第83話
――第24階層。
時計はちょうど午後7時を指し示していた。空はすでに月明りで照らされており、優雅な夜空へと変わっていた。
このマジョルカダンジョン内部では、地上と同じく朝には日が昇り、夜には日が沈み暗くなるという特殊な環境が備わっていた。
通常のダンジョンでは、外が朝なのか夜なのかを判断するのに時計の時刻を見るしかない。しかし、ここでは空の景色を見ればわかるのだ。
なんとも異世界と呼ばれるマジョルカらしいダンジョンである。
「よーし、目標も達成したことだし帰りますかぁ」
「うん、そろそろお腹が減ってきたね」
すでにテンジは第24階層の徘徊ボスである四等級の『ルイエントマジック』という魔法を駆使する猿型モンスターを倒して、次の階層へと転移するための通行許可証を手に入れていた。
ダンジョンの中も暗くなり始め、つい先ほど千郷のお腹がグゥゥゥと鳴ったのを機に、今日のダンジョン攻略はお開きにすることにしたのだ。
二人は転移ゲートに向かうため、噴水のある場所へと踵を返す。
その周囲には常に小鬼たちが警戒網を敷いており、近づいたモンスターは片っ端から倒していた。もちろん魔鉱石が出れば回収して、テンジへと渡している。
手に負えないモンスターが現れればすぐに逃げて、テンジか千郷に報告をしてくれる。
この一週間で、小鬼たちの連携もかなり高度なものに洗練されてきており、テンジは自分が強くなってきていることを着実に実感し始めていた。
「割と順調に来てるねぇ。これなら半年後にはもしかしたら第75階層までは辿り着きそうだよね」
「うん、割と今までは楽だったね。30階層超えないとあんまり強いモンスターも出ないし、プロ探索師たちとの鉢合わせも少ないし……」
プロ探索師との鉢合わせが起こるのは、彼らが主戦上としている第30階層以降の階層だ。
そこからはこれまで通りとはいかないだろう。
モンスターの奪い合い、争い、もしかしたら殺しを生業とするブラック探索師がいるかもしれないのだ。マジョルカでは探索師の人選は他の国よりも厳しいと聞くが、一人もいないとは言い切れない。
「ねぇ、今日の夜ご飯はどうする? どこ行く?」
「また外食にするの?」
「え~、だってここのご飯は全部食べ尽くさないと! またいつ来れるかわからないんだよ?」
「まぁ、千郷ちゃんがいいなら僕は何でもいいんだけどさ」
「やった! じゃあ、今日は2階層の南街に行かない? 今朝、キッチンカーのおじさんが教えてくれたの! そこに美味しいカニクリームパスタを出すお店があるって。なんでも地中海で捕れる最高級のカニを使ってるらしいんだ! 本店も星二つなの!」
「へぇ……美味しそう」
カニクリームパスタと聞いて、外食は反対派だったはずのテンジの口からよだれが零れ出てきた。
だらーっと垂れ始めたよだれを慌てて拭い、テンジは千郷と熱い握手を交わした。
「じゃあ、そこに行こう! どうせ攻略後なんて疲れて自炊なんてできないよ。私は絶対に無理だもん」
「確かに少し体は疲れたかな。それにカニクリームパスタは裏切らない」
今日は実技演習があったため、朝の10時頃からずっとダンジョンに籠りっぱなしなのだ。
約9時間近くも中で戦っていたことになる。そりゃあ、体だけではなく精神も消耗しているに決まっている。
「カニクリームパスタ♪ カニクリームパスタ♪」
千郷はるんるんと歌を歌いながら、スキップを始めるのであった。
心なしか、テンジの足取りも少し軽くなっていた。
† † †
――マジョルカエスクエーラ学長室。
「ふぅ……最近、腰が痛い気がするわ」
「整体師を今すぐ呼びましょうか? リィメイ学長」
「いや、いいのよ。単なる老いぼれの口癖だから。ありがとうね、イロニカ」
リィメイの秘書であるイロニカが、体調を気にしつつ机の上にいくつかの書類を置いた。
学長もやれやれと思いながら、手早く目を通していく。
学長室は意外とシックな木目調の家具や装飾で揃えられており、お婆ちゃんであるリィメイ学長にとっては過ごしやすい場所となっていた。
そんな学長室で資料に目を通していたリィメイ学長は、徐に秘書であるイロニカに視線を向けた。
