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こころのひっかかり
無職 投稿日:2008年05月02日 16:14 No.1289
 プロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903~1933)の「蟹工船(かにこうせん)・党生活者」(新潮文庫)が、今年に入って“古典”としては異例の2万7000部を増刷、例年の5倍の勢いで売れている。<br><br> 過酷な労働の現場を描く昭和初期の名作が、「ワーキングプア」が社会問題となる平成の若者を中心に読まれている。<br><br> 「蟹工船」は世界大恐慌のきっかけとなったニューヨーク株式市場の大暴落「暗黒の木曜日」が起きた1929年(昭和4年)に発表された小説。オホーツク海でカニをとり、缶詰に加工する船を舞台に、非人間的な労働を強いられる人々の暗たんたる生活と闘争をリアルに描いている。<br><br> 文庫は1953年に初版が刊行され、今年に入って110万部を突破。丸善丸の内本店など大手書店では「現代の『ワーキングプア』にも重なる過酷な労働環境を描いた名作が平成の『格差社会』に大復活!!」などと書かれた店頭広告を立て、平積みしている。<br><br> 多喜二没後75年の今年は、多喜二の母校・小樽商科大学などが主催した「蟹工船」読書エッセーコンテストが開催された。準大賞を受賞した派遣社員の狗又(いぬまた)ユミカさん(34)は、「『蟹工船』で登場する労働者たちは、(中略)私の兄弟たちがここにいるではないかと錯覚するほどに親しみ深い」と、自らの立場を重ね合わせる。特別奨励賞を受けた竹中聡宏(としひろ)さん(20)は「現代の日本では、蟹工船の労働者が死んでいった数以上の人々が(中略)生活難に追い込まれている」「『蟹工船』を読め。それは、現代だ」と書いている。<br><br> また一昨年、漫画版「蟹工船」が出版され、文芸誌「すばる」が昨年7月号で特集「プロレタリア文学の逆襲」を組むなど、再評価の機運が盛り上がっている。<br><br> 新潮社によると、購読層は10代後半から40代後半までの働き盛りの年代が8割近く。同文庫編集部は「一時期は“消えていた”作品なのに」と驚きつつ、「ここまで売れるのは、今の若い人たちに新しいものとして受け入れられているのでは」と話している。<br><br>昨年か一昨年に蟹工船の話題を誰かとしていた記憶があるのですが、どなたかご存じないでしょうか?<br>たぶん柳博士あたりかと思うのですが。<br>なにかの事件かニュースに関連して、「蟹工船だ蟹工船。工船とかやべぇwww」<br>とか言っていたように思うのです。<br>思い出せそうで思い出せずこころがもやもやします。<br>だれかたすけて。
Re: こころのひっかかり クズひろい 投稿日:2008年05月02日 19:29 No.1290
一昨年くらいの冬か夏に初めて読んだ記憶があります。<br><br>そんで、内容について話をした記憶もありますが、どうやって盛り上がったかは忘れちまいました。<br><br>船内には、ミニカニ缶詰工場があって、鬼監督みたいなやつがいて、タコ部屋で死ぬる人とかいたりね、カニ釣小舟で脱走して、おそロシアの漁村で赤化されて帰って来る人とかね。<br><br>どこが面白いって、ワープアとかじゃなくて、北斗の拳みたいなところだったですよ。<br><br>ネトゲの大航海時代の話に絡めて盛り上がったのか。<br><br>誰がアオってるのか知らんが、文学なんか読んで感想文書く暇があったら働けよクズどもと思いました。
Re: こころのひっかかり 無職 投稿日:2008年05月02日 20:35 No.1291
お返事ありがとうございます。<br><br>そうそう、大航海時代、忘れておりました。工船の経営者だったのですよわたくし。奴隷どもに船を漕がせながらせっせと調理や紡績していたら船が火を噴いたりしていたものです。<br><br>ところで<br>>狗又(いぬまた)ユミカさん(34)<br>こんな苗字検索してもでてこねぇ。<br><br>
Re: こころのひっかかり ゼンマイ 投稿日:2008年05月02日 21:31 No.1292
蟹工船の労働の方がワープアのしてる仕事より数倍は過酷だと思われ(しかも逃げられない)。<br>うつ病になっただけで、自分をムンクとかニック・ドレイクとかと重ねる行為に等しい。<br><br>社会的弱者って自分で決め付ける前に、図書館通ったり、ニセブランドバッグ仕入れたり、スーパー襲撃したり色々やるべきであーる
Re: こころのひっかかり ゴミあさり 投稿日:2008年05月03日 00:39 No.1293
あー あとね、船長やら鬼監督やらが、工船でこさえたカニ缶つまみに宴会張ってゲロする描写とかあったっけ。ローマ人っぽくていい。もちろん奴隷のみなさんがカニ缶を賞味することなんかできません。<br><br>船内で暴動が起きるんだが、赤化されて帰ってきた乗組員が扇動したんだっけかな。<br>ところで「左翼」も懐古趣味なんだね。<br><br>>狗又(いぬまた)ユミカさん(34)<br><br>参照<a href="http://shirakaba-bungakukan.blog.ocn.ne.jp/takiji/2008/03/post_9649.html" target="_blank">http://shirakaba-bungakukan.blog.ocn.ne.jp/takiji/2008/03/post_9649.html</a><br><br>消えたらいけねえから、長文の煩をいとわず、上の複製とっておくわ。狗又の箇所だけでも読んで、お察しください。