オスカーの苦悩とこれから
これにてひとまず最終話となります。
「ルシアナ……支度は終わったのかい?」
扉の向こうから現れた愛しい人の姿に、思わず顔が綻んだ。
今夜、実家での最後の夜を過ごすルシアナは明日の婚礼の下準備と打ち合わせを予ねて侯爵家を訪れている。
打ち合わせについては男は出ていけと言われ、双方の母と祖母、従姉妹をはじめとする親族の女性達で何やら楽し気に盛り上がっていたので、こうしてバルコニーで物思いにふけっていた次第だ。
「ええ。後は屋敷に戻るだけ。でも、その前にあなたと話をしたかったの。お邪魔だったかしら?」
屈託なく微笑むルシアナの言葉に、オスカーは微笑んで首を左右に振る。
「僕が君を邪魔に思うなんて、本気で思っているのかい?」
問い返せばルシアナはくすくす笑い、オスカーの隣に立って夜の庭を見渡した。
「懐かしいわね……。あのガーデンパーティの後、ここであなたと話をしたわ」
「うん。……僕の人生でも一、二を争う幸せな夜だった」
二人して様々な感情を胸に泣いた夜を昨日の事の様に思い出しながら、感慨深く答える。
ルシアナも同じように思っているのか、二人は並んだまま、無言で夜の庭を眺めた。
「……私、あなたに言わなくてはいけない事があるの」
改まった言葉にそちらを目をやると、ルシアナは幾分硬い表情でじっと庭を見据えている。
茶化してはいけない空気だ、と察して言葉を待っていると、不意にその目がこちらに向けられた。
バルコニーの両角に据えられた魔石灯の光がエメラルドの瞳を透かして煌めかせ、その美しさに息を呑んでいると、神妙な顔でオスカーを見上げていたルシアナが唇を開く。
「オスカー。私……あなたを愛しているわ」
真剣な表情で名を呼んだルシアナが告げた言葉の意味がすぐには頭に入ってこず、オスカーは目を瞬く。
「……え?」
思わず問い返した顔が余程間抜けだったのか、ルシアナはその表情を崩し、くすりと笑った。
「あなたもそんな表情が出来るのね。……もう一度言うわ。あなたを愛しているの。……婚礼は家と家の約束よ。明日宣誓する言葉は、家と国、神にささげる物だから……その前に、あなたに私の心からの言葉を捧げたかったの」
予め考えていたのか、滑らかに理由を告げたルシアナは、言い終わってから少し恥ずかし気に目線を下げる。
それを聞き終えても呆然としていたオスカーは、幾度もその言葉を脳内で繰り返してからようやく意味を理解して顔が一気に熱くなるのを感じて咄嗟に片手で顔の下半分を覆った。
「なっ……いや……っ…………そ……っ」
いつも通り滑らかに喋ろうと思っても言葉が出て来ず、いまだかつてない程に狼狽えていると、その醜態を目の当たりにしたルシアナが耐えかねた様に肩を揺らして笑いだす。
「っ、ふふ、あなたも、そんな風に狼狽えたりするのね! ……そんなに意外だったかしら?」
いたずらっぽく首を傾げて問いかける姿があまりにも愛らしく、胸の内で悶絶しながらもどうにか頷いた。
「意外も何も……驚天動地だよ。心臓が止まるかと思った……」
言って深く溜息を零す。
「ごめん。まだ喜びが湧き上がるところまで心が落ち着いていないから、少し待って欲しい」
行儀が悪いとは思いながらも背を石造りの手摺に預け、そのままずるずると床に座り込んで頭を抱えると、ルシアナが寄り添うように隣に座った。
「ドレスが汚れるよ……」
疲労し切った声で言いながらジャケットを脱ぎ、一度立たせてから床に敷く。
「あなたってば、こんな時まで紳士なのね」
くすくす笑いながらジャケットの上に座ったルシアナは恥じらう様子もさほどなく、むしろ悪戯が成功した子供の様な顔をしているから、多分もっと早いうちから今夜の告白を決めていたのだろう。
「君に対しては生まれ変わってもずっと紳士でいると心に誓っているんだよ。 …………どうしよう、まだ感慨が湧いてこない。明日まで復活出来なかったらどうしてくれるんだい」
