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無職転生 - 蛇足編 - 作者:理不尽な孫の手

アイシャがメイドを辞める時

23/28

23 「物語」

 昔々、ある所にアルスという少年がいました。
 彼は幼い頃からとても意思が強く、そして力持ちでした。
 アルスが物心ついた時、両親はすでにこの世の者ではありませんでした。
 アルスの住む村は町からは遠くはなれた所でしたが、アルスの家は村の中でも特に貧乏でした。
 でも、アルスは幸せでした。
 アルスには賢く頼れる兄がいたし、村人は親のいない彼らに良くしてたからです。
 アルスはそれに素直に感謝し、とても精力的に働いていました。
 幸いにしてアルスは力持ちで、彼のできる仕事はいくらでもありました。

 その上、彼には愛した少女がいました。
 彼女は病気がちで、いつもベッドに寝ているような子で、きっと長くは生きられないと言われていました。
 アルスは仕事が終わると、毎日彼女の部屋の窓にまで行き、ほんの僅かな時間、お話をして帰りました。
 その時間はアルスにとってはとても大切な時間で、かけがえのないものでした。

 彼女は長く生きられません。
 しかしアルスにできることもありません。
 かといって、彼女も自分が長くないことをわかっているのでしょう。
 特にワガママを言うわけでもなく、ただただアルスとの話を楽しみにしているようでした。
 アルスは「きっと自分は、彼女が死ぬまで、こうした毎日を送るだろう」と考えてました。

 しかし、ある日の事です。
 彼女はベッドの中で、空を見ていいました。
 紫色になった、不気味な空です。

「ねえアルス、知っている? 魔王が現れる前は、空は綺麗な青色だったそうよ」

 アルスもそのことは知っていました。
 遥か昔、アルスが生まれるずっとずっと前から生きている魔王のこと。
 魔王がある日、人の世界を手に入れるために軍隊を作り、攻めてきたこと。
 そして、その魔王が世界の半分ほどを手に入れた時、戯れに空の色を変えてしまったこと。

「死ぬ前に、一度でいいから、綺麗な青空が見たかったわ」

 彼女はそういいました。
 それはアルスが彼女と出会ってから、初めて聞いた「ワガママ」でした。
 いいえ、それはワガママと言えるほどのものではなかったかもしれません。
 絶対に叶わぬ夢が、ふと出ただけだったのかもしれません。

 アルスも、わかっていました。これはただのお話。
 決してアルスに頼んでいるわけではない、と。
 ただ、それを口にした彼女の顔はとても儚げでした。
 絶対にかなわないと諦めていました。

 だから、アルスは決意しました。
 彼女に青い空を見せてやろう、と。

 しかし、アルスは力はあっても、ただの村人です。
 知識はありません、知恵もありません。
 一体どうすれば空が青くなるのか、彼にはわかりませんでした。

「兄さん、空の色を青色に戻したいんだ。どうすればいいかな?」

 なので、彼は兄に聞くことにしました。
 歳の離れた兄は、まだ両親が生きていた頃、小さくもしっかりとした学校に通わせてもらった人間です。
 何か困ったことがあれば、彼に聞けばよいのです。

「うーん……」

 そんな兄はアルスの質問を受けて悩みました。
 兄にとっても、難しい質問だったのです。
 悩んだ末、兄は言いました。

「魔王が空を紫色にしたのだから、魔王が倒されれば、空は元に戻るだろうね」

 アルスはそれを聞いて、魔王の所に赴こうと決意し、すぐに旅支度を始めました。
 そんな弟を見て、兄は慌てて言いました。

「弟よ。魔王はとても恐ろしい存在だ。きっとお前が近づいただけでも、簡単に引き裂いてしまうだろうよ」
「でも僕は行くよ」

 迷いの無い言葉に、兄は引き下がりました。
 こうなってしまえば、アルスは人の言うことを聞かないからです。

「でも、闇雲に歩いても魔王の所には辿りつけないよ。まずはこの国で一番大きな町にいくといい、地図を書いてあげよう。それと食料と、旅のための新しい靴も持っていくといい」

