将棋世界1989年4月号、駒野茂さんの「奨励会三段リーグレポート」より。
奨励会員にとって、記録係の仕事は大切な勉強の一つ。また、例会の時の秒読み係は義務の一つである。これらを務める者に、突拍子もない行動に出たのがいたので、その話をしてみたい。
記録係は勉強になるといっても、進んでとりたくない日がある。例会の前日など。特に持ち時間6時間の将棋に当たると、泊まりは覚悟の上に睡眠不足になるのは必至だ。誰もが避けたい日なのだが、とらなければならない場合もあるのだ。
ずい分昔、こんなことがあった。記録係のXさんは翌日の例会が気になりだした。時刻は零時を回った頃。睡眠不足は逃れることのできない状況となっていた。
そこでXさん、えらい勝負手を放った。
「明日奨励会なので、僕寝ます」
と言って、今まで座っていた座ブトンを枕にゴロンと寝てしまったのだ。
これには両対局者も驚いた。記録係が寝てしまっては、指す訳にはいかないからである。何とか起こして続行したが、何とも凄い勝負手である。
記録係にとって、もう一つつらいものがある。昼食後の14~15時辺りに睡魔におそわれることだ。
持ち時間の長い将棋では、この時間帯はほとんど指し手は進まない。室内はポカポカとして、腹加減も良し。昼寝をするには、最高の状態だ。
青野八段が奨励会の幹事の時の出来事。対局者である青野八段は居眠りしている記録係を起こしていた。
「君、起きなきゃだめだよ」
こう言われて目を覚ます記録係。だが、しばらくするとまた、コクッコクッと。記録係を起こすことに神経をつかった青野八段。次なる指し手は何と二歩。
青野幹事としては、怒るに怒れない気持ちだったろう。
秒読み係で秀逸だったのはこれだ。
秒読みのピーク時でのこと。ストップウォッチが出払っていて、腕時計も持っていないX君がなにくわぬ顔で秒をとっていた。
「30秒…40秒…50秒…1、2、3」
パシッ。
「カチカチカチ」
X君はストップウォッチを持っている振りをして、指すと口でカチ(秒を止める)カチ(0に戻す)カチ(スタート)と言っていたのだった。もちろん秒間隔は適当。対局者は小気味よい声に、ストップウォッチを持って読んでいないことが分からなかったのだ。
何とも、大胆である。
現在好調の高田尚平三段、昔秒読み係でちょっとしたミスをしている。
ミスとは着手しようとした瞬間「アッ」と声を出してしまったのだ。その手は飛車をタダで取られる大悪手。高田三段はそれを見て思わず声を出してしまったのだろうが、これは助言である。
ただ、「こんな手を考えているようでは駄目か」と言ってその人が投げたから、事なきを得たが。
(以下略)
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冥府魔道に入るくらいの非常に固い決意で「明日奨励会なので、僕寝ます」と言ったX奨励会員を、両対局者はどのように説得したのだろう。
とても気になる。