思わず恨みがましい気持ちで詰ると、ルシアナは更に笑みを深めた。
「だって、こうでもしないとあなたきっと、私がまだ義務であなたと結婚するんだって思ったまま婚礼に臨むでしょう?」
「それは……まあ、そう思ってはいたよ。前よりずっと好かれている自覚はあったけどね、君に……その、まだ恋や愛を向けられる程じゃないって思ってた」
はあ、と溜息を零しながら言えば、ルシアナは再び笑う。
「やっぱり。……でも、私も悪いわ。半年前にはもう自覚していたのに、どうしても言い出せなかったの。……でも、伝えないまま婚礼に臨むのだけは嫌だった。…………とても勇気がいったのよ」
ドレスが汚れるのも構わずオスカーと同じように手摺に背を預けたルシアナが、星空を見上げて言いながらため息を零した。
「……好きよ、オスカー。私、あなたを愛してるし、恋をしているの。……本当よ?」
「うん……疑ってなんかないよ。…………ありがとう………………」
じわじわと感情が高まり、目頭が熱くなってくる。
「……なんだか君には、情けない所ばかり見られているな……」
子供時代を終えてから他で泣く事など無かったのに、ルシアナに纏わる事では事あるごとに涙が零れてしまう。
しかも、それを唯一目撃しているのが全て彼女だから格好がつかないにも程があった。
「いいじゃない。夫婦になるのだもの。私はあなたの泣き顔、可愛くて好きだわ。オスカーは、私がみっともない姿を見せたら嫌いになるの?」
微笑みと共に問われて、参ったとばかりに諸手を上げる。
「まさか。どんな君だって愛しぬく自信があるよ。……降参するけど、愛しい人の前で格好をつけたい男心も解ってくれないかい?」
はぁ、と大きな溜息を零して言えば、ルシアナは笑って頷く。
「ええ。大丈夫よ。情けない姿の百倍位、素敵な姿を知っているわ。でも愛しい人の弱った姿は隠さず見せて、寄り添わせて欲しい女心も解って頂戴。……あなたの格好良い姿は社交界の女性の誰もが知っているけれど、こんな姿は私しか知らないのよ? どれ程優越感があるか、きっとあなたにも解るでしょう?」
「……優越感まで感じてくれているのかい?」
少々驚いて問い返すと、ルシアナは肩を竦めた。
「勿論。……オスカー。あなた、今でも女性達にとても人気があるのよ? 男前で、優秀で、侯爵家の後継ぎで人当たりも良いでしょう? 未だ本気であなたを狙う子も多いのよ」
ルシアナの言葉に思い当たる事は十二分にある。
これだけ熱愛をアピールしているのに、未だ勝ち目があると思う令嬢やその親が多いのは、やはりルシアナの過去の醜聞が根強い故だ。
「私も今では殆ど寝取られ令嬢なんて言われなくなったけれど、そういう子達にはチクチク言われるわ。四度も寝取られて、良く恥ずかしげもなくあんな素敵な方の隣に並べるわね、なんて直球で来る事もあるし……片恋だから続いたけど、実際に付き合えばすぐに飽きられると考えて虎視眈々と狙っている子もいるわ。そういう子は第二夫人に迎えてくれなんて言ってくるわね。デビューしたての若い子達にはもう二十歳になるおばさんなんてすぐに捨てられると言われるし」
婚約を四度に渡って破棄した為に、ルシアナは同年代の中で唯一の未婚令嬢となっている。
オスカーとすぐに婚約したとはいえ、この国では婚約から最低一年を置いて結婚するのが慣例で、それより早く婚礼を挙げるのは夫が戦地、若しくは遠方の任地に単身で長期間赴く時か、令嬢が妊娠してしまった時位のもの。
早く結婚したいのはやまやまだったがその為に遠方に行くのは本末転倒だし、ルシアナに未婚で妊娠したなどという疑惑をかけさせる訳にはいかないから待っていたが、デビューする十六歳から学園を卒業する十八歳までの間で結婚する事が多い中、年齢だけで見れば行き遅れと見なされてしまうのは確かだった。
それでも愛しい人に敵意をぶつける存在が許し難く、調べ出してそれなりの処置をしなければ、と思いながら無意識に眦が吊り上がる。