 兄は弟のために、出来る限りの用意をしてあげました。
 一途な弟のことだ、きっと、諦めない。
 でも魔王は強大で、圧倒的だ。

 生きては帰ってこれない。
 死出の旅だ。
 でもせめて、出来る限り長く生きていられるように、と。

 そうしてアルスは旅立ちました。
 地図を持ち、新しい靴を履き、父の残した短剣を腰に差し……。
 そして愛するものを村に残して――。


■ ■ ■

 野を超え山を超え、アルスは国で一番大きな町へとやってきました。
 生まれて初めてみる大きなお城に、生まれて初めてみる人混み。
 アルスはそれらを見て思いました。
 確かにここで聞けば誰かが知っているだろう。

「魔王を倒したい? それなら城にいけばいいよ。今なら、誰だって力になれるさ」

 ある人はそう言いました。
 アルスはその言葉に従い、お城に向かいます。
 アルスが今までに見たことのない、大きな大きな建物です。

「魔王を倒したい」

 入り口でそう言うと、アルスは王様への謁見を許されました。
 王様は鈍い色の玉座に座り、来る者一人ひとりに挨拶をして回っていましたが、アルスの番が来ると大げさに驚きました。

「なんと、まだ子供ではないか」 
「子供だけど魔王を倒したいんだ。魔王の居場所を教えてほしい」
「君のような子供に何が出来る。いいからお家に帰りなさい」

 脇にいた騎士も言いました。

「戦うのは大人の仕事。君のような子供を守るために我らがいるのだ」

 そのほかにも、その場にいた大人たちは、みんな同じように言いました。
 君は子供だ。
 戦うべきではない。帰りなさい。
 アルスがどれだけ強く「魔王を倒したい!」と叫んでも、相手にされません。
 しかし、占い師だけはこう言いました。

「五匹の賢者に会いなさい。きっと君の力になってくれることだろう。でも、決して五匹に会わずに魔王に挑んではいけないよ」

 アルスはその言葉に従い、五匹の賢者を探す旅に出ました。
 長い、長い旅です。


■ ■ ■


 アルスは旅を続けました。
 アテはありません。
 しかし、探せば見つかると、彼は心の底から信じていました。
 歩き、人を見つける度に賢者について尋ね、そしてまた歩きました。

 そうして、見つけました。
 草原を越え、大きな川を渡った所にある洞窟で、アルスは一匹目の賢者を見つけたのです。
 儚い瞳を持つ、緑銀色の髪をもった賢者です。
 彼の周りには、その髪とよく似た色を放つ盾が、いくつも散らばっていました。

「こんにちは、賢者」
「こんにちは、人の子よ」
「僕の名前はアルス」
「私はシラード。二番目の賢者。ただ信念のみに生きている」
「実は魔王を倒さなければいけないんだ。力を貸してくれないかい?」
「すまないが、とても忙しいのだ。とても、とてもね」
「何をしているのだい?」
「遠い未来の子供のために、盾を作っているのだよ。未来の子供には、きっと火の粉が振りかかるだろうからね」

 賢者はそう言うと、アルスを見て聞きました。

「こちらも聞こう、人の子よ。どうして魔王を倒すのだい?」
「青い空が見たいんだ。大切な人のために」
「おお、君も信念を持つのだね。ならば私の盾を貸してあげよう。きっと君の身を守ってくれるだろう」
「ありがとう、賢者よ」

 賢者に盾をもらい、アルスは旅を続けました。
 アテはありません。
 しかし、探せば見つかると、彼は心の底から信じていました。
 歩き、人を見つける度に賢者について尋ね、そしてまた歩きました。

 そうして、見つけました。
 二匹目の賢者は、北の端にいました。
 鋭い瞳を持つ、白銀色の髪の賢者です。
 彼は寒い寒い雪の森で、大きな大きな船を作っていました。

「こんにちは、賢者」
「こんにちは、人の子よ」
「僕の名前はアルス」
「我が名はドーラ。三番目の賢者。ただ忠義にのみに生きている」
「実は魔王を倒さなければいけないんだ。力を貸してくれないかい?」
「すまないが、とても忙しいのだ。とても、とてもね」
「何をしているのだい?」
「遠い未来の子供のために、船を作っているのだよ。未来の子供は、きっと遠くに行かねばならないだろうからね」

