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フィリピン買春 1万2千6百人の変態校長〈64歳〉

 投稿者:tomocci  投稿日:2015年 4月16日(木)16時08分30秒
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  フィリピン買春 1万2千6百人の変態校長〈64歳〉

「倫理のたががはずれた」。中学校の校長まで務めた教育者・高島雄平(64)のもう一つの顔は“性獣”だった。買春というその所業もさることながら、世間を驚愕させた一万二千六百六十人という数字。フィリピン現地取材から浮かび上がる変態校長の素顔とは――。

 フィリピンで少女とのわいせつな写真を撮影したとして、四月八日、横浜市立中学の元校長、高島雄平(64)が児童買春・ポルノ禁止法違反(製造)で神奈川県警に逮捕された。およそ二十七年にわたり自らの教え子と同年代の少女たちに淫らな行為を繰り返していたというニュースは、県教育界を震撼させた。
 県警担当記者が語る。
「一九八八年から三年間、教員としてフィリピンに派遣されていた高島は現地で買春を覚え、その後夏休みや冬休みを利用して同国に六十五回渡航しています。
 県警が昨年二月に自宅を家宅捜索したところ、書斎から約四百冊のアルバムと、延べ一万二千六百六十人の少女や成人女性の裸の写真が見つかったのです。高島は『思い出を記録として残しておくためだった』と容疑を認め、『約一割が未成年の少女だった』と供述しています。発見された十五万枚の写真は女性ごとに番号をふって整理されており、十三、四歳から七十代までの女性が写されている」
 一万二千六百六十人――。高島はどのようにしてこれだけの女性を調達し、歪んだ欲望を満たしていたのか。
「私は、一九九七年頃に売春婦としてタカシマと知り合い、その後数年にわたり彼と関係を持ちました。売春婦の仕事が続けられなくなった二〇〇三年頃にポン引きに転じ、昨年一月までの十数年間で数百人以上の女性を彼に斡旋しました。彼と女性との性行為を撮影した写真の多くは、その場に同席していた私が撮影したものです。『なぜそこまで』と思われるかもしれませんが、そこにはタカシマと私の特殊な関係が存在したのです」
 こう語るのは、世界有数の歓楽街として知られるマニラ市内エルミタ地区で観光客を相手に女性を斡旋するジーン・デルガド(43)だ。六〇年代から七〇年代にかけフィリピンで一世を風靡した女優、マリサ・デルガドの実妹として育ったジーンは何不自由ない生活を保障されていたが、家族間のトラブル、麻薬依存症などの事情から二十代前半で売春婦へと転落。高島と出会った九七年頃にはエルミタ地区の有名クラブでダンサーとして働きながら客を取っていた。

義務のように午後五時まで

「九七年、客として店を訪れたタカシマと数回関係を持ったのが最初です。〇〇年頃にエルミタの路上で再会し、やはり数回彼とベッドを共にしました。そうした関係がしばらく続いていたのですが、売春婦として生計を立てることが難しくなった〇三年頃から客とポン引きという関係に変わっていきました。彼は自分の仕事や私生活について尋ねられるのを極端に嫌ったので、プライベートな話は一切しませんでしたし、教師だということも知りませんでしたが、毎年、春、夏、冬の三回は必ずと言っていいほどマニラを訪れ、私になるべく大勢の女の子を紹介するように頼んだのです。毎日四~六人の女の子を紹介していましたから、私を抱かなくなってからも上客であることに変わりありませんでした」
 女性たちは千ペソ(約三千円)で客を取り、そのうち二百~二百五十ペソ(約七百五十円)がジーンの取り分。十数年に及んだ二人の関係で、高島の要求は常に「なるべく多くの女を連れて来い」だったと彼女は語る。
「異常に性欲が強いのです。一日に十回することなどざらで、滞在中は毎日時間を決めてセックスしていました。私に与えられた役割は午後一時までに彼のホテルに女性を連れて行き、次々に部屋に送り込むことでした。午後三時までに何人かとセックスすると、『ブレイクタイムだ』と一旦休憩を取り、その後また数人とセックスするというパターンで、規則正しく、まるで義務のように午後五時まではセックスを続けるのです。普段はコンドームを着けますが、特に気に入った子が相手だと着けないこともありました。セックスは普通ですが、前戯を決してしない人で、部屋に入った女の子の服を脱がせると、唾かローションをつけていきなり挿入するのです」
 マニラ湾を見下ろす高層ホテルを定宿とし、高島が泊まる一泊二千七百ペソの角部屋に女性の出入りが途絶えることはなかった。ホテルの従業員が話す。
「ミスター・タカシマは常連客で、彼の部屋にはいつも大勢の女性が出入りしていました」
 高島は、ジーンに女性の斡旋だけでなく、彼女を部屋に招き入れ、ベッドルームで繰り広げられる痴態に同席するよう求めた。
「あまりいい気分ではありませんでしたが、斡旋した女性と一緒に部屋に入り、『この角度から撮れ』とか『もっと接写しろ』と命じるタカシマに言われるままに撮影するようになりました。彼は私が女の子からコミッションを取っていることを知っていて、チップをくれることもないような人でしたが、いつの頃からでしょうか、彼のことが好きになっていたので、ついつい要求を受け入れてしまったのです。撮った写真はファイルにして大事そうにしまっていました」(ジーン)
 高島は、午後五時に“スケジュール”を終えると、まれに女性やジーンを連れて人目につかないカラオケボックスで飲むことがあったという。
「気に入った女の子と私と一緒にカラオケに出かけると、決まって『マイ・ウェイ』のタガログ語版を熱唱していました。本当に上手なので私たちが褒めると、『日本で歌手をしていたことがある』と自慢げに話していました。私は彼のことが好きだったので、どこか彼の相手の女性に自分を投影していたのかも知れません。一緒にいてもいつも切ない。ただ、彼はそうした感情に気付く人ではありませんでした」(同前)
 高島に求められるまま、滞在中は午後になると女性を連れてホテルを訪れることを日課としていたジーンだが、高島は他にも複数の人物に女性の紹介を依頼していたと思われる。

