オスカーの回想
オスカー視点です。長いので2つに分けました。
まずは回想です。
◇◇
ルシアナと初めて出会った時の事を、今も鮮やかに覚えている。
オスカーの従姉妹の親友だと紹介された黒い巻き毛の少女は、大きくてぱっちりとした、猫の様な形の瞳をしていた。
自分と同じ漆黒の髪は波打つような巻き毛で、そのうねりに合わせてつやつやと光を弾く様がとても美しい。
親友と話していた時には生き生きと輝いていた目は、オスカーの存在に気付くなり少し怯えた様な色を浮かべ、そこがまた出会ったばかりの人に慣れない黒猫の様だったし、しばらく言葉を交わしている間に少しずつ戻って来たはにかみがちな笑顔に、完全に心を撃ち抜かれた。
ルシアナと結婚出来ればいいのに、と思いはしたが、この頃から物の道理を弁えていたオスカーはそれが実現しない事も良く解っていた。
ルシアナに対する、父、ヴィローザ伯爵の溺愛は有名で、侯爵家の子息とは言え次男であり、いずれ侯爵家が持つ爵位のどれかを継ぐにしても子爵位程度のオスカーでは婚約者の候補にすらなれない。
自分が侯爵家の後継ぎであれば可能だろうが、兄は少し気が優しすぎるきらいはあるものの優秀な人だったし、何よりいつも優しくしてくれる彼が好きだったから、その地位を奪う様な事は出来なかった。
それでも未練を捨てきれずにいる間にルシアナはエイリークと婚約し、噂を聞いて一人部屋で泣いた後は、茶会で婚約を発表した二人が微笑みあう姿を笑顔で祝いながら切り裂かれたように痛む心の傷と共に想いに蓋をした。
蓋をしたからと言って気持ちが変わるわけでもなく、あくまでも親しい友人として接し、他の女性達と一切扱いを変えない様慎重に、それでも友人の中では出来るだけ近い位置にいられる様さりげなく立ち回った。
最初にルシアナを紹介してくれた従姉妹には想いを看破されていたが、彼女もオスカーがルシアナを望める立場に無い事は理解していたから、誰にもその事を知らせずに時折彼女の情報を流してくれたり、夜会で醜聞にならない形で踊れるよう手助けしてくれた。
メリンダとは十三の頃、とある侯爵家が、血縁・政治的に関りが深い、或いは領地や王都の屋敷が近い貴族の子女を家格を問わず集めた交流目的の茶会で初めて顔を合わせた。
ルシアナの従姉妹と紹介された時には関心を持ったが、顔は確かに美しいが聡明で気品あるルシアナとは対照的な中身のない会話や甘ったるく媚びる声にすぐさま関心を失った。
それでも愛しい人の血縁だからと粗略にするつもりはなかったが、一息つくために庭に出た時、メリンダがあの甘ったるい声で如何にも気の毒そうにルシアナの髪や姿を見下し、傷つけている場面に出くわしてしまった。
彼女らはこちらに気付いていなかったが、聞こえてくる会話は酷い物。
「ルシアナ、今日のドレスとっても素敵ね!」
「あ、ありがとう、メリンダ……」
「でも黒い髪だとこの色は映えないわねえ……。仕立て屋を変えたらどうかしら。きっとこの仕立て屋、伯母様みたいな金色の髪に似合うドレスの方が得意なのよ。金髪が多い伯爵家にルシアナみたいな黒髪の子がいるなんて思わなかったのね。採寸の時に髪色も見たでしょうに、忘れてしまったのかしら。これじゃルシアナが可哀相だわ。ドレスが華やかすぎて顔が解らない位だもの。ルシアナの顔は地味だから、こんなに綺麗な色のドレスには負けてしまうわよね。そうそう、フランドル子爵令嬢が同じ色のドレスだったけれど、あの子は私や伯母様とよく似た金髪だからとてもよく似合っていたわ! 私もあんな着こなしがしてみたいから、参考にしようかしら」
最初は褒めている様に見せかけ、更には如何にも気遣っている風な口調でルシアナの容姿をこき下ろし、家族の中で異質だとほのめかした上に、同じ色のドレスを着ていた格下の令嬢をほめそやす手口は狡猾で、良く似合っている鮮やかな空色のドレスの布地を握りしめて悲しそうに俯く恋しい少女の姿を見ていられず、思わず庇いに入りそうになった自分をどうにか抑える。
こんな所に男の自分が、それも先程までメリンダがべたべたと腕に絡まる様に媚びを売ってきていたオスカーが口を挟めばルシアナが後で更に嫌な想いをするのは目に見えていたから、すぐさま従姉妹の元まで向って彼女に救出を頼んだ。
メリンダの名を出すと従姉妹は顔を顰め、すぐに現場へ急行してルシアナを助け出してくれた。
