第82話
クジャンベアーに近づくと、その巨体がはっきりと映る。
(うわぁ……でっかいなぁ)
遠目で見れば確かにほんの少しだけだが可愛く見えなくもなかった。
しかし近くでその巨大を見れば、その気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。
鋭い牙、全てを粉砕できそうな四肢の硬化岩石、凶悪な熊らしい面、全てがこいつは悪だと言っているような気がするのだ。
と、その時であった。
「ジャァァァァァァァァァァァァァァァァアッ!」
クジャンベアーが急接近するテンジの存在に気が付いた。
するとその巨体に見合わない機敏な動きでくるりと体を回し、テンジの突進攻撃に合わせて両手の固い拳を叩きつけようとする。
(……意外とモーションは鈍いな。もっと機敏なのかと思ってた)
振り下ろされる両腕を観察しながら、テンジは砂場で急停止した。
クジャンベアーは少し驚いたように目を見開くが、力任せに振り下ろした両腕を止めることはできずに、ドカンッと砂漠の地面へと打ち付けた。
砂埃が一気に舞い上がり、二人の視界を砂色一色に染め上げる。
(うわっ、何も見えない)
これを狙ったのか、狙ってはいないのか。
そこまでの判断ができなかったテンジは、最後に見たクジャンベアーの立っていた場所の記憶を思い出し、赤鬼ノ短剣を横に振るってみた。
ガキンッ、と火花が散った。
(かったいなぁ。……腕でガードされたか)
クジャンベアーがどうやったのかはわからないが、テンジの攻撃を腕でガードしてみせたのだ。
ここは一度距離を離そうと考えたテンジは、ジグザグにバックステップを踏み続け、場所を特定させないように動き続けた。
そうして砂煙の悪視界を抜けると、なぜクジャンベアーがテンジの位置を捕捉できたのか理解したのであった。
「あぁ、そういうこと。……さらに巨大化できるのか、あれ」
辺りを舞う砂煙。
そこから頭一つ飛び出ていたのは、先ほどよりも体が二回り以上大きくなったクジャンベアーの凶悪な顔面だった。
どうやら砂煙の上から煙の揺れを察知して、テンジの攻撃をガードしたようなのだ。
テンジは隙を見つけるためにジッとクジャンベアーの瞳を見返しつつ、視界の端で赤鬼ノ短剣を握る右手を見る。
(反動というか……痺れてるなぁ。ちょっとだけ感覚が鈍くなってる)
振り抜いた短剣をガードされた時に、思っていたよりも全身にビリビリと反動が返ってきたのだ。
すぐに足や体の痺れはなくなったが、右手だけは未だにビリビリと麻痺している。
ただ、それを悟られるわけにもいかないので次の攻撃を仕掛けることにした。
短剣を肩の上で構え、勢いよく投擲してみせる。
マジョルカ行きが決まってからの一か月間、テンジは千郷から色々なことを学んだ。この投擲もその一つだ。とはいっても、まだまだ実践で使えるレベルではないが牽制にはなると判断した。
「ジャァァァアッ!」
顔面に迫ってくる短剣を、クジャンベアーは右腕の固い腕で地面へと叩き落とそうとする。
そこでテンジは「戻れ」と命じる。
シュンッ、と短剣が目の前で掻き消えた。
それと同時に叩き落とそうとした右腕がブゥンッと空を切る。
ほんの一瞬、驚きからクジャンベアーの気がテンジから逸れた。
その一瞬をテンジは見逃さない。
(千郷ちゃんは小鬼を使わないでって言ったけど……今の僕じゃあちょっときついよね。おいで、小鬼たち)
折角クジャンベアーが作ってくれた隙を、テンジは利用することにした。
ボスの周囲を舞う砂煙の中に、五つの地獄ゲートを召喚する。
そこから五体の小鬼たち、小鬼くん、小鬼ちゃん、小鬼3号、小鬼4号、小鬼5号が現れる。そして主の指示を聞くまでもなく、一斉にクジャンベアーに向かって駆け出した。
