第77話
「美味しいなぁ、このマフィン。それにブレンドミルクティーも最高だいっ」
二人が立ち去った後の木陰で、千郷は買っておいたマフィンとドリンクを堪能していた。
長く歩いたせいで着ていたTシャツはほどよく汗ばんでおり、胸元のTシャツをパタパタと扇ぎながら一休みする。
本来、担当教師は常に生徒につきっきりで先導しなければならない。その旨が教師用のルールブックに記載されているのだ。
他の教師たちも九割以上はこのルールブックに則って生徒の実技演習指導を行っている。
しかし千郷の場合は、生徒二人が他の生徒と比べても単独での行動を好むことと、単独でこそ力を発揮すること――そして圧倒的な強者であることから、あえて単独で行動させていた。
(ま、歩きたくないが七割くらいあるけどね)
千郷は足をぷらぷらと宙で遊ばせ、地面で蠢く木の葉の影を見つめながらそう心の中で付け加えた。
そのまま自然の豊かなそよ風に気持ちよく目を細めながら、再びミルクティーに口を付ける。
「そろそろ蜘蛛ちゃんたちだしておこっと」
わしゃわしゃ、と千郷は両手の指先をあやとりでもするように動かした。
気が付けば、彼女の目の前には小指サイズの白いチビ蜘蛛たちがいた。可愛らしく千郷の足元に擦り寄って、じゃれているようだ。
「ほいほい、それじゃあ二人の監視よろしくね」
「「――ッ!」」
チビ蜘蛛たちは声を出せない。
それでも前足二本を元気よく掲げ、ちろちろと二人の元へと駆け出した。その速度は、小さな体の割には早く、二人の元へとあっという間に追いつく。
それと同時に千郷はチビ蜘蛛たちに「見せて」と心の中でお願いをした。それと同時に千郷の頭上に二つの白くて小さな光球が現れた。
これは千郷の天職《白糸千術師》のスキルの一つで、自分の糸で作り上げた人形に疑似的な命を与え、その感覚器官の一部を千郷にフィードバックできるという効果がある。
これで作れる人形は数多く存在し、その内今回作ったのは千郷が『チビ蜘蛛』と呼んでいる潜入や隠密行動に適した人形である。その視界を千郷へとフィードバックし、テンジと冬喜の行動を遠くからでも監視することができるのだ。
ただし、千郷本人に感覚をフィードバックできるストックは八個までであり、その内の二つを使用したことで千郷の頭上に二つの光球が浮かんでいる。
「ふむふむ、冬喜くんはいつも通りジンスカイドラゴンの練習だね。まだあんまり上手く使えてないっぽいね。……まぁ、確かにいきなり身体能力が爆上がりするから扱いづらいだろうなぁ」
糖分を補給するためにも、千郷は無心でマフィンに齧り付く。
次に、テンジの方へと選択的視野を向ける。
「まぁ、テンジくんは相変わらずだね。小鬼ちゃんたちを主体に戦わせて、自分は天職の検証を進めている感じかな。……にしても、何度見ても面白い能力だよねぇ。おそらく四等級の上位か、三等級の下位レベルの生物を一度に五体も召喚できるって……探索師の常識が塗り替えられちゃうほどの能力だよ」
千郷はテンジの姿を、チビ蜘蛛を通して観察し始めた。
† † †
――天城典二。
「うん、だいぶ検証したかったことも一週間で確認出来てきたな。いい感じ、いい感じ、この調子でさくっとレベル2に上がってくれればもっと嬉しいんだけどなぁ。まぁ、それも無理な相談か」
テンジは彼らと別れてから小鬼たち五体を召喚し、一体を自分の傍に残して、他の四体に周囲のモンスターたちを見つけ次第片っ端から倒すように指示を出していた。
そうして自分は、閻魔の書とスマホのメモ帳に書いてある「検証したいこと一覧」という項目を見比べていた。
マジョルカに来ると決まってから、テンジは片っ端から気になっていた疑問をメモ帳に残すようにしており、こうして検証の日々を繰り返していた。