<br>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br>日本民主主義文学会主催「多喜二の文学を語る集い」参加報告<br>3・15大弾圧80年に当る2008年3月15日(土)に合わせて、表記集会が豊島公会堂で行われ、私(真形)が参加したので、その模様を報告したい。 <br><br>1.司会:津田京子(俳優・劇団民芸)<br><br>2.主催者挨拶:吉開那津子(作家・日本民主主義文学会会長)  <br><br>お二人とも、申し合わせたように着物姿でなかなか似合った。<br><br>3.青年トーク:「蟹工船」を語る 司会;浅尾大輔(作家。新潮新人賞授賞。日本民主主義文学会常任幹事)で トークは山口さなえ(首都圏ユニオン)と狗又ユミカ(フリーター全般労働組合)の 二人の若き女性であった。<br>(1)この二人は実は、我等が白樺文学館多喜二ライブラリーが企画した“小林多喜二 「蟹工船」エッセーコンテスト“入賞者であった。 山口さなえ(25歳)は「大賞・小樽商科大学学長賞=25歳以下の部門」を貰っており、狗又ユミカ(34歳)は「準大賞・白樺文学館館長賞=ネットカフェからの応募部門」を貰っている。<br><br>(2)浅尾司会のもとに、二人が現在置かれている労働環境下に照らして「蟹工船」労働環境と対比して話を進めて行った。  私は偶々、2月20日小樽で行われた“多喜二祭”における「エッセーコンテスト」の表彰式後の受賞者発表会において、二人が発言するのも聞いていた。 山口さなえは感想文も正にNo1の大賞を貰う程、考え方がしっかりしていたが、今回も 堂々と自分の言葉で考えをはっきりと述べていた。  狗又ユミカは発言は全て予め書いて来てあって、司会者の問いかけに対して、順番に 全部棒読みで答えていたが、その内容がおかしく聴衆の笑いを取っていた。 最後の発言のとき「私の最後に言いたいことは」と言って、今まで座ってマイクの前で しゃべっていたのを、立ち上がって、マイクを台座ごと持ち上げて、「もっと私達を いい船に乗せろ!」と絶叫したのには、やんやの拍手が起こった。<br><br><br>4.講演・朴真秀(韓国・景園大学教授)「小林多喜二の文学と私の青春」<br><br>(1)1930年代の多喜二と1980年代の朴青年が置かれていた環境は、  大変似ているとして、1980年代のソウルの状況を大分詳しく話してくれた。 (内容省略)<br>(2)朴先生は大学院に行ったとき、プロレタリア文学を専攻し、修士論文に 多喜二を選んだら、指導教官から「それでは食えないと心配された」と話していた。 日本でも、某先生が同じようなことを言っていたのを思い出した。<br><br><br>(3)朴先生は大学院で「1928年3月15日」「蟹工船」「党生活者」の3つを よく読んだ、特に「1928年3・15」に一番共感した由。<br><br>(4)卒論は「蟹工船」であったが、今読み返してみると出来が良くなく、恥ずかしい ので、学生が見せてくれと言うと、「捨ててもうない」と返事をしていた。<br><br>(5)ということで、実は10年位多喜二に疎遠にしていたら、2003年に「多喜二 ライブラリー」から連絡があり、「多喜二生誕100周年の記念シンポジウム」をやる から来てくれということで参加した。 2004年は多喜二生誕101周年になるが「多喜二生誕100周年パートII」を やるから、来てくれというので又日本に来た。 2005年には102周年ではなくて、「100周年パートIII」をやるから、という ことで今度は中国に行った。<br><br>(6)今イラク戦争が始まったりして、国家暴力が続いている。その意味で「多喜二」 はまだ有効である。 多喜二は革命の小説家であると言われているが、多喜二にとっては、革命は手段で あったのではないか。 あくまで、相手の目で、他人の目で見れる作家であったのではないか。 革命家というより、ヒューマニズムの作家、反エゴイズムの作家であったという気が する。 今、日本では「格差社会」と言うが、韓国では「両極化社会」と言う。 多喜二との付き合いはまだまだ続くと思う。 <br><br>5.講談・宝井琴桜「小林多喜二の母」(三浦綾子原作「母」より) 琴桜は“きんおう”と読むそうで決して“ことざくら”と読まないで下さい、とのこと。 多喜二の母セキを生まれたときから多喜二が死ぬまでを順に追っていった話。<br>6.講演・祖父江昭二(近代文学研究者・和光大学名誉教授) 「今多喜二の文学を読む」 主として、「1928年3月15日」の本より、随所に引用して、多喜二は戦闘的な 文学と見られているが、もっと心平かに、豊かに読んでみると、全てヒューマニズム 豊かな、人間的な描かれ方がしてあるのが分かる、・・ということであった。 正直なところ、一番退屈した講演であった。 重箱の隅をつついて、講釈をしている大学の講義を受けている気分であった。<br>7.総合感想(1)チラシでは、講演・祖父江昭二、講演・朴真秀、講談・宝井琴桜、青年トーク  の順番で書いてあり、そのつもりで行ったら、青年トークが最初で祖父江講演が一番後であった。私は日本民主主義文学会なるものは初めてであるが、恐らく青年トークなる若手のメンバーが出演することなぞ、今迄なかったことではないかと思う。しかも一番最初の出演であったが、今回はこれが成功で先ず会合に活を入れたと思う。 <br><br>その意味で言うと、多喜二の文学が若い読者に読まれるように仕向けた「漫画蟹工船」「エッセーコンテスト」の企画はずばり当ったのではないかと思う。「エッセーコンテスト」の上位2名の全くの新人が、伝統ある民主文学会に出演した のであるから。 (2)朴先生の出演も多喜二ライブラリーの「多喜二生誕100周年国際シンポジウム」が取り持つ縁と言ってよいと思う。 <br><br>以上 (真形久視 記) <br><br><br>


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