レディース総長、傷害罪、覚せい剤をオープンにして「見えた景色」
少女らの質問に対して、会話を交わしながら答えていくすえこさん 撮影/齋藤周造
「うちのお父さん、すごいの。夫婦喧嘩してお母さんが車で逃げると、原付バイクで追いかけて車のフロントガラスに飛び乗っちゃうんだよ(笑)」
ざっくばらんな口調で、中村すえこさん(43)が生い立ちを話すと、身じろぎもせず真剣に聞き入っていた少年たちから笑いが起こった。
最年少総長と2度の逮捕の経験から
宮城県仙台市にある東北少年院でのひとコマだ。そこでは窃盗や傷害、詐欺などの罪を犯した少年32人が生活を送っており、さまざまな矯正教育が行われている。
すえこさんは『出院者の体験談を聞く』という単元の講師として呼ばれ、神奈川県横浜市から来た。自分が何をして少年院に入り、どうやって更生していったかをテンポよく話していく。
中学入学後すぐ不良グループに入り、万引きや窃盗を繰り返した。中学2年でレディースと呼ばれる女子暴走族に入り、中学卒業後には最年少で総長になった。ほかの暴走族に殴り込みをかけ、相手に大ケガをさせて逮捕。16歳で少年院に入った。
出院すると、唯一の居場所だった暴走族を破門されていた。「自分なんかどうなってもいい」と自棄になって覚せい剤を使用。半年後に再び逮捕され、拘置中に妊娠がわかった。面会に来た母に、命を守る責任を説かれ、初めて「変わりたい」と涙した。
2度の結婚で4人の母になり、その後、離婚。働きながらひとりで子育てをし、教師を目指して勉強している。
最後に、少年たちにこんなエールを送った。
「私は40歳で大学に入ったけど、君たちには私にないもの、若さと時間がある。何かになりたいと思ったとき、私もそうだったけど、できない理由とか言い訳ばっかり言ってないで、できる方法を探してほしい。あとは自分との戦いです」
東北少年院での講話を終えると、隣接する女子の少年院・青葉女子学園に向かった。
すえこさんは出院が近い2人の少女と対面し、さまざまな質問を受けた。
「少年院を出たら偏見の目で見られますか?」
「あるよ。特に私は地元で有名だったから。理解がなければ雇ってもらえないし。脅しじゃないけど、本当に偏見はあるから、必要がなければ少年院にいたことは言わなければいいと思う。それは自分で決めればいいこと」
少年院では出院後、昔の非行仲間とは付き合わないように指導される。
「悪い友達とは、どういう友達ですか?」
ストレートな質問に、すえこさんはしばらく考え込んだ。
「難しいね……。相手の幸せを望んでくれない友達かな。蹴落としてやろうとか、裏切ってやろうとかして。ひとりで覚せい剤をやるのが寂しいから一緒にやろうぜと言うのはいい友達じゃないよね」
すえこさんは約10年間、NPO法人『セカンドチャンス!』の一員として、少年院出院者の支援を続けている。自分の更生体験を話すほか、出院者同士の交流会を定期的に開き、居場所作りをしている団体だ。
どう社会に溶け込んでいけばいいのか。すえこさん自身も、かつて悩んでいただけに、出院後を不安に思う少女たちの気持ちがわかる。
説得力のある言葉
友達に関する質問に、すえこさんは丁寧に答えていく。
「新しい友達はどうやって作ればいいですか?」
「私はずっと過去を隠して生きてきたから、なかなか信じられる友達はできなかったな。それが偽りの自分のようで嫌だったこともあるし、今はオープンにしてます。今も『内省の時間』ってある? 私のときは正座で内省してた。今はベッドの上で、“相手に怒りや感情をぶつけてしまった”とか、今日あったことを振り返って考えるのね。そうやって自分が変わると、自然といい友達が集まってくるというのは最近、感じる」
「理解してくれる人って、どういう人ですか?」
「私が少年院出院者だ、元暴走族総長だって聞いても、付き合ってくれる人。過去も全部ひっくるめて、中村すえこと付き合ってくれる人が、理解してくれる人だと思う。割合は少ないけど、理解してくれる人は絶対にいるから。
セカンドチャンスって、何度でもやり直せるという意味なの。失敗しても、もう1度前を向いて、進んでいってもらいたいと思います」
すえこさんのような少年院出院者が来て話をしてくれることを、青葉女子学園の小國万里子園長は「すごくありがたい」と強調する。
「私たちがいくら出院後のことを言ってもあまり響かないけど、すえこさんが言うと説得力があるし、ここを出てからの将来像も、より現実的に見えてくると思います」
特に女子の場合、少年院に入ってくる数は年々減っているが、対応が難しい子どもが目立つようになったという。
「親に虐待を受けている子が増えています。最近うちに入ってきた子をみると、逆に虐待を受けていない子のほうが珍しいくらいです」
これまでの小國さんの経験では、親から暴力を受けて育ち、他人を傷つけることを「当たり前じゃん」と言い放つ子。性的虐待をされて「自分の身体は汚い」と感じ援助交際をしていた子。育児放棄され、少年院で初めてご飯を3食たべたという子もいたという。
虐待をされた子どもには共通する傾向があると説明する。
「愛着障がいを起こしやすく感情のコントロールがなかなかできなくて、他人との関係をつくるのが難しい。自傷や摂食障がいという形で出てくる子もいます。精神的なケアもしていますが、大変なのは出院後に帰る場所がなかなか見つからないことですね」
虐待をしていた親のもとには帰せない。まず更生保護施設に打診するが、空きがなかったり、難しいケースということで断られることもある。全国にある自立援助ホームに職員が電話をかけたり、保護観察所の協力を得たりして、受け入れ先を懸命に探す。
出院者からも頻繁に電話がかかってくる。近況報告や悩みを聞いてもらいたいだけの子もいるが、泣きながらかけてきたり、深刻な相談をする子もいる。働いて得たお金を親に搾取されると訴える子は支援組織につないだ。
罪を犯した少女たちの実態
2009年に『セカンドチャンス!』の設立に参加して以来、すえこさんは各地の少年院を訪ね歩いている。虐待だけでなく貧困家庭やひとり親家庭も多い。実態を見聞きするにつれ、ある思いに突き動かされるようになった。
「少女たちは罪を犯した加害者だけど、実は被害者でもある。“幸せになってもいいんですか”と言う子もいました。虐待する親をケアするとか、もっと根本から社会を変えたいと考えたとき、思いついたのが映画を作って現状を知ってもらうことでした」
もちろん、映画作りに関しては、ずぶの素人だ。映画製作会社、法務省、文化庁、保護司の集まりなど、いろいろなところに足を運んだ。
「企画を話すとみんな“いいんじゃない。でも、お金はないよ”と。ああ現実って、こういうことなんだと感じたけど、私は自分のお金を持ち出してでも絶対に作ろうと」
クラウドファンディングで製作資金を集め、ドキュメンタリー映画『記憶 少年院の少女たちの未来への軌跡』が今年7月に完成。構想から8年かかった。
撮影は法務省の協力を得てかつて、すえこさんがいた群馬県の少年院・榛名女子学園で1年間かけて行った。すえこさんは監督兼インタビュアーとして、在院中の少女たちの本音を引き出していった。
美人局で逮捕された遥香(17=仮名)は親に2度見捨てられている。母が再婚し、新しい父に認めてもらいたくて難関中学に合格した。だが、父の転勤で両親と弟たちは県外に行き、遥香は学校を理由に祖母に預けられた。
「本当は一緒に暮らしたかったけど、言えなかった。逆らっちゃいけないんだって、自分の中で勝手に思って」
寂しさから彼氏にすがりつくとDVを受けた。中学3年で家族と同居したが、友人とトラブルを起こして学校を退学に。疲弊した母が倒れ、父から「家に帰るな」と言われて、夜の街をさまよった。
「(美人局の)誘いに乗れば共犯の中に居場所はある。毎日、誰かしらと一緒にいたかったんです」
