フレッドの今と未来
フレッド視点です。
◇◇
「フレッド様。奥様の件ですが……」
役所から戻り、すっかり金目のものが無くなった部屋に嘆息していたフレッドは、背後から不意に掛けられた声にも動じることなくそちらをちらりと見遣った。
「……彼女を連れて出た男は、信用できる相手かい?」
メリンダがここしばらく市井の男達と通じていたのは、町の噂や彼女の言動の端々から察していた。
そろそろ出ていく頃かとも思っていたし、今朝は珍しくフレッドに言葉を返しもしたから、今日あたりだろうか、と感じていたが、その通りの顛末に苦笑しか浮かばない。
騙されていた事、自分に訴えていた事や見せていた人格も全て偽りだった事、様々に思う所はあったが、それに引っかかった己の落ち度でもあるし、夫婦となった以上はしっかりと向き合い、関係を築いていくのが自分の為すべき事だと、そう考えていた。
一度は愛した人だし、あの頃、ただでさえ優秀過ぎる弟と、彼の方が当主に向いている、と囁く周囲や言葉にせずとも考えている家族の存在に苦しみ、そこに持ち上がった縁談の相手であるルシアナの優秀さにもまた苦しんでいた自分を、彼女が救ってくれたのは確かだった。
それは逃げでしかなかったが、自分でもオスカーの方がディレンズ侯爵家の持つ使命を果たすために有用であると理解し、それでも長男であるだけで後継ぎにならねばならない現状が、ずっと苦しかった。
フレッドは気が弱く、社交が苦手ではあったが成績は良かったから、自分とルシアナが縁づくよりもオスカーとルシアナが結ばれた方がより国と家の為に役立てるのが誰に言われずとも良く解っていて、そして周囲もそう思っているだろうと思えば余計に社交界が嫌になった。
ルシアナが素晴らしい人であり、頼りない自分を支えようとしてくれている事は理解していたが、背にのしかかる期待や責任は、フレッドが背負うには重すぎた。
次男として生まれていれば、外交に勤しむ当主の代わりに務める領地の運営や王宮の文官として頭角を現せただろうに、と父が祖父と話しているのを耳にし、屈辱よりも激しい同意を感じた位には、フレッドは己の適性を弁えている。
ガーデンパーティであんな事をしでかしたのは、メリンダのそそのかしや知らぬ間に盛られていた興奮剤の作用もあったが、恐らくその根底に、こんな騒ぎを起こして廃嫡されれば正しい者が当主にたてるだろう、重圧からも解き放たれるだろう、という考えもあったのではないかと思う。
メリンダはあんな事をしても侯爵夫人になれると思い込んでいた様だが、そんな訳は無い。
正気になって思い返せば、よくこんな緩い処罰で済んだ物だと思う様な大醜聞だ。
浅はかなメリンダの思惑に本来なら諫めねばならない自分の、押し殺して目を背けていた本心が重なった結果、彼女にも取り返しのつかない失態を犯させてしまった。
本性を明らかにした今となっては心から愛するのは難しかったが、それでもその贖罪を籠めて関係性を築き、出来れば彼女にもこの町の暮らしに幸せを見付けて欲しかったのだがやはり難しかったのだろう。
「……質の悪い女衒です。行商に回る傍ら目ぼしい娘や女を見付けてそそのかし、駆け落ちと称して連れ出しては娼館や奴隷商に売り飛ばすのが本業で……奥様は生娘でもございませんし、奥様の方から連れ出すよう強くせがまれただけで本来の狙いは別の娘だったようですから……まあ、良い場所に売られるとは思えませんな」
侯爵家から付けられていた監視役が苦笑交じりに言う。
彼はフレッドが幼い頃から仕えてくれていた者だから、フレッドの没落に関与したメリンダに良い印象は抱いていないものの、かつての主の心情を思いやって嘲笑はせずにいてくれた。
「……仕込みでは無く、偶然かい? 彼女が単純に逃げ出した場合は、どうなる予定だった?」
「仕込むならもっと上手く仕込みますよ。……お一人でも男とでも、ここから逃げられる様でしたら、捕縛して辺境の修道院に籠められる予定でしたが……お父君、ならびに伯爵様はそのまま手を出すな、と仰せです。特に伯爵様のご要望で」
