江戸時代中期から後期にかけて、大分と長崎では明治維新やその後の近代国家形成時に大きな役割を果たす学問が花開きました。
儒学者・広瀬淡窓が開いた日本最大の私塾「咸宜園」(日田市)に、オランダ海軍軍医ポンペが設立し、長崎大学医学部の前身となった「小島養生所」(長崎市)、そして、中津市出身の教育者・福澤諭吉は慶応義塾を開き、『学問のすゝめ』は当時の国民に大きな影響を与えました。
司馬遼太郎の著作を道しるべにして九州を旅する「司馬遼太郎の世界」。女優・高島礼子が長崎から大分の日田市、中津市で花開いた学問の道を旅します。