少年院には家族全員で面会に来てくれた。家族の温かみに触れ、初めて家に居場所があると感じられた。
窃盗で逮捕された沙羅(20=仮名)は2人暮らしの母と共依存のような関係にあった。中学生のころ母が薬におぼれ、沙羅も興味本位で飲むように。生活費を稼ぐため援助交際をしたり、食べ物を万引きして、母に渡していた。
「気づいたときにはお母さんのだらしなさが当たり前になってたし、私が悪いことをしても責めたり怒らなくなった。私は楽なほうに流されやすかったので、ちゃんと怒ってくれたほうがよかった」
少年院の中で母との関係性を考えるようになり、出院後は父との生活を選んだ。
母親に育児放棄された佳奈(18=仮名)は2歳から16歳まで施設で育ち、17歳のとき覚せい剤で逮捕された。
「少年院で初めて甘えられた」
出院式では教官と抱き合って泣いた。大阪で少年院出院者の自立を支援する社長のもとで働くことになり、寮に入った。だが、大変なのはそれからだった。
初めて信頼できる大人との出会い
すえこさんは佳奈のその後を追い大阪に向かう。仕事はいいかげん。部屋はぐちゃぐちゃ。門限を破るなど約束を守れない。結局、佳奈は寮を出されてしまう─。
顔にはぼかしが入り、声も変えられているが、少女たちの葛藤や心の揺らぎが痛いほど伝わってくる。
すえこさんは映画の狙いをこう語る。
「彼女たちが口をそろえて言っていたのは、“少年院の中で初めて信頼できる大人に会った”と。女子の場合、少年院に入ったことで、救われたケースがすごく多いんです。少年院を出たと聞くと、社会からは“すごく悪いやつ”という目で見られるけど、そういう現状をまず知ってほしいです」
静岡県立大学教授で犯罪学が専門の津富宏さん(59)は、「これだけのクオリティーで、子どもたちの生の声を映像で伝えたのは初めて」だと評価する。
「少年院の子どもたちと日々接している法務省は、個人情報保護を気にするあまり、子どもたちの本当の姿を世間に知らせていなかった。NHKが以前、男子少年院を撮った番組でも、焦点が、子どもの声を伝えることより、職員の仕事ぶりに当たっていました。
すえこさんの映画が公開されることで、犯罪歴のある人の受け皿が急に増えることはないとしても、この映画は長期的には意味がある。かつて“見えない化”されていた障がいや貧困の問題と一緒で、真実を知らせる人がいることで、社会は揺さぶられていくので」
津富さんは元法務官僚で、『セカンドチャンス!』を設立し、初代の理事長を務めた。10年前、すえこさんに声をかけたのも津富さんだ。
「すえこさんが自伝を出した直後で、ちょっと、目立ちたがりの人かなと思った(笑)。『セカンドチャンス!』で活動したり、映画を作るためにいろいろな人の力を借りたりする中で、彼女自身がすごく成長したんだと思います」
寂しかった幼少時代
すえこさんは1975年、埼玉県東松山市で生まれた。父は自称、大工。ほとんど働かず、昼間から酒を飲んでは暴れた。母は16歳で19歳の父と結婚。祖母の食堂を手伝い生活を支えていた。すえこさんの上に11歳、8歳、4歳離れた姉がいる。末っ子だから、すえこと名づけられた。
「小学校に入って、ほかのお父さんは昼間働いて家にはいないと知って、“あ、うちは普通じゃないんだ”と。お母さんはぶたれたりしていたので、夫婦喧嘩の内容はわからなくても、お父さんがおかしい、嫌だなと思っていました」
授業中に手を挙げることもできない恥ずかしがり屋だったというすえこさん。小学3年生のとき、母がスナックを始めて生活が一変した。
姉たちはアルバイトや勉強で忙しい。すえこさんはひとりで夕飯を食べ、お風呂に入って、寝た。
「初めはテレビも見放題だし、ラッキーと。でも、1週間もすると、もういい。泣いちゃったときもあります。風がすごく強い日とか、お布団に入って目をつぶっても怖い。だけど、うちは母が働かないといけないからしかたないと納得もしていたんです」
母の高橋敏子さん(72)は仕事を終え毎日深夜に帰宅。すえこさんの隣に敷かれた布団に疲れ切ってもぐりこんだ。
「私の気配を感じるのか、すえこがクルッと私のほうを向いて、こうやって私の胸に手を入れてね。で、おっぱいにあたると安心して、また寝るの。かわいそうだなと思った。夕方、仕事に行くときはね。用はないのに“お母さーん、お母さーん”って呼ぶの。でも、行かないでとは言わなかった。寂しかったのね。私もつらくて振り返ることはできなかったな。やだなー。思い出しちゃうと……」
敏子さんは言葉を切ると、そっと涙をふいた。
'87年、小学6年生のとき、敏子さんは居酒屋を開き、ますます忙しくなった。すえこさんが“ボタンのかけ違い”と呼ぶ出来事があったのは、その少し前だ。
姉の脱色剤を使って、髪の一部を金色にしてしまう。「自分を見て」というアピールだったのだが、母は気がついてくれず、「自分は愛されてないんだ」と傷ついたのだという。
敏子さんに確認すると記憶があいまいだ。
「う~ん、次の日に理髪店に引っ張っていって、金髪を切ってもらったことは1回あるけど、それかなぁ」
今となってはこれ以上、確かめるすべはないが、「愛されていない」という思い込みが、幼いすえこさんの心をむしばんでいったことは確かだ。
万引き、喫煙、シンナーに溺れた中学時代
中学入学前に、住んでいた市営住宅が老朽化で立ち退きになり、市内の県営住宅に移った。通う中学に友達はいない。すえこさんは、アニメや映画にもなった漫画『ビー・バップ・ハイスクール』が大好きで、主人公の不良たちをまねして、金髪に長いスカートで入学式に臨んだ。
すぐに先輩不良グループに目をつけられ仲間になった。ちゃんと登校していたのは中学1年の1学期までだ。
「友達がひとり増えると悪いこともひとつ覚えられるのね。万引きがすごくうまいやつ。バイクを秒で盗めるやつ。はじめはドキドキしたけど、だんだんマヒしてきて、移動手段がないからバイクを盗む、タバコを吸いたいから万引きする。当時はシンナーも流行っていて、吸うとボーッとしてテンションが高くなって、それが気持ちよかった」
警察に補導され、敏子さんは何度も引き取りにいった。自分の顔を見ると、すえこさんがすごくうれしそうな顔をしたのを覚えている。
中学2年の春、地元にできたレディースに入った。チーム名は紫優嬢(しゆうじょう)。サラシに紫の特攻服を着た10数人のメンバーは、みんなカッコよくて、憧れた。
「かわいがってくれる先輩がいて、居心地がよかった。みんなといると、寂しく感じることもなかったし」
深夜まで親がいないすえこさんの家がたまり場になった。すえこさんに誘われて紫優嬢に入った1年後輩の女性(42)は“おしるこ”とあだ名をつけられ、よく声をかけてもらったそうだ。
「私は家庭環境がよくなくて、学校も居場所がなかったし、紫優嬢には似たような境遇の人たちが集まっていたように思います。すえこさんの家に行くと、お母さんは嫌な顔ひとつしないで、ご飯も用意してくれて。みんなでシンナーを吸っていると怒られたけど、すえこさんは“うるせぇ!”と反抗していました。お母さんは忙しそうでしたが、すごく心配してくれて、“こんなにあったかいお母さんがそばにいるのに、何で?”と内心は感じていました」
中学3年のとき、母の敏子さんが家を出た。すえこさんが家に帰ると畳が血だらけだった。接客業の母にやきもちを焼いた父が、母の髪を切ろうとして頭を切ってしまったのだ。敏子さんはこのままでは殺されると思ったという。
「男はやさしいだけじゃダメなんだよね。子どもができて生活するなかで、稼ぎのない男はダメなんだと。お酒飲んで寝ているとき、首を絞めちゃおうかと何回も思ったよ。でも、子どもたちが人殺しの子になっちゃうと思ったら、できなかったね」
しばらくして母から連絡があった。一緒に暮らそうと言われ、すえこさんが母のアパートに行くと、母の恋人らしい男性がいた。
最年少総長になり傷害で逮捕