助け出されたルシアナの元へ向かい、何も知らないふりで声をかければ彼女の態度はしばらくの間常より硬かったが、それでも他愛のない話を続けるうちにその緊張がほぐれていくのが見えた。
折を見て、今日のドレスがとてもよく似合っていると賛辞を送るとほんの僅かだが表情が硬くなるのが見えて、彼女の心の傷の深さに胸が痛んだ。
後日改めて従姉妹に聞けばメリンダの虐めは昔からだと言う。
他の者がいる場所ではルシアナと強引に腕を組み、仲の良い従姉妹としてふるまっているが二人きりになっている時に同情めかした言葉でルシアナを傷つけているのを、数人が聞いている。
従姉妹やその友人達が、オスカーが知る他の少女達より友人同士で良く褒め合っていると思っていたのはメリンダに頻繁に傷つけられるルシアナを元気づける為のものだと聞いて納得した。
それからは折に触れてルシアナを褒め称え、ただしそれを邪推されないよう共にいる従姉妹や友人の令嬢達も褒め称えた。
友人達やオスカーの努力もあってルシアナは自信を取り戻していき、学園で成績優秀者として数値にはっきりと出る評価を得た事も後押しして、メリンダの事も弾き返せるようになっていった。
それを見届けた頃から、オスカーは予ねてより考えていた外交補佐官の道を本格的に目指し始める。
学園でルシアナと同じく成績優秀者の枠に入ったオスカーは、その成績に加えて血筋と見た目の良さ、人当たりの良さで令嬢達やその親からの人気が高かった。
良い家からの縁談も多く、婿入りを考えもしたが、やはりルシアナの事が忘れられない。
幸い両親は自分達が元々恋仲で、結婚する為に両親、更には親友だったルシアナの両親、メリンダの両親共に協力して政略結婚と言えるだけの意味や価値を作り出した人達だったから、無理に婚姻を勧められる事も無く、いっそ結婚せずに居られる方法を、と考えた結果が外交官の道だった。
大使ともなれば妻を伴う公務も増えるが、大使に仕える外交補佐官であれば妻帯は必須とされない。
勿論妻帯していたほうが外聞はいいが、殆ど国に帰らず外国を飛び回る外交官の妻になりたい女性は多くない。
下手をすれば開戦直前の国や言葉も解らない国に連れていかれたり、危険が多く、時に野宿すら有り得る旅程に伴われるのを皆嫌がるし、かと言って国に残れば五、六年夫が戻ってこないのも常の事。
夫側も、必死に国外で働いて戻ってくれば明らかに計算が合わぬ子どもが生まれていたり、妻が出て行った報せを外国で受け取るのも良くある話だ。
結果的に外交官になりたがる者はそもそも結婚に興味が無いか諦めている者、或いは男性同士で恋仲になり、共に結婚せず働く為に外交官を選んだ者、幸運にも旅を好む女性を妻に迎えられた者、結婚よりも未知の国々への興味を優先した者、それか高い志で国に尽くしたいと思う者が多い。
オスカーの様に叶わぬ恋を抱いて外交官になった者もやはりいるから、同じ道を志す者達との付き合いは気楽で楽しかった。
外交官となる為の足掛かりとして数か国に留学し、その間も折に触れて帰国しては学園に顔を出し、ルシアナと言葉を交わす。
誠実な彼女はエイリークをとても大切に扱っていて、彼以外に目を向けはしなかったが、オスカーの事は大切な友人としていつも歓迎してくれた。
言葉を交わせば交わす程、その美しいエメラルドの双眸に見詰められれば見詰められる程想いが募るのを自覚しながら、決してそれは悟らせない様振舞ううちに、従姉妹から彼女の婚約者がよりにもよってメリンダに奪われた報せを受けた。
驚愕して帰国した時には既に次の婚約者、それも以前より格上の相手とのそれが決まっていて、胸の内で、婚約破棄で傷のついた令嬢ならば手が届くやも、と浅ましい事を思ってしまった己を恥じた。
親しい者だけを集めた茶会でようやくまみえたルシアナは、さぞ傷付いているだろうにそんな素振りはかけらも見せず、堂々とした振る舞いでオスカーの帰国を祝ってくれた。
紹介された新たな婚約者は、オスカーとの親交はなかったものの、こちらを警戒し、牽制してくる程にルシアナを気に入っている様だったから、悔しさや妬ましさはあれどもこれならば大丈夫だろう、と安堵して再び国を出た。
しかしその安堵は裏切られ、あのヴィレッドという伯爵令息もまた、メリンダに手を出してヴィローザ家から婚約破棄を行ったと言う知らせが入る。
