新型コロナの治療費自体は基本的に公費のため、それほど大きな心配は要らないかもしれない。深刻なのは、職場復帰までの収入の減少だ。
会社員や公務員で健康保険・協会けんぽ・公務員共済などに加入している人は、病気やケガで仕事を休んだときに、所定の要件を満たすと「傷病手当金」を受け取れるため、新型コロナに感染した際も、病気の1つとして傷病手当金の対象になる。
新型コロナに感染して、療養のため仕事を休んだ場合、休業4日目から、給料のおよそ3分の2程度が受け取れるイメージだ。
注意したいのは、自分ではなく家族や同居している人が新型コロナに感染し、濃厚接触者として自宅待機・自宅隔離を命ぜられて仕事を休んだときだ。この場合、傷病手当金は受け取れない。
また、勤務先で感染者が出て会社全体が休業して仕事を休んだときも、傷病手当金の対象にはならない。基本的には、勤務先の休業手当などを受け取る形での対応となる。
新型コロナの場合、完治したとしてもすぐに職場復帰できるとは限らない。働ける体調に回復したのにもかかわらず働けない……そんな事態に備えるなら、一度の入院でまとまったお金が受け取れるタイプの医療保険も念頭に入れておきたい。
太陽生命のコロナ特化型保険「感染症プラス入院一時金保険」や日本生命の入院特化型医療保険「NEW in 1(ニューインワン)」であれば、住宅ローン返済などを抱える家庭には心強いかもしれない。また、少額短期保険justInCaseの「コロナ助け合い保険」は保険料が安く、これまで医療保険に加入できなかった人のコロナ禍での不安を和らげたいニーズに対応できる。
まとまった額の入院一時金が受け取れる場合も
そのほか、最近では入院1日につき入院給付金を払う以外に、まとまった額の入院一時金を受け取れる医療保険が増えてきている。今一度、加入済の医療保険の保障内容の再確認がおすすめだ。
以上、新型コロナに感染した際の❝入院❞時の保障に絞って、公的な健康保険と民間の保険の保障(補償)内容を見てきた。短期間の治療であれば貯蓄から捻出するのが基本だ。
ただし、新型コロナに感染した場合の住宅ローン返済や子供の教育資金に不安があり、金融機関への相談や奨学金の申し込みなどでもしのぐのが難しい状況が想定されるようなご家庭であれば、視野に入れておくのも一策だ。
(竹下 さくら : ファイナンシャルプランナー/宅地建物取引士)
外部リンク
クリストファー・ノーラン監督の超大作『TENET テネット』が、日本であいかわらず好調のようだ。難解だということからリピーターもいるようで、公開から3週経つ今も、メディアやSNSで話題になっている。
そんな日本の観客には意外かもしれないが、日本より2週間先に公開されたアメリカで、今作はすっかりコケてしまった。ほかに新作がないため、一応ランキングでは1位だが、先週末の興行成績はわずか270万ドルで、2位の再上映作『ホーカス ポーカス』(1993)の190万ドルと、大して差はない。
公開当初こそ、ライバルが少ないことから普段より息長く映画館にとどまるかと期待されていたが、この状況では現在までの総額4500万ドルでほぼ打ち止めだ。比較のために挙げると、ノーランのひとつ前の監督作『ダンケルク』(2017)は、最初の週末だけで5000万ドルを売り上げている。コロナ前なら、4500万ドルは『TENET テネット』が最初の2、3日で売り上げるべき数字だったのである。
日本を含むほかの国ではまずまず健闘しており、全世界興収は3億ドル強。しかし、製作費だけで2億ドルがかかっていることから、4億5000万ドルの世界興行収入があってようやくトントンとのこと。つまり、今作は赤字がほぼ決定してしまったわけで、その足を引っ張ったのは、お膝元のアメリカなのである。
「テネット」がアメリカで大苦戦する理由
なぜこんなことになってしまったのか? 一番の答えは、アメリカで最も重要な市場であるロサンゼルスとニューヨークで、まだ映画館の再オープンが許されていないからだ。
ロサンゼルスとニューヨークは批評家やメディアが集まる都市だが、「映画とは映画館で見るものを呼ぶ」という確固たる信条をもつノーランは、この非常時でも、マスコミに配信形式で試写を見せることをしなかった。
そのため、これら2都市の批評家や業界関係者は、誰も同作を見ていないのである。主要な新聞は、映画館での試写が可能だったロンドン在住の批評家などに依頼して記事を書いてもらったものの、どうせ見られないとなると興味をもつ人は限られるし、当然ながら口コミもない。
とは言っても、映画館を開けていいのかどうかの判断や基準はそれぞれの自治体で違うことから、遠くまで行くことをいとわなければ、見ることは可能だ。
全米規模では『TENET テネット』の公開時点で6割近くの映画館が開いていたし、公開後まもなく、ロサンゼルス郡のすぐ南のオレンジ郡でも再開が許された。ニューヨーク州のお隣ニュージャージー州でも開いている。
しかし、ノーランの最新作であり、コロナで映画館が閉まって以来ほぼ半年ぶりの超大作であったにもかかわらず、遠征してまで映画を見る人は、あまりいなかったのである。
