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来客たちの盛り上がりが落ち着いた所で、まだ呆然としていたルシアナは我に返る。
「あっ……あの…………わたくし……」
何か答えねば、と思うが、自分らしくもなく顔が真っ赤に染まり、言葉に詰まった。
「今答えなくてもいいんだ。勿論、結婚自体は決まっている事だけど……僕が初めて会った時から君をずっと好きで、立場さえ許せば求婚したいと思っていた事と、この婚約に躍り上がりたいほど喜んでいる事……そして、君が絶対に不細工でもなんでもない、僕にとって世界で一番きれいで可愛くて、魅力的な女性だって事だけは、解っていて欲しい。ああ、もちろんメリンダに惑わされる事も無いよ。君をいじめていると知った時から大嫌いだからね」
安心して、と微笑む目は優しく、ルシアナは頬以上に目頭が熱くなるのを感じながら、小さく頷く。
「……その、お、驚いたけれど……とても、嬉しいと思うわ……。……ありがとう、オスカー……」
次々に積み重ねられる予想外の賛辞に対峙していた二人の事など頭から吹き飛んでしまったルシアナは、動揺の余り言葉が震えてしまう事を恥ずかしく思いながらも頷いたが、羞恥に耐えられなくなって顔を両手で覆い、俯いてしまう。
最初の醜聞の時から人前では決して弱さを見せず、囁かれる噂や皮肉を正面から笑顔で切り捨てて立ち向かってきたルシアナが、真摯な告白に耳まで赤く染めて俯く様が周囲の者達にはこれまでの毅然とした姿からは思いもよらぬ程初々しく見えて微笑ましい空気が広がった。
「いい加減にしなさいよ! そんな女より私の方が侯爵夫人にふさわしいに決まってるでしょ! ルシアナみたいな不細工じゃ外国の客だって満足しないもの! 私なら誰だって満足してくれるわ! あんた目がおかしいのよ!」
最初のうちは辛うじて保っていた淑女らしさをかなぐり捨てて叫ぶメリンダを、オスカーが白い目で見遣った。
「悪いがディレンズ侯爵家には来客のベッドに当主の妻を送り込む様な野蛮な風習は無いんだよ。娼婦を妻として扱う習慣もね。そういった接待が必要になった時には高級娼婦に依頼するから必要ない。彼女らは分も弁えているし外国語も解れば賓客に対するマナーもきちんと教え込まれているからね」
にべもなく言い捨てた言葉は貴族の令嬢に対してはとてつもない侮辱だが、メリンダのこれまでの行状と、先程の発言ではそう取られても仕方がない。
「なっ……そんな事言ってないでしょう!? パーティや茶会でもてなすのだって私の方が適任じゃない! ルシアナじゃ御夫人方だってつまらないわ!」
「君さあ、女の子の友達いないでしょ。知ってるよ。そんな令嬢が一体どうやって賓客の御夫人方をもてなせると思うんだい? そもそも外国語も話せないだろう? ……流石にこれ以上はみっともないから、男爵殿の所に行こうか。不肖の娘だが最後のお別れだけはしておきたい、と仰っているからね。君達の荷物はもう作ってあるから、この屋敷から兄上と共に任地へ向かってもらう事になる。兄上、兄上は絶縁こそされないけれどこの屋敷に戻って来る事は禁止されるし、兄上の子にも継承権は与えられない。父上と母上が男爵殿と共に応接室でお待ちだから、メリンダを連れていってくれ」
メリンダに対しては面倒くさそうに、フレッドに対しては兄弟の情を感じさせる口調でオスカーが言うと、わめくメリンダの背後で芝生に座り込んだまま項垂れていたフレッドがのろのろと顔を上げ、頷くと立ち上がる。
「……メリンダ、行こう」
「嫌よ! なんでよ! ルシアナじゃなくて私が侯爵夫人になるのよ! あんたなんか侯爵にならないならなんの意味も無いじゃない!」
激昂したメリンダが差し出された手を叩き落としてわめきだし、それを聞いたフレッドは悲し気に目を眇めた。
彼は彼なりに、真剣にメリンダを愛していたのだろうが、メリンダにはその気持ちは伝わらなかったらしい。
彼女が、『ルシアナの婚約者』と言う枠組みにとらわれることなく本心から愛する人を選び、愛し合って筋を通した結果であればこんな結末ではなかったのに、結局メリンダは幼い頃から妬み続けたルシアナのものを奪う事に執着するばかりで、寄せられた心も、本来得られたものも全て投げ捨ててしまった。
「メリンダ。ディレンズ侯爵家とヴィローザ伯爵家は敢えてこれだけのお客様の前で、あなたの処遇を宣言したの。もう覆す事は出来ないし、あなたが社交界に居続ける事も不可能なのよ。こうならない様に、今日まで何度も叔父様と叔母様、貴女のお兄様やお姉様たちもあなたを叱って、たしなめたでしょう? それを聞き入れなかったから、こうなったのよ。これ以上恥を晒す前に、大人しくフレッド様についていきなさい」
「恥!? 恥ですって!? 恥ならあんたの方がよっぽど晒してるじゃない! 婚約者を四度も奪われた捨てられ女のくせに! これから一生社交界の笑いものよ! あんたの身分があるから表向き何も言わなくたって、あんたがいない所では皆馬鹿にして笑うのよ!」
嘲笑と共に投げつけられた呪詛の言葉に、ルシアナは眉を顰める。
