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寝取られ令嬢の逆襲 作者:ねこやしき
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◇◇



「お疲れ様。……大丈夫かい?」


 来客達が興味深い余興と美味な酒を楽しみつくして帰っていき、静かになった侯爵邸のバルコニーで佇んでいたルシアナは、背後から掛かった声に振り向いて笑みを浮かべた。


「なんともないわ。……今日は、ありがとう。あなたのお陰で、あまり傷付かないで済んだわ」


 歩み寄って隣に立つオスカーに、社交用ではない、学園や家庭内での少しくだけた口調で感謝を述べると、琥珀色の目が優しく微笑む。


「君を少しでも守れた様で何よりだ。……ルシアナ。さっき僕が君に伝えた事は、掛値の無い本当の気持ちだ。僕は、ずっと君が好きだった」


真摯な言葉に頬が赤らむのを感じ、それを隠そうと俯く。


「……私……ちっとも気付いていなかったわ……」


 オスカーと出会ったのは最初の婚約が決まる少し前の、上位伯爵家以上の親しい家柄の子女を集めた茶会で、その後も父親同士に親交があった影響で頻繁に顔を合わせていた。


 学園に入学してからの彼は短期・長期の留学を繰り返していたが、最初の一年は母国での人間関係を作る為に留学せず、ルシアナと同じクラスで共に学んだし、国外に出た後も折に触れて帰国しては籍を置いたままの学園に顔を出していたから、子供の頃よりも頻繁に交流し、他の大勢の友人達と共に昼食を楽しんだり、授業中や放課後に様々な討論、議論を繰り返し、或いは彼が赴いた各国の話に皆で耳を傾け、他愛のない会話を交わした。


 その間、彼が他の友人女性達とルシアナの扱いに差をつけた事は無かったし、ルシアナもまた、婚約者がいる以上他の男性を恋情の目で見る事は有り得なかったから、あくまでも大切な友人としか思っていなかった。


「気付かせない様にしていたからね。君と結婚は出来なくても、友人としての距離を大切にしたかったんだ。……子供の頃に一目惚れして、その後は言葉を交わすごとに君の中身ごと好きになったし、学院に入って毎日会う様になってからは、考え方や努力家な所、領民や家族、友人、……それに婚約者をとても大切にしている所、下級生や子供に親切で、教師や先輩達には礼儀正しくも理不尽には毅然と対応する所、猫が好きで、授業中でも窓の外に猫を見付けると猫を触りたくてうずうずしている所とか、新しく何かを知るたびに、そこが好きになっていったんだ」


 賛辞ばかりか少々恥ずかしい場面まで見られていたことを初めて知り、様々な羞恥で顔がより熱くなる。


「……だから、君がエイリークと結婚するのを間近で見ていたくなくて、この国に戻らずに済む方法を探していたんだ。国を捨てるつもりはなかったから、国元に殆ど戻らず、大使について諸国を転々とする官吏にでもなろうかってね。君が兄上と婚約した事を聞いてからは、殊更に。それが、こんな風に君との将来を考える事が出来る様になって本当に……嬉しいんだ」


 微笑みと共に囁かれ、ルシアナは頬を染めながらもその端正な顔を見上げた。

 冷静に顔立ちだけを見ればフレッドとオスカーはよく似ているのに、その中に宿る人格が違うだけで、随分とその印象が変わる。

 フレッドは如何にも柔和で温和な風貌だったが、オスカーは精悍で、文官というより騎士のような凛々しさがあった。

 二人とも顔立ちは整っているから、どちらが好きかはそれこそ好み次第だろう。


 ルシアナ自身はどちらが好みだろうか、と考えてみて、自分が異性の好みについて考えたことが無かったことに気付く。

 幼い頃から婚約者がいて、婚約者に対して誠実でなくては、と思っていたから他の異性について考えること自体が有り得ないと思っていた。


 今もその考えは変わらないし、婚約者となった以上はオスカーの事を一番に考えていくつもりだが、一旦その考えを外してじっくり自分の心を探ってみる。


 最初の婚約者、エイリークは気弱ではなかったがやはりおっとりとした性格で、社交や争いごとなどは得手としていなかった。

 ヴィレッドは堂々とした体躯と物腰の持ち主で見るからに自信にあふれていて、強気故に交渉事を有利に運ぶのは上手かったが少々傲慢で軽薄な所があり、その後のレイトンはやはりフレッドやエイリークに近い、流されやすい人だった。


