(3)オタク文化を取り込み成長・変化するメディア
オタクという存在が世間一般に認知されるようになると、彼らが生み出し育ててきた文化を題材とする新たな状況が作り出された。
まず、90年代初頭にオタクのマイナスイメージを逆手にとったようなトリックスターとして宅八郎などがあらわれると、90年代中期には岡田斗司夫、唐沢俊一ら「第一世代」といわれる1950年代生まれの文化人や業界人による「オタク」の社会的ステイタス向上するような提言・発言が目立ちはじめた。
また、オタク特有の偏執的な知識のもてあそびによって、擬似科学である『ウルトラマン研究序説』(1991年[図版4])やデータ主義『水原勇気0勝3敗11S』(1992年[図版5])などが刊行された。
音楽や映画など、80年代の若者のポップカルチャーを牽引した『宝島』から派生した『映画宝島』準備号が1990年に出版された[図版6]。特集として、「あなたの知らない映画」をかかげるなど、従来の固定化された映画評論状況に違和感を持つ層の拡大を予見させた。結果的に『映画宝島』は数号を出したのみで休刊となったが、編集サイドの中心人物・町山智浩(ウェイン町山)によって、1995年に『映画秘宝』が誕生[図版7]、これまでの映画マスコミや業界が取り上げなかった映画を再評価する気運を作り出した。
また、1993年には、90年代型サブカル雑誌といえそうな『クイック・ジャパン』が創刊[図版8]、翌1994年には、『ファミ通』の権威化を受けて、「ゲーム広告を掲載せず、ゲームはプレイをした後に評価」というスタンスで『ゲーム批評』が創刊される。
1995年からは、過去のコンテンツ作品の発掘・再評価によって、「誰も知らない」という愉悦感とともに作品への新たな視角の提示を行う『トンデモ本』シリーズがヒットする[図版9]。さらに、コンテンツやオタク文化を学問研究の対象とする動きがみえはじめ、東浩紀などが登場する。同年、NHKで『BSマンガ夜話』
[図版10・11]の放送がはじまり、この動向が、日本アニメーション学会、マンガ学会などの設立に結実する。
上記のような過去のコンテンツの捉え返しの風潮は、実はコミックマーケットなどの同人空間で成熟していったものであり、現在も上記であげた雑誌などの関係者の一部は、評論系の論客としてコミックマーケットで同人誌を発表している。
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