巷にあふれる「有害な男らしさ」のメッセージから逃れて子育てすることはできない

文=原宿なつき
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GettyImagesより

 女から生まれ、女に育てられているというのに、女を軽視、蔑視している人(男女関わらず)は少なくありません。なぜ、そんなことが起こるのでしょうか? 生まれた瞬間に、「女性は男性より劣るもの。男性の方が優先されるべき存在」だと悟ったのでしょうか?

 もちろん、そうではありません。性差別的な考え方が蔓延している社会で育つ子どもたちは、知らずしらずのうちに、性差別的な価値観を内面化してしまうのです。酒井順子さんの著作『男尊女子』(集英社)には、ご本人も含め、ついつい、男尊し、女卑してしまう女性たちの生き様が面白おかしく綴られています。

 女性でも、男尊女卑的考えを内面化している人は少なくありません。私自身も、過去していましたし、今でもしていることがあります。ただ、女性の場合、性差別的考えによって不利益を被ることが男性よりも多いため、女性蔑視・軽視の違和感に気づく機会も多くあります。

 では女性をナチュラルに軽視・蔑視し、そのことに無自覚な男性はどうでしょうか。女性から生まれ、女性に育てられたのに、女性を蔑視してしまう………これでは育てがいがありませんが、現実に多発していることです。

社会が与える「有害な男らしさ」のメッセージ

 カナダ人作家のレイチェル・ギーザは、息子を育てた経験から「男らしさ」について考え、『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(DU BOOKS)を執筆し、そのなかで「男らしさ」に高い価値をおき、男性が「女らしく」ふるまうことを嘲笑する社会的風土があると指摘しています。

 日本でも女性に「男前だね」「男らしい」と言うとき、賞賛する意図が伴うことが多いですが、男性に「女みたいだね」という場合は、からかいや叱責のニュアンスを含みます。そもそも「女々しい」という言葉自体、「女のようでダメ」だということになります。

 社会的に「男らしさ」は「女らしさ」よりも価値があるものであり、男は「女らしく」あってはならないのです。それは、ステータスの低下だから、とみなされています。でもそうすると、男の子を「男らしく」育てようとする限り、「男は女より上=女性蔑視」という価値観を体現した人間に育ってしまうということになります。

 『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』では、伝統的な「男らしさ」とは、「タフ、強い、大黒柱、プレイボーイ、ストイック、支配的、勇敢、感情を出さない、異性愛者」であり、柔らかく、優しく、感情的でフェミニンといった「女らしさ」の否定によってなりたっていると分析しています。

 勇敢であることや、ストイックであること、タフであることなどは、現実の社会を生き抜き、経済力を得るためには、役立つ資質です。しかし、「男らしさ」の追求には有害な面もあります。

 本書で指摘されているのは、大量の飲酒や、コンドームなしで複数人とセックスするなど、健康や安全面でリスクを冒したり(この向こう見ずさが男らしい)、暴力の加害者や被害者になったり、女性に性的嫌がらせをしたり(肉食系が男らしい)、うつになったり自殺を考えたり(感情を出さないことが男らしいので、親密な関係を築きにくい)といったリスクです。

 でも「男らしさ」は、そもそも男性が産まれながらに持っている資質なのでしょうか。「男らしさ」は社会が要請する資質であり、それをなぞっているにすぎません。

 「男らしさ」を追求すると男性も女性も不利益を被るので、男児を育てるときは、「男らしさ」ではなく「自分らしさ」を伸ばすように意識する必要があるでしょう……というのは理想論ですね。家庭内でいくら「男らしさ」を強要しないように気をつけていても、マスメディアや社会には、「男は男らしくしろ」「男の方がエライ」というメッセージが溢れかえっています。

 では、この社会で生活する限り、男性は、有害な男らしさによって自らを苦しめ、女性を蔑視するほかないのでしょうか?

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