 賢者はそう言うと、アルスを見て聞きました。

「こちらも聞こう、人の子よ。どうして魔王を倒すのだい?」
「青い空が見たいんだ。大切な人のために」
「おお、君も忠義を持つのだね。ならば私の船を貸してあげよう。魔王は遠くにいるからね」

 賢者に船をもらい、アルスは旅を続けました。
 アテはありません。
 しかし、探せば見つかると、彼は心の底から信じていました。
 歩き、時には船を使い、人を見つける度に賢者について尋ね、そしてまた歩きました。

 そうして、見つけました。

 三匹目の賢者は、山の奥にいました。
 深い瞳を持つ、黒銀色の髪の賢者です。
 彼は大きなハンマーを持ち、金床を前に鋼を叩いていました。

「こんにちは、賢者」
「こんにちは、人の子よ」
「僕の名前はアルス」
「我が名はカオス。四番目の賢者。ただ探求にのみに生きている」
「実は魔王を倒さなければいけないんだ。力を貸してくれないかい?」
「すまないが、とても忙しいのだ。とても、とてもね」
「何をしているのだい?」
「遠い未来の子供のために、剣を作っているのだよ。未来の子供には、きっと生き残ってほしいからね」

 賢者はそう言うと、アルスを見て聞きました。

「こちらも聞こう、人の子よ。どうして魔王を倒すのだい?」
「青い空が見たいんだ。大切な人のために」
「おお、君も探求しているのだね。ならば私の剣を貸してあげよう。これなら魔王も斬り裂ける」

 賢者に剣をもらい、アルスは旅を続けました。
 アテはありません。
 しかし、探せば見つかると、彼は心の底から信じていました。
 歩き、時に魔物を剣で倒し、人を見つける度に賢者について尋ね、そしてまた歩きました。

 そうして、見つけました。

 四匹目の賢者は、海の真ん中にある島にいました。
 強い瞳を持つ、青銀色の髪の賢者です。
 彼は大きな大きな革を加工して、腕輪を作っていました。

「こんにちは、賢者」
「こんにちは、人の子よ」
「僕の名前はアルス」
「我が名はマクスウェル。五番目の賢者。ただ愛にのみに生きている」
「実は魔王を倒さなければいけないんだ。力を貸してくれないかい?」
「すまないが、とても忙しいのだ。とても、とてもね」
「何をしているのだい?」
「遠い未来の子供のために、魔除けの腕輪を作っているのだよ。未来の子供には、きっと邪悪な者が近づいてくるからね」

 賢者はそう言うと、アルスを見て聞きました。

「こちらも聞こう、人の子よ。どうして魔王を倒すのだい?」
「青い空が見たいんだ。大切な人のために」
「おお、君も愛を知るのだね。ならば私の輝く腕輪を貸してあげよう。これで邪悪を退けよ」

 四匹の賢者に会いました。
 さらにアルスは旅を続けます。
 しかし、最後の賢者はどこにもいません。誰も居場所を知りません、誰も名前を知りません。

 次第にアルスは思うようになりました。
 もしかすると、最後の賢者はいないのかもしれない。
 最初に出会った賢者は二番目の賢者と名乗っていた。
 なら、きっと僕はもう、最初の賢者には会えないのかもしれない。

 しかしそれでも探します。
 アルスは一生懸命、賢者を探します。
 それでも賢者は見つかりません。

 最後の賢者に会えません。

 でも、アルスの手には、剣と盾と腕輪がありました。
 そして、アルスの足元には、魔王の所に行くための船がありました。
 それらを見て、アルスは思いました。

「これだけあれば、魔王を倒せるかもしれない!」

 ああ、なんということでしょうか。
 アルスは五匹の賢者に会わずに、魔王の所へと向かってしまったのです。
 そう、最初に占い師に言われた言葉を、忘れてしまったのです。


■ ■ ■


 魔王の住処はとても恐ろしい所でした。
 毒の沼に囲まれており、普通の方法では近づくことすらできません。
 よしんば沼を渡れたとしても、今までに誰も見たことのないような、巨大で凶暴な魔物や、人を悪しき道に引き込む悪魔が、そこかしこに棲んでいるのです。

