バンドリ! 恋愛短編集 作:C65ダイサンダー(出禁)
昼の暑さはあまり変わらないものの、夕暮れにはうろこ雲が高い空を泳ぎ始めたころ、戸山香澄はチューブ型の容器に入った氷菓を食べているところで、右側を歩く彼に名前を呼ばれ、視線を向けた。
星のようなキレイな瞳を持つ彼は、香澄と全く同じ氷菓の結露した水滴をじっと見つめながら、話を切り出した。
「あのさ……夏休みが終わる前に、一緒に来てほしいところがあるんだ」
「どこ?」
「病院……なんだけど」
二人そろって無縁な場所を示され、そこになにがあるんだろうと香澄は首を傾げた。単純についてきてほしいだけ、というわけではなさそうで、けれども彼と様々な場所へ旅をした経験がある香澄は、事情に関係なく行くと返事をした。
「近い?」
「そんなに近くはないけど、車ですぐか、新幹線かな」
「新幹線……!」
頭のネコミミ……本人としては星らしいが、がぴょこんと揺れたような錯覚がした。旅行といえば車が前提の彼女にとって新幹線という移動手段は非日常、特別なものを感じていた。
ますます、事情がどうあれ、香澄の胸中には楽しみという気持ちがあふれてくる。食べ終わった氷菓のゴミをコンビニの袋に入れながら、香澄は重大なことに気づいたように立ち止まり声を上げた。
「どうしたの?」
「なんで?」
「……今頃その質問か」
「だって絶対話逸らしたじゃん!」
苦笑いをする彼は、香澄の瞳の奥で煌めく星を優しく包むように頬を撫でた。彼に愛情を持って触れられるとどうしようもなく幸せな気持ちになる香澄はそこが往来だという恥じらいを頬に浮かべながらも破顔した。
「えへへ~」
「会ってほしい人がいるんだ」
「……会ってほしい?」
病院で会ってほしい人と言われて香澄は身構えた。以前何かのドラマでそう言って病気になった恋人を紹介されて愕然とした、という展開を覚えていたため、もしかしてと怪しむ。明るく、けれども優しく穏やかに微笑む彼に昔の恋人が……と目を細めた香澄に、彼は腹を抱えて笑い出した。
「僕は香澄が初めてのカノジョだよ、病気の恋人とかいないって」
「いないの?」
「なんで疑ってるの……?」
まだ笑いのツボが収まらない様子の彼は続けてばあちゃんだよと補足した。そこで初めてその可能性があったことに気づいた香澄はそっかぁと頷いた。彼の父方の祖父母は健在であるために香澄は一年の間に何度も会っていたが、母方の祖母には一度も会ったことがなかった。
「とりあえず、明日でいい?」
「おっけー、有咲たちにも連絡しておくね?」
「助かるよ。さーやたちに、土産買っていってあげないとね」
彼女のバンドも彼には大切なものであることを認識させられる一言に、香澄は嬉しさ半分、嫉妬半分で見上げた。
特にドラムの山吹沙綾との距離感は、香澄が紹介された立場ということもあっていつも嫉妬の対象であった。何度言われても、胸から湧き出る独占欲とは折り合いがつけられないままでいた。
「決めた!」
「どうせロクでもないことだろうと思うけど、なにかな?」
「今日は泊まる!」
「……ホントにロクでもなかった」
一度言い出したらやりとげる有言実行の精神を持ち合わせた彼女の言葉を否定することなく、家まで送っていってる立場だったのになぁ、土産も増やすか、と彼はぼやいた。香澄の両親、そして妹に、ここでアクションを起こさねば申し訳が立たないと、恋人として香澄を預けてもらっている立場として彼は彼女の奔放さにほんの少しだけ頭を抱えていた。
「いいよ、母さんには連絡しとく」
「ありがと! 大好き!」
「……チョーシいいんだから」
だが彼はそれ以上は文句も愚痴もこぼすことなく、香澄の右手を左手で包み込んだ。ボーカルとして人気もある彼女のキレイな鼻歌を聞きながら、彼と彼女は夕陽に溶けていくのだった。
「おばあさん、病気なの?」
「うん……今は元気だけど、もう長くはないみたい」
「……そっか」
香澄が目線をアスファルトに落とした。そういう歳だもん仕方ないよと彼は言うが、それがただ仕方がないという感情で済ませられないのが永遠の別れだった。未だ経験したことのない親しい人との別れを目前にして、けれども彼の目は温かい光を宿していた。