「そんな怖い顔しないで頂戴。私ね、あなたの格好良い姿を見て憧れる女の子達に嫌味を言われる度に思うの。あなたの知っている顔は私も良く知っているけれど、オスカーの泣き顔を見たのは私だけ……よね? 私だけだし、泣かせたのも私なのよ、って。これって物凄い優越感よ? あなたみたいな素敵な人が、私の為に泣いてくれるんだもの」
微笑んで見上げるルシアナに、オスカーは一も二も無く頷いた。
「子供の頃はともかく、……十二歳位からかな、それ以降に生理的な物以外の僕の涙を見たのは間違いなくルシアナだけだよ。まあ、家族……両親や兄上、将来生まれる子供の事で泣く事はこの先あると思うけれど、子供みたいに大泣きできるのは君の前でだけだ。……愛してる。君が僕を好きになってくれて……本当に嬉しい。一生大事にするから……抱き締めて良いかい?」
微笑んで言えば微笑みが返され、次いでこちらへ体を向けて伸びあがったルシアナに抱き締められた。
「私もあなたを一生大切にすると誓うわ。……前にもここで言ったけれど……私を好きになってくれて、本当にありがとう。……あなたを愛してるわ、オスカー」
最後の言葉は囁きで告げられ、そして唇に柔らかいものが押し当てられる。
衝撃に目を見開く間にその感触はすぐさま失われ、呆然としている間にルシアナが立ち上がった。
「もう帰るわ! 明日の為に寝ないといけないもの。おやすみなさい!」
こちらを振り向く事無く早口で言ったルシアナがそそくさと歩み去ろうとする背中に我に返り、慌てて立ち上がる。
「待って! もう一回! 今度は僕から!」
腕を掴んで恥も外聞もなく懇願すると、真っ赤な顔でこちらを見たルシアナがその手を振り払った。
「駄目! 明日好きなだけすればいいでしょう!」
「その言葉、忘れないでくれよ! 明日は逃がさないからな!」
「馬鹿! 知らない!」
余程恥ずかしかったのか、バルコニーに面した廊下に控える侍女どころか庭の警備兵にまで聞こえそうな声で言って逃げ出す背中を見送ったオスカーは再び床に腰を下ろして両手で目元を覆い、天を仰ぐ。
「……今夜眠れるのか、僕は………………」
呻く様に呟く言葉に返答などありはしないが、眠れる自信など全く無い。
明日の事を思えば強い酒で無理やり眠るのと、一睡もできずに過ごすのと、どちらがマシなのか解らなかった。
「ルシアナが可愛すぎるのが悪いんだ……。僕のせいじゃない」
思わず愛しい人に責任を押し付けながら、指先で唇に触れる。
確かにそこに触れた柔らかな感触と、間近に寄せられた体から漂ってきた、彼女の気質を表すようなすがすがしくも甘い香りを反芻しながら、オスカーは執事が様子を見に来るまでそこに座り続けたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
投稿当初はプレビュー数50行けばいいな、ブクマ1つ入るといいな、と思いながらの投稿でしたが、思いもよらぬ数のブクマや評価をいただき、望外の喜びです。
最後まで読んで面白かった、よかった、などありましたら、評価を入れていただけると嬉しいです。
初めて書く婚約破棄物、拙い作品でしたが、お読みいただいた方に心より感謝御礼申し上げます。
余裕が出来たらルシアナ視点の幸せな後日談やオスカーへの気持ちを確信したくだりなどを書いてアップしようかと思っています。
また、同時刻に新作の第1話をアップしております。
もしよろしければ、作品一覧よりご覧ください。
この作品より先に書き始めたオーソドックスな話です。
また、18時より猫と悪役令嬢の連載版も投稿開始しました。
よろしくお願いいたします。
に、日間ランキングで……一位を頂いてしまいました……
呆然としております。友達から教えて貰って慌てて見に行きました。
本当にありがとうございました……!ビギナーズラックにしないよう、頑張ります。
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