 でも船のおかげで、毒の沼は簡単に渡れます。
 魔物が襲いかかってきても、剣と盾があります。
 盾はとても頑丈で、魔物の爪も牙も、アルスには届きません。
 剣はとても切れ味がよく、アルスがほんの少し力を込めて斬るだけで、魔物は真っ二つになります。
 時折、悪魔がアルスに「その剣と盾と船があれば、きっとお前は人間の王様になれるぞ」と囁きますが、アルスには聞こえません。
 魔除けの腕輪が悪魔の囁きから、守ってくれているのです。

 そうしてアルスは魔王の元へとたどり着きました。
 魔王は人族の住む城よりも、さらに大きく、そして禍々しい黒い城に住んでいました。

「ファーハハハハ! こんな所までよくぞきた、人族の子供よ! 一体何の用なのだ!?」

 魔王はとても大きな体と、大きな口、紫色の髪を持つ恐ろしい怪物でした。

「空の色を元に戻してほしい。私の大切な人のために」
「それは出来ない! 妾は紫の空が大好きだからな! ファーハハハ!」

 魔王は聞く耳を持ちません。
 魔王には、大切な人という言葉の意味がわからないのです。

「なら、お前を倒して空の色を元に戻してやる!」

 アルスは魔王に戦いを挑みました。
 剣と盾、それに腕輪を持つアルスは自信満々で魔王に突進します。
 しかし、魔王の身の軽いこと!
 まるで未来が見えているかのような動きで、アルスの剣をかわします。
 アルスがどれだけ剣を振り回しても、かすりもしません。

「ファーハハハ、当たらん! 当たらん! かすりもせん! 次はこっちの番だ!」

 魔王は笑いながらアルスへと打ちかかってきます。
 魔王の大きな拳を、アルスの盾で受け止めました。

「ああっ!」

 ですが、なんということでしょう。
 次の瞬間には、アルスは盾を掴まれ、振り回して飛ばされてしまいました。
 壁に強く打ち付けられたアルスは、恐れおののきました。
 賢者にもらった剣も盾も、魔王には通用しないのです。

「ファーハハハ! このまま捻り潰して頭から食べてやる! バリバリ食べてやる!」

 強大な魔王が迫ります。
 アルスはたまらずその場から逃げ出しました。
 いかに強靭な意思を持つアルスといえども、人生で初めての恐怖の前には、もう戦うことなど出来なかったからです。

 剣も盾も放り投げ、腕輪もいつしかすっぽ抜け、魔王から逃げ切った時、アルスは何も持っていませんでした。


■ ■ ■


 アルスは魔王の土地をさまよいました。
 毒の沼から出た瘴気が、アルスの体を少しずつ蝕んでいきます。
 しかし、アルスの心を蝕んでいたのは、別の毒でした。

「僕は逃げてしまった。大切な人が待っているのに」

 その毒の名前は「諦め」。
 アルスは落ち込み、うなだれたまま歩き続けました。
 剣と盾があっても、魔王には勝てません。
 目からは涙がこぼれ落ち、地面に小さなしみを作りました。
 腕輪が無くなったことで、悲しみを食べる邪悪な悪魔も寄ってきました。
 悪魔はアルスの流れ落ちる涙をペロペロと舐めながら、アルスの耳元でささやきます。

「こんにちは、小さな勇者君。どうしたのかな? おいしい涙がこぼれてしまっているよ?」
「魔王に勝てないんだ」
「勝てやしないさ、なにせ魔王はとっても強いからね。そうでなくとも、君は小さな子どもなのだから」
「僕は空を元に戻したいんだ」
「空を元に戻すことなど出来やしないよ。なにせ君は非力な子供なのだから」
「じゃあ、どうすればいいんだ」
「どうにも出来やしないよ。大きくなれはしないし、力も手にははいらない。どうにも出来やしないんだ」

 悪魔のささやきを真に受けて悲観的になったアルスは、毒の沼の淵へと足を運びました。
 いっそのこと、毒の沼に身を投げてしまおうかと思ったのです。
 毒の沼に身を投げれば、アルスの小さな体はあっと言う間に溶けてなくなってしまうことでしょう。
 でももう、アルスにはどうしようもできないのです。
 アルスは目をつむり、毒の沼へと身を投げようとしました。