「大丈夫だよ、香澄……いや、ばあちゃんには大分甘やかしてもらったし、大好きだったから、たぶんそうなったら泣くだろうけど……それだけ幸せだったってことだから」
「……うん」
「それに僕は、死後の世界ってやつを、ちゃんと信じてるからさ……きっとじいちゃんと仲良くやってるよ」
じいちゃんの時は小学生だったなぁ、と彼は西の空に目を向けた。人の死は避けられるものではない。でも、その後に苦しくても悲しくても、ちゃんと生き抜けば人生の
──それは、戸山香澄も考えなかったわけではない思考だった。しかし漠然と身に纏わりつく終わりの日を想像し、彼女はぶるりと身体を震わせた。一瞬一瞬を後悔なく、常にキラキラドキドキしているもののために、生きてきた。それはいつまで経っても変わることがないのだから。
「──ねぇねぇ」
「ん?」
家に着いて、彼の部屋にやってきた香澄は迷うことなくベッドに飛び込んだ。恋人の匂いを、生活している空間を吸い込んでいく。そして、溢れに溢れて零れ落ちた幸せを口から溜息と一緒に吐き出した。
「香澄、あんまり匂いとかは恥ずかしいよ」
「え~、私、この匂い好きなんだもん!」
余計に恥ずかしいから、と彼は香澄を引き剝がそうと腰を持つ、それに抵抗しじゃれあう二人はいつの間にか、最初にどうしてこうなったのかも忘れて、生きているという実感と愛情を確かめ合った。
「ねぇ?」
「ん? どうした?」
「死ぬってどういうことなんだろうね」
どういうこと? と彼は首を傾げた。だが香澄は続けて、ほら、誰も経験したことがないことだから、と少しだけ震える手で彼の頬を包んだ。
死といういつか来る現実が怖い。実は死ぬなんて概念がないんじゃないかと思うほど怖かった。そんな恐怖を言葉にすることで、共有することで香澄はなんとか呑み込んでいた。
「わかんないな」
「うん、わかんないよね」
「でもわかんないから、いいんじゃないかな」
彼のその言葉は少しの恐怖という紺色を水で溶かして薄めたような、透き通った声をしていた。もうすぐ、愛した身内が亡くなるかもしれないという現実を前にしているのに、死という概念に、優しくて柔らかな、香澄が一番安心する微笑みで彼はその恐怖を語った。
「わかんないから、僕は香澄に一緒にいてほしいって思った。人間は真っ当に生きていれば独りで死んでしまうから。人間は死ぬその時まで、独りでは生きていけないから」
「……そっか」
難しい言葉だったかな、と普段は擬音語が多い香澄への配慮の言葉を付け加えられたが、それは不思議と、彼女の胸にストンと落ちて溶けていった。
優しい藍色をした声に、香澄の愛が溶けていった。
「じゃあ私も」
「ん?」
「死んじゃうときに、独りじゃなかったからよかった、平気だよって言えるように一緒に生きていきたい。私は、人生をキラキラ生き抜きましたー! って死んだあとの世界があったら堂々と閻魔様に言っちゃえるように」
「それはきっと閻魔様も苦笑いだね」
くすくす、とお互いにやっと笑みがこぼれた。怖かったはずの未来に眩い星が、輝き始めた。この世から去ったあとは問題じゃない。この世から去ってしまう前に、その瞬間に、よくやったねと言えるような生き方をしたい。死んでしまうその時まで、キラキラと光を放ち続けれる、夜空の星たちのように。
「……ありがと、香澄」
「えへへ~、どういたしまして!」
香澄は底抜けに明るい表情で同じベッドに転がる彼を抱きしめた。言葉で愛を語らい、行動で愛を語らう。
願わくば、ずっと一緒にいよう。死した後も、ずっと。香澄はそんな言葉に満天の星を浮かべて、はいっ、と明かりの消えた暗闇の先にある唇に、誓いの口づけを交わした。
――香澄は、いつだって前向きで、だからこそ後ろ向きになってしまうような題材を考えていました。
彼女は怖いことは怖いタイプだし、決してバカではない……いやうんバカなんだけど、バンドのリーダーとして、仲間のために考えなきゃいけないことは考えてる、みたいな印象があるので。やる時はやる、みたいなところも香澄の魅力かなーと思います。