中学を卒業すると高校には行かず、15歳で4代目の総長になった。男の暴走族のバイクや車に乗せてもらい、暴走族の集会にも出た。
総長になってすぐ、レディース暴走族雑誌『ティーンズロード』に大きく取り上げられた。当時、編集長だった比嘉健二さん(63)に聞くと、暴走族の全盛期は'78年から'80年代初頭。すえこさんが活動していた'90年前後には数は減っていたが、紫優嬢は目立つ存在だったという。
「総長インタビューをしたら、自信たっぷりで頭の回転が速い。男の暴走族は喧嘩上等とか粗暴なことしか言わないけど、すえこちゃんは自分たちのチームをどうしたいと、ちゃんと自分の言葉で話していたので、すごく印象に残っています。彼女は全国のレディースの中でも3本の指に入る人気でしたから、毎号のように取り上げました」
世間はバブル景気に浮かれていた。一般誌やテレビも取材に来て、アイドルのように扱われた。だが、それがその後、思わぬ事態を招く─。
すえこさんが目指したのは関東制覇だ。埼玉近郊のレディース10チームで連合を組み、敵対するチームをつぶしては連合に入れていった。
「私、喧嘩は強かったです(笑)。髪をつかんだり、引っかいたり、取っ組みあったり。10分もかからない。非行に走ったきっかけはボタンのかけ違いだったけど、走り出したら、もう止まらない。上へ、上へ。やればやるほど認められる気がして。私が天下を取るためには、人を傷つけてもしかたないと考えていました」
あるとき、つぶし合いの喧嘩で相手チームの1人に大ケガをさせてしまう。誰がやったのか不明だったが、総長のすえこさんが傷害容疑で逮捕された。
家庭裁判所の審判で、少年院に送致されると、今より格段に多い120人ほどがいた。1年2か月の少年院生活で得たものは多かった。
「ワープロ3級の資格を取ったんですが、一生懸命、練習して結果が出せた。そういう経験ってあまりなかったので、うれしかったですね。規則正しい生活でご飯はおいしいし、いろいろ教えてくれる先生たちに感謝の気持ちを素直に伝えることもできました。
ただ、自分のやったことへの反省はまったくしていなくて、暴走族に戻ってもうひと花咲かせるつもりでした」
ところが、出院したすえこさんを待っていたのは、紫優嬢の破門という現実。信頼して留守を託した親友に裏切られたのだ。メンバーから呼び出され、ケジメだと全員にひどく殴られた。
「私だけ目立っていたのを嫉妬していたみたいです。そのとき初めて、殴られる側の恐怖心や暴力の怖さがわかりました。
本当につらかったのは、そこからです。不良の世界しか知らないから、どう生きていいかわからない。自分なんかどうなってもいいと感じているときに、昔の不良仲間にすすめられたのが覚せい剤でした。今の自分にぴったりだと迷わず打ちました」
2度の結婚
出院から半年後に現行犯逮捕。拘置中に妊娠がわかった。
「何しているの! お腹にいる命は、お母さんになるお前にしか守れない命なのよ!」
面会に来た母の敏子さんに厳しく叱責され、すえこさんは「このままじゃ、人の心を失っちゃう。非道な人間にはなりたくない」と恐怖心にかられた。「変わりたい」と思ったのは、そのときだ。
敏子さんは「人として当たり前のことを言っただけなんだけどね」と笑う。
「それまでも何も言わなかったわけじゃないんだけど、聞く耳は持たなかった。すえこは自分の思い立ったことはやりたいんだよ。よかろうが悪かろうが、何でも。あの子の人生はあの子のものだから、しょうがない。そう思うしかなかったよね。ただ、どんなに踏みつぶされても立ち上がる子だから、そういう面では安心してたかな」
すえこさんが心から反省している様子を見て、審判で「今の君なら大丈夫」と言われ、保護観察処分になった。だが、覚せい剤の影響も考慮し、赤ちゃんはあきらめた。
19歳で結婚し女の子を出産した。夫は自営で塗装の仕事をしていた。会ってすぐ意気投合したのだが夫の浮気が絶えず、23歳で離婚した。
母に甘えたくなかったので、実家には戻らなかった。夜は子どものそばにいるため、水商売もしないと決めた。
だが、中卒で、しかも地元で有名人のすえこさんは、面接で落とされてしまう。伝手を頼って仕事を見つけた。運送会社の事務員、弁当の配達、コンビニ……。懸命に働き、ひとりで娘を育てた。
2度目の結婚は27歳のときだ。夫は18歳年上で新聞販売店を経営していた。夫にも娘が1人おり、いつも子連れでデートした。
長男が生まれてまもなく、夫が保証人になっていた知人の会社が倒産。従業員の横領などが続き、借金が膨れ上がった。北海道、千葉県と移り住んで借金を返した。次男が生まれ、東京都調布市で新聞販売店を始める。すえこさんは4人の母として忙しい毎日を送った。
自伝『紫の青春~恋と喧嘩と特攻服~』を出版したのは2008年。すえこさんは32歳、末っ子が2歳だった。
すすめたのは10数年ぶりに再会した比嘉さんだ。
「自分の作った雑誌が原因で妬まれて、リンチをくらってやめさせられたと聞いて、すごくショックでした。会ったときに“悪いことした”と謝ったら、すえこちゃんは“全然気にしていないよ”と。だったら、そういうことも含めて書いてみないかと」
過去をオープンにしたら楽になった
それまでは過去を封印していた。長男が通う幼稚園のママ友に「いいお母さんね」とほめられるたび、過去を隠していることに胸が痛んだ。娘たちに相談すると「今をちゃんと生きていればいいんじゃない」と言われ、決心した。
「本を読んだママ友たちも、運動会の親子競技で“総長頑張れー!”と(笑)。過去は消せないから、オープンにしたらすごく楽になりました」
出版からまもなく津富さんから誘われ、『セカンドチャンス!』に参加した。発足時は、少年院出院者が10人弱。支援者も含めて20人ほどの仲間がいた。
2011年には自伝をもとにした映画『ハードライフ~紫の青春・恋と喧嘩と特攻服~』が公開された。その映画を配給した会社の社長が、すえこさんが映画を作るとき製作に協力してくれた。
次男が小学校に上がるタイミングで、借金を重ねる夫と離婚した。長女は独立し、すえこさんは3人の子どもと横浜市に転居。学童保育で働きながら、「学歴がないまま働いてずっと大変だったから」と高校卒業程度認定試験にチャレンジし、合格した。
4年前に私立高校の職員になった。紹介されて会った学校法人のトップが「やり直しができる社会じゃないといけない」と採用してくれたのだ。経済的にも安定し、通信制大学で学びながら、社会科の教員を目指している。
「中学のときは社会が大っ嫌いだったけど(笑)。今は社会学が面白くて。学校に行ってないから知識が足りないことが課題ですね。教育実習でほめられたのは、声がでかいことと生徒に注意ができることくらい。“そこ、何やっているんだー!”って(笑)。今はヤンチャ系生徒を担当していますが事務なので限界がある。教員資格が取れたら担任になれるし、生徒と深くかかわりが持てるかなと」
自分の子育てではルールをいくつか決めている。子どもを抱きしめる。忙しくてもお弁当に冷凍食品は使わない。ご飯は一緒に食べる……。
かつて宿した命を失ったことをきっかけに変わったすえこさん。だからこそ、自分なりの覚悟を持って、子育てに全力で向き合っているのだろう。
母として、子どもたちに注ぐ愛情
そんなお母さんのことが大好きだという次女の彬帆さん(24)は看護師になった。
「学歴がなくて就職が大変だったとか、昔の話をいろいろ聞いていたので、反面教師にして自分は手堅く生きていこうと(笑)。
家での母ですか? すっごいジャイアンなんですよ。わが家の法律はお母さんが司っている感じで(笑)、強いんですよ。今、何足の草鞋をはいているの? っていう状態でも、やりたいことはやってしまう。大変そうだけど好きなことをやっているから、専業主婦のときより生き生きして楽しそう。私はドラえもんのように慈悲深く生きたいと思っていたのに、母に似てるって、めっちゃ言われますよ(笑)」