 しかしその寸前、沼の縁に奇妙な家があるのを見つけました。
 穴の上に亀の甲羅をかぶせたような、妙ちくりんな家です。

「なんだろう。あの家は、悪魔は何か知っているかい?」

 その時、悪魔はどこかへと消えていました。
 見渡しても、もうどこにもいません。
 気づくと、周囲には聖なる気が満ちていました。
 聖なる気は、どうやら、あの家から発せられているようです。

 なら、きっと聖なる者の家だ。
 そう思ったアルスは、恐る恐る、家の中へと踏み入れました。

「ごめんください」
「こんにちは、人の子よ。どうしたのだい? ここは人の子供が来るべき所ではないよ?」

 そこにいたのは、優しい瞳を持つ赤銀色の髪を持った人でした。

「僕の名前はアルス。空の色を戻したかったけど、魔王に負けてしまったんだ」
「私は名前を捨てし者。決まった居場所を持たぬ者。最初にして最後の賢者。ただ使命にのみに生きている」

 その言葉で、アルスは思い出しました。
 自分は五匹の賢者に会わなければいけなかったのです。
 五匹の賢者に会わずに魔王と戦ってはいけなかったのです。
 それを思い出すと、アルスは不思議と勇気が湧いてきました。
 どうしようもなくは無かったのです。自分は間違っていたのだから。

「僕はアルス。最後の賢者よ。魔王を倒すために、力を貸してくれないかい?」
「私はとても忙しいのだ。とても、とてもね」
「何をしているのだい?」
「遠い未来の子供のために、力を蓄えているのだよ。未来の子供には、打ち倒さねばならぬ敵がいるからね」

 賢者はそう言うと、アルスを見て聞きました。

「こちらも聞こう、人の子よ。どうして魔王を倒すのだい?」
「青い空が見たいんだ。大切な人のために」
「おお、君も使命を持つのだね。しかし、本当にその願いは、大切な人のためになるのかな?」
「もちろんだとも。彼女は青い空を見たいんだ」
「そうか、ならば私の力を少しあげよう。それで魔王を倒しなさい」

 そうして、アルスは最初にして最後の賢者から、力をもらいました。
 賢者からするとほんの少しの、ですが圧倒的な力です。
 アルスはその力で、剣と盾の本当の使い方を知りました。
 腕輪の輝きを増す方法を知りました。
 船を空に飛ばす方法を知りました。

 アルスは空飛ぶ船に乗り、魔王の城へと向かいます。
 城の前に落ちていた腕輪を拾うと、腕輪は輝かしい光を放ちました。
 その光に誘われるように、剣と盾が戻ってきました。

「ファーハハハ! 子供が戻ってきたぞ! 今度こそ食べてやるぞ! 妾は美味しいものが大好きなのじゃ!」

 魔王との二度目の戦いが始まります。
 しかし、アルスは力を手に入れました。
 剣を振れば、魔王を切り裂き、盾を構えれば、魔王を弾き飛ばします。
 圧倒的な力を手に入れたアルスにとって、魔王はもはや、敵ではありませんでした。

「うぎゃー!」

 とうとう、魔王はアルスの剣に貫かれ、断末魔の声を上げて死にました。

 すると、魔王の体から七色の光が発せられました。
 その光に呼応するかのように、空の色がみるみる戻っていきます。

 アルスが見上げれば、そこには真っ青な空!
 アルスが、そして大切な人が求めてやまなかったものです。

 アルスはすぐにでも大切な人の所に戻らなければと思いました。
 でも、すぐには戻れません。
 借りたものを返さないといけないからです。

 まずは最初にして最後の賢者の所に行きました。
 力を返します。

 次に五番目の賢者の所に行きました。
 腕輪を返します。

 次に四番目の賢者の所に行きました。
 剣を返します。

 次に三番目の賢者の所に行きました。
 空飛ぶ船を返します。

 次に二番目の賢者の所に行きました。
 盾を返します。

 アルスは借りたものを全て返し、大きな町へと戻りました。人族の町です。
 すると、町では盛大なパーティが行われていました。
 人々は空の色が元に戻ったことで、魔王が倒されたことを知ったのです。
 お城まで行くと、王様が両手を上げて喜びました。

