第80話
目的の階層数を口に出すと、テンジの視界は一瞬で切り替わった。
第21階層。
そこはオアシス一つなく、延々とさらさらとした砂山が連なる巨大な砂漠フィールドだった。
一応、この階層の出入り口には転移に必要な噴水のオブジェがあるのだが、ここが砂漠だからなのか水は一滴も流れてはいない。
枯れ果てた石像のオブジェがぽつりと置いてあるだけなのだ。
地平線を見渡せば至る所に砂漠丘がそびえたち、所々にモンスターの姿も見受けられる。
しかしここのモンスターは、こちらから刺激しない限りは攻撃を加えてこない。ゲームで言うと、ノンアクティブモンスターのような習性を持つのだ。性格が穏やかとも言える。
「うっ……目に砂が」
突風が吹き荒れ、テンジの目の中に砂が入ってきた。
思わず目を瞑り、取り除こうと反射的に目元を強く擦ってしまう。
「あー、だめだめ。はい、このゴーグル付けてね。あと、この外套も羽織っておいた方が良いよ、制服が汚れちゃう」
「うん、ありがとう」
千郷は慌てて目を掻くテンジの行動を止めに入り、どこからともなく外套とゴーグルを取り出し渡してきた。
テンジは迷うことなくそれらをすぐに着用する。
「うわっ!? ……なにこのゴーグル、普通じゃない」
ゴーグルを装着した途端、視界に何かをエイムしたような薄っすらと赤い四角いマークが複数個、視界に表示されたのだ。
普通のゴーグルかと思って着けたのに、全然普通ではない何かが来たことにテンジは驚く。
「そろそろ慣れたら? もちろん私のアイテムだよ。レンズに四角い枠が映ってるでしょ? それが表示されているところにモンスターがいるよ。あぁ、ちなみに隠密しているモンスターは映らないから気を付けてね」
さらりと凄いアイテムを渡してくる千郷の行動に、この一週間で慣れたと思っていたテンジであったが、やはりまだまだ慣れてはいなかったようだ。
そんな凄いアイテムもあるのか、と興奮せずにはいられなかったのだ。
「じゃあ、進もうか」
「うん。……出ておいで、小鬼たち」
テンジはすぐに小鬼五体を召喚した。
この階層ともなると、あまり頻繁に同業者と出会うこともなくなる。
プロ探索師たちは第30階層から第50階層辺りをメインに活動していることが多く、それよりも上部の階層となると学生しか見えない。
学生の絶対数もそれほど多くはないので、こうして周囲に人影がなければテンジは気にすることなく小鬼を召喚する習慣がついていた。
そして、戦闘は基本的に彼らに任せてしまう。
周囲で発見したモンスターを小鬼が倒していき、テンジと千郷の二人はゆっくりとフィールドの端に向かって歩いていく。今のテンジには、この方法が最も経験値効率がいいのだ。
「ねぇ、その何でもバッグ……凄いよねぇ」
テンジは歩きづらい砂漠を踏ん張りながら進み、不意に千郷の胸元にきらりと光るネックレスを見てそう呟いた。繊細な装飾の施された、ステンレス製の綺麗なネックレスだ。
その視線に気が付いた千郷は、胸元を見ていないのだと知りつつも、あえて胸元を隠すように両腕を前で交差させて見せる。
「いやん、テンジくんのエッチ」
「ち、違うよ!」
「あはははっ、知ってるよ~。からかっただけ、からかっただけだよ」
「も、もう……心臓に悪いなぁ」
「まぁまぁ落ち着いてって。さすがにテンジくんの願いでも難しいよね、私もこれしか持ってないし」
千郷がつけているネックレスは、オークションに売り出せば何百億という値が付くだろう、世界を見渡しても非常に貴重なアイテムだ。
名称を『インベントリネックレス』と言うらしく、ネックレスにハマっている小さなダイヤの中にいくつかの物を圧縮して収納できる代物なんだとか。
取り出したり、入れたりするのに多少のMPが必要なのがネックではあるが、ネックレス一つで登山バッグ二つ分ほどの容量が収納できるらしい。
このアイテムは世界でも千郷しか持っておらず、リオンが千郷をギルドに勧誘するときに、口説きアイテムとしてプレゼントした物だ。
