第79話
「ふぅ、美味しかったねぇ。これお持ち帰りできないのかな?」
「千郷ちゃん、夜もステーキ食べるつもり? さすがに脂がきついよ」
千郷の強欲な発言に、量と油で胃もたれを起こしていた冬喜は苦笑いをする。
その横で真剣にメニューを見つめる青年がいた。もちろんテンジのことである。
「あっ、できるって。生肉はダメだけど、焼いた奴ならお持ち帰りできるやつあるよ。このTボーンステーキとか」
「じゃあそれ持ち帰ろう! 店員さ~ん」
千郷とテンジはまだまだ食べたりないのか、一切の迷いを見せずに店員を呼びつけた。
冬喜はただただ苦笑いするほか、どう反応するのが正解なのかわからなくなっていた。
(ちょっとこの人たちの胃袋変だよ。えっ、変だよね? 俺がおかしいのか?)
ただし、ちょっとだけ自分が変なのかと疑い始めていた。
大丈夫だ、冬喜が正常な反応なのだ。千郷とテンジだけが異常な胃袋を持ち合わせているに過ぎない。
そうして持ち帰りのTボーンステーキ三つを頼んだ千郷は、食後のデザートへとしゃれこんでいた。無駄に大きな皿の上に乗っかる小さなバニラアイスだった。
ちなみにお持ち帰りTボーンステーキの一つは冬喜の分として千郷が注文しているのだが、冬喜はまだそのいらないお節介の事実を知らない。
「美味しいねぇ、これ」
「ね、うちでも作ってみようか? 美味しいバニラアイスと蜂蜜、あとはオレオとか買ってくれば似た物は作れそうだよね。あとは……ベリー系の何かだね。朝市場に行けばそれなりのが手に入りそう」
「テンジくん! 作って!」
「じゃあ明日は早起きして作ってみようかな」
千郷とテンジの家では、家事全般をテンジが一人で担っている。
生活費全般を千郷が払っているので当たり前と言えば当たり前の仕事なのだが、ニートすぎるだらだらとした千郷の生活習慣に、テンジは少しだけ将来の千郷を心配していた。
(千郷ちゃんは家事好きな彼氏を捕まえないと破綻しちゃいそうだよね。まぁ、海童さんが見守ってるだろうから、僕が心配するまでもないか)
千郷はすでにギルド【暇人】を脱退している。
とはいっても一時的であり、また日本に戻ったらリオンのギルドに再入団する予定らしい。大人にも色々あるのだと最近テンジは知った。
三人は食後の特製アイスを食べ終え、お腹をパンパンに膨らませながら椅子にもたれかかり、ふぅと満足げに一息つく。
そこでテンジが、ふと冬喜に質問を投げかける。
「冬喜くんはこの後何かあるの? 一緒にダンジョン行く?」
「俺? 俺は……あぁ、そういえば
「久志羅先生?」
「そういえばテンジくんはまだ会ったことなかったっけ。千郷ちゃんは?」
「久志羅ちゃん? もちろん知ってるよ~」
「じゃあ知らないのはテンジくんだけか。久志羅先生は元日本人で、今はマジョルカ国籍を持つ魔法陣と現代科学のハイブリッド研究者だよ。日本のギルドや企業にもいくつかオリジナル魔法陣を売りつけてるらしいよ」
(オリジナル魔法陣を売りつけるスペインの人? なんだろう、凄く聞き覚えのある響きだな)
「あっ! もしかしてチャリオットの入団試験で手の甲に押したスタンプ魔法陣を作った人かな?」
「スタンプ魔法陣? どんな効果なの?」
「確か……」
テンジがそこまで言いかけたとき、千郷が会話に割って入る。
「あのオリジナル魔法陣を作ったのは久志羅ちゃんであってるよ。テンジくん、よく知ってたね」
「はい、福山さんに試験中こっそり教えてもらったんですよ」
「福山さん? あぁ、あのちゃらちゃらした人かぁ」
「はい、あのちゃらちゃらした人です。でも、根は凄く優しい人なので僕は尊敬してますよ。あっ、それで冬喜くんは久志羅先生のところに何をしに行くの?」
「久志羅先生には幻獣の分析をしてもらってたんだ。あの人はオリジナル魔法陣を作れるだけじゃなくて、未知の天職の分析や研究も得意分野なんだよね。今度テンジくんも会ってみる? たぶん二つ返事で了承してくれると思うよ」
「あ~、久志羅ちゃんなら色々と分析してくれそうだよね。元々協会お抱えの研究者だったし、ノウハウはそこら辺の研究者よりも持ってるからね。そもそも元は天職クエストに関する専門家だったわけだしね」
「あ、あの……僕、その人の名前すら聞いたことないんですけど……それって何か理由があるんですか? 教科書では一度も聞いたことがなくて……」
テンジの申し訳なさそうな顔を見て、二人は「そういえば」と納得いったように微笑んだ。
「久志羅ちゃんはね~、あれだからね」
「あれだね」
「あれ?」
「「超変人マッドサイエンティスト」」
† † †
冬喜が「そろそろ行かないと」と言って、お店を後にした。
残念なことにテンジは久志羅という研究者について何も知ることができずに、この場がお開きとなってしまったのだった。
「じゃあ、そろそろ行こっか。テンジくん」
「はい」
二人は三つのTボーンステーキを抱えて、近くの店員を呼んだ。
「チェックで」
千郷が妙にカッコいい雰囲気を出しながら、店員を呼び寄せた。
そして支払い端末を差し出すと、店員は優しい営業スマイルを使って丁寧に答える。
「お客様の代金はすでにいただいております」
「へ?」
千郷は思わず素っ頓狂な声を上げる。
しかし、テンジはすぐに気が付いてしまった。
(あっ、冬喜くんか。相変わらずさらりとハンサムなんだよなぁ)
先に店を出た冬喜が帰り際に支払いを済ませたのだと気が付き、わざわざかっこつけて「チェックで」なんて言った千郷をおかしく思う。
千郷もようやく気が付いたのか、ほんのりと頬を朱色に染めた。
「じゃ、じゃあ……お店、出よっか」
「うん、千郷ちゃん……ふふっ」
「あー! 笑った! 今、笑ったでしょ!」
「そりゃあ、笑っちゃうよ。いつもは『お会計お願いしまーす』って言うのに、ちょっと格式の高い店だからって『チェックで』って言うんだもん」
「ぶー!」
千郷はブーブーと言いながらも、大事にTボーンステーキを抱えながらお店を出るのであった。
そんな可愛らしい後ろ姿を追い、テンジも格式高いステーキ店を後にした。
お店の外には頬を膨らませた千郷が待ち構えており、テンジの顔を見るとぷいっとそっぽを向いた。
(あー、また拗ねちゃった。僕よりも四つ年上のはずなのに、たまーに子供みたいになることがあるんだよね。それが可愛いっちゃ、可愛いんだけどね)
「じゃあ、一度家に帰ろっか。ステーキ三つも持ってダンジョンには行けないしね」
「…………仕方ない」
テンジと千郷はこうして、一度家に戻ることになった。
キッチンの冷蔵庫にステーキを仕舞い、二人は再び噴水広場の前へと辿り着いていた。
千郷は迷う素振りを一切見せずにテンジと手を取りながら、目的階層を呟く。
「――第21階層へ」