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特級探索師への覚醒~蜥蜴の尻尾切りに遭った青年は、地獄の王と成り無双する~ 作者:笠鳴小雨

第3章 望まぬ忘却の先に、肯定と未来の線路を築く

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第88話



 テンジは冬喜にストレッチを手伝ってもらいながら、さらに一時間の入念な準備運動を終えたところであった。

 背中を押してもらい、時に背中を預けたり、向かい合って足を開くストレッチをしたりと。クエスト中に怪我だけはしたくないので、ここまで真剣に行っていた。

 そんな二人の姿は傍から見れば、本当の兄弟のようであった。


「じゃあ行ってくるね」


「頑張って。俺は何もできないけど応援はしてる。ファイトだ!」


 冬喜はテンジの肩に手を置き、力を分け与えてくれるように優しく笑いかけた。

 テンジも「ありがとう」と力強く頷き、徐に閻魔の書の地獄クエストページを開いていく。

 ぱらぱらと捲られていく紙の擦れる音が聞こえ、銀色の文字で溢れたページでぱたりと止まった。


(地獄クエストを開始)


 テンジはそっと、その銀色の文字へと指の腹を触れた。

 奇妙なその光景を冬喜は自分の目で見ることはできないが、テンジが何かの操作をしていることだけはなんとなく行動でわかっていた。

 この一週間ほどでテンジの行動には慣れ始めたため、いつものやつだと思う。


 瞬く間の出来事。


 テンジの体は閻魔の書の中へと吸い込まれていくのであった。


「うわぁ……これがテンジくんの言っていた、吸い込まれるってやつか」


 冬喜はその光景を見て、思わずぽかんと口を開けていた。


 彼からは、テンジとは全く違う光景に見えていた。

 テンジが何もない空間――閻魔の書――に触れながら何かをしていると、途端にテンジの体がぱっと目の前から消えたのだ。

 もし見知らぬ一般人が見れば、テンジが突然どこかに消えたように見えてしまうだろう。神隠しにあったのではないかと。


 しかし実際には地獄領域へと転移したに過ぎないのだから、やはりテンジの天職は歪なものであった。それは自身の目から見ても、他人の目から見ても同様だ。


「やっぱり面白いな、テンジくんは」


 驚き疲れた様子の冬喜は誰もいなくなった虚無の空間を見つめながら、ゆっくりと白いブランコに腰を掛ける。

 そのまま顔を上げ、雲一つない真夏日和な真っ青な空を見上げた。

 日差しがじりじりと肌を焼き、座っているだけでも全身からじんわりと汗が流れ出てしまう。

 それでもこの街に来てもう二年と少し、この暑すぎる気候も冬喜にとってみれば第二の故郷のような風さえ感じていた。


「でも、まさか日本から同じ学生がマジョルカに来るなんて……一年前は想像もしていなかったなぁ」


 マジョルカエスクエーラの入学枠は世界でもたったの225席しかない。

 その内の200席近くは、個人で有していると言われている。その他の25席は大国、いわゆるこの時代において権力の高い国がそれぞれ1席ずつ有している。

 冬喜もその国家が持つ枠、つまり日本探索師高校の中でも最も優れた生徒に与えられる枠を使用して、このマジョルカエスクエーラに留学している。

 そして日本人で個人の枠を持つ人物は運が悪いことに、誰一人いなかったのだ。


 だから冬喜は、同じ日本人が一緒の学生になるとはまるで思ってもみなかった。


「千郷ちゃんがリィメイ学長の推薦で教師となり、個人の所有枠を手にした。……そして、その枠をまさかテンジくんが手にするなんてね。まさに事実は小説よりも奇なり」


 もし日本人の誰かが数少ない枠を個人で手にした場合、冬喜は日本探索師高校の次席である人物がここに送られてくるのだと考えていた。

 他の国家でも、自国の所有する探索師高校や大学から優秀な人物を留学させるのが当然の流れなのだ。


 しかし実際に留学してきたのは、無名も無名な天城典二という高校一年生の青年。

 噂だけを聞いていると、なんと五等級天職の《剣士》ということまでが独り歩きしていた。


「まぁ、俺はテンジくんのことを小学生から知ってたから良かったけど……本当にまさかだよね。ほんと……運命って何が起こるかわからないなぁ」


 テンジがここに来るまで、冬喜は同学年の生徒たちに「日本はアホなのか? なぜ剣士を留学させる」なんて何度も揶揄されてきた。

 実際に冬喜も「なんで剣士が」なんて思っていた時期もあった。そんな奴を留学させるなら、もっと留学させるべき才能がいたはずだと。


 しかし噂は当てにならなかった。

 実際にここに来た剣士は、噂など生ぬるいとでも否定してくる本物の天才だったのだから。

 冬喜の経験上でもそれは明らかだった。ポテンシャルだけで言えば、世界で一番とも言えるテンジという学生が剣士なわけがないのだ。


「まさか剣士だけど剣士じゃなくて、特級天職《獄獣召喚》だなんて……何の冗談かと思ったよ。懐かしいな、初めて会ったときの悪寒は今でも忘れられない……」


 確かに、測定結果は何度やっても剣士としか表示されなかった。

 それでもテンジと一緒に何度もダンジョンに潜っていた冬喜は、彼のすべてを知っている。

 指示を聞き、そこらのモンスターなど手刀一本で駆逐してしまう小鬼という名の化け物。世界で最も有名なあの英雄探索師のように、無手から武器を召喚して戦うスタイル。鬼灯という名の回復系アイテムの召喚、そして他人への流用も可能というぶっ壊れっぷり。