「おお、勇者アルスよ! よくぞ戻ってきた! よくぞ魔王を倒してくれた! この国を君にあげよう、我が愛しの姫もだ、是非とも国王になってくれないか!」

 国王の懇願に、でもアルスは断ります。
 大切な人が待っているから、と。
 でも、占い師にだけはお礼を言って、一日だけ町で過ごしました。

 それから、ようやくアルスは村に戻ってきました。
 旅に出てから、とても長い時間が掛かりました。
 でも青い空を取り戻しました。
 大切な人に見せるのです。
 彼女の笑顔を見るのです。

 しかし、村に戻ると、兄が悲しい顔をして、俯いていました。

「兄さん、顔を上げておくれ、青い空だよ。僕が魔王を倒して取り戻したんだ」

 兄はそれでも、悲しい顔をやめません。

「大切な人にも見せるんだ。彼女も青い空を見れば、きっと喜んでくれるよ」

 そう言うと、兄はさらに悲しい顔をしました。
 そこで、ようやくアルスは聞きました。

「兄さん。どうしてそんなに悲しい顔をするんだい?」
「弟よ。それはね、おお……弟よ。いいかい、よく聞きなさい。それはね、死んでしまったからだよ」
「誰か死んだのだい?」
「君の大切な人が。今日の朝に、死んでしまったのだよ」

 それを聞いて、アルスは笑いました。
 寂しいけれども、悲しいけれども、笑いました。

「今日の朝なら大丈夫。きっと彼女は、青い空を見たはずだから。彼女は死ぬ時、笑っていたろう? 綺麗な空だと、笑っていたろう?」
「いいや、泣いていたよ。君に会えないと泣いていたよ。空が綺麗な青色になっても、そんなことより君に会いたいと俯いて、彼女はずっと泣いていたのだよ」

 それを聞いて、アルスは愕然としました。
 アルスは、大切な人の願いを叶えたはずでした。
 しかし、違ったのです。
 大切な人の願いは、アルスと一緒だったのです。
 死ぬまでの、ほんの僅かな時間を大切にしたい。
 それが、彼女の本当の願いだったのです。

「ああ……」

 兄を前に、アルスは膝から崩れ落ちました。
 色を失ったアルスの瞳からは、一筋の涙が、こぼれ落ちます。
 アルスは、それからずっと、泣き続けました。
 もう、どうしようもないのです。自分は一番大切なことを、間違ったのだから。

 ずっと、ずっと……死ぬまで泣き続けました――――。


☆ ☆ ☆


「はい、おしまい」

 アイシャはパタンと本を閉じた。

「……」
「んー、ちょっと最後は暗い話だったね~。教訓としては、幸せはもっと身近な所に転がっています。ってところかな。でも、あたしはもっとハッピーエンドの方が好きかな~」

 彼女の膝にはアルスがちょこんと座っており、本の表紙をじっとみていた。
 無論、本の中のアルスではなく、グレイラット家の長男坊だ。

「多分、時代的には第一次人魔大戦の時だから……勇者アルスの伝説のアレンジかな? あたしが知ってるのとはちょっと違うけど。仲間も出てこないし、賢者もなんか一人多いし……でも、アレンジならこんなもんかなぁ」

 アイシャはそう言いつつ、本を弄びつつ、くるくると回して観察した。
 古い本だ。
 グレイラット家にあるどの本よりも古いだろう。
 表紙は白い革張りだが、何の革かまでは、アイシャにもわからない。
 ただどこかで見たことのあるような色合いで、長い年月を経てもなお亀裂の一つも入っていなかった。
 紙の方はかなりボロボロだというのに、だ。
 もし、この本が第一次人魔大戦の戦後すぐに書かれたものだとするなら、紙の方もかなり頑丈と言える。
 タイトルは『アルスの物語』。
 飾り気もひねりもない。