彬帆さんは今年6月に結婚。今は高校1年の長男、中学1年の次男と暮らしている。
3人で晩ご飯を食べる団らんの場が家族会議になることもあると、長男の禎敬君(15)が教えてくれた。
「例えば、人間関係で悩んでいることを話すと、お母さんは“状況を変えるにはどうしたらいい?”“次はこうしよう”とか、思考がすごいポジティブなんですよ。ただグチを聞いてほしかっただけなのに、話していると何か動かないといけないなーと。だんだん僕も、その思想に染まってきてますね(笑)。いつも忙しそうにしていますが、愛情を感じるし、寂しいと思ったことはないですね」
仕事、育児、学生、『セカンドチャンス!』の活動、映画作り。やるべきことに追われてうまく回らなくなると、頭に浮かぶ一節がある。
《あの坂をのぼれば、海が見える》
中学に入学して最初の国語の授業で習った詩だ。
「ここまでやったのに、あきらめちゃっていいの。あともう一歩なのにって。実際はあと百歩のこともあるけど(笑)。映画を作ったときも“あきらめたかと思った”と何度も言われたけど、私、作るって言ったじゃん。アハハハハ」
映画の自主上映会を各地で開きながら、次は男子少年院を題材にした映画を作りたいと考えている。
その坂をのぼったら、どんな景色が見えるのか─。
取材・文/萩原絹代(はぎわらきぬよ) 大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90 年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。'95 年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。
外部リンク
氷室京介に群がる「チーム安室」と“セクハラ”社員
氷室京介
2016年に東京ドームで行われたライブを最後に無期限の活動休止を発表した氷室京介。還暦を記念するオンライン花火イベントが氷室の誕生日である10月7日に開催された。
「過去のライブから厳選された映像と、事前に収録した花火映像をCGで合成して配信するという内容でした。イベント限定のグッズ販売に加え、主催者は日本テレビとセブン-イレブン……先日行われた安室奈美恵さんのイベントと、まったく同じフォーマットでしたね」(音楽ライター)
同じ形式になったのは何を隠そう、安室のイベントと同じ人物が関わっていたからだ。
「安室さんの晩年の活動のキーマンと言われている音楽プロデューサーのA氏、グッズの製造・販売会社を経営するB氏、日本テレビの社員であるC氏が中心となって進められたものです。C氏は『news zero』などを担当する敏腕プロデューサーだったものの、あることが理由で制作部から異動させられています」(レコード会社関係者)
女子アナにセクハラの過去
“あること”とは、2013年に『news zero』で起きたセクハラ騒動のこと。当時、キャスターを務めていた山岸舞彩や女性スタッフ数人にC氏がセクハラやパワハラをしていたことが、ニュースサイトや週刊誌で報じられたのだ。それを受けて、C氏は同年、プロデューサー職を解かれている。
「局内表彰の常連で出世街道を歩んでいた人物です。『news zero』時代には氷室さんの密着をテレビで初めて成功させ、2016年に公開された氷室さんのドキュメント映画では監督も務めるなど、氷室さんや日本テレビの小杉善信社長からの信頼も厚い。また、音楽プロデューサーのA氏も過去に氷室さんのコンサートを手がけたことがあるため、今回のイベント企画が持ち上がったのでしょう」(同・レコード会社関係者)
C氏はかつて、音楽ドキュメンタリー番組で演出を担当していたこともあり、あまりテレビに出演しない大物アーティストたちを次々に口説き落とすなど、懐に入り込むのがうまいという。
「安室さんや氷室さんのイベントで成功したのに味を占め、今やビジネスパートナーとなった3人は同様の企画を今後も展開していくようです」(日本テレビ関係者)
活動していないアーティストを使ったビジネスには、業界からも賛否の声が。
「本人を稼働させずにグッズやチケットで荒稼ぎするその方法は、一部のファンからも疑問の声が上がっています。アーティストたちが開催を希望しているのかも怪しいですよ」(同・日本テレビ関係者)
イベントの運営事務局に、3人が関わっているのが事実かと問い合わせたところ、
「C氏が関わっているのは間違いありませんが、それ以外のおふたりについては、こちらでは把握しておりません」
と、C氏が関わっていることは確認できた。
アーティスト不在で進められるイベントで、得をするのが裏方の3人だけでなければいいけど……。
外部リンク
山下智久と飲酒した「JKモデルの謝罪文」出回った理由
山下智久
10月13日、『日刊スポーツ』(web版)が“女子高生モデルとの飲酒・お持ち帰り疑惑”で8月から謹慎となっている山下智久についての新情報を報じた。
同紙によれば女子高生モデルの親族名義で、弁護士を通じ、『事前に山下から年齢を確認されても20歳以上だと偽っていたことや、結果的に山下が活動自粛に至ったことへの謝罪』などを綴った書面が送られていたという。そこには、《女性は深く反省している様子といい、山下も謝罪の意思を受けとったという》との文言も添えられていた。山下は完全に“被害者”という構図だ。
「この件について、山下のファンは“早く復帰してほしい”と歓喜の声をあげていますが、問題はそこではなく、“朝になって女性をホテルに連れ込んだことだろう”との声もいまだに大きい。確かに『日刊スポーツ』もこの淫行疑惑についてはいっさい触れておらず、女子高生が年齢を偽っていたこと認めたことについて強調しているような印象も受けました」(週刊誌記者)
アメリカ配信が発表された直後に……
この謝罪報道を受け、SNSなどでも議論されているのが「なぜ今更この情報がでたのか」ということについてだ。確かに謝罪文は“先月までに”送られていたものとあるのだが……。記事がこのタイミングで出たのは山下の出演作が関係しているのでは? と話すのは映画配給会社の関係者。
「山下さんは動画配信サービス『Hulu』によってアジアやヨーロッパを中心に世界30の国と地域で配信されている海外ドラマ『THE HEAD』のメインキャストと務め、エンディングテーマを歌っています。ちょうどこの“謝罪文報道”の前日に、作品に携わるホルヘ・ドラド監督や製作総指揮のラン・テレム氏らがSNSで、同作のアメリカでの配信が決まったことを発表し、喜びの声をあげています。なんと、アメリカのエンタメ誌『Variety(バラエティ)』の表紙にも掲載され、特集されるみたいです」
同作のアメリカ進出と今回の一件がどう関わってくるのかというと、
「アメリカは日本よりも性犯罪に対して非常にセンシティブなところがあります。未成年との性交に関しての刑罰も厳しい。2017年に起こった『#Me Too』運動もさかんで、性犯罪についてはアメリカでも多くの俳優が名指しで言及されたりと、大きなトピックスとなっています。
今回の報道は“あくまで女性が成人と偽っていた”ことを主張するために、事務所が火消しをしたかたちでしょう。謝罪文に関しても、ジャニーズから未成年女性サイドになんらかのかたちで歩み寄り、早急に進められたものではないでしょうか」(同前)
山下の日本での活動再開はいつになるのか──。
外部リンク
山田邦子、がん手術から13年で身体に起こった変化
山田邦子
健康番組のテレビ出演を機に、両方の乳房に3つの乳がんが見つかったのは2007年のこと。がんを公表しない芸能人もまだ多かった時代、山田邦子は自らの闘病体験を包み隠さず伝え、同じように乳がんに悩む女性の支えとなってきた。手術から今年で13年。治療からも解放され、完治したといってもおかしくない彼女。しかし、今も「がんとともに生きる」気持ちは変わらないという。(以下、山田さんのコメント)