彼らは、主がこんな時にわざわざ呼び出した状況を察し、主の指示を聞くまでもなくクジャンベアーが敵だと判断したのだ。
突然、足元の砂煙が不自然な動きを見せたことにボスは動揺を見せる。
五体の生物がいきなり現れ、わざと空気の流れを乱すように走り回っているのだ。例え空気の流れを感知するのが得意なモンスターでも、乱れれば感知は関係なくなる。
正体のわからない敵を屠ろうと、ボスは無造作に両手をブンブンと振るい始めた。
その攻撃は狙ったものではなく、闇雲な行動だとすぐに気が付く。
「ここだな……僕も行こう」
ようやくテンジはボスへと接近する。
その手には消えたはずの赤鬼ノ短剣が握られている。閻魔の書を経由すれば、短剣がどこにあろうとも出し入れは自由自在なのだ。
これこそ、召喚系武器の有用な使い方であると千郷に教えてもらっていた。
そうしてクジャンベアーが小鬼五体に気を取られている間に、テンジも一層濃くなった砂煙の中に紛れる。
(あっ、小鬼が一体やられたな)
小鬼4号がクジャンベアーの拳に、ぺしゃんこにされてしまう。
使役している地獄獣が死ぬと、その感覚がテンジに伝わってくるのだ。
すぐにポイントを5ポイント消費して、全く同じ小鬼4号を召喚し直す。
全く別の個体を召喚することも可能だが、一度名づけをするとその個体と同じ個体を再召喚することが可能なのである。
それでもポイントは同じく消費するので、あくまでテンジの気持ちの問題である。
五体がかく乱する中、テンジはクジャンベアーの背後に位置取ることに成功していた。
(さて、背中も硬いのかな?)
力強く砂を蹴り跳躍し、背中の中央に短剣を突き刺す。
腕の硬化部分とは違って背中は思いのほか柔らかかった。
「ジャァァァァァァァッ!?」
クジャンベアーは痛みの咆哮を上げる。
思わず耳を塞ぎたくなるほどの音量であったが、テンジは臆することなく、もう一本の武器を取り出す。
長物の赤鬼刀で、ボスの腕の根元に切り込んだ。
「ジャァァァァァッ!?」
クジャンベアーの右腕がくるくると宙を舞い、近くの砂山に突き刺さった。じんわりと赤い血が滲み出てきて、地面の砂を赤く染めていく。
体の一部が欠如したことでふらりとボスがたたらを踏み、大きく態勢を崩した。
そこでテンジは、さらなる攻勢に出る。
「小鬼くん、小鬼ちゃん、天星解放ッ」
「おん」
「おんおん」
小鬼たちの天星スキル使用の許可を与えた。
すぐに小鬼二体は天星スキルを発動し、体の内側からゆらゆらと揺れる赤い炎のような靄が噴きだし始める。
「行け」
その瞬間、小鬼が駆け出しクジャンベアーへと接近する。
痛みで察知を怠っていたボスは、その様子に気が付かなかった。それも仕方のないことだろう、自分の体の一部を失って動揺しない生き物はほとんどいないのだから。
小鬼二体が拳を振りかぶった。
その拳には攻撃力1000近くが上乗せされており、三級探索師相当のステータスを持つ。
「おん!」
「おんおん!」
クジャンベアーの腹に、二つの拳が直撃した。
もろに食らった攻撃にボスは苦痛の悲鳴を上げながら、後ろへとたたらを踏む。そしてドシンと思わず尻もちを着いてしまった。
それでも小鬼の全力攻撃では、致命傷を与えることは難しかったらしい。
ただ、テンジにはこれで十分だったのだ。
「やあ、熊さん。ようやく首に手が届いたよ。君、背が高くてジャンプしても届かないんだもん」
そこに悠々とした足取りで、赤鬼刀を握ったテンジが現れた。
すでに斜め上に刀を振りかぶっており、ここにクジャンベアーが尻もちを着くのを予想していたかのような位置取りであった。
テンジのステータス値では、跳躍だけで巨大化したクジャンベアーの首元には届かなかったのだ。