「そういえば千郷ちゃんは元気にやってる?」
「白縫様は毎日楽しくしてらっしゃいます。最近では生徒からも根強い人気を得ており、講義では特別教室に入りきらないほどだとか」
「そう、やっぱり私の目に狂いはなかったわね」
「はい、リィメイ学長の選択眼、お見事です。最初は無名の探索師を招聘すると聞いて驚きましたが、よくあれほどの探索師を知っておりましたね」
「まあね。日本のシーカーオリンピアを暇つぶしに見たときだったかしら? 当分は脳裏から離れない才能を持つ子だったわ。今はリオンの元にいると聞いて少しショックだったのだけど、元気そうで何よりよ」
リィメイは、まるで孫の活躍でも見守るような心優しい表情を浮かべた。
そんな学長が珍しかったのか、秘書歴七年目であるイロニカは少し驚いたように目を見開いた。
「本当に白縫様のことがお気に入りなのですね」
「そうね……いつかイロニカとこの席に座ってくれると嬉しいとは、思っているかもしれないわね」
「左様でございましたか。その白縫様のことで一つご報告よろしいでしょうか?」
「何かあったの?」
「いえ、何かというほどの報告ではありませんが……一緒に留学してきた天城典二と共に、すでに第24階層を攻略したようです。デバイスに記録が残っておりました」
「あら、思っていたよりも早いわね」
少し、面白そうにリィメイ学長は笑う。
「ここに来てからほぼ毎日、学校の時間以外は常にダンジョンに籠っているようです。……少し頑張りすぎな気もしますが、止めましょうか?」
「いや、そのままでいいわ。千郷ちゃんと……
「承知いたしました」
その報告を済ませると、イロニカは後ろに一歩引いた。リィメイ学長が資料に目を通すまで壁際で静かに待機する。
そうしてリィメイが資料に目を通し終えると、イロニカの方へと視線を切り替えた。
「今年は少し面白い試験にしたいと思っているの」
「面白い試験ですか?」
リィメイが今目を通していたのは、三か月後に実施される予定の実技試験の資料であった。
例年であれば、学年のレベルにあった階層を貸し切り、一人でどれだけ戦えるのかをサバイバル形式でテストする。少し変わった実技試験だ。
しかし、リィメイ学長はそれよりも面白い試験にしたいと言い出したのだ。
「そうよ。今年の一年生に面白い子がいるのよ」
「面白い……というと、天城典二のことでしょうか?」
「あら、察しがいいこと。各学年の試験に一つだけイレギュラーを混ぜたら面白そうじゃない?」
「イレギュラーというと?」
「一年から二年生の試験では二等級ボスモンスター、三年以上は一等級モンスターをフィールドに放つのよ」
「危ないのでは? あくまで彼らは学生です」
「そのモンスターと、生徒一人一人に監視役を一人付ければ大丈夫だとは思わない? それに私もできるだけ試験には参加するようにするわ。別に生徒を殺そうって話じゃないのよ。あくまでどう危機を乗り越えるのか、ちょっと見てみたいってね」
「それは
「あぁ、それと。一年生のAクラスの試験には黒繭を発生させなさい。ちょうど半月前位にイングランドで黒繭の高級冷凍物が手に入ったらしいのよ。その方が絶対に面白いわ」
「黒繭ですか……費用はどこから出しましょうか? あれはたぶん、マジョルカ共和国側は買ってくれないと思いますよ。経費はどこから捻出するんだって」
「そんなの私の個人資産から出すわよ」
「それならあとはこっちで手配いたします」
「お願いね。イロニカも色々と仕掛けていいわよ? 足りない予算は私が出すわ」
「では、お言葉に甘えて」
「じゃあ、私はディナーに行くわね。一緒に来る?」
「いえ、この後仕事があるので遠慮します」
「そう、イロニカの大好きなグランツェに行こうと思ってたのに」
「また今度、誘っていただければと」
「そうするわ。はぁあ、今日も疲れた」
リィメイ学長はやり切ったようにグッと背伸びをすると、腰を痛そうに上げた。
そしてゆっくりと学長室を出ると、ディナーへと向かい始める。
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