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還暦を迎えてびっくりしたこと
あれからもう13年。早いものですね。いまはもうホルモン治療も卒業して、年に1度の検診だけとなりました。でも不思議ね。毎日ホルモンの薬を飲むなんてすごくイヤだったのに、いざやめてもいいとなると不安なの。「この薬を飲んでいたから今日まで再発しなかったのに、やめて大丈夫なの?」って心配になってしまうのね。
乳がんは10年再発しなければ、寛解や完治とみなされることもあります。でも私は今も、がんとともに生きている気持ち。10年以上たって再発することもあるし、不安は完全にはなくなりません。
でも今では、乳がん仲間を元気づけるため「私は選ばれたのかな」と思えるようになりました。ピンクリボン運動に参加させていただいたり、がんへの理解を深めるために『スター混声合唱団』を結成したりと、さまざまな活動をしています。それは、私自身がピンクリボンの仲間たちにずいぶん助けられたからなんです。
2度の温存手術と28回にわたる放射線治療がようやく一段落したころ。つらい治療は終わったのに、今度は再発への不安が湧いてきて、落ち込んで……。このままじゃだめだと、精神科に相談にも行きました。そんなとき、ピンクリボンのイベントに呼んでいただいたんです。
行ってみたらびっくり! 乳がんの先輩方が大勢いて、しかも、みんな明るく元気ではつらつとしているの。
「邦子さんいらっしゃーい、仲間ね!」
って言われたとき、うれしかったなぁ。もちろん、人それぞれ思いがあって、全摘手術で乳房を失った方だっているし、自分が女性じゃなくなった気がして、傷ついた方もいる。みんないろんなことがあったはずです。でも、共通しているのは「今、生きている」という気持ちです。
イベントに参加して「ひとりじゃないんだ」って気づいたの。私と同じ思いをしている人がたくさんいる! ということを。治療が終わり、がんだったことを忘れたい人は忘れちゃえばいい。でも、悩んでいる人に「仲間がいるよ」と伝えたい。外に出る気になれない人は、無理に活動に参加しなくてもいい。いまはSNSなどでもつながることができるし、ひとりじゃないと気づくだけでも十分です。
今年、還暦を迎えてびっくりしたことがあります。なんと、放射線治療の影響で13年間まったく生えてこなかったわき毛が、3本だけ生えてくるようになったの(笑)。人間の力ってすごいわよね。
13年たって、私の気持ちも少しずつ変化してきて、近いうち乳房の形成手術にチャレンジしようかなと考えています。というのも、3つもがんを切除したから、左右で乳頭のバランスが少しずれているの。
当時はそんなのどうでもよくて、命さえあればいいと思っていたんだけど。こんなふうに考えられるようになったのは、それだけ元気になった証拠かな。今は、乳房の再建技術も驚くほど進化しています。全摘した人だって、大丈夫。だから、がっかりなんてしないで。
新型コロナウイルスの影響で制限はあるけれど、ピンクリボンはずっとつないでいきたい。オンラインなどさまざまな形で、自分にできることをいつも考えています。
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『82年生まれ、キム・ジヨン』に共感する8つのツボ
公開中『82年生まれ、キム・ジヨン』(C)2020LOTTEENTERTAINMENTAllRightsReserved.
結婚を機に仕事を辞め、子育てと家事に追われる主人公の苦悩を描いた原作に、多くの女性たちが共感し、映画版もヒット。韓国で「育児をろくにせず遊びまわっている害虫のような母親」を意味するネットスラング“ママ虫”と呼ばれた女性の理不尽さとは――。
韓国の1982年生まれの女性で最も多い名前“ジヨン”と韓国で多い名字をタイトルにした『82年生まれ、キム・ジヨン』。平凡な名前の女性を主人公にして、女性ならではの重圧や生きづらさを描いた原作は、韓国で130万部を突破するベストセラーに。
海外でも注目され、台湾、ベトナム、イギリス、イタリア、フランス、スペインなど18の国と地域での翻訳が決定。日本では2年前に翻訳本が発売され、16万部超えのヒット。
その原作を映画化。育児に協力的な優しい夫とかわいい娘とマンションで暮らすジヨン。妻として、母として生きるジヨンだが、心は壊れかけていた。
ときどき別人格になって“本音”を語るが、全く覚えていない。妻の異変に気づいた夫のデヒョンは、やんわりと精神科の受診をすすめてみるが、ジヨンは「疲れているだけ」と。日常に追われ“ママ虫”とも揶揄されたジヨンが見つけたものとは――。
ジヨンを繊細に演じたチョン・ユミは、韓国のアカデミー賞といわれる『大鐘賞映画祭』で、『パラサイト半地下の家族』のチョ・ヨジョンを抑え、主演女優賞に輝いた。夫役を演じた日本でも人気のコン・ユは「癒しと共感にあふれた物語に触れてください」とメッセージ。
コラムニストの辛酸なめ子さんは「女の人生の影の部分を、鉛筆デッサンのように繊細なタッチで描いた作品。影を描き込むことで社会の姿が浮き上がります。切なくて美しい映画に共感しながら見入ってしまいます」と感想を。
心にしみる一作。
3度目の共演で初の夫婦役
ジヨン役はチョン・ユミ(37)。その夫役はコン・ユ(41)。ふたりは映画『トガニ幼き瞳の告発』『新感染ファイナル・エクスプレス』でも共演。演技派のふたりが初めて夫婦役を演じた
ツボ1 ワンオペは国を問わず
子どもを抱っこして家事。酷使した手首のサポーターが痛々しい。心配する夫に「医師に“家電に家事を任せているのに痛むわけない”と言われた」と報告。夫が育児に協力的でも妻の比重が大きい
ツボ2 結婚しても仕事がしたい
パン屋に貼り出されたアルバイト募集を立ち止まって見つめるジヨン。気づいた店員に「午前中だけでも大丈夫」と言われるが、返答できずに立ち去る。仕事をしたい気持ちがくすぶる……
ツボ3 夫の実家では家政婦扱い
正月に夫の実家に帰省。台所に立ち続け、義母から恩着せがましくプレゼントされた花柄エプロンに気が重い。夫家族のだんらんに加わることもできないジヨンから別人格のような言葉が口をついて出るように
ツボ4 子づくりをせかされて
新婚早々、義母から早く子どもを産むようせかされていることにイラ立つジヨン。そんな妻に夫は「ひとりだけでいいよ」とノー天気。出産計画は夫婦ふたりで話し合って決めていく大切なことのはず
ツボ5 優しい夫とのすれ違い
ジヨンは再就職先を決め前祝いをするが夫は浮かない顏。妻の病気を心配してのことだが、不信になるジヨン。ベビーシッターも見つからず夫の育児休暇取得は義母が猛反対したため、あきらめることに
ツボ6 最大の味方で理解者
ジヨンの母は若いとき家庭の事情で夢をあきらめていた。娘には同じ思いをさせたくないと気にかけ「やりたいことをやりなさい」と応援する。娘の病気に自分を責め、力になろうと尽くす
ツボ7 理想に燃えても……
広告会社に勤務するジヨンは、結婚して子どもがいる有能な女上司から「よき妻、よき母をあきらめた」という言葉を聞いても、「結婚しても仕事を頑張れる」と前向きだった……
ツボ8 妻、母の出口とは……
誰かの母親、誰かの妻として幸せを感じても、閉じ込められた気分になるジヨン。出口が見えたと思っても、また壁が……。出口を見つけられない自分に腹を立てることしかできず悩む
公開中『82年生まれ、キム・ジヨン』
配給:クロックワークス
(C)2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.
