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PAGE1
 衝撃的な結末が、彼を襲う。


「本当はあなた


「………………………………………」
 確かに衝撃的な結末だった。本を閉じていいか迷うほどだ。吐瀉物のように降りかかった血の勢いで端がふやけて破けそうになっている。目を凝らして確認してみたが両方のページが血まみれとなったのでこれ以上の被害はないだろうと、まずは本を畳むことにした。
 畳むと血で貼りつき、もう開きそうになかった。これが血糊というやつか。一つ勉強にはなったが、失ったものも大きい。見つめているとページの間から、挟み込まれた血が垂れ流れる。粘ついている血と、そうでないものの二種類があるのだろうか。異物が混じっているか否かの違いかもしれないと思った。
 目の前には上から降ってきたやつがいる。好きで降りたのか、落とされたのかは知らないが身体が縦に割れていた。その割れた部分から果汁のように噴き出した血液が俺を濡らしたのだ。しかも運が悪いことに、被害はそれに終わらない。
 落下先にはマンションへ向かう途中だった男がいた。電話でも弄っていたのか少し立ち止まっていたが、それが仇となった。そいつと降ってきたやつが、これまた偶然か故意か定かじゃないが激突してしまった。した方も、された方も横たわったまま反応がない。お互いの血が混じり合って、潰れた野菜が重なっているようだ。落下の衝撃でちぎれたであろう頭部の皮膚が、トマトの皮そのままに見えた。
 マンションの外を照らす仄かな灯りの下で見る血は、どちらも同じ色で差がないようだった。血の色に個人差や健康の具合は現れないのだろうかと、少し気になった。
 その二人の血が俺の服や肌にも激しく降りかかっている。近くに大きな川が流れているせいか夜風は強く、冷淡なものを含む。風に晒された血液が押さえつけられるように表面にまとわりついて、感触にゾッとしたものが走った。ぷくぷくと、冷気を吸い込んで肌の上で膨れあがるようでもある。服の方も肌との潤滑剤を成すように血が染みこんで、大変に着心地が悪い。
 落下した現場付近にばらまかれたであろう血液肉片その他は均等に配置されず、偏っている。不運なことに道路よりマンションの方に多く割かれていた。結果として俺もそれを被り、同様に脇にあった植え込みの植物にも夜露のように浮かんでいる。水滴よりもずっと重そうな赤い液体が、葉の上で玉となって共に震えていた。
 どこを取っても酷い有様というやつだ。まったく、迷惑な死に方をしたものである。
 本の間からぬるぬると流れる血が指の隙間を通って手のひらを汚していく。木の根が地面を侵食するように伸びていくその流れを目で追うと、こんな不愉快なものが自分の中にも多量に流れていて、よく意識せず生きていけるものだと人体の在り方に感心する。同時に自分の吐息すら耳元に感じるような静けさも意識する。大きなものが派手な音を立てていたのは一瞬で、既にそのごわごわとした空気も落ち着きつつあった。耳が痛いほどに静かだ。
 この静謐な空気が好ましい。もう少し浸っていたかったのだが、そうもいかないだろう。
 垂れてくる血が邪魔なので持ち方を変えると、本の表に目が留まる。汚れた本の帯には、『最後の一行ですべてがひっくり返る!』と書かれている。その煽りに心引かれて読んでいたのだが、肝心の最後が台無しになってしまった。ひっくり返ったのは人間と、興奮だけだ。本と俺に共通するその臭いに鼻が歪む。風に紛れて流れるのも限界があるか。
 嗅ぎ続けていると吐きそうだが手で鼻を塞いでみたらその手のひらもまた同じ臭いを発していた。すぐに離して、手の置き場に困る。自分の手だから、距離を置くにも限界があった。
 そもそもこれからどうすればいい。巻き込まれて多少の混乱があった。
 目が泳いで頭が散らかる。原因がそこにあるとみて、目を瞑った。
 こういうときは優先順位を確認するべきだ。
 瞼の奥、夜よりも暗く深い場所に自分を追いやる。そして最初に浮かんできたものをすくい上げればそれが答えだ。目を瞑っていると、空気の冷たさと、湧き上がる血の臭いが顕著になる。特に血液のそれは立体的なものを有し、暗闇が形を取り、蠢くなにかとなるのを促すようだった。獣か、妖怪か。そんな類のやつが生まれて、俺に牙を剥くようにも思えた。
 そんな中、いの一番にやってきたのは好奇心だった。
 開いた目が捉えるのは、汚れて不完全な物語となった小説の表紙。表紙を飾る女の愁いを帯びた横顔に血がまとわりついて、悲劇的だった印象が殺伐としていた。
 機能を失った本は今も、勢いを失いながらも血を流している。
 この本の続きが読みたい。最後、どう締めくくろうとしていたのかを知りたい。
 それが俺の答えだった。どうしても、今夜中にその答えだけは確認しておきたい。
 本屋はもう閉まっている時間だろうか。いやそもそも、自分が財布を持ち歩いていないことを思い出す。買い物の予定はなかったので、所持しているのは携帯電話ぐらいだ。家に戻って財布を取って本屋へ、という流れでは間に合いそうもない。そうなるとこの本を持っていそうな知り合いの宅を訪ねて貸してもらうほかになかった。ここから近いのは、と首を巡らせて知り合いの家があることを思い出す。読書傾向に似通ったもののある男なので、期待はできるだろう。
 やるべきことを見定めたなら、いつまでもここにいる理由はない。すぐに離れることにした。
 死体の横を通る際、僅かばかりの興味から一瞥する。と、携帯電話が死体の側に落ちていて、よく見ると自分が使っているものと同機種だ。へーと流しかけたが、いやこれは俺のだろうと引き返す。今時こんな古臭い型の電話を使っているやつは多くない。拾ってからボタンの間に入り込んでいる血を指で払い取る。落下してきた際に驚いて落としたのだろう。