「……これまで、私は自分の婚約者以外の殿方を友人として以上に考える事は、意識的にしないようにしていたの。でも、それを外して考えてみると……オスカー。あなたの事、今までの婚約者達の中で一番好ましい人だと思うわ。これまであまり意識していなかったけれど……どうやら私、あなたの様に快活で社交的な人が好みだったみたい」


 これまでの事……婚約者達の事や学内や夜会で知り合った様々な男性の事を脳裏に甦らせ、その中で繰り返し会話をしたいと思ったのはどういう男性だったか、などじっくりと考えてから告げると、オスカーはその琥珀色の瞳を瞬いてから破顔した。


「本当かい? それはとても嬉しいな。君はいつもエイリークを立てて優先していたから、彼や兄上みたいなおっとりとした人が好きなのだと思っていたよ」


 オスカーの言葉に、ルシアナは肩を竦める。


「だって婚約者ですもの。勿論嫌いでは無かったわ。優しい人だったし、浮気される前は仲良くやれていたと思うの。いずれ結婚するのだと思っていたから、無意識に彼以外に想いを向けない様にしていた部分はあると思うけれど……それでも、私、あの人の事を好きだったわ」


 裏切りを知った時の心の痛みを思い出して、唇を噛む。


「それでも結局政略結婚には違い無かったから、彼が本当に好きな人を見付けて愛し合っているなら仕方ないと思って、その後のヴィレッド様までは良い点を見付けて好きになる努力をしていたの」


 血がにじむ心を抑えて好意を持つよう努力し、数か月で婚約者らしく距離を縮めた筈のヴィレッドとも、それなりに良い関係を築けた筈だった。

 彼も少々傲慢ながらルシアナを気に入った様で贈り物や茶会は欠かさなかったし、口付けを迫られた事もあった。


 その時はもう少し時間が欲しいと頼んで逃れたが、まだ婚約者が変わったばかりだから、と納得してもくれたのだ。

 しかし、彼は結局、自分が気に入ったルシアナを捨ててまで前の婚約者が選んだ女がどれ程の物か気になった、というくだらない理由でメリンダの誘いに乗り、一度きりの遊びとして隠していたものを、メリンダ本人によって小規模ながら夜会と言う公の席で暴露された。

 ルシアナも当然ヴィレッドのエスコートで参加していた夜会での暴露はすぐさま人の口を伝って社交界に知れ渡ったし、その日のうちに報告された父は激怒して婚約破棄を申し入れた。


 不始末の暴露に蒼白になったヴィレッドは何度も謝罪を入れ、婚約の継続を望んだが、父の怒りは激しかったし、ルシアナもそれをかばうほどの思い入れや気力が無かったから、そのまま破談となった。


 その後のレイトンについては語る程の事もなく、フレッドの方は詳細を敢えて聞かずに済ませた。


「レイトン様やフレッド様にだって、あまり踏み込まないようにはしていたけれど、ちゃんと良い所を沢山見つけたわ。どの方と結婚しても、浮気さえされなければ……いいえ、それだって結婚後にメリンダ以外と、ならそれなりに幸せに暮らせたとは思うの」


「……そうだろうね。君はとても誠実で、優しい人だから」


 少し落ち込んだ様子で、オスカーが頷く。

 そういえば親しい御夫人が、婚約者や夫の前では他の男、特に過去に付き合いのあった相手の話はしないほうがいい、と言っていたのを思い出して僅かばかり焦りながらもルシアナは言葉を続けた。


「でも……そうね、今までのどの婚約者にも、私、恋はしていなかったと思うわ」


 口に出してみれば、まだ痛んでいた心の傷が和らいで、清涼な風が吹き抜けたような心地に微笑みが浮かぶ。


「私、今はまだ、あなたと同じ熱量で恋が出来るのかは解らないわ。でも、オスカー。あなたと一緒に暮らすのは、きっと気負う事も少なくて、とても楽しいと思うの。……色々あって、とても辛かったけれど……最終的にオスカーと結婚出来るのなら、私、今までの婚約者の誰と結婚した時よりも、一番幸せになれる気がするわ」


 不思議なほどに確信を持って言えば、目を見開いてそれを聞いていたオスカーが不意に微笑み、そっとルシアナの手を取った。


「約束しよう。僕は決して、これまでの婚約者のような不実な真似はしないし、君を世界一幸せな女性にする。その為にも、君が僕に恋をしてくれるよう全力で口説かせてもらうよ」