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石田ゆり子が愛用「姿を美しくする」1本5000円スプーン
石田ゆり子
10月3日に51歳の誕生日を迎えた女優・石田ゆり子。いまや40、50代の女性たちのカリスマ……いや、20代、30代といった若い女性たちにとっても憧れの存在だ。
彼女の人気の最大の理由は「変わらない美貌」と言うのはファッション誌編集者。
「“奇跡のアラフィフ”なんて呼ばれていますけど、本当に50代とは思えませんからね。2018年に出版されたフォトエッセイは20万部の大ベストセラーになったんですが、その本の中で《健康で幸せであることが美しさにつながる》と書いていて。ゆり子さんがこれだけ支持されるのは、見た目の美しさだけじゃなくて“内面の美しさ”をすごく大事にしているからです」
美しさにこだわる石田がここ数年、ひそかに愛用している“逸品”があるという。
「それがスプーンやフォーク……カトラリーなんです。石川県に住む竹俣勇壱さんという金工作家さんが作ったもので、あえて“食べづらい”形や重さに作り込んであるんですって。なんでも、それを使うと“食べる姿が美しく見える”んだそうです。石田さん、最近もいくつかまとめて買ったそうですよ。ただ、なかなかお高くて……スプーン1本5000円もするんです(苦笑)。それでも大人気で、なかなか手に入らないんですよ」(同・編集者)
美魔女たちの御用達だった
竹俣氏のアトリエ『KiKU』の公式サイトを覗いてみると、たしかにどのスプーンもフォークも柄が極端に細かったり、妙に頭でっかちだったり……。なぜ、こんな不格好(失礼!)なデザインに? 竹俣氏本人に話を聞いてみた。
「例えば服。“楽で汚れてもOK”な服を着たら、誰でもなんとなく身のこなしまでだらしなくなりますよね? それと一緒でスプーンもフォークも“使いやすくて便利に”を優先して作ったものって、食べ方が汚くなったりしちゃうと思うんです。これは、カトラリーを作り始めたときに、いろんな飲食店でお客さんの食べている姿をずっと観察していて感じたことで。そこで、“食べにくい”アンバランスなものや重いものを」
芸能界には石田以外にもファンが多いという。
「木村多江さんや井川遥さん、今井美樹さん……中谷美紀さんには茶道具を一式、使っていただいています。石田さんが使ってくださっているのは知りませんでしたが“人の目に触れる”仕事をしている方は、日ごろから“だらしなくない生活”を心がけていらっしゃるのかもしれませんね」
今も独身を貫く石田。自宅では誰に見られるわけでもない、自由気ままな“おひとりさま生活”のはず。それでも食事中すらも気を抜かないとは……あれ!? ひょっとして誰か一緒にいる……の?
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滝沢秀明、目指す新規ビジネスモデルは『米津玄師』
2015年9月、夜の街に繰り出した滝沢秀明と今井翼
12月4日から滝沢秀明が監督を務める映画『滝沢歌舞伎 ZERO 2020 The Movie』が公開される。
「映画館での公開に先駆けて、10月から東京の『新橋演舞場』、京都の『南座』、名古屋の『御園座』で特別上映を行っています。映画館だけではなく、普段は歌舞伎の公演を行う劇場でも公開するのは新しい試みですよ」(スポーツ紙記者)
昨年からジャニーズJr.の育成をする『ジャニーズアイランド』で代表取締役を務め、ジャニーズ事務所の副社長も担う滝沢だが最近、頭を悩ませる“事件”が。
「中居正広さんや手越祐也さんなど、デビュー組の相次ぐ退所に加えて、10月2日には『文春オンライン』で宇宙Sixの山本亮太さんが無許可営業のスロット店で賭博行為をしていたことが報じられました。山本さんは契約解除され、グループも解散することに」(同・スポーツ紙記者)
収入激減のJr.を救うべく
2020年は“厄年”になりつつあるが、滝沢には気がかりなことがある。
「Jr.の待遇です。今年は新型コロナウイルスの感染拡大によって、予定していたデビュー組のコンサートが中止に。その影響で、普段ライブでバックダンサーを務めるJr.の収入は激減しました。彼はそんな危機的状況を打開したいようで、『ジャニーズアイランド』の社員には、月に1~2回行われる会議でJr.をサポートできるようなビジネス案を5つ出すよう要請しているそうです」(芸能プロ関係者)
ただ、すでに年内に予定していたアリーナクラスの公演はすべてオンラインで開催することが決まっており、しばらくは地方を回るツアーもできそうにない。
そんな中、滝沢が注目しているものがあって─。
「8月7日に、米津玄師さんが人気のオンラインゲーム『FORTNITE』でライブを行いました。このライブは、ゲーム内で自分の分身となるキャラクターを作り、それを操作してイベント会場に行き、曲を聴くもの。米津さんのライブでは、3DのCGで加工された彼が歌う映像も流れました。仮想空間でライブをやるという斬新なアイデアは、音楽業界で非常に話題になりました。滝沢さんも刺激を受けたようで、“俺たちも、どんどん新しいことをやっていこう”と意欲を燃やしています」(レコード会社関係者)
“Jr.を救う”という強い思いを持つ彼に期待が高まる。
「滝沢さんは、事務所がまだインターネットと距離があった2018年に、YouTubeでJr.の公式チャンネルやSNSを開設するなど、常に新しい風を起こしてきました。Jr.にとっても、ファンにとっても“新感覚”だと思えるライブを考えているのではないでしょうか」(同・レコード会社関係者)
2020年の“滝沢革命”から目が離せない!!
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V6、25年間で築き上げた個々のスキルとグループ力
25年間、1人もメンバーが欠けることはなったV6
今年11月でデビュー25周年を迎えるV6。『学校へ行こう!』で大ブレイクしたが、その後“冬の時代“も経験してきた。それでも、1人もメンバーが欠けず、4人が結婚しても人気は衰えない。なぜ、仕事もプライベートも、ここまで安定しているのだろうか。四半世紀で築き上げた6人の“愛“を振り返る──。
なぜV6は安定しているのか
'97年から始まったレギュラー番組『学校へ行こう!』(TBS系)で絶大な人気を誇ったV6は、'08年に番組が終了して以降、個々で活躍していった。
「坂本昌行さんはミュージカル、長野博さんはグルメ、井ノ原快彦さんはMC、森田剛さんは舞台、三宅健さんは手話、岡田准一さんは俳優と、得意分野がはっきりしています」(スポーツ紙記者)
今では、日本アカデミー賞を受賞するなど、俳優として高く評価されている岡田だが、デビュー間もないころに彼を取材したことのある芸能ライターの女性は、当時からその片鱗があったと話す。
「'01年にテレビ朝日系で放送されたドラマ『反乱のボヤージュ』で渡哲也さんと共演し、彼の演技に影響を受けたみたいです。ほかのメンバーに“もっと芝居をやりたい“と話していて、かなり熱い思いを持っていましたよ」
'08年に放送された『SP スペシャルアンコール特別編』(フジテレビ系)で共演した春田純一は、現場の空気作りがうまいと感じたようだ。
「私が公安として岡田さんを取り調べるシーンで一緒になったのですが、彼は役に入り込んでいて、集中していました。緊迫したシーンだったので、現場の雰囲気も和気あいあいとしたものではいけません。彼はきちんとわかっていて、そうした空気を作ろうとしていた印象を受けました」
'08年に公開された映画『陰日向に咲く』では、何をやっても成果の上がらない若者役を演じた。同作で照明を担当した中須岳士さんは、岡田のストイックな姿勢に驚かされたという。
「映画は爆破や火事のシーンでなければ1台のカメラで撮ることが多いんです。いろいろな方向から撮るために、何度も同じ芝居をする必要があるので、岡田さんが雨の中、涙を流すシーンは10回以上撮りました。
普通、リハーサルのときは力半分で演技をすることが多いのですが、彼は常に120%でやっていた。毎回、全力で涙を流していたので、よくここまでできるなと驚きましたね」
役者として評価された岡田に対し、井ノ原は『あさイチ』(NHK総合)のキャスターとして“朝の顔“になった。
「'10年3月から'18年3月の8年間にわたって、元NHKアナウンサーの有働由美子さんとともに人気を博しました」(前出・スポーツ紙記者)
'17年から1年間、一緒に仕事をした副島淳は、井ノ原の気遣いに癒されたと話す。
集まれば一体感のあるV6
「初めてお会いした際にすごく緊張していたのですが、気さくに話しかけてくれて、緊張をほぐしてくれました。本番前に楽屋に挨拶をしにいくと、楽屋に入れてくれたこともあります。
井ノ原さんが東京の大田区出身で、僕も大田区の蒲田で生まれたので、“副島くん、蒲田なんだって? 俺も大田区だから地元一緒だよ“と言って、地元トークをしたことを思い出しますね」
8年間、苦楽をともにしてきた有働とは、阿吽の呼吸ができあがっていたという。
