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「ししょー、荷物お持ちしましょうか!」
後ろをちょこまかとついてくる弟子の提案に、師匠が振り返る。
師匠は山ほどの荷物をぶら下げた両腕の重みを感じながら考える。
落としていいものはあっただろうかと。
いやそんな物、あるわけがないのだ。
「迷子にならないようついてきて」
「ははーっ」
駅構内の人の流れに軽々弾かれる弟子が蛇行しながら追いかけてくるのを眺めて、師匠は溜息に似たものを漏らす。短身である弟子はすぐに人混みに埋もれるように見えなくなってしまうが、なんとかついてくるくらいはできるだろうと師匠が前に向き直る。
ついてこられないなら置いていこうとも思った。
この師弟が町に下りてきたのは二週間ぶりだった。
彼女とその弟子は陶芸家だ。普段は山中に建てた小屋に住み着いて活動に勤しんでいる。望んで山の中で暮らしているわけではないが、他に家もなく、また師匠の方は人付き合いに煩わしさを感じるのもあって向いてはいるのだろうと考えていた。
家も工房も両親が用意したものだが、その両親は既にいない。
師匠は駅内を歩く中でまとわりつく蒸し暑さに、表情の変化こそ目を細める程度だがうんざりしてくる。六月の屋内は雨が降っていなくともどこからか湿気が入り込む。頬を常に生ぬるい手に撫でられているようで不快だった。周りに人が多ければ、尚更だ。
駅の有料駐車場に車を停めて移動する最中、師匠がふと構内を振り返る。
この駅で少々の騒ぎを起こしてからすでに、一年が経っていた。
師匠はその頃を思い出そうとして、しかしなかなか記憶の形が定まらず、すぐに諦める。それよりも後ろからなかなか弟子が来ないことに溜息する。大した荷物も持っていないのになぜ遅いんだ。
そんな二人の本日の目的は生活用品の買い出しと陶芸教室の講師、そして待ち合わせだった。
講師を務める師匠はいつ買ったか覚えのない縞模様のシャツに下は作業時の短パンそのままで、その上から黄土色のエプロンをつけている。頭にはタオルを巻いて唇は乾き、化粧気などというものは一切なく細長い右目の下には汗で固まった土が軽く残っていた。
以前の弟子はそうした格好を指摘して直させていたが、今の弟子はそうしたことにまるで頓着しない。結果、師匠の方も着の身着のまま町を歩くようになっていた。
その弟子の方は、頭に髪留めの代わりのように『研修中』と書かれた名札をくっつけている。
弟子の名は、岩谷カナと言った。
「ししょー、ご無沙汰であります」
駅の中心の通りに出たところで、ようやくカナが追いついてくる。
こちらは、格好自体は無難である。町に来るとき毎回同じ服であるという点を除けば。以前に友人に選んで貰った余所行きの服は一着しかなかった。師匠はカナを一瞥した後、数か月前にこれと姉妹であると勘違いされたことを思い出してから前を向いた。
岩谷カナは二十五歳である。師匠とは三つ四つほどしか歳が変わらない。が童顔で、動きに落ち着きがなく、背丈の低さもあって干支を一回り勘違いされることが多々ある。一年ほど前に美容院で揃えたきりの髪はまた伸び始めて、後ろで纏めた髪もその先端にばらつきが出ていた。その様は手入れされていない犬の毛並みを連想させる。
犬は二匹もいらないし、なんなら一匹も不要なのにと師匠が内心で思う。
通りの突き当りまで来てから左へ曲がり、また歩き続ける。カナは黙っていたもののきょろきょろと駅の中を落ち着きなく見回している。子供か、と師匠が外見に相応しい行動に呆れる。
「なに?」
「あ、友達がここで働いてるから見つからないかなーって」
「そう」
友達じゃなくて保護者じゃないのか、と師匠は思った。
カナが住み込む際、師匠に挨拶してきたのは親ではなくその友人だった。歳も変わりそうにないその女は懇切丁寧にカナのダメな部分を説明してきた後、それでもお願いしますと預けてきた。押し付けてきたが適切かもしれない。
改札からLの字を描くように駅の端まで歩き、小さな入り口から外へと出る。その正面、狭い道路を一本挟んで向かい側に立つ建物。そこがカナの行き先だ。
カナの方は講師と買い出しの予定はない。どちらにもまったく役に立たないからだ。
別れる前、その建物を一瞥してから師匠がカナに言いつける。
「じゃあ3時にね。間に合わなかったら置いていくから」
「ははーっ」
気合の伴わない上滑りしただけの返事だった。てこ、と一歩踏み出したところでカナが振り向く。
「あ、車の場所分かんなかったら電話していーですか」
「はいはい」
早く行けと払うように手を振る。カナはへこへこと張子の虎のように頭を下げてから、建物へと一人入っていく。その頼りない後ろ姿を一言で評するなら『あんなの』だった。師匠には他に思い浮かばない。つい口にも出て反芻してしまう。
「あんなの」
のどこがいいのだろうと、師匠には疑問しか生まれなかった。
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