 そしてなんと言ってもあれだ。天職発現から日も浅いと言うのに、ベテラン三級探索師相当の身体能力を有していること。この事実が最も異常だったのだ。


(剣士? なんの冗談だよ。あれは近い未来、怪物かヒーローと称えられる人間になるよ。……必ずね)


 冬喜がこの一週間半ほどで見てきた彼は、ポテンシャルの塊だった。

 将来の零級探索師と世界中で噂されている冬喜から見ても、テンジのポテンシャルだけは測りきれてはいなかった。


「それもまだまだ序の口……これで100分の2しかポテンシャルを発揮していない」


 そう、これだけの能力を有していて未だに100レベル中のレベル2なのだ。

 将来が楽しみという過程を通り過ぎて、将来の怖さしか感じない。

 テンジはリオンの指示でこれらのことをひた隠しにしており、その思惑に飲まれた周りのさげすむ奴らは、いつか絶対に痛い目に会うだろう。


「俺もまだまだ未熟だな。千郷ちゃんのリオンさん……やっぱり彼らにはまだまだ敵わない。全部だ、全部が足りない。もっともっと……頑張らなきゃダメだ。俺はまだまだ成長できるんだから」


 最初の頃は、冬喜もその痛い目に会う側の人間だった。


 正直に言うと、テンジのその力を目にするまでは揶揄してくる外国人生徒たちと全く同じ気持ちだったのだ。

 一度、日本探索師協会に直接抗議文を送ってしまったほどには、迂闊な行動をしてしまった。

 しかし協会からの返答は「零級探索師が介入しているため、こちらでは手出しができない事案です」という呆気ないものであった。


 黒鵜冬喜は、昔から将来を期待されながら育ってきた。


 小学生の頃も足が速く「将来はスポーツ選手」だとか、中学生の頃には父譲りの運動神経でサッカーの全国大会に出場したこともあった。

 高校では父の影響を受けて日本探索師高校に入学し、初めて父と入場した横浜ダンジョンで気が付けば天職クエストをクリアし、零等級天職《幻獣王》が発現した。


 それから間もなく、マジョルカエスクエーラに留学しないか、という提案を受けた。

 その時ちょうど、その枠を誰にするのか日本の上層部が考えていた時期でもあって、冬喜という天才は都合が良かったのだ。



 ――将来の零級探索師ならば、国民の批判を受けないだろう。



 協会側のそんな思惑を知りつつも、冬喜はマジョルカエスクエーラ留学を快諾した。

 それからすぐに留学先へと拠点を移し、国の支援を受けながらの学生生活が始まった。


 マジョルカは刺激に溢れた国であったのだが、どこか満足できない冬喜がいた。

 それがなぜかは今までずっとわからなかった。

 順調に天職も育ってきているし、探索師としてのスキルや知識も順調に蓄えていた。将来の零級探索師として、世界中からの期待も寄せられ努力を欠かしたつもりはなかった。

 なにかとリィメイ学長が気にかけてくれるほどには、自分は今、最高の環境に身を置いているのだと自覚していた。


 満足なはずなのに……煮え切らない留学生活を続けていた。

 そんなある日――。



 冬喜は初めて敗北を知った。



 目の前に現れたのは年が二つしか変わらない、髪が真っ白な可愛らしい女性。

 同じ日本人で、名前を白縫千郷と言った。

 背丈も日本人女性の平均的な150後半くらいしかなく、筋肉がまるで見当たらないほどにはすらっとした体型。女性として欲しいところにはしっかりと脂肪がついており、いらないところは見事に削がれた、男の視線を釘付けにするほどのスタイル。

 女性が見れば羨ましがるだろうが、探索師として見ればその体型はまるで戦闘には向かないものだった。


 そんな華奢な彼女と、冬喜は流れで対人訓練を行うことになった。


 そして、圧倒的ハンデを貰いながらも冬喜は完封負けしたのだ。


 人生で初めての経験だった。

 全力をぶつけたはずなのに、子猫でもひねりつぶすように倒され、気が付いた時には青空を仰いでいたのは。


 その日、冬喜の心の空白が埋まったような気がした。


 この女性、白縫千郷ならば自分の心の穴を埋めてくれる存在なのだと。

 それが何かはまだわかっていない。だけど、千郷に食いついて、いつか彼女の足元に手が届くような人間になれたのなら、それが何なのかわかる気がした。


 二つ年下の天城典二は、黒鵜冬喜という人間がまだまだちっぽけな存在だと教えてくれた。

 上には上がいると。

 今の順風満帆だった自分を否定してくれて、心のどこかで冬喜は少し嬉しかったのだ。


 二つ年上の白縫千郷は、自分のすべてを埋めてくれる存在なのだと気が付いた。

 才能ってのはね、これなんだよ。

 千郷は冬喜にそれを教えてくれた。身近に自分をねじ伏せてくれる人がいるだけで、冬喜はこの人たちと一緒に頑張りたいと思うようになった。



「だから俺は――君たちに必死で食らいついていくよ。絶対に負けない、これが俺だ」



 誰もいない町はずれの一軒家の庭で、冬喜は力強く青空に向かって決意を吐き出した。


 そんな時だった――。

 白女神が、白い木製柵の向こう側からひょっこりと顔を出し、庭の中を覗き込んできたのだ。

 ふわりと白髪が風に揺られ、千郷は慌てて髪の毛を片手で押さえる。


「冬喜くん?」


「千郷ちゃん、今日も俺を否定してくれ」


「あはははっ、また意味わかんないこと言ってる~。いいよ、私が何度でも地面にキスさせてあげる」



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