「2人が番組を卒業するときに、スタジオでお別れ会をやったのですが、有働さんが感極まって涙を流すと、井ノ原さんがスッとハンカチを渡していました。有働さんは“私、結婚するならイノッチみたいな人がいい“と言っていましたよ(笑)」(副島)
長野は調理師と野菜ソムリエの免許を取得し本格的なグルメレポーターになった。
'14年には長野が作った料理を紹介する書籍『長野博のなっとくめし』(マガジンハウス)を刊行した。
担当編集者の阿部優子さんによると、
「新米を使った料理を作る企画で、ご自分で私物の土鍋を持ってこられました。彼の家のキッチンには精米機など、いろいろな道具があるそうで、すごくこだわっていました。
芸能人でグルメ好きな方の中には、お肉のことに詳しいなど、ひとつのことに精通している人はいますが、長野さんは野菜やお米などいろいろな食材に詳しかったですね」
個々で光るものを持っていたことに加えて、グループではこんな“武器“が。
「ダンスの技術が非常に高いんです。メンバーのほとんどが40歳を越えていますが、難易度の高い振り付けを導入した曲が多く、全員しっかりそろっている。普段は別々に仕事をしていても、ひとたび集まれば、強い一体感があるんですよ」(テレビ局関係者)
芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、大きな不祥事がなかったことも安定した人気につながっていると指摘する。
「若いころに交際報道はありましたが、不祥事が報じられたことはなく、クリーンなイメージです。それぞれやりたい仕事ができて、ときどき全国ツアーも行うなど、グループ活動もおろそかにしない。
だから、長く活動を続けていけるのでしょう。たとえるのであれば、仲のいい同級生が1年に1回集まる“同窓会“のような雰囲気でしょうか」
ただ、彼らもデビュー15年目となる'10年ごろには、“マンネリムード“が漂っていた。
「当時、後輩グループの嵐が人気絶頂だったこともあり、大型の音楽番組への出演が減り、6人全員ではあまり目立った活動はしていませんでした。グループの勢いも少々衰えているように見えましたね」(前出・テレビ局関係者)
『ジャニーズは努力が9割』(新潮社刊)の著書があり、ジャニーズ事情に詳しい霜田明寛氏は、“セクシー“ダンスで6人が復活したと話す。
セクシーを武器にしたV6
「'11年に『Sexy.Honey.Bunny!』という曲を出したところ、コアなファンの間で“V6ってすごくない!?“という声があがりました。また、ダンスのレベルも'11年ごろに完全に成熟したと言っていいでしょう」
なぜ、この曲が転機になったのだろうか。
「デビューから16年がたち、大人になった彼らの色気が醸し出されていたんですよ。この曲を引っ提げて8都市17公演で行った全国ツアーでは18万人を動員。
ライブ演出は坂本さんが岡田さんを抱き寄せるなど、普段よりメンバー同士の仲のよさが強調されていて、改めてV6の魅力を実感した人も多かったと思います」(芸能プロ関係者)
6人は、やがて私生活でもピークを迎えていく……(次回に続く)。
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テレビが「アポなし」ロケにこだわる3つの理由
近年、ロケ番組ではおなじみの光景となった、芸能人が店に直接撮影交渉をする「アポなし」訪問。中には「迷惑だ」という批判的な声も上がっているが、このような芸能人の“ガチンコ交渉”が増えていった背景には何があるのか。コラムニストでテレビ解説者の木村隆志さんが解説する。
左からバナナマン・日村勇紀、出川哲朗、ウエンツ瑛士
先日、テレビ好きの30代女性から、「最近、芸能人が直接撮影交渉をするロケ番組が増えた気がしますが、どうしてですか?」と尋ねられた。彼女にしてみれば、「交渉のシーンを放送するくらいなら、もっと多くの店や商品を紹介してほしい」ということらしい。
実際、ゴールデンタイムで放送されている『火曜サプライズ』(日本テレビ系)、『バナナマンのせっかくグルメ!!』(TBS系)、『笑ってコラえて!』の「朝までハシゴの旅」、『帰れマンデー見っけ隊!!』(テレビ朝日系)、『出川哲朗の充電させてくれませんか?』(テレ東京系)などを筆頭に、芸能人が撮影交渉する番組は多い。
数年前から続いていた傾向とはいえ、ロケそのものが難しいコロナ禍においても、リスク覚悟で行っていることに驚いてしまう。なぜコロナ禍においても、芸能人が直接交渉するロケ番組が多いのか? その理由は3つあり、いずれもバラエティーの課題と難しさが潜んでいる。
生放送に近い“ライブ感”を
芸能人が直接交渉する番組が増えた1つ目の理由は、収録放送でもライブ感を醸し出したいから。
当然ながら生放送が最もライブ感を醸し出せるのだが、予算・時間・リスクなどの点から難しく、ならば「それに近い演出を採り入れよう」という狙いがある。
芸能人の交渉シーンを放送することで、視聴者に「うまくいくかな」「断られそう」などのハラハラドキドキを感じさせられるほか、予想外のハプニングが起きる可能性もそれなりに高い。
もともと収録放送は、「やらせでは?」などと疑いの目で見られやすいため、芸能人が戸惑ったり、断られたりする姿も見せることで、「リアリティを感じさせようとしている」という狙いもある。さらに、「YouTubeやインスタグラムなどのライブ配信が浸透しつつあるだけに、テレビもライブ感で対抗しなければいけない」という時代背景も見逃せない。
芸能人が直接交渉する番組が増えた2つ目の理由は、芸能人と一般人のつながりを描いて親近感を抱かせたいから。
たとえば、『火曜サプライズ』や『バナナマンのせっかくグルメ』は、「芸能人が地元の人々から情報を聞き、撮影交渉してから、店に行く」という構成であり、芸能人と一般人の接触機会が多い。
なかでも重要なのが、「芸能人が一般人に低姿勢でおすすめを教えてもらう。店の人に頭を下げて撮影のお願いをする」というシーン。芸能人を一般人より下のポジションに置き、同じものを食べることで親近感を抱かせているのだ。
2010年代ごろから東日本大震災の影響などでテレビ番組に刺激ではなく癒しを求める人が増えたことで、こうした親近感を抱かせるような構成が増えている。
芸能人が直接交渉する番組が増えた3つ目の理由は、手間と予算のカットができるから。
「ガチンコロケ」「スタッフによる仕込みなし」と聞けば、一見カッコイイが、現実的に「リサーチ、事前手配、ロケハンの手間と費用が省ける」ことが大きい。
実際、「予算が減って思うようにリサーチャーが使えず、ADの確保も難しいから、アポなし企画に落ち着いた」という話を何度か聞いたことがある。
さらに、店の都合に合わせた時間帯にアポイントを取ると、スケジュールが重なりやすい上に空き時間が発生しがちだが、「ガチンコロケならカメラを回しっぱなしにして撮り切れる。取れ高が確保できたらロケを終了できる」のもメリットの1つ。芸能人もスタッフも「頑張れば早く終わる」ためモチベーションを保ちやすいのだ。
どんなに配慮しても迷惑をかける
ただ、芸能人が直接撮影交渉する番組は、「ライブ感」「親近感」「手間と予算のカット」という3つのメリットを得られるだけでなく、デメリットもある。
真っ先に挙げられるデメリットは、ロケ先に急対応を求めるため、どんなに配慮しても店や来店客に迷惑をかけてしまうこと。「芸能人やスタッフの対応が少しでも悪い印象を与えると、すぐにSNSで批判されてしまう」というリスクも侮れない。
また、ガチンコロケの形では、本当にいい店を紹介することは難しい。事前にしっかりリサーチを行ったほうが確実にいい店を選び、より多くの情報を放送できるからだ。実際、『火曜サプライズ』の放送中、「その店行くの?」「もっといい店がたくさんあるのに」「2店だけ?グダグダした交渉のシーンはいらなかった」などの声がネット上に書き込まれることがある。
これらのデメリットを完全に解消することは難しいだけに、各番組のスタッフたちはメリットの最大化を優先させていくべきだろう。たとえば、「生放送でアポなしのガチンコロケをやる」というくらいの思い切った構成なら、今以上の結果につなげられるかもしれない。
「芸能人のリスクが大きすぎる」「人が集まってしまい危険だから無理」などと後ろ向きなことばかり言っていたら、ネットコンテンツの優先度が高い人々を振り向かせることはできないのではないか。
木村隆志(コラムニスト、テレビ解説者)
雑誌やウェブに月間20本強のコラムを提供するほか、『週刊フジテレビ批評』などに出演し、各番組のスタッフに情報提供も行っている。取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーでもあり、主要番組・新番組、全国放送の連ドラはすべて視聴。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』など。
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イタすぎる“おばさんLINE”の実態がヤバい!