四日間毎日ひたすら乱交

「私と他のポン引きが会わないように気を配っている様子でした。彼に未成年の少女を斡旋していたのは、地方に住む少女を専門に扱うポン引きで、ホテルの前に少女たちを連れて待機しているのを見たことがあります。少女を扱うのは危険なので私は一切関わっていませんでしたが、タカシマはそうしたポン引きにも女性の斡旋を依頼していたので、悪徳警官と組んだポン引きに金品を脅し取られたことも一度や二度ではないと本人から聞きました。一昨年には、警官と組んだポン引きに十二万ペソ(約三十六万円)脅し取られたとも言っていました。
 私は午後一時から五時までの“午後の部”を請け負っていたのですが、彼は“午前の部”にも女の子を呼んでいたので、結局、一日中セックスしていたことになります」(同前)
 一三年に、“午前の部”で高島の部屋を訪れたドナ(22)はこう話す。
「呼ばれるのは必ず午前九時から十時の間。タカシマは『自分は六十歳を越えているんだよ』と話していて、ずいぶん若く見えるなぁ、と思いました。『写真を撮るのが好きだ』と話していて、部屋の窓からマニラ湾の風景をパシャパシャ撮影していました。彼が私にしてくる質問は、『名前は?』『年齢はいくつ?』『彼氏はいる?』の三つでした。そして、最初に『怖くないよ。僕はジェントルマンだから』と言っていたのが印象的でした。セックスが終わると、裸のままと、服を着させられた状態で写真を撮られました。『ほら、もっと笑って、僕に微笑みかけて。モデルのようにポーズして』とささやきながら、ものすごいスピードでシャッターを切っていました。彼はずっと笑っていましたね。部屋に入ってから写真を撮って部屋の外に出されるまでにかかる時間は、十五分から二十分ととても短かった。『私は忙しいから』と言って、部屋の中で『グッバイ』と言われて、千ペソを渡されて外に出ました」
 ドナはその後も何度か高島と関係を持った。
「最後に会ったのは一三年の冬。部屋に上がると、『ドナ、君にあげたいものがあるんだ』と言って、一枚の写真を渡してきました。それは、前回、他の女の子と三人並んで撮影した時の写真でした。『ドナ、君の写真だよ。日本でプリントアウトしてきたんだ』と言われて、嬉しかったことを覚えています」(同前)
 高島の最後の訪比となった一三年十二月二十七日から翌年一月五日にかけて高島の相手をしたというのがメーシー(26)だ。
「私は、四日間で四回呼ばれてセックスをしました。そして、その全部が乱交でした。一緒に行ったのは、十七歳と二十三歳の子です。ホテルに入る時はIDを要求されるのですが、イミテーションのIDはどこでも簡単に手に入るので、難なく入ることが出来ます。行為が始まる前に、タカシマは写真を撮っていました。服を着たまま撮影し、次は下着だけで写し、その次はトップレス……と、タカシマは段々服を脱がせていき、その都度写真に収めていくのです。一人ずつ撮影したり、集合写真も撮られました。たとえば、3Pをする時は、タカシマに挿入されていない方が写真を撮る係です。キスしているところ、陰毛を口に含んでいるところ、フェラチオしているところなどを撮影しました。ホテルの部屋のテレビでポルノビデオを観て、タカシマが元気になると、再び乱交を繰り返すのです。女の子が三人いる時は、一人がキスをして、一人が胸を触られて、もう一人がフェラチオをするといったプレイもしました」
 バイブレーターなどの大人のおもちゃを使うこともあったという。
「『ねぇ、どこが気持ちいいの?』と聞かれました。セックスが済むと、撮ったばかりの写真を見せられ、『今度来る時にプリントを持ってきてあげるからね』と言われました」(同前)
 フィリピンでは、“性獣”と化す高島だが、日本では教育者として別の顔を持っていた。七五年に横浜市教育委員会に採用され、八八年には文部省(当時)の在外教育施設派遣試験に合格し、マニラの日本人学校に教員として赴任。三年後に帰国している。帰国後は市内の中学校で教諭、副校長などを歴任し、〇八年には校長に就任した。
 横浜市内のローンのまだ残る一戸建てに住み、家族は妻と長男、長女、次男の子供三人。一一年に校長を定年退職すると、中学校で再任用教諭として再雇用されていた。
 高島の新人教師時代の同僚の男性が語る。
「理科の教員だった彼は、研究熱心で、教科書通りにテストを作る教員が多いなか、ユニークな問題を出していました。いつも職員室でさまざまな理科系の本を読んでいて、真面目な印象でした」
 一方、女性の同僚教師はこう振り返る。
「ニュースの写真で見ると立派な校長先生で、私の知っている姿からは想像がつきません。スーツ、ネクタイなんて見たことないです。いつもジャージ。日焼けしてたのか色黒で、色つきのサングラスをかけていました。黒ではなく黄色いレンズなんですね。当時はバイクで通勤していましたね。こんなスタイルの先生は当時珍しかった」
 高島が校長を務めた中学校の保護者が話す。
「いつもニコニコしている、校長っぽくない校長で、お固くはなく気さくな方でした。子供に対する接し方も問題なかったと思います。車やオートバイが好きだそうで、大型バイクも乗っていると話していました。休みの時には、BMWで学校に来ていましたね」

