逆襲のはじまり
初投稿です。よろしくお願いします。
◇◇
華やかに着飾った男女が笑いさざめく声が、ディレンズ侯爵家のガーデンパーティの会場に満ちていた。
晴れ渡った空の下、貴婦人達を強い日差しから守る優雅な庇を幾重にも重ねた心地よい日陰には瀟洒な円卓と椅子が幾対も置かれ、一口で食べられる軽食や小さいが美しい気の利いた菓子に氷魔法で冷やした果汁、紅茶にワイン等が用意されていて、日向での歓談や陽気なダンスに疲れた客達が思い思いに寛ぎ、言葉を交わしている。
その円卓の一つについた伯爵家令嬢、ルシアナ・ヴィローザが気心の知れた友人達と共に林檎の果汁や愛らしい菓子と共に会話を楽しんでいると、そこに歩み寄った青年が声を上げた。
「ル、ルシアナ!」
声を掛けて来た栗色の髪にはしばみ色の瞳の青年と、彼の腕に腕を絡ませたきらめく金の髪の女の姿にルシアナを囲む友人達ばかりか周囲を囲む紳士淑女達も眉を上げ、互いに目を見かわして扇子や掌で口元を隠して囁き合う。
「あら、ディレンズ様。ごきげんよう。急にエスコート出来ないとご連絡がありましたし、お加減が悪いのかと思っておりましたが……回復なされた様で何よりですわ」
今朝になって急にエスコート出来ないと言ってきたくせに良く見知った女を腕にまとわりつかせて現れた、婚約者であり、会場たる侯爵家の嫡子であるフレッド・ディレンズ侯爵令息に、ルシアナは艶やかな黒髪を揺らしてにっこりと微笑んだ。
「あ、ああ……いや、体調は別に……その…………」
酒でも飲んでいるのか、常よりも赤みの強い顔のままもごもごと歯切れ悪く言う気の弱い婚約者を横に縋りついた女が肘でつついて小声で囁く。
「わ、解ってる……! ル……ルシアナ! 君との婚約を解消したい。君に大きな落ち度は無い。でも、僕はメリンダを愛してしまったんだ!」
最初は一応周囲を憚った小声で、そして言っている間に気が大きくなったものか、途中からはざわめきを切り裂くような大声で告げられた言葉に、ルシアナは軽く眉を上げてから再び微笑んだ。
「ええ、よろしくてよ。それから、お祝い申し上げますわ。ご婚約おめでとうございます。ディレンズ様、そしてメリンダ」
「は?」
ルシアナの言葉に、フレッドの腕に絡みついていたメリンダ……ルシアナの母方の従妹でもあるメリンダ・レストール男爵令嬢が間の抜けた声を上げ、フレッドも、そしてルシアナの友人達以外の客達も訝し気な顔をした。
「な、なんの事だ? まだ父上にはメリンダの事は言っていない。いや、勿論婚約はするけれど」
彼らにとって悪い話ではない筈なのに、予想外に過ぎたのか、二人とも妙に狼狽えている。
「ご心配は無用ですわ。ディレンズ侯爵様も、わたくしのお父様も、それからレストールの叔父様も皆様ご存じの上で、お二人の婚約が結ばれましたのよ。ああ、わたくしとの婚約は昨夜解消されておりますわ。さあ、皆様。めでたく婚約を結ばれたお二方に祝福の拍手をお送りくださいませ!」
華やかな笑顔と共に立ち上がり、固唾を呑んで見守る周囲へルシアナが促すと卓を囲んでいた彼女の友人達からは盛大に、見守る紳士淑女達からは戸惑いがちにぱらぱらと拍手が上がった。
「おめでとう、兄上。僕からもお祝いするよ」
友人達の盛大な拍手の中でも一際大きな拍手を送った黒髪に琥珀の目を持つ青年が椅子から立ち上がり、ルシアナの隣に並ぶ。
「オスカー!? 何故ここにいる!? お前は留学中だろう!」
「先週帰国したんだよ、兄上。兄上が急にルシアナのエスコートを取りやめたからね。僕がルシアナのエスコートする事になったんだ。今は丁度、彼女のご友人方と僕の友人達で歓談していた所さ。ともかく、新たな婚約おめでとう。心からお祝いするよ!」