「アルス君が読んでって言うから読んだけど、この本、どこから持ってきたの? 闘神語だよ、これ」
「オルステッド様の所」
「え? まさか、勝手に持ってきたの? だめだよー、そんなことしちゃ」
「ち、違うよ。パパにくっついて遊びにいった時、本棚にその本があって、なんとなく気になってパラパラって見てみたら、オルステッド様が「持って帰るがいい」……って」

 アルスはそう言うも、なんだかいつもより暗い顔だった。
 まるで、自分の身に同じことが起きたかのような顔だ。
 物語は救いようのないバッドエンドだった。
 主人公がアルスと同じ名前だからと、アイシャも雰囲気を出して読んでみたが、そのせいでアルスは感情移入しすぎてしまったのかもしれない。

「だーいじょーぶだよー。アルス君はちゃんと幸せになれるんだから~」
「……」

 アイシャはアルスを抱きしめ、その頭をぐりぐりとなでた。
 アルスは機嫌が悪い時でも、だいたいいつもこれでご機嫌になった。
 だがそれも、小さい頃の話。
 十歳の誕生日を迎えた頃から、アルスは段々と騙されなくなってきた。
 今日もまた、アルスの顔は暗いままだった。

「ねえ、アイシャ姉」
「なぁに?」

 ふと、アルスが振り返り、アイシャに問いかけた。

「この物語のアルスって、どうやったら幸せになれたのかな?」
「え? そりゃあ……えーと、そのまま一緒にいても『彼女』は死んじゃうから、魔王なんてほっぽりだして、賢者に『彼女』を助ける方法を聞いて、それで結婚して、ハッピーエンドじゃないかな。勇者アルスが魔王……というかキシリカ様か。キシリカ様を倒さないと世界は平和にならないけど、二人が生きてる時間ぐらいは、人族も滅ばないだろうし」

 アイシャは頭をひねりつつ、そう回答した。
 我ながら完璧な回答だと、アイシャは思った。

「……」

 しかし、アルスはお気に召さなかったらしい。
 眉に力を入れて、口を尖らせている。

「ねえ、アイシャ姉」
「なぁに?」
「結婚って、なに?」
「そりゃ、好き同士の二人が一緒になることだよ」
「そうじゃなくて、具体的にさ、何をするの?」
「もちろん、同じ家に一緒に住んで、同じご飯たべて、子供を作って育てたり……」
「子供って、どうやって作るの?」
「え? そこから? うーん……と、それはあたしが教えていいのかなぁ……? 白ママか青ママに聞いた方がいいんじゃないかなぁ……」

 アイシャは少し赤面しつつ、そう答えた。
 この子もそろそろそういう事に興味を持つ年頃なのか。
 なんて思いを胸に抱きながら。

「それで、アイシャ姉、結婚して、子供を作るのが、幸せになるってことなの?」
「まあ、そうなんじゃないかな」
「本当に? 本当にそれで、幸せになれるの?」
「ど~かな~。お兄ちゃんは幸せそうだけど、あたしは結婚してないからな~」 
「どうして結婚しないの?」
「好きな相手がいないからかな~。お兄ちゃん……アルス君のパパのことが好きだったんだけど、でも結婚するような好きかっていうと、ちょ~っとだけ違う感じでね? やっぱり実の兄妹だからかなぁ~」
「ふぅん……」

 アルスは口を尖らせつつ、前を向いた。
 アイシャの膝の上に座りつつ、足をプラプラとさせて、アイシャの脛を軽く蹴った。

「パパが。俺に、婚約の話が来てるって言うんだ」
「え?」
「アスラ王国の王族で、俺より小さい子なんだけど、もし気に入るようなら、婚約するかもって」

 アイシャにとって、それは初耳だった。
 目の前にいる小さな少年が婚約。
 今の時期に婚約すれば、お互いが成人した時にはすぐ結婚だろう。
 この小さな少年が……。
 生まれた時からずっと面倒を見てきたこの子が……。

「……」

 しかしながら、アイシャとしても納得の流れではあった。
 アスラの王族となれば、アリエルの親類だ。
 アリエルはルーデウスとの強いつながりを保とうとしており、結婚はその手段として最適だ。
 アルスより小さいとなれば、アリエルの娘の可能性もあるだろう。

