「有害な男らしさ」をインストールしないことはできるのか
ふたりの男児を子育て中の弁護士・太田啓子さんは、著書『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』(大月書店)において、ボーヴォワールの言葉になぞらえ、男の子もまた、「男に生まれたというよりも男になるのだな」という実感があると記しました。
それは女性であってもです。「有害な男らしさ」を、女性も刷り込まれています。
<「有害な男らしさ」が自分にも無自覚にインストールされてしまっていることを意識し、その悪影響から脱却することが男性には必要>(P.23)
本書は、太田さんが、息子たちの幸せを願い、「有害な男らしさ」に取り込まれない大人に育つために必要なものはなにか、を多角的に考えた一冊です。
印象的だったのは、太田さんが指摘する「有害な男らしさのインストールにつながりかねず、やめたほうがいいと考える3つの問題」についてです。
その問題とは、1「男ってバカだよね問題」、2「カンチョー放置問題」、3「意地悪は好意の裏返し問題」、のみっつです。
「男ってバカだよね問題」とは、ほんとうは叱るべき場面なのに、男の子ってこういうものだから、とスルーしてしまう問題のことです。「男の子は仕方ないよね!で流してしまうことの積み重ねが、他人や自分自身の痛みに気づけない鈍感さ、まさに有害な男らしさの遠因になっているのは」という指摘には、うなずくばかりでした。
また、「カンチョー放置問題」は、性暴力を笑いをとるネタとして扱う危険性があり、「意地悪は行為の裏返し問題」では、「相手への好意がある、ということによって、免罪される」という勘違いを子どもに植え付けてしまいかねないと指摘しています。
そして太田さんは弁護士という職業柄、DVや既婚なのに独身だと嘘をつき性的関係をもった男性が、「好きだったから」と弁明する例をよく見聞きすることもあり、「意地悪は好意の裏返し」だから大目に見る、という言説にも警戒心を覚えているそうです。
本書を読み終え、何気なくテレビ番組を見たのですが……。そこには、「女子どもに媚びる笑いを追求してしまった」ことを芸人さんが卑下し、笑いをとっている姿がありました。
男に認められる笑いが真の笑いであって、女・子どもは一括りなんだー、ほー、へー……芸人さんの世界って未だにホモソの教科書みたいですね。
性差別がありふれた社会で子育てするには
テレビもお笑いも男社会であり、「そんなの当たり前でしょ」という感覚で女性蔑視の考えが未だに疑問を挟まれることもなく流され続けています。「家庭内で性差別的価値観をインストールさせない!」と頑張っても、子どもが外の価値観に触れさせずに成長していくことなど無理で(それをさせようとしたら、たとえ子どものために良かれと思っての行動であっても完全に毒親ですね)しょう。
現状のテレビには、「偉そうな男」と「従属する女」を再生産する機械という側面があります。そうではない番組ももちろんあるとは思いますし、テレビも変わってきているとは思いますが、影響力を受けやすい子どもには親が「見せない」という判断もあります。テレビが与える呪いについては、以前も書いたので、興味がある方はご一読ください。
テレビが女にかけた呪いを解く「それで得するのは一体誰?」
先日、友人宅で『グータンヌーボ』というバラエティ番組を観て、びっくりする場面に出くわしました。自宅にはテレビがなくバラエティ番組を観るのは久しぶりでし…
話が逸れました。結論として、性差別的・女性蔑視的なコンテンツや文化が現存している現代において、「有害な男らしさ」(差別的な女性らしさ、も)から逃れるには、自分自身でそういった価値観をアンインストールできるようになることです。「性差別的なコンテンツ・文化」に一切触れさせずに子育てすることは不可能です。
そして子どもは親の持ち物ではありませんし、いつまでも親に管理されれば子どももうんざりします。親が有害だと判断した情報を徹底的にシャットダウンして育てたら、良い子が育つのでしょうか。そんなことはありませんよね。むしろ判断力が培われないまま、親がいないと何もできない成人になるかもしれません。子どもが自分自身で考え、判断できるようになるよう、親はその「土台」作りをコツコツと手伝っていくしかないのではないでしょうか。
今回ご紹介した、『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』、『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』の2冊は、どんなふうにその「土台」作りを手伝えばいいのか、子育てする親へのヒントを与えてくれる書籍です。もちろん子育てに限らず、すでにボーイではなく大人になった男性が読んで自分を振り返るのも良いと思います。
(原宿なつき)
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