わざとらしい大仰な仕草で肩を竦めながら言うオスカーはフレッドの弟で、顔立ちと身長こそよく似ていたが、兄は母と、弟は父と色彩を同じくしているばかりかその性質までもが大きく異なるために纏う空気は対照的で、肉付きが薄く気弱げな兄に対して引き締まった体躯に堂々とした立ち居振る舞いが実に様になっていた。
「ま、待ってくれ! こ、婚約が結ばれているってどういう事だ!? 僕は聞いてない!」
「帰国も婚約も、兄上には知らされていないから仕方ないね」
苦笑と共に告げられる言葉に不穏なものを感じてか、フレッドの顔に浮かぶ狼狽が強まる。
「何故! 僕に一言あるべきだろう!?」
「あら、宜しいでは無いですか。ディレンズ様はわたくしと婚約破棄されたかったのですし、メリンダも昨夜はホテル・ヴィストルのスイートルームでディレンズ様とお泊りになった様ですから、流石に他の方と婚姻は出来ませんでしょう? ……ああ、でもエイリーク・ダンジェス伯爵令息やヴィレッド・サンチェス伯爵令息とも過去にお泊りになったのでしたかしら。レイトン・ルームズ伯爵令息とは確か夜会の休憩室にてお泊りになったそうね。あら、いやだわ。お三方ともわたくしの元婚約者でしたわね」
「僕が留学していた間の事だったかな? 噂には聞いていたけど、なかなか華やかな経歴だね」
「建前では清い仲という事になっていましたけれど……まあ、皆様ご存じですもの」
くすくす笑いながら並べられた内容はとんでもない事ばかりだったが、当のルシアナにはまるで悲壮感はなく、無邪気この上ない笑みを顔に浮かべているし、共に卓を囲む友人達は男女ともに実に愉し気に騒動を見物している。
「ちょ、……あっ、いえ、他の誰かと間違えているんじゃない!?」
既に噂になっていたとはいえ、嫁入り前の淑女が婚約者ですらない男性と外泊、それも過去には別の複数の相手と、とはっきり断言されたメリンダが慌てふためいた声を上げる。
「か、彼らは君が婚約を嫌がってメリンダに押し付けたんだろう!? 身分の為に抵抗できなかったと、メリンダは泣いていたんだ! 侮辱はやめないか! 僕やメリンダは、君を責めずにいようとしていたのに!」
「あらあら。わたくし、メリンダが彼らととても親密になられなかったらとっくの昔に結婚しておりましたのに。エイリーク様とは七歳の頃から婚約関係にありましたし、わたくし、幼いなりにあの方と夫婦として想い合う仲になろうと努力しておりましたのよ? そもそも嫌も何も、フレッド様含めて家の為の政略結婚ですもの。お父様がお怒りになって婚約を解消しなければそのまま結婚していたかもしれませんわね」
「なっ……き、君がそんな情の無い女だから、前の婚約者達も優しいメリンダに目移りしたんだろう! 君みたいな女、ディレンズ侯爵夫人には出来ないと思ったから父上も僕とメリンダを認めたんだ!」
顔を真っ赤にして非難するフレッドに、ルシアナは肩を竦める。
「わたくしだって少し前までは傷つきやすい、婚約者にほのかな恋心を抱いて幸せを夢見る小娘でしたのよ? フレッド様とも、良い関係を築けるよう努力しておりましたわ。ですけれど……流石にそこにおいでの親愛なる我が従姉妹どのに、立て続けに三人もの婚約者を盗られてしまったんですもの。図太くもなりますわ。メリンダはいつもわたくしの物ばかり欲しがりますけれど……そんなにわたくしが羨ましいのかしら?」
心から不思議そうな声で尋ねてみれば、メリンダの眦がつり上がる。
