机を叩き、怒鳴りつけ、資料を奪おうと……東京新聞記者の異常な取材方法に厚労省が激怒
抗議文を送付
東京新聞の中澤誠記者は、過労死問題について精力的な取材・執筆を続けてきた。例えば2016年11月29日の「記者の眼」では、「電通新入社員の過労自殺 中沢誠 職場の劣化が人権奪う」という署名記事を執筆している。
その筆力が評価されたのだろう、中澤記者は複数の書籍を上梓している。
14年、東京新聞の同僚記者と共著で『検証 ワタミ過労自殺』(岩波書店)を、翌15年は単著で『ルポ 過労社会:八時間労働は岩盤規制か』(ちくま新書)を出版した。
また19年には、著者名を「東京新聞社会部」とする『兵器を買わされる日本』が文春新書から発売された。
サイト「文藝春秋BOOKS」には具体的な取材・執筆者として、5人の記者名が記載されている。
目を惹くのは望月衣塑子氏の名前だが、この5人の中に中澤記者も入っている。東京新聞の“スター記者”といっても過言ではないはずだ。
また彼が行った講演の様子を伝えたサイトがあり、質疑応答の様子が記されている。
その中で、彼は「望月衣塑子記者が冷遇されないのは、読者からの激励が社に届くからだ」と発言している。
記者の“横暴”
望月記者と中澤記者が、同じ社で働く記者として、強い信頼関係で結ばれていることを示すエピソードだろう。
その他、以下のような発言もある。
《辺野古新基地問題の解決は、法廷闘争では望みが薄い。政府の横暴を止めるには、世の中の大きな声が必要。新国立競技場も、世の中の声が暴走を食い止めた》
ところが、この中澤記者が、厚生労働省の担当者に対する取材で“大暴走”したというのだ。
コロナ関連の取材で、厚労省の担当者を、長時間にわたって怒鳴り散らすなどした。
まず厚労省に取材を申し込むと、事実関係を認めた。
「8月と9月の2回、取材を受けました。それぞれ2人の担当者が対応いたしましたが、両方に出席した者がいますので、合計すると3人になります」
延々と面罵
2回とも取材時間は「3~4時間」(厚労省)と、非常に長いものだったという。
「長時間の取材で、記者の方は大声で担当者を怒鳴ったり、机を叩いたり、担当者が持つ資料を奪おうとしたりと、常識では考えられない行為がありました」(同)
中澤記者は延々と厚労省の担当者を面罵していた。こうなると非常識どころか、異常と言うべきだろう。
「長時間の取材に担当者は困惑し、何より精神的に疲れ果てていました。そこで2人が医療機関を受診したところ、2人が健康被害を受けたことが認められたのです」(同)
厚労省は「症状の具体的な内容は、お答えできません」とするが、精神的なものであることは言うまでもない。
さっそく厚労省は、東京新聞に抗議することになった。もっとも、担当者の健康を脅かされたことが理由ではないという。
「たとえ担当者の健康に問題がなかったとしても、私どもは抗議を行ったと思います。取材中の行為自体が問題だと考えているからです」(同)
東京新聞の回答
「東京新聞の局長宛に抗議文を送りました。文中で『厚労省における取材活動を控えていただきたい』と要請しました」(同)
回答期日を指定して送付した。すると東京新聞は期日内に謝罪と回答を行い、厚労省の要請を受け入れたという。
つまり中澤記者は厚労省の取材が不可能となったのだ。厚労省に確認を求めると、「我々の要請を受け止めてくれたと考えている」と話す。
これで一件落着、と思いきや、である。改めて、東京新聞に取材を申し込むと、編集局から文書で回答があった。まずは全文をご紹介しよう。
《本紙紙面に記事を掲載する予定です。》
中澤記者は2016年2月、ネットメディア「THE PAGE」に「“退社8分後に出勤”で考える過労社会の処方箋『インターバル休息』制度」を寄稿している。
内容はタイトルの通り、《退社してから次に出社するまで、11時間以上空けることを企業に義務付けるもので、「インターバル休息制度」》を紹介したものだ。
謝罪記事の掲載
この署名記事の中に、以下のような一節がある。
《社員の健康を害してまで仕事をさせることを是としていいのか――》
どうしても、《厚労省の担当者の健康を害してまで仕事をすることを是としていいのか》と読み替えたくなってしまう。
東京新聞は電子版などで10月4日、「東京新聞が厚労省に謝罪 記者が取材で暴力的行為」という記事を配信した。
《東京新聞記者が9月、厚生労働省の職員を取材した際、机をたたいて怒鳴るなど暴力的な行為をし、編集局は厚労省に謝罪する文書を出した》
記事の文末には、編集局次長がお詫びするコメントが掲載されている。
2020年10月4日 掲載