世界でもごく一部の上位探索師たちは、こういった世には公表されていない貴重なアイテムをいくつか隠し持っているらしい。彼らは秘密主義な者が多く、一介の学生であるテンジのような高校生にはそういう情報すら届かない。
だから、テンジが「収納アイテムがほとんどない」と誤認してしまうのも仕方のないことだった。
「だよね~、分かってるんだけどやっぱり凄いよね、それ」
「なに言ってるのさ、私から見ればテンジくんの天職の方がインベントリネックレスより何倍も羨ましいよ。武器に回復アイテム、自立戦闘が可能な小鬼の召喚だよ? それも重さは全くないんだっけ?」
(確かに言われてみればそうだよね。僕の閻魔の書は質量ゼロで、武器も小鬼も回復アイテムも自由自在に召喚可能だ……改めて自画自賛したいほどに凄い能力ばかりだな。まぁ、まだレベル1なんだけどね)
「まぁ、確かにそうかも。よし、そろそろ僕も始めていい?」
「それもそうだね。一週間経たずして21階層まで到達したし、今日のうちに24階層辺りまでは進めたいね。浅い階層は最初のうちに進めておくと、あとあと楽だからねぇ」
「じゃあ、今日の目標は24階層までの攻略とレベル2を目指すことにしようかな。まぁ、レベルを今日中に上げるのは難しいだろうけどね」
このマジョルカでテンジと千郷は一つの目標を立てていた。
――現在の人類最高到達階層である第75階層への到達。
周りの人が聞けば「剣士と、たかが教師が何をバカ言っている」と一蹴してしまうような目標である。
それもそのはずだ。
第75階層に到達したのは世界でもたった数人だけなのだから。その内の一人は、このマジョルカアイランド共和国で学園の最高責任者を務める学長、ウルスラ=リィメイだ。
彼女は学長として仕事をこなしながらも、毎日毎日ダンジョンの攻略を目指して地下へと潜り続け、10年以上かけてようやく第75階層まで到達したのだとか。
もちろん学長は普通の探索師ではなく、世界でも現役では四人しかいない零級探索師の一人であり、現役で『英雄探索師』としての勲章を与えられている偉人である。
英雄探索師とは、偉業を成し遂げた探索師に送られる勲章のことである。
勲章を与える権限を持つのは、ダンジョンを二つ以上所有する大国か、世界探索師協会だけなのだ。
このどちらかが偉業を称えて勲章を授与した時、その探索師は世界でも英雄探索師としての地位を確立することになる。
特に、ダンジョン第一期時代には数多くの英雄探索師勲章が授与されていたらしいが、ここ数年はめっきりその数が減っていた。それも世界が今、平和への道をゆっくりと歩み始めているからなのだろう。
戦いがなければ、勲章は授与されない。
この時代は、そういう平和に向かう時代なのである。
探索師を目指す若者にとってはあまりいい傾向とは言えない時代の流れではあるが、ダンジョンとの関りがほとんどない一般人から見れば、その時代の流れはいい傾向なのだ。
テンジたちは適当に砂漠地帯を歩き続けていた。
そんなとき、ふと疑問に思ったことを口に出す。
「リィメイ学長ってどんな人なんだろう。僕って時期的に入学式には参加できなかったから、本人を見たことはないんだよね」
「リィメイ? 愛想悪いおばあちゃんだよ」
「あははっ、愛想悪いんだ」
「うん、いっつもぶすっと不貞腐れたような顔をしてるもん。怒ってんのかなぁって思ったら、怒ってないって前に言ってた。小さい頃から表情を作るのが苦手なんだって」
「へぇ、一度だけでいいから会ってみたいなぁ。現役最強の兵器、って言われてるんだよね?」
「だねぇ。テンジくんみたいに万能タイプではないけど、一瞬で出る火力だけで言えばリオンを超えてるからね。凄いよ? ピカン、キラキラ~って光る感じのビーム出したりするの!」
「そういえば教科書にも光系統の魔法師だって載ってたなぁ」
「あっ、最近の教科書にはリィメイお婆ちゃん載ってるんだ。私が高校生の頃は載ってなかったなぁ……って、私は探索師高校の出身じゃないんだけどねぇ」