しかし、尻もちをついた今ならば別だ。
首はすぐ目の前にあり、刀を振り下ろせばその首を取れる。
「ジャァァ……」
背後にいたテンジが鬼にでも見えたのだろうか。
クジャンベアーは恐怖におののいたような表情を浮かべ、喉の奥がきゅっと狭くなっていた。
「これで……終わりだ!」
すぅっと赤鬼刀がボスの首元に侵入していく。
ボスは恐怖のあまり為す術なくその攻撃を受け、首を綺麗に断ち切られた。少し遅れて、首がボトリと砂の上に落ち、砂を赤く染めていくのであった。
ここでようやく、クジャンベアーが息絶えたことをテンジは確認した。
「ふぅ……ギリギリだったなぁ。もっともっと強くならないと」
テンジは武器を閻魔の書に戻しながら、安堵の溜息を溢していた。
小鬼たちにはすぐに周囲のモンスター討伐に向かうように指示を出し、テンジはその場に残る。
と、そこに千郷がてくてくと歩いてきた。
「お疲れ様。はい、指輪返して!」
「あー、うん。ありがとう、助かったよ」
「どういたしましてー。で、小鬼ちゃん使っちゃったね? 私はいなくても行けると思ったんだけどなぁ……」
「そうかな? 小鬼を使わないパターンだと、もっと時間かかってたと思うんだ」
「まぁ、別に強要したわけじゃないからいいんだけどね」
そんな会話をしながら、テンジは指輪を千郷へと返す。
そうしてしばらくすると、クジャンベアーの体の中からぽとりと宝石大のアイテムが転がり落ちてきた。残念ながら魔鉱石化はしないようだ。
半二等級のモンスターが、一体どれくらいのポイントに変換されるのか検証したかったテンジにとっては、少し残念な結果であった。
アイテムを拾った瞬間、大きな宝石が急に軽くなり、風呂敷を開くかのようにひらりとテンジの手元に一枚の紙きれが現れる。
これが第21階層の通行許可証だ。
「これで22階層に行けるね。もう噴水のとこ戻る?」
「そうだね~……戻ろっか。この階層暑くてTシャツがベタベタになっちゃうんだよね。それに胸の間がジャリジャリしちゃってさ、もううんざりだよ」
パタパタと扇ぐ白Tシャツは、ほんのりと汗で透けており、その先には魅惑の下着が薄っすらと見えていた。
外套で全容は見えないものの、注視していればいつかは見えてしまうそうだ。
慌てて、テンジは視線を逸らす。
「次の階層に行こっか。僕もここは暑くて嫌になっちゃうよ」
「うん、次の階層は涼しいぞ~」
「そうだっけ? ……あぁ、そういえば水の都とか呼ばれてる階層だったね」
「うんうん、神秘的な滝がたっくさんあるんだって! じゃあ、行こ行こ!」
こうしてテンジは難なく第21階層を攻略したのであった。
次の階層に行けるのは最もダメージを稼いだ人のパーティーメンバーだけ。逆に言えば、その人がパーティーと思っている人であれば、例え何人いようともその場に一緒に立っていると、誰でも次の階層に行けてしまうのだ。
例え、パーティーメンバーが一度も戦わなくとも、見物客だろうとも。
要するに、ダメージディーラーがパーティーメンバーとしてその人を認識すれば、なんら問題はないのだ。
十五分ほど砂漠を走った二人は、枯れた噴水の前に辿り着いていた。
すでに二人の体は汗だくで、死にそうな表情をしていた。
一刻でも早く、次のオアシスだらけの水の都に行きたいと思っていた。
噴水との距離が五メートルほどになると、通行許可証がふわりと浮かび上がり青い炎に飲まれて空気中に掻き消えていく。
これが次の階層への扉が開かれた証になるのだ。
そして二人はこの地獄の灼熱な階層からいち早く抜け出したく、前のめりになりながら口を開いた。
「「――第22階層へ」」
テンジと千郷は、次の階層へと転移する。