【真と信】
大学生時分、古武道を学ぶ学生クラブに所属していて、そこの対外交渉窓口の担当をやっていたことがある。学外者にも門戸を開いていたクラブだったから、いろいろな入会希望者から結構頻繁に連絡があり、よく彼らの初期対応にあたった。
こう言っては何だけれども、ずいぶんおかしな人も来た。「いつか人を殺してみたいので、普通の柔道や剣道より古武道を選んだ」とか、「人類最強を目指している。そのため『ドラゴンボール』を参考に我流で武道の研究に励んできた」などと真顔で語るような人もあり、いま振り返れば笑い話だが、ずいぶん苦労しながらお引き取り願ったものである。
その種の“おかしな人”と同列に語っていいものかどうかは分からないのだが、「私は“正しい武道”がやりたいのだ」と言って来た、ある人のことが記憶に残っている。ぱっと見で頭のよさそうな、まあ学者肌といった雰囲気の人で、「古武道というものに非常に興味がある。しかしやるからには、その伝統や継承のあり方がきちんとしている流派、そういう意味で“正しい流派”を学びたい」と言うのである。
一見ごもっともな主張で、特に武道の世界に詳しくない方々から見れば、何か問題があるようにも思えない考え方だろう。ただこの世界、ちょっとそこが難しかったりするのである。
たとえば流派に格をつけるため、特に関係もないような歴史上の偉人を重要な師と位置付けたり、伝統継承のあり方を捏造したり、また流派内の内輪モメ、派閥争いの結果、重要な武芸者を“いなかったこと”にしてしまったりとか、褒められたことではないにせよ、古武道の歴史ではそういうことが珍しくなく行われてきた。はなはだしきに至っては「この技は天狗に習った」などといって、結局技術体系がよく分からないようなものさえあり、善し悪しはともかく、あまり厳密な史的検証にたえうる世界ではないのである。
その学者肌氏は、うちの門をたたく前にも数多くの流派を訪ねたそうで、「どこもかしこも矛盾だらけだった」と、いちいち「〇〇流はあそこがおかしい、××流はこれがダメだ」というような話をする。私は武道の修行者だけれども武道史家などではなく、彼の言には「よくいろいろなことを知っているなあ」と、むしろ感心しきりだった。実際、聞いていて勉強にもなった。そして学問的には、恐らく彼の言うことにそう間違いはないのだろうことも分かった。ただ一つ引っかかったのは、彼はその“正しい武道”を真摯に求める心ゆえ、実によく武道史に関して勉強を重ね、いろいろな流派を訪ね歩いていたのだが、どこへ行っても「あれはダメ、これもダメ」という結論に至るばかりで、結局いまだどこかの道場で木刀の素振りひとつ、満足にやったことがないというのである。
結論から言えばうちの流派とて、彼のおめがねにかなうものではなかった。「その伝承はここがおかしいですよね」と、私が見せた流派の資料を読みながら、彼は露骨に失望の色を顔に浮かべた。
「でも、武道ってそういう感じで接するものなんですかね」
私は別に強がりでも負け惜しみでもなく、去り際の彼に素直な心境からそう言った。そういう私をまさに「馬鹿を見る目つき」で見返した彼の顔を、私は今でもよく覚えている。
ただ古武道の世界というのはちょっと行きすぎなのかもしれないのだが、世の中とは程度の問題はあろうけれども、そう厳密な検証の末に成立しているところではないと思うのだ。どこにだってある程度の矛盾、不可解さというものは付きまとっていて、「人が生きる」という営みは、ある意味でそういう疑問とどう折り合いをつけていくのかということだったりする。もちろん人間、ウソはつかない方がいいし、できるだけクリアな世界に生きた方がいいとも思う。けれども残念ながら、この世とはそう“美しい世界”ばかりが広がっているところでもない。悪い言葉で言えば、それは確かにウソ、ゴマカシ、臭いものにフタといったことなのだろう。ただ見方を変えればそれは「信じる」ということ、人や社会や歴史を「信じて乗り越えていく」という行為にも転じるのではないかと思う。
無論、あの学者肌氏はそういう“ゴマカシ”の生き方を潔しとしなかった。そこは個人の価値観で、他人が踏み込む話ではない。ただ彼があの考え方をずっと貫徹しているのならば、あれから20年近くが経った今も、彼は“正しい武道”を真剣に求める心ゆえ、恐らくいまだに木刀の素振りひとつ、始められてはいないだろう。
わが流派に「信」をおいて、おかげで今もその道からいろいろと学ばせていただいている身としては、他人事ながら、彼の生き方には何とも寂しいものを感じてしまうところがある。
2019年7月4日
小川 寛大