 覚悟して、と耳元で囁く声はこれまでに聞いた事が無い程に甘く、耳朶に掛かる吐息は熱い。


 直接肌に触れる事は決してないにも関わらず、その吐息が微かに触れ、低い囁きが耳の奥に響いただけでぞくりと背筋を何かが這い上がり、ルシアナは思わず息を呑んで一歩後ずさった。


 未知の感覚に動揺しながらオスカーを見上げる顔がみっともない程に赤いのを自覚する。


「どうしたんだい、顔が茹でたみたいに赤くなってるよ?」


 くすくす笑いながら問うオスカーがそれ以上距離を詰めようとしない事に安堵しながらも、ルシアナはその琥珀色の瞳をきっと睨んだ。


「へ、変な事、しないで頂戴!」


 正直な話、一般的な貴族令嬢らしくあまり色事の類について詳しい事を知らないのではっきりとは解らないのだが、今された事は何かそういった類の事だろうという事位は解る。

 しかし具体的には解らないので曖昧な表現で詰ると、オスカーは更に笑みを深くした。


「やっぱりルシアナは可愛いな。今のは本当に大したことのない、ただの囁きだ。君が受け入れてくれるまで、もしくは婚礼を挙げるまで、手の甲……と後は指先と掌かな。そこ以外には決して口付けないと誓うよ。実際今だって、触れてはないだろう?」


 にやにやと笑うその顔は、学園や夜会でオスカーがたまにルシアナを揶揄う時に見せていたものとよく似ているが、しかし何かが決定的に違う。


 婚約者となる事を受け入れたのは軽率すぎたかもしれない、と危ぶみながらも、決して嫌な気持ちではなく、むしろこれまでに無いそわそわとした落ち着かない気持ちが妙に心を浮き立たせるのを感じて困惑した。


「……意地悪な人は嫌いよ」


「意地悪なんてしないさ。世界で一番愛しいルシアナには、僕は世界一優しい男になれるよ」


 つい、と顔をそらして言うルシアナに、笑みを含んだ声で答えるオスカーがまるで堪えていないのは明らかで、溜息が零れた。


「好きに言ってなさいな。そう簡単にはいかないわよ」


 婚約者となったのだから彼を好きになる努力はするものの、なんとなく素直に応じるのは悔しく思えてじとりと睨めば、オスカーは楽し気に笑って手の中に捕らえたままのルシアナの指先に恭しく口付ける


「ああ。今まで何年も、必死に想いを殺して耐えて、この先一生、誰かのものに……最悪な事に兄上のものになった君を見ていなくてはならないと、そう思っていたんだ。それが、例え想いを貰えなくても君を妻に迎えられる。この僕が、だ。それなら、いつか君が想いを向けてくれるまで。この先十年でも二十年でも、幾らでも待つよ。……愛してる。心の底から、君を…………」


 連ねられる言葉に顔を赤らめ、目線を落としていたルシアナは、不意に途切れた声にちらりとその顔を見て目を見開いた。


「お、オスカー、あなたどうして……泣いてるの……」


 閉ざされた瞼からぽたり、ぽたりと雫が零れている事に狼狽えながらもハンカチを取り出しそっとその目尻に押し当てる。


「ごめん……余りにも……嬉しくて……。……情けない所を見せたね……」


 小さく鼻を鳴らしたオスカーが涙を零しながらも微笑み、ルシアナが差し出したハンカチで目元を隠しながら顔を逸らした。


 その耳が羞恥故か、赤く染まっているのを目の当たりにしたルシアナの胸に、表現しがたい感情が湧き上がってくる。


「……オスカー、あなた、その、そんなに、私の事を……好きなの……?」


 これまで努めて恋愛沙汰に触れてこなかったルシアナにも、流石にこの婚約が嬉しくて泣いているのだという事位は察せられ、躊躇いながらも問うとオスカーは頷いた。


「……一生、手が届かないと思っていたんだ。良い婿入りの話もあったけど、どうしても駄目だった。君以外とは、誰とも結婚なんてしたくなかった。……それなら、外国を飛び回る一般官吏になれば、仕事的にも身分的にも妻を取らない言い訳になると思って……それが一番の理由で、仕事を選んだんだ。この国にいれば、どうしたってエイリークの妻になった君と会わない訳にもいかないしね。それなのに……君が、僕の妻になってくれる。嬉しくて、嬉しくて……もっと余裕がある所だけ見せていたかったのに、格好悪くて嫌になるよ……」