その時は留学先で重要な試験を受けている最中で帰国が叶わず、せめて、と元気づけるための手紙やその国の日持ちがする珍しい食べ物や、彼女が好きな猫をモチーフにした小物などを送った。
贈り物には丁寧な礼状と共に近状を綴り、心配しなくても大丈夫だと、そしてまた新たな婚約を結ぶ事になったのだと言う手紙、そしてオスカーが好む故郷の食べ物やルシアナの手で刺繍されたハンカチが返された。
新たな婚約者が決まった、という一文には胸が締め付けられたが、その相手は母国でそれなりに親しくしていた青年で、エイリークや兄と同じく穏やかで生真面目な気質だったから、今度こそ大丈夫であって欲しいと信じて祝いの言葉を送ったというのに、それも結局裏切られてしまった。
またもや従姉妹からの報せを受けて取るものも取敢えず帰国し、従姉妹と共に屋敷を訪れてみれば、流石にルシアナの顔に憔悴が色濃く浮かんでいた
幼い頃から彼女を愛する皆で回復させてきた心の傷が再び深く開いてしまったのは明白で、メリンダを殺してやりたいとすら思いながら必ず他の女性を複数伴って訪ねて行っては言葉を交わし、僅かでも勇気づけられる様務めた。
その間もルシアナは逃げる事無く夜会や茶会の招待に応じ、屋敷での沈んだ顔とは裏腹な堂々とした態度で好き勝手な事を囁きかわす貴族達を笑顔で躱して、降りかかる火の粉を自らの力で払って見せた。
その強さに惚れ直し、それと同時に風評に負けぬ様必死に立ち向かう小さな背を自分の手で支えたいと切望しながらも、既にヴィローザ伯爵が次の婚約者の目ぼしを付けている、と言う噂に行き所の無い手を下ろさざるを得なかった。
心配は絶えぬまま留学先に戻って程なく、兄であるフレッドとルシアナの婚約が決まった、と実家からの報せを受けた時には流石に愕然とし、そして聊かならず荒れた。
異国で醜態を晒すわけにはいかないから、誰も部屋に入らない様に、自分が出ようとしたら止める様に侍従に言い、強い酒を浴びる様に飲んで泣いた。
もう二度と母国に帰りたくないと願い、いっそ国を捨ててしまいたいとすら思ったが、それで二度と彼女のあの美しい瞳を見る事が出来なくなるのも耐えられなかった。
翌朝は酷い二日酔いで起き上がる事も出来ないまま、少なくともルシアナが結婚するまでもう国には帰らないと決めたし、その後も十年単位で国に戻れない激務の配属先を希望しようと誓って、翌日からは感情の全てを勉学に向けた。
押し殺し続けた心はどれ程学業に身を投じても痛み続けたが、彼女が暮らす国を守る為、そして外交向きではない兄と結婚する彼女の苦労を軽減するため、と心を引き締めているうちに、驚くべき報せが届いた。
曰く、あの生真面目な兄がメリンダに惑わされ、どうやら本気で入れ込んでいるらしい、と。
そして、その結果を受けてこれ以上のめりこむようならばオスカーを後継ぎに定め、ルシアナと婚約させたいがどうか、と言う。
高額な金がかかる魔法を使った緊急便で届けられた書簡の、あまりにも自分に都合が良すぎる文面に幻覚かと疑い己の頬を殴ってみたが綴られた文字は変わらない。
即座に帰国するように、とこれもまた恐ろしく高額かつ使用に双方の国の許可を要する転移魔法の使用許可証まで添えられた手紙を懐に、夢かうつつか定かでない様な足取りで留学先の王宮に向かい、転移魔法を以て帰国した。
フレッドには内密に、という事で母国の王宮で両親及びヴィローザ伯爵と面談した後は従姉妹の屋敷に世話になり、事情もオスカーの気持ちも双方知っている従姉妹家族に盛大に祝われながら現状を確認するうちに実感が湧いてきて、部屋で一人になった時には再び泣いた。
情けないとは思うが、もはや喜びを通り越して呆然とした気持ちのまま数日ふわふわとした気持ちで過ごすオスカーを、従姉妹家族が温かく見守ってくれるうちに、フレッドが遂に一線を越えてしまった。
愚かな事を、と常識的に思う気持ちと、よくやってくれた、と歓喜する浅ましい感情、双方を胸に沸き上がらせながら帰国後初めて顔を合わせたルシアナは諦めきったような顔でオスカーに謝罪する。
何故謝罪など、と思った所で、これまでオスカーが彼女に友人として以上の顔を見せたことなど無い事を思い出す。
きっと、表には見せなくとも深く傷ついている彼女は自分などと婚約せねばならないオスカーに申し訳ないと思っているのだろう。
そう察してすぐ、自らの想いを告げようとも思ったが、それを理性が止めた。