千郷はにへらと崩れたように笑った。
そう、白縫千郷は探索師の登竜門の門前だと言われている日本探索師高校を出てはいない。
むしろどこにでもある普通の公立高校出身なのだ。
しかし何をとち狂ったのか、毎年夏から秋頃にかけて行われる『シーカーオリンピア~U18の部~』に素人ながら出場し、色々と爪痕を残してから忽然と消え去ったらしい。
この大会には多くのスカウトが注目しており、もちろん日本探索師高校からも多くの生徒たちが出場する、いわば探索師の甲子園のようなものなのだ。
このことについて、千郷はテンジにこう言っていた。
――え? だって元々探索師とか興味なかったし、友達と一緒に遊び半分で出ただけだもん。本選出場とか言われても、どうでもいいや~ってなって会場に行くのも面倒くさくなっちゃった。
まさに自由奔放な千郷らしい言葉だった。
ただ、その本戦前の大会で様々なスカウトの目に留まり、世界中の有名ギルドがこぞってオファーを出したらしい。うちのギルドに入らないかと。
千郷曰く、一か月くらい毎日マンションの郵便ポストがパンパンになるほどの、手紙やらなんやらが届いていたらしい。その中にはアメリカの序列1位のギルドやロシアの最恐ギルドなんて呼ばれる世界的にも有名なギルドもいくつかあったのだとか。
で、その中にリオンの名前もあったらしい。
一応、全てに目を通して面白そうなギルドいくつかと会ってみたらしい。
それでインベントリネックレスをくれたり、ゲームばっかしてても怒らないと言ってくれたギルド【暇人】に入ることを決めたのだとか。
「いや、本当に千郷ちゃんは普通じゃないよ。ただの、それも天職もダンジョン経験もない高校生の女の子がシーカーオリンピア本選出場なんて……」
シーカーオリンピア本選出場とは、身近なもので言うならば野球の甲子園に近いものだと世間では言われている。
要するに、野球ボールすら握ったことのない学生が、いきなり現れて甲子園のマウンドに立ってしまうようなものなのである。
明らかに異常な光景だろう。
「あはは~、でも今は楽しいからいいんだ。美味しいものたくさん食べられるし~」
「マジョルカの料理は全部美味しいもんね。リィメイ学長が世界中から有名なお店をたくさん招待したんだっけ?」
「そうそう、特に一階層と三階層の街は全部リィメイお婆ちゃんの好みでできてるからね。これも零級探索師の特権だよ」
「羨ましい限りで。あっ! あれ、徘徊ボスじゃない?」
周囲のモンスターはすべて小鬼たちが倒してしまい、二人でのんびりと会話をしながら砂漠地帯を歩いていると、視界の先にひと際大きな巨体を持つモンスターが現れた。
テンジはその個体を指さして、千郷へと視線を切り替えた。
「あっ、そうそう! あれだよ!」
各階層には、複数のボスが存在する。
その数は階層ごとに異なり、日ごとにも異なる。それでも第75階層まではリィメイ学長が攻略マップなる地図を作っており、危険なボスには近寄らないようにという注意書きが事前に調べられる。
そしてその内の一体でも倒してしまえば、『通行許可証』というアイテムが手に入る。
正確には、ボスの遺体の中心からこぶし大ほどの宝石が現れ、パーティーの中で最もダメージを与えた人物がそれに触れると一枚の巻紙が手に入る。それが通行許可証である。
それを転移ゲートの噴水へと近づけると、自動的に下層へと転移できるようになるのだ。
こういった細かな情報を収集しながらダンジョン攻略を進めていたので、リィメイ学長は75階層に到達するまでに10年以上の月日を要したのではないかと、メディアでは噂されている。
「僕が殺ってもいい?」
「もちろん! どうせなら小鬼なしで戦ってみれば? ちょうど半二等級モンスターだし、いい経験になると思うよ? 後ろからアドバイスもしてあげるしさ」
「じゃあ、そうしよっかな」
テンジは小鬼たちを地獄領域へと帰還させ、自分は赤鬼ノ短剣を握ることにした。