 まだ涙が止まらないのか、目元を抑えたまま、微かに震える声で告白するオスカーの姿を見ているうち、先程感じた不可思議な感覚がより強くなるのを感じたルシアナは、狼狽えながらも心が望むまま、そっとオスカーの頭を抱き締める。


「……格好悪くなんて無いわ。……私…………嬉しいの。四度も捨てられた私を、こんなに好きでいてくれる人がいたなんて……思いもしていなかった。家族や友達になんて言われたって……あなたになんて言われたって、皆が優しいだけで、やっぱり私は魅力が無いんだって……誰にも恋をされる事なんて無いんだって……そう思うのを、抑えても抑えても止められなかったの。でも……あなたが………………」


 そこまで口にした所で耐えられなくなり、ルシアナの目からも大粒の涙が零れ始めた。


「……ありがとう…………こんなに私の事を、好きになってくれて……本当に、ありがとう……っ……」


 部屋で一人の時に幾度も流した涙では解けなかった心を縛る鎖が、オスカーの流す涙と自分が流す涙で少しずつ溶けていくのを感じながら、ルシアナはオスカーの髪に顔を埋めて子供の様にしゃくりあげる。


 その背をオスカーの手がそっと撫でた。


「……君を、抱き締めてもいいかな」


 掠れた声の囁きに声も無く頷くと、それまでルシアナに抱き締められていたオスカーがそっと体勢を立て直し、広い胸にルシアナを抱きよせる。


「君はとても魅力的だよ。あの女や他の誰がなんと言おうと僕は君を心の底から愛してるし、魅力的過ぎてさっきの誓いがなければ今すぐキスして部屋に連れ込みたいくらいだけど……睨まなくてもそんな事しやしないよ。したいけれどね。……仕方ないだろう? そんな泣き濡れて赤くなった目で睨まれたら男なんてもう、一瞬で陥落してしまうんだから」


 苦笑したオスカーがそっとルシアナの手を取り、指先に口付けた。


「愛してる。自分でもどうしてか解らない程、君が好きだ」


 掠れた声で囁きながらその唇が掌に触れ、次いで甲にごく軽く押し当てられる。


 約束の通り、手以外には触れていない筈なのに、僅かに唇が触れるだけで心臓がひときわ大きく脈打ち、顔ばかりか全身が熱くなった。


 何か答えなくては、と思いながらも、ルシアナの持つ知識や経験では何をどう答えればいいのか解らず、口をつぐんだまま俯く。


「困らせたかな……ごめん。でも、止めようがない程君が好きなんだ……」


 そっと、しかし力強くルシアナを抱き締めるオスカーが微かな声で耳元に囁く。


 大切な宝物を扱う様にそっと抱き締める優しい腕の中で、生まれて初めて捧げられた熱を帯びた言葉を聞いていると自分でも見ないようにしていた心を穿つ深い傷が少しずつ癒されていくのを確かに感じた。

 それに従って暖かくなっていく胸の内に湧き上がった感情が恋なのか、それとも傷付いていた心が縋る相手を求めているだけなのか、それはまだ判別出来ない。

 それでも、こうして傷を癒し、大切に扱ってくれるオスカーと婚約を結べたことは、この上ない僥倖だと確信出来た。


 自分が同じだけの感情を返せるか、まだ解らないが、少なくとも今までの婚約者達に対するよりもずっと心を入れて接しようと思うし、それが決して義務感だけで行う作業や苦痛を伴うものではなく、むしろ楽しい事になる予感がある。


 これまで感じたことのない、少しふわふわとした感覚と共に遠くない未来に訪れる未知の感情を予感しながら、ルシアナは広い胸にそっと頬を寄せ、満ち足りた気持ちで目を閉じた。


お読みくださりありがとうございます。

この部分を一番書きたかったのでここまで無事投稿出来て嬉しいです。

次話はメリンダ視点のその後を、明日13時位に投稿予定です。


ブクマ50超えたのが嬉しくて勢いで本日予定に無かったオスカー視点を最後に付け加えた結果、あらすじで3万5千と言っていたのが4万7千位になりました。

本当にありがとうございました!

もし気に入ってくださいましたら、ブクマ・評価などいただけますと大変ありがたいです。

よろしくお願いいたします。

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