ちょうど明日行われるガーデンパーティで婚約破棄を宣言すると愚か者二人が言っていると監視者からの報告が入っていて、ルシアナもそこで二人に引導を渡す、と言っている。
追い詰められたメリンダが、これまで人前では行わなかった中傷を観衆の前で行う事は十分に想像できるから、そこで改めて、ルシアナに長年の想いを告げた方が彼女にまとわりつく心無い評価を弾き飛ばすには効果的だろう。
きっととても驚かせるだろうが、明日、どれだけ堂々と振舞っていても心の内で深まっていく傷を吹き飛ばすにも、その驚きは役立つだろうと思えた。
ずっとオスカーをただの友人と思ってきたルシアナが、すぐに恋情を抱いてくれるなどとは思っていないが、どのみちオスカーと婚約し、後々結婚するのならば何十年掛かってでも口説き落とせばいい。
元々嫌われていないし、誠実な彼女がオスカーの想いに真剣に向き合ってくれるのは解っているから、希望は十二分にある。
そんな思いを隠して挑んだ断罪の席は思った通りに運び、四度も婚約者を奪われたルシアナへの評価は、若い令嬢達に人気を誇り、婿入り先も選び放題だったオスカーに婚姻を要さない外交官の道を選ばせるほど長く愛され続けた令嬢へと形を変えた。
そして、ルシアナ自身にも変化があった。
人目のある場所ではある程度節度を保って、人目の無い所では心に浮かぶまま全ての賛辞を余さず注ぎ、繰り返し、時に羞恥にかられたルシアナに叱られるほど情熱的に口説き、ほめそやすオスカーの言葉を浴びるうちに、ルシアナの心が癒されたのだろうか。
元々美女ではあったが少し硬い所のあった彼女は、蕾が綻ぶように美しくなっていった。
微笑みはまさに花が開くように柔らかく、光あふれるものに変わり、所作にも作ったものではない自信と華やかさが加わった。
夜会や茶会で一時的に離れていた後、オスカーを見出した時の微笑みは、最初の頃は恥ずかし気で少し遠慮がちなものだったが、今は心から喜びを顕わにしてくれる。
メリンダと言う重荷を外されたルシアナの、これまで見せて来た麗しい姿が実は未だ蕾であったのだと思わせるような変化は物見高い貴族たちの間でも驚嘆を以て受け入れられ、今では寝取られ令嬢だのという言葉を囁く者もほとんどいない。
婚約を結んだ後は積極的に二人で様々な夜会や茶会、劇場や催し物に訪れてはオスカーが情熱的に彼女をほめそやし、恥ずかし気にしながらも喜びを見せるうちに、長年の片恋を叶え、侯爵家の後継ぎとなった幸運な青年と、その愛を受けて見事花開いた愛される令嬢として、理想のカップルとまで言われるようになっている。
これまでの半生を思い返しながら、オスカーは幸福に満ちた溜息を零した。
一年に及ぶ婚約期間を終え、明日、二人は婚礼を挙げる。
今まで気持ちを抑えて来た十数年に比べれば一瞬と言うほどの時間であるはずなのに、この一年は実に長く感じられた。
婚約式と披露のパーティを終えてから一旦留学先へ戻り、家督を継ぐことになったから、と残っていた単位を一週間で取り終えて卒業資格を得て帰国するまでも本当に長かった。
ルシアナを思うままに褒め称え、夜会や茶会にエスコートし、ファーストダンスから誰にも譲らず踊り続けても誰にも非難されない生活は幸福だったが、一刻も早く婚礼を挙げてどれ程彼女を愛しているのかもっとはっきりと教えたい、柔らかな唇に口付けて、それよりもっと深い場所で触れ合いたいと逸る心をどうにか抑え続けた一年間だった。
ルシアナから、まだ愛していると言われた事は無いが、そう遠からず彼女の心を完全に得られると言う確信がある。
明日の初夜は、彼女がまだ受け入れられないようなら我慢する心積もりではいるのだが、婚礼では口付けられると思えばそれだけでも嬉しい。
これから訪れる幸福を思ってほう、と溜息を零した背後で扉が開く音が響き、オスカーはそちらへ目をやった。
お読みいただきありがとうございました。
明日は13時ごろに続きであり最終話となるオスカー視点をアップ予定です。
気が向いたらルシアナ視点の後日談も書くかもしれません。
もう一本の猫好き令嬢のランクインに引っ張られてこちらまでまさかのランクインさせていただきました。
本当にありがとうございます。
初めて書く物なので不慣れですが、今しばらくお付き合いいただけますと嬉しいです。
なお、もう一本婚約破棄ネタの完結済みストックがありますので、最終話前後にそちらの1話も投稿予定です。
よろしければお読みいただけますと嬉しいです。