イラスト/柏屋コッコ
若かりし日、ガラケーから絵文字てんこ盛りのキラキラメールを送っていた『週刊女性』読者も多いはず。しかし、それをそのままLINEに持ち込むのは危険だ。“THEおばさんLINE”となり、「この人イタ~い!」となるという。えっ私も? 一体どうすりゃいいの! ITジャーナリストの高橋暁子さんに、まずは現代流“おばさんLINE”の特徴を聞いてみた!
間違った距離感は即アウト
「中高年の打つLINEは、ひとつのメッセージが長く、改行も多いことから“画面が黒い”と言われています(笑)。LINEは短文で相手とラリーするのが基本。文章でのスピーディーな会話、チャットのように楽しむ若者が多いですね。
手紙文化、メール文化が染みついた大人世代は、挨拶から始まり、近況を述べ、やっと本題に、そして〆の言葉まで……といった具合に、ついつい長くなりがちなんです」(高橋さん、以下同)
写真ページには、新人歓迎会後に中年女性からイケメンの歳下男性に送られた「イタいLINE」の例を掲載したが、そこには19行にもわたって文章がビッシリ。だが、高橋さんによれば
「今日の飲み会は楽しかった。ありがとう」
「またみんなで飲みたいね(絵文字1つぐらい)」
この程度におさめるのが正解だそう。たしかにおばさんからの褒めは絶妙に怖いし、例にあるように、酔っただの、入浴しただのは、相手(特に年下)にはどーでもいい。あえてきつく言おう。“聞きたくない、キモイ”情報なのだ。
「でも、あっさり書いたら気持ちが伝わらないし」と反論するアナタは肝に銘じよう。知りたくもない情報満載のLINEをもらった相手は「めんどくさい」「どう返したらいいかわからない」といった感情しか湧かない。
「どうしてもお礼が言いたくて……」と取り繕っても、遅い時間とわかって送るのは確信犯。酔ってLINEするなど最悪でしかない。
また、おばさんの若作りはLINE上でもキツい。若い女性をまねて可愛い系スタンプを連投したり、対面で話すと普通なのにLINEでは急にくだけた若者言葉になったりするのもやめておこう。
「特に注意が必要なのが、年下男性へのLINE。『もしかして、狙われてる?』と恐怖を感じる男性側の声もよく聞きます」
もしこちらにそんな気がなかったとしても、圧の強いおばさんLINEは悲しいかな、若い世代にとって恐怖の対象なのだ。ガーン。自分語り多め、下心見え見え。絵文字使いがガラケー時代から変わらない。通称「冷や汗笑顔」の絵文字を多用するなどの「おじさん構文」同様、無理に相手の機嫌をとる必死さや、なんなら仲よくなりたい下心が透けて見えてイタい、ということなのだろう。
もちろん、仲のいい友人同士であれば、おばさん丸出しのメッセージであっても、なんら問題はない。
つまりLINEは送る相手との関係性によって、送る内容も書き方も変えるべきツールだということだ。
「まずは相手との距離感を正しく図ることからスタート。“LINEを連絡手段にしていいか”の確認は重要。それから、相手のLINEを見て、どのような書き方、使い方をしているのかをチェックして合わせてみてください」
例えば、一文は長いかor短いか、文体は柔らかいかor硬いか、スタンプの有無、仕事の話や個人的な話はアリかorナシか……など、まずは相手のノリとテンションを見極める。そして、それをまねた書き方、内容で送信すれば“イタいおばさん”認定は免れるんだって!
「とはいえ、相手がかなり年下の場合は、大人としての文章や体裁をとったほうが好感度は高いと思いますよ」
相手との関係性とTPOをわきまえる。
なるほど、LINEでもリアルでも、ここに“イタいおばさんからの脱出”のヒントがありそうだ!
コレがイタいLINEだ!
【1】深夜の送信
相手先のプライベートな時間帯の送信はNG。お礼でも翌日で十分。大人としての常識を。
【2】ハートの絵文字
年下男子へのハートの絵文字多用は「オレ、狙われてる」感をあおり、ドン引きされる危険も。
【3】意味のない絵文字顔文字スタンプの乱発
とにかく絵文字、顔文字を連打する傾向。特に「!」「!?」の絵文字が中高年的。
【4】謎のおばさんアピール
「若くないよね(汗)」などの発言で 「そんなことないですよ」という返答を暗に強要する“おばさんアピール”もアウト!
【5】超プライベートな内容
例えば「お風呂も入って、大好きなオイルでマッサージもしました」など、おばさんのお風呂上がり情報など誰も聞きたくない。おじさん構文での自慢・自分語りと同じと心得よ。
【6】さりげないつもりの誘い
「みんなで」とつけても、飲みや遊びへの誘いで仲よくなりたい下心がほのかに透けると恐怖を与える。
【7】誤字が多い
老眼もあり、誤字はしかたない。が、「おかんLINE」なら笑えるが、知り合いではイタいだけ。
「おばさんLINE」こう直せ!
■まずはつながり方
「若い人にとってLINEは親しい人同士がつながる大事なツール。まずは、連絡方法は何がいいかを事前に確認するのがマナーです。携帯番号に紐づいていたとしても、勝手につながるのはダメ」(高橋さん、以下同)。“LINEは気軽なもの”というのはおばさんの幻想らしい!?
■書き方
「LINEは短文での会話が基本。改行せず、次のメッセージに分けて。そして1度に送るのは2つ~3つのメッセージまでが無難。絵文字、スタンプの連打も中高年っぽいです」。そのほか「あいうえお」を小文字にしたり、句読点がやたら多いのは読みづらくNG。難しい漢字に変換しがちなのも気をつけて。
■内容
「関係性にもよりますが、パート先の同僚程度なら事務的な内容にとどめるのがスマート」。相手のタイムラインの情報を「見たよ~」などと送ったらストーカーと思われる危険も!「同様に相手のタイムラインへの“いいね”もそれほど親しくない相手であれば避けたほうが無難です」
■送る日と時間
「休みの日や深夜など相手のプライベートタイムにLINEを送るのはやめましょう。大人として電話をかけても問題ないと思える日時を選んでください」。LINEを仕事のツールにしたくない若者もいるので要注意だ。
■写真&アイコン
「美しく撮れた自撮り写真を送信しがち。集合写真ならまだしも、ソロカットはコワイかと」お褒めの言葉待ちの自撮り写真のタイムライン投稿も危険! 「知り合いレベルに送ってもいいのはペットやグルメの写真までです」。アイコンも“若いころの自分”などを使いがちな中高年。現在のイメージとかけはなれたものはなるべく避けよう。
■即返信
「即既読がついて、即返信されることに意外と引いてしまう人が多いですね」。“既読スルーなんてありえな~い!”というのはあくまでも親しい関係性での話。男女のかけひきではないが、誤字の多い即返信より、ゆっくり見直して返信する大人の余裕を!
(取材・文/松岡理恵)
【PROFILE】
高橋暁子さん ◎SNS関連トラブルや事件、ルールやマナー、情報リテラシーが専門。記事の執筆、講演、セミナー、企業などのコンサルタント、監修、メディア出演などを手がける。SNS関連著作は20冊以上、テレビ出演も多数。元小学校教員。