目を怒らせて口を開こうとしたオスカーをそっとその腕に手を添えて制し、静かな目でメリンダを真っ直ぐに見据えると彼女はたじろいで僅かに身を引いた。
「ええ、そうでしょうね。良く解っているわ。だからこそ……もうこれ以上慈悲を与えるわけにはいかないのよ。いいえ、これでも慈悲は与えているのよ? もしあなたが従妹ではない、ヴィローザとは無縁の男爵令嬢ならば、あなたのお父様、お母様や他の従兄弟達と良い関係でなければ。ここまで執拗に私を侮辱するあなたを合法的に排除するなんて、簡単な事なの。違法な手段を取ってもいいならもっと簡単ね」
一度たりとも目をそらさず、平坦な口調で無感動に告げるとメリンダの喉がひくりと鳴る。
「私がもっと苛烈な性格なら、あなたは今頃とてもとても悲惨な目にあっていたわ。実行しないだけで、こうしてやりたい、と思う事は幾らでも浮かんでくるもの。お父様やお兄様達の頭の中には、私には聞かせられないほど怖い事があるそうよ。実行しないよう頼んだのが、私からの最後の慈悲。もちろん子供の頃から一度たりとも仲の良かった覚えが無いあなたのためじゃなく、良くして下さった叔父様達ゆえの慈悲よ。これ以上は無いわ」
一切表情を変えぬまま言って一歩踏み出すと、メリンダが無意識に後ずさった。
「メリンダ。もうあなたは平民なの。この場にいて良い平民は、使用人と警備兵だけ。それ以外は不法侵入者よ。警備兵に引きずり出されたくないなら、自分の足で出ていきなさい」
有無を言わせぬ言葉に反論しようとしたメリンダに、予め打ち合わせてあった通り二人の警備兵が歩み寄る。
「さあ、どうするの? 彼らに腕を掴まれて引きずり出されたいなら抵抗すると良いわ」
告げながら微笑みを浮かべると、警備兵がメリンダに腕を伸ばす様に遂に観念したのか、ルシアナを憎々し気に睨んだメリンダは警備兵達の腕を躱して踵を返し、周りを囲む観客たちの多さと冷ややかな視線に僅かにたじろいだ後、侯爵家の屋敷へ向かって足早に歩き始める。
「メリンダ……」
ずっと項垂れていたフレッドはその背中に向けて悲し気な声で名を呼ぶと、ルシアナに向き直った。
「……すまなかった。許される事では無いし、許さなくていいけれど、もう会う事は無いだろうから、今謝らせて欲しい」
一連のやりとりを見て冷静になったのか、まだ苦し気にしながらも頭を下げる。
「……とても、残念に思っておりますわ。愛はなくとも、誘惑さえ退けて下さったら穏やかな夫婦になれるだろう、と思っておりましたのに」
小さく嘆息して言うと、フレッドは苦笑した。
「そうだね……。馬鹿な事をしたと思う。でも、君はオスカーと結婚した方が幸せになれると思うよ。思い返せばそいつは本当に、子供の頃からルシアナ嬢の事を好きだったから。……僕は、侯爵家の当主よりも地方役人の方が向いていると思う。僕の性格では外交は荷が重かったから……少しほっとしてもいるんだ。……メリンダと上手くやれるかは解らないけれどね。……ルシアナ嬢、それにオスカー。お幸せに」
メリンダに騙されていた事への悲しみは色濃かったが、それと同時に重荷から解き放たれた事への安堵を浮かべるフレッドに、オスカーが僅かに眉を寄せる。
「兄上も、お達者で。絶縁はしないから、落ち着いたら手紙を送るよ。……何か困ったことがあれば知らせて欲しい。これから先も、兄上と僕が兄弟である事に変わりはないからね」
言って握手を交わすと、フレッドは周囲の客達にも深々と一礼し、無礼を謝罪してからしっかりとした足取りで屋敷へと去っていった。
騒動の顛末は残念な物だったがその引き際は潔く、気弱だが決して頭の悪い人ではなかったし、もう少し世慣れてさえいれば違う未来があったろうに、と勿体なく思う。
「さて、来賓の方々に置かれましては折角のガーデンパーティをお騒がせして申し訳ない……とは言ってもお顔をうかがうに、どなたも余興を楽しまれた様で何よりだ。これからしばらく困らない噂の種を提供したから、きっと寛大な来賓諸君はお許し下さると信じているよ。父上より、皆様方へのお詫びとしてとびきり上等なワインをたっぷり用意してあるから、僕の初恋が実った祝いを兼ねて心行くまで楽しんで欲しい。さあ、お客様にグラスをお配りしてくれ!」
少し沈んだ空気をオスカーの快活な声と、茶目っ気のある言葉で沸き上がった笑いを吹き飛ばすと、その指令に合わせて使用人たちが淡く金色を帯びた液体を満たした脚付きの細長いグラスをたっぷりと盆に乗せて会場を回り始めた。
透き通った淡い金の中に細かな泡を絶えず湧き上がらせるそれは国内でもディレンズ侯爵領の一地域でしか生産されない高価な酒で、王室にも毎年献上される一品。
滅多に味わえない上等なそれに酒好きの客達も、若い女性達も歓声を上げ、口々にオスカーとルシアナの婚約を祝いながらグラスを天に掲げた。
お読みいただきありがとうございます。
もうしばらく続きます。
続きは明日12時位に投稿予定です。
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