「なっ……ルシアナみたいな不細工の一体どこが羨ましいっていうの!? どの殿方だって私の方が可愛いって言うし、伯父様だって私をあんたより可愛がってくれてるもの! あまりにもルシアナに魅力が無いから、みんな私の事を好きになるのよ! そのせいで私、無理矢理……!」
社交界にまともに出入りする者なら、これまでのメリンダがルシアナに対して堂々と婚約者の心は自分の物だと宣言していた事を知っているから、無理矢理であったなどと誰も信じないのだが、気弱で社交界には最低限しか顔を出さないフレッドは彼女の虚言を信じているらしく、痛ましげな表情でメリンダを抱き寄せ、優しく背を撫でていた。
気弱である分心優しい青年に涙にくれた風に縋りながらも、丁度フレッドから見えない角度でルシアナを見るメリンダの顔は優越感に満ちている。
その一面だけを切り取ってみればまるで悲劇の一場面のような二人に嘆息しながらも、ルシアナは再びにっこりと微笑んだ。
「あら。だってわたくしは何不自由ない上位伯爵家の、男兄弟三人に挟まれた溺愛される一人娘で、メリンダは男爵家の四女……それもあまり裕福ではないお家ですし、幼い頃からドレスやハンカチ、他のこまごました物も当然わたくしのほうが高価な物でしたから、あなたは良く小さな物を勝手に持ち帰られていたでしょう? 幼い頃はハンカチやリボンにぬいぐるみや小箱、お菓子の詰め合わせ。最近ですと宝石や手袋に扇子……」
幼い子供ならともかく最近になっても、親族とは言え他家、それも高位の令嬢相手に盗みを繰り返していると言う言葉に周囲の者達が目を剥いてメリンダを見る。
「わたくし、お気に入りのぬいぐるみを持ち去られた時はお父様に取り返して欲しいと泣いてお願いしましたけれど、メリンダはお姉様が多くて叔父様達に買っていただけないのだから譲ってあげなさい、と宥められましたわ。代わりにもっと大きなぬいぐるみを幾つか買っていただけましたけれど、わたくし、あの後男爵家に伺った時、庭に捨てられていたわたくしの可愛い兎さんを見付けてとても悲しかったわ。可愛がられているとばかり思っておりましたのに、目の宝石やレースだけ取られてぼろぼろになっていて……」
こっそり持ち帰って修繕し、今も大切にしていますけれど、と言いながら、ほろり、と涙を一粒だけ零して見せると、元々ルシアナ寄りだった周囲の同情が更に濃くなった。
「メリンダは、幼い頃から他の令嬢の所からは何も盗らないのに、わたくしの所でばかりお盗りになるでしょう? そのうち婚約者までお盗りになって、それでも愛し合っているのならば仕方ないと涙を呑んでお父様を宥めましたのに、結局兎さんの様に、わたくしから盗んだ後はぽいと捨ててしまわれるなんて……せめてそのままご結婚なさればよろしかったのに。三度もなさったものだから、今では平民からすら縁談が来なくなったと伺っておりますわ」
流石に口上が長くなり、いったん言葉を切って軽く首を傾げる。
「それに、縁談ばかりか最近は夜会や茶会のお誘いも少なくなっておいででしょう? でもそれも仕方ありませんわ。どのご婦人、ご令嬢方だって、自分の婚約者や夫を取られてしまっては嫌ですもの。
それに比べてわたくしの方の縁談は引き続き届いておりますし、茶会や夜会もいつも通り招かれておりますの。……家格が違うとは言え、血のつながりがあるのにこれだけ差があってはさぞかしお羨ましいのではなくて?」
そこまで言い切ってからルシアナはにっこりと微笑み、再び口を開こうとしたメリンダとフレッドを遮って言葉を続けた。
明日、続きを投稿予定です。
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