端緒は米当局の潜入捜査

 元同僚が覚えているのは、頻繁な海外渡航だ。
「公務員は勤務地を離れる場合、特に海外の場合は、年休中でも、渡航日程や目的などを届けなければならない。高島先生は『マングローブを植林するボランティア活動をやっているんだ』と言っていた。夏季休業は五日間あって、年次有給休暇と合わせて行っていました」
 こうした高島の悦楽の日が終わりを告げたのは、昨年二月十三日のこと。神奈川県警が家宅捜索に入ったのだ。県警捜査員が語る。
「捜査のきっかけは、一三年九月、警察庁からの情報提供です。その時点で、住所、名前、児童と思われる写真がありました。そのうち、一四年一月一日に撮った写真十一枚が児童ポルノの製造にあたるということで、刑法の国外犯の規定を適用し、立件にこぎ着けました」
 フィリピンで捜査を担当したNBI人身売買防止課のシーザー・ヌキ課長が経緯を明かす。
「一三年十二月に東京で開催された警察関係者の会合に出席した際、日本の捜査官から『マニラで児童買春を繰り返している男がいるので調べてもらいたい』と非公式に依頼されたのです。帰国した我々はさっそく捜査を開始しました。エルミタ地区のポン引き、ジーンの事情聴取や関係先から入手した写真などから、タカシマがマニラ市内だけでなく、ルソン島中部のパンパンガ州アンへレス市で路上生活する未成年の少女を買っている疑いも浮上しましたが、被害者の特定には至りませんでした。タカシマの行為は、フィリピン国内で有罪判決を受ければ終身刑に値するものです。二度とフィリピンの地を踏ませるつもりはありません」
 警察庁はどこから高島の情報を入手したのか。
「実は、アメリカの捜査当局が、フィリピンで子どもを対象にした犯罪、人身売買や児童買春などの潜入捜査を進めていた。その過程で高島が浮上。米当局は余りに悪質性が高いと日本の外務省に情報提供し、警察庁にもたらされたのです」(警察庁関係者)
 高島が「思い出のため」と供述した“買春ファイル”は自宅の書斎に平積みだったという。高島の逮捕当日、自宅のインタフォンを押すと夫人と思われる女性が出たが、「そういうことは本人に聞いてください」と切られてしまった。
 同居する次男が取材に応じた。
「父とは会ってないですし、(事件について)話してもないです。新聞を見て知ったような状態なので。父と母が不仲というのはありませんね。基本的にはドライな関係なんで。(家宅捜索の後に)『ごめん、そういうことがあったよ』とそれだけですね。あとはこっちもしゃべる気ないですし。聞こうとも思いませんしね」
 高島は逮捕翌日、保釈された。前出・担当記者の話。
「既に写真が多数押収されており、証拠隠滅、逃亡の恐れがないと判断されたようです。今後は任意での在宅捜査となります」
 最後の訪比の際、高島は女性に「もうお金がない」と洩らしていたという。横浜市は、退職金約三千万円の返還を求める予定だ。高島は、罪の報いを受けながら、老後の人生を生きることになる。(敬称略)
「週刊文春」2015年4月23日号

 
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