心無いね、うちの親族
*
表題通り、まるで心無いうちの親族に関し、この紙幅をお借りして書かせてもらう。何ともさもしいネタかもしれないのだが……。親族と言うからには、叔父・叔母や従兄弟たちも入るのだが、全くあの連中も脳みそ腐ってるんじゃないの?
いいですか?妹がソーシャルワーカーを目指して試験勉強中らしいのだが、兄貴が統合失調症で障害認定受けてるのに、その人間を助けないで、他人様の健康を見るだの、笑止千万だ。一億光年早いよ。さっさと出直せ!
バカである。バカだから、学歴や職歴など肩書きに拘り続けるのだ。そんなものが一体何になる?意味ないだろ?前述したように、頭がバカでパーだから、そういった資格を目指すのである。妹は何でも中途半端。職は何度も変わってるし、第一、一貫性がない。もっと言えば人の抱えている苦しみなどを理解するだけの頭がまるでないのだ。中高共に私立の一貫校に行ってても、頭脳は極めて悪い。
*
人を救われた気持ちに持っていくには、ちゃんと相手のことを考える必要性がある。それがなければ、何の意味もない。単に時間の浪費。ボクも今までいろんな人を見てきて、他人の抱えて込んでいる悩み事などを自分なりに理解してきた。精神病の患者さんは傷付きやすい。心が繊細に出来ているからである。
もう家族と呼びたくはない。オヤジも妹も犬畜生に劣るからである。そんな人間に何が出来るというのか?何ら出来やしないだろう。オヤジなど典型的な他力本願である。自分で一切手を出さないくせに、下手な精神医学入門書や、その手のことを取り扱っているテレビ番組などを見たり読んだりしろと言う。そもそも、この発想からしておかしい。面と向かって話さないくせに、すぐに他人様に助けを求める。愚策だ。手の施しようがない。
まあ、お互い人間だから限界はあるんだけど、道理でオヤジの事業や妹の人生、それに親族の生き様が不安定なのは分かる気がする。相手に配慮する気持ちがまるでないからだ。独りよがり。まともなことを考えた経験が一度としてあるのか?ないだろう。いつもボクに向かって<こいつはダメだ>という観念しか持たない。そんな家系が繁栄するわけないな。
*
ここで思うのは、人間は何事も自力で乗り越えるしかないということ。それが人であり、実人生だと感じる。これが出来ない人間はずっと苦しみ続けるしかない。もちろんそれを望んでいるのなら、別にいいとは思うけど……。その代わり、真の意味での成功は覚束ないな。座礁と言う言葉があるが、まさにその通りだ。そういった人生を送る人は、悔いやや悔恨といったものしか残らない。お気の毒なのだが……。
エリートと言うのは、走り間違えたらとんでもないことになるね。それまで順調に回っていた目の前の歯車が突然回らなくなる。こういうのって最高に不幸なのだ。誰もが一度は味わうにしても、あまりにも苛烈すぎる。こういったことは人生の早いうちに経験しておけばいいのだが、そうじゃないと、とんでもないことになってしまう。
人生どう左右するかは別だ。ただ言えるのは、一度や二度の挫折はしておいた方がいいということ。そういったことが人を成長させ、生きていくための糧となる。貴重だ。特に若い頃の苦労と言うのは大事。後々、必ずいい方向に行くからである。
*
うちの家系も学問の頭はよくても、実際使う頭はすこぶる悪いね。そう受け止めるかしないだろう。オヤジや妹だけじゃなくて、叔父や叔母、従兄弟たちまで含めて、だ。人生の真の意義と言うのは、経済的な成功だけじゃないのは断言しておく。もちろんそれにウエイトを置く人もいるにはいるのだが……。
ちなみに、このエッセーの最後に申し上げますが、こういったことは赤の他人じゃ分からない。分かるわけもないのである。個々の家の事情や内情は、その家の住人しか分からない。いつか気付くかもしれないのだが、その時は遅かったということになると、最高に不幸だね。取り返しが付かないのだし……。
まあ、何度も申し上げるように人の生き様はどうなるか分かりません。だからボクも一日一日をしっかり生きていこうと思っている。言わずもがななのだが、まだ三十代半ばだから、寸暇を惜しむことなど絶対ないし、時間など作ればいくらでもあると感じているのだが……。
何か論点が中途半端でまとまらないのですが、ひとまず一筆書かせていただきました。すっきりしないことがあれば、吐き出した方がいい。そう思って、日々モノを書き続けている。あくまで発信者として。
ではまた。
(了)