「あ~。ま、アルス君は長男だし、そういう事もあるだろうね」
「俺、結婚させられるの?」
「大丈夫。パパにちゃんと「嫌だ」って言えば、パパはわかってくれるよ。でも、そんなに結婚が嫌なの?」
「だって、顔も見たことない相手と、結婚なんて出来ないだろ?」
「じゃあ、アルス君はどんな人と結婚したいの?」

 アイシャとしては、それは何気なく聞いた言葉だった。
 せいぜい「おっぱいの大きい子がいい!」なんて返事を期待してのものだ。
 しかしアルスは振り返り、まっすぐにアイシャを見て、そしてハッキリとした声音で言った。

「俺、アイシャ姉と結婚したい」
「うえっ!? あたし?」

 アイシャは目を見開き、まじまじとアルスを見た。
 アルスは、とても真剣な顔でアイシャを見ていた。

「え……えー? やめなよ。あたしなんて。アルス君から見たらおばさんでしょ? 結婚してもすぐ後悔しちゃうよ。もっと若い子にすればよかった~って」
「年齢なんて関係ないよ。ノルン姉とルイジェルドさんなんて、もっと離れてるでしょ?」
「ルイジェルドさんは魔族だから。見た目は老けないし」
「なら、ルイジェルドさんは、自分より早く老ける人と結婚したってことでしょ?」
「まぁ……そうなるのかな?」
「だったら、年齢なんて関係ないよ。俺、アイシャ姉のこと、好きだもん」

 冗談とか、おためごかしとか、そんな気配はまるで無かった。
 子供が無邪気に言ってる感じでもない。
 少なくとも、アイシャにはそう見えた。

 アイシャとて、愛の告白の一つや二つは受けたことがあった。
 傭兵団で仕事をしていれば、ちょくちょくある。
 今のアルスは、彼らと同じ目をしていた。

「……えっと」

 真剣にアイシャを見るアルス。
 まだ小さな彼の顔立ちは、ルーデウスそっくりだった。
 今のルーデウスではない。
 初めて出会った頃の、ルーデウスだ。
 思い返せば、アイシャが初めて会ったルーデウスは、今のアルスと同じぐらいの年齢だった。
 当時のルーデウスは、自分の窮地に颯爽と現れ、助けてくれた。
 自分が嫌われていると知って、慌てて正体を隠そうとしていた。
 助けてくれた姿が格好良くて、正体を隠そうとした姿が滑稽で、この人になら一生仕えてもいいと、そう思えた。
 実際に、自分はそうするつもりだった。
 でも、アルスの顔は、あの頃のルーデウスに、本当にそっくりだった。

「……」

 アイシャは胸が高鳴るのを感じていた。
 ルーデウスに感じるのとは違う、胸の高鳴りだ。
 未だかつて、味わったことのない、キューっとするような感覚だ。
 その感覚に身を委ねれば、どれだけ楽だろうか。

「んふふ~、ありがと。でもダメだよ」

 しかし、アイシャはそれを自制した。

「どうして? 僕のこと、嫌い?」
「んーん。違うよ。でもあたしたちは姉弟みたいなものなんだから、結婚なんてパパもママもおばあちゃんも許してくれないの」

 アイシャは、そう言いつつ、アルスのことを抱きしめた。
 いつものように。
 しかし、いつもよりも胸の鼓動は大きく、抱きしめる手には力が入っていた。

「でもね、あたしもアルス君のこと、だいだいだ~い好きだったから、嬉しかったよ~」

 アイシャはそう言ってアルスの頭をなでた。
 アルスもまた、黙って撫でられた。
 アイシャは事ある毎にアルスを抱きしめ、アルスもまた抱きしめられるのが好きだった。
 いつも通りの二人だ。

「大丈夫。大きくなったら、あたしなんかより、ずぅ~っといい子が自然と見つかるから」
「うん」

 だが、アルスは抱擁がいつもと違うことを感じていた。
 何がどう違うのか、うまく説明できるものではない。
 だが、確かに違うと感じていた。

「……」

 アイシャの匂いに包まれながら、アルスは直感的に思った。
 きっとこの先、抱擁が元に戻ることは無いだろう、と。

「……うん」

 その日からアルスとアイシャの関係は、大きく変わった。
 変わってしまった。
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