そこに、2つめの答えがある。多くの人は、映画館に行くことをまだ不安に感じているのだ。劇場主たちは、この日に備え、数週間前からコロナ対策を徹底し、安全であることを強調してきた。そもそも、営業再開が許されている地区でも、定員の25%、あるいは50%までしか観客を入れることができないため、ソーシャルディスタンスは保てるのである。
だが、やはり定員の25%でロサンゼルスでも営業再開が許されたヘアサロンと違い、映画館は「行かなくてもすむ」ものだ。だから「今映画館に行くのはやめておこう」となる。同作の上映時間が2時間半もあるのも、「そんな長い間、密室にいるのは怖い」と、観客の不安に輪をかけたのかもしれない。
映画業界を悩ます「自治体の対応」
ロサンゼルスは、カリフォルニア州知事が定めた2つの基準の両方を満たせば、今のオレンジ郡と同じ段階に入ることができ、定員の25%で映画館も再開できる。そのうちひとつ、陽性率の基準はとっくに満たしているのだが、もうひとつの1日あたりの平均新規感染者数の基準が満たせない。しかも、両方を3週間連続で満たさないことには、次の段階へ行けないのだ。
一方、甚大なコロナ被害を見事抑え込んだニューヨークは、ボウリング場やジム、レストランの店内での食事も許可したのに、映画館に関しては動く様子がまるでない。
そんな中で、各スタジオは、9月下旬公開予定だった『キングスマン:ファースト・エージェント』を来年2月に、10月に予定されていた『ワンダーウーマン1984』『ナイル殺人事件』を12月中旬に、11月頭だったはずの『ブラック・ウィドウ』を来年5月に延期した。
その結果、公開カレンダーは再び空白だらけになってしまう。そして先週には、11月20日に公開予定だった『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』まで、来年4月に延期されてしまったのだ。
さらに、今週8日には、同じ日に予定されていたピクサーの『ソウルフル・ワールド』もDisney+での配信に変更されてしまった。11月25日のドリームワークス・アニメーションの『The Croods: A New Age』は、とりあえずまだとどまっているが、もしこれまで延期してしまったら12月11日のライアン・レイノルズ主演のアクション映画『Free Guy』まで丸々2ヵ月もメジャー大作が何もないことになる。その『Free Guy』ですら、この先どうなるかわからない。
従業員4万5000人を一時解雇する映画館も
こういったスタジオの動きを受けて、世界で2番目の規模を誇るイギリスのシネコンチェーン、シネワールドは、アメリカで展開するリーガル・シネマ全536館と、イギリスに所有するシネワールドとピクチャーハウス全127館を、改めて一時的に閉鎖した。
これにより、4万5000人がまたもや一時解雇されている。同社のCEO、ムーキー・グレイディンガーは、「店を開けてはいても野菜も果物も肉もない食料品店みたいなものだから」と説明。この決断がなされたのは「007」の延期が発表された直後だったが、「007」のせいにするつもりはなく、むしろ彼は、興行主の声に耳を傾けてくれないニューヨークのアンドリュー・クオモ州知事を責めている。
ライバルで世界最大手のAMCは、シネワールドの動きを受けて、「自分たちはこのまま経営を続ける」と発表した。しかし、多額の負債がある彼らも、相当に危うい。もちろん、小さな映画館も脅威にさらされている。
先月末、全米劇場所有者協会(NATO)は、政治家に手紙を送り、「この状況が続けば、69%の小規模および中規模の映画館が倒産を強いられる」と、持続過給付金などの援助を要請した。一方で、ウォール街のアナリストであるエリック・ウォールドは、「完璧な環境が整うまで待ちたいという気持ちはわかるが、興行ビジネスが崩壊してしまわないために、赤字覚悟で新作を提供するべき」と、助け舟を出すべきなのはスタジオだと主張する。
シネワールドのグレイディンガーも、再び彼が映画館のドアを開けるには、「1本だけではだめ」で、「その後にも新作がどんどん控えていて、スタジオが『もう映画館に行っても大丈夫ですよ。だから私たちはこんな作品を提供します』と観客に言ってくれる状況」が必要だと語っている。
窮地に立たされたアメリカ映画業界
映画館が潰れてしまえば、スタジオは、作品を上映するにも箱がなくなる。映画館はビジネス上の重要なパートナーであり、長期的に見れば、彼らを助けることは自分たちのためにもなる。とは言っても、大事な映画を、わざわざ損する状況で出したくない。スタジオだって、今はお金を失い、レイオフをしているところなのだ。失敗が続けば株価にも影響する。
アメリカの映画館の未来は、今、そんなジレンマに大きく揺さぶられている。コロナが落ち着いてくれるのが一番だが、その気配は一向に見られない。ようやくこのウイルスに打ち勝った時、どれだけの映画館が生き残っているのか。ロックダウンから半年以上が経つ中、先行きはますます暗くなっている。
(猿渡 由紀 : L.A.在住映画ジャーナリスト)