「……そうか……。そうだろうね……」
パーティーの後で共に対面した伯爵の怒りの凄まじさを思い起こし、嘆息する。
「……まだ、未練がおありで?」
「未練、は無いかな。彼女を今更女性として愛する事は難しい。それでも……一度は愛して、一年ばかり、名目上とは言え、夫婦として暮らした人だからね。……もし可能なら、せめてあまり酷い場所に売られないよう、手を回して貰えないだろうか。……これは僕の個人的な願いで、僕には今後の給料位しか差し出せるものが無いから、無理にとは言わない」
今の自分にそんな要望を出す資格も力も無い事は良く解っている。
自分の今の状況が自身で招いた事であるように、彼女の現状もまた、愉しい方へ、楽な方へ流され、現実を見る事無くルシアナを妬み続けた結果だ。
それでも、今後彼女に降りかかる苦難が少しでも軽い物であるよう願わずにはいられなかった。
「畏まりました。ああ、対価は不要です。ずっとお仕えしてきたフレッド様への義理立ての様なものですから。……侯爵様より、奥様との離縁を許可されました。今後十年この地で真面目に勤め上げた後、領地に戻って領地運営に携わるように、との事にございます」
監視役の言葉に、再びそちらをちらりと見遣り、嘆息した。
故郷に帰って外交ではなく領地の運営に携われるのは嬉しい事だが、自分がたった十年で許されて良い者かという気持ちも強い。
「フレッド様におかれましては、事件前夜に一度、当日朝からも再度と重ねて薬物を盛られていた事で多少罪科を緩められております。……領地に戻ってからは、ご家族の内々の集まりなどへの参加も許され、再婚についても家臣の娘から、と。当地の領主様より、真面目に働き、優秀である、と評価が上がっておりますので、いずれ領主様の膝元に異動となる可能性もありますが……当地の女性とは婚姻及び妾とする事も許されませんのでお気を付けください」
「……今は女性の事はあまり考えたくないから、その心配は無いよ。仕事も、僕に向いていて、楽しいしね。……父上には御礼を、伯爵様には重ねてお詫びを申し上げておいて欲しい。いつか、お目にかかる御慈悲を頂けた時には、ルシアナにも伯爵様にも改めて謝罪をさせていただく」
とはいえルシアナはあの情熱的なオスカーに心底愛されている様だから、僕の事など忘れているだろうけれど、と苦笑すると苦笑が返されたから、彼らは上手く行っているのだろう。
そろそろ執り行われる婚礼に参加できる身の上ではないが、手紙は許されているから内々に祝辞を贈りたい、と頼むと予め用意されていたらしい慶賀用の豪奢な便箋を渡され、久々に触れる上等な紙の感触、上等なペンとインクの滑らかな書き心地に目を細めながら心を尽くした祝福の言葉を記した。
婚礼で喜ばれる花を咥えた番の鳥と、それを取り囲む花と実を付けた植物が手書きされた美麗な封筒に収めると、その間に溶かされていた金色の封蝋と共に、今回は特別に、と侯爵家の紋を入れた印章が渡される。
もう生涯使う事は無いだろうと思っていたその紋に息を詰めながら、溶けた蝋の上に印章を下ろした。
ゆっくりと離した金の印章の下から現れた、たった一年しか離れていなかったのに妙に懐かしく感じる紋章を指先でなぞる。
手紙を押し頂いた監視者を送り出したフレッドは、遠い王都で暮らすルシアナとオスカーが幸せであるように、そしていずこかへと消えてしまうのだろうメリンダが、少しでも救われる事があるように祈りながら沈黙に包まれた部屋で重い溜息を零した。
お読みくださりありがとうございます。
フレッドはこの後堅実に勤め、罪を償ったのち、家族と再会して寡婦と再婚し、静かに余生を過ごしました。
メリンダもここでともに生きていれば夫婦で許される未来でした。
明日はオスカー視点の後日談を13時ごろに投稿予定です。
よろしくお願いいたします。