この世界からレイプ,殺人はじめ,あらゆる犯罪が完全に無くならないのならば,シビュラシステムが実装された社会という擬い物の様な管理,監視共同体もいずれは地球の主要政府の重要な国体と見なされる潮流が擬態様に正義に適ったものであるかもしれません.御冷ミァハの側か,槙島聖護の側かということになれば,ミァハの側に傾倒するのがこの残酷な世界に生まれてきてしまうこれからの子供たちの為だと思います.全人類と全言語が無神論と反出生主義に荷担しないのであれば,個々のヒトをどうして制限できるのか.もはや,テクノロジー力で制御する他に選択肢は無いと思えます.そもそも人類はこの宇宙に絶対に均衡を保つ為必要な存在では無いです.ヒトは絶対ではないし,絶滅しても構わないと個人的には.ヒトのみに限らず全生物は見てくれだけの無能物で遺伝も器官も異常を孕み過ぎです.だから,野蛮無き世界は人類が義体化,電脳化を手に入れてからの物語になるかもです.
2098年の現代人が一人でもこの文章を読んでくれていたら,どんな感情を抱くのでしょう.安楽死がしたくても出来ない者がいた今日.コーカサスの紛争に数々のレイプ事件に,もう報道なんかに疲れた者がいた今日.自殺のある方法が電車を遅延させて自殺者が批難される社会がある今日.同性を好きな事を未だに隠す者がいた今日.肌の色なんかで銃との距離が決まってしまうような社会がある今日.子持ちの政治家が堂々と少子高齢化を嘆いている今日.世界のどこかで人知れず,反出生主義について考えざるをえない孤独な人がいる今日.今日迄に死んでいった人々だって,泣いたり,哀しんだり,積読していた,そんな日常があった今日.愚かでしょう.あなたがそうでない,78年後のあなたになら
反出生思想は肉体性を相対的に抗拒するイデオロギーなのかもしれないです.この宇宙に散らばった数々の元素が素材となってヒトや全ての有機生物が形成されたのだから,私達ヒトの自らの内から発せられる死への欲望は行き着く先は宇宙の開闢そのもので,反出生主義者の望む終焉も全ては始まりに帰するのかもです.結局は現在の私達に宇宙や実存の何たるかは解せるはずも無く,無意味な人生は無意味なままです.そして,夭折や自死,安楽死に反出生言論という選択を為せる動物であるヒトは,この世界にこれまで生まれてきた地球の全生命よりも少しだけ機械仕掛けから逸脱しているのか否かは分かりません.最終的には無力こそ絶対的です.この宇宙の事は事象として全く理解は困難で,未来の物理学者達がいつか死者達の涙を汲んでくれる時が来てくれたら.このまま出生が続くのであれば,宇宙の解明くらいは素直に進んでほしいです.それが無理な話ならば,どうしてこの宇宙で知的生命は理性を獲得してしまったのでしょうか.
虚無主義,厭世主義,反出生主義等々は根底の所では無際限に生成された暗渠の様なもので繋がっていて,悲しみは一つの水源の様な所に到るのかな.元はと言えば,反宇宙的な思考の様式なのかも.なんで自分は生まれてきたのかなとか,なぜ量子の振る舞いはこうなのかなとか,全ては日常生活世界の無残さに関与する全ての事象は私達の脳とか手とかで干渉できる機会は著しく矮小である事からくる悩みでしかないのかななんて.実際,本の頁をめくる脳はこの世界を理解するには,ほとんど何も理解していない.この世界に真理がもしあるなら,充足理由律も確かならば,物語は物語を紡ぐ頁に記述されている記号のインクが透明で読めない様な感じがします.簡明な事を言えば,宇宙はものすごく恐いし,悲しいし.しかし,1億年後に人類の後継の様な存在がいたら,きっともう涙を流す事は無いのでしょうが.
反出生思想や反出生奨励といったイデオロギーや系譜は世界中で毎日子づくりしている人々には波及力ほとんど皆無だと思われるので,やはりそこからして,もう巨大な円卓の席が空虚ですし,人類の悟性は皆一様ではないので,全ては不毛の連鎖ですね.反出生思想に感化される人々はまずもって,皆別様の環境と状態で切っ掛けがあって,そこにはプライベートと痛みが伴っています.おそらく.だから反出生思想に触れたくない,反感のある人々には…僕は,なんと言えばいいのか言葉がでてこないのですが…ただ,苦しいです.憎みあったりはしたくないので.僕の生物学的な家族には,出産に関わっていない人の方が圧倒的に少くて,まあ‥自分とは違う人達を見て,腹立たしいとかは思わなくて‥たぶん,遠い対岸の岸辺で遊んでいる人達をただ遠目に見ている様なそんな感じなのかなって.じゃあ,僕自身はどこにいるのかなって思うと,それはたぶんライ麦畑で自分はその畑の崖から対岸に目をやっては目を瞑ったりしているのかな.心はいつだって浮かない気分なのです.それは他人が思い通りにならないからではなくて,世界がこうして在るが故の気分のようです.
実現するならば,全人類から過剰な自意識,無用な闘争,全ての犯罪を完全に消去し,幸福を歩むか,絶滅を辿るかのどちらかを選択してもらいたいのですが,今世紀はその様な事は全く想定不可能です.虚妄で終わりです.毎日考える事柄があります.この残酷な物語はどのようにして終わるのかという事を.Kurzgesagtのとても良くできた動画にあるように,アリですら毎日世界のどこかで殺しあっています.平和的なTEDの動画ですら相当数の低評価が付され,香港は独立する事も無く,台湾は脅かされ,今日とて核兵器は無くならず,世界中の違法売春宿は絶好調,世界は良くなっているとFACTFULNESSには書いてあるが,貧困から抜け出せば次は学歴競争が待っているだけ.人類の物語はこの先どの様にして終わるのか,出生が続けば果ての未来で何かが起こるのでしょうが,始祖の巨人の様な絶大な力は個人には無いので,同じ事が結局は繰り返されるだけです.2020年10月,今日も世界で多くの子供が生まれただけです.1998年にそうして僕も生まれてきたのだから,世界はふざけているのです.宇宙は寂しい場所ですね.受精卵から死は始まっているから.
20代迄に死ねれば夭逝という事になるんでしょうが,30代で死んだのならば夭逝よりも逝き遅れているという事になるのでしょうか.御冷ミァハや槙島聖護はたぶん20代で逝き,楪いのりや桜満真名はもっと若い.やはり若いままに死ねるというのはある種の特権の様なもので,若死の切なさとは,それ自体が魅惑的ですね.多くの若者が早く人生を終わらせられたのならば,拒食症や醜形恐怖症や希死念慮とのさよならもそれだけ早まる.親は衰え,老人は老いのとどまる事を知らず,世界は皺と機能不全の黯然たるものとなるでしょう.あの年寄り達ですら昔は若者だったんですから驚きです.僕にとって夭逝願望は必然です.老い患う醜い者の影を見て,あんな物になりたくはないと思うのは,いけない事ではないでしょう.どうせ死ぬなら何もかも味わい尽くそうなどというのは馬鹿ですね.美食の回数を重ねても,その分の排泄の回数も重ねているだけの話です.毎日,世界のどこかで自殺があって,その積み重ねが反出生主義者のような存在を日に日に増大させている気がしてなりません.生まれてからやっとはじめて理解するのです.生まれてこなければ善かったと.馬鹿ですね.本当に.