まだまだ全部の項目を解消したとは言えないが、ダンジョンでしか検証できない項目も多かったので、それなりに解決済みの項目も増えてきた。
(今日までで分かったことはこんな感じかな)
ざっと、テンジは検証済みの項目を確認する。
・小鬼の『天星』は、MPを消費して使う地獄獣専用のスキルのことだった。
・五等級モンスターからの取得経験値は、「0」か「0.1」のどちらかだけ。
・四等級モンスターからの取得経験値は、「1」から「9」の整数値で振れ幅があった。
・三等級モンスターからの取得経験値は、「10」から「36」の整数値で振れ幅。(もしかしたら上限はまだ上があるかも? 36は少し微妙な数字。)
・魔鉱石変換について、五等級は1から9、四等級は10から19、三等級は20から29。
・地獄婆の売店には、新たに『MP回復鬼灯』が増えていた。
・赤鬼ノ短剣は、20%の確率で敵を泥酔状態にする効果がある。
・赤鬼バングルはスキル『力導』がある。MPを105使用し、攻撃力を1.75倍にする。
・経験値の効率は地獄領域よりもダンジョンの方がはるかに良い。日によるが、最低でも二倍以上の効率が望める。
この中でも、小鬼の天星『岩石砕き』を検証できたのは大きな発見であった。
これは単純に小鬼の攻撃力値を3.0倍にするバフ効果を持ち、持続時間は60秒前後で変動する。消費MPはちょうど100であり、テンジからではなく小鬼のステータスから差し引かれる。
おそらく最初に小鬼と出会ったときに巨木を持ち上げていたのも、この天星の力なのだとテンジは推測していた。
このバフが付くと、小鬼の攻撃力は900近くになりテンジとほとんど変わらないレベルの攻撃力を有することになる。
結果、小鬼たちだけでも三等級モンスター以上を倒すことができることがわかった。
これはここ最近でも最も収穫のあった検証結果である。
あとはテンジがバングルを装備すれば攻撃力に1.75倍の倍率が追加されるので、2049となる。
このレベルの怪力だと、攻撃役の二等級探索師相当の強さに近いと千郷は言っていた。
そしてこれらのアイテムや武器は小鬼たちにも持たせることができることもわかった。もちろん地獄婆の売店で購入した鬼灯も使用できる。
「この天職についても……だいぶ理解が深まってきたな」
テンジは四方八方から聞こえてくるモンスターたちの悲鳴を浴びながら、ゆっくりと晴れた青空を見上げた。
ここの季節は常に心地よく、つい空を見上げたくなるのだ。
天職を手にしてから、すでに二か月半ほどが経過している。
ステータスの表示、未知の召喚系能力、召喚に応じたステータスの増加など、この天職は攻撃役や盾役みたいにどこかの能力に特化している節はなく、むしろすべてを一人でこなせと言っているような天職であった。
地獄と掛けた意味なのか、他の探索師が「身体能力の急上昇」と表現している
とはいっても、レベル1でもそこらの三級探索師と同程度の身体能力がある。
地獄獣の召喚、武器の召喚、地獄婆の売店での回復アイテム購入。
全てが異質だが、その異質さがテンジにとって心地の良いものへと最近は変わっていた。
「次の地獄獣はいつ現れるんだろうね。レベル2かな、それともキリがいい数字だとレベル5かな? もっともっと……僕は知りたいよ」
最初は少し面倒に思っていた天職の検証も、今は少し楽しくなっている。
ゲーム的要素といえばいいのだろうか。他の探索師が持つ天職と比べても、その要素が色濃く反映されており、自分の未来がどんな探索師なのかを考えるのは面白い。
「おん?」
考え事に耽っていた時だった。
傍で待機してくれていた、一番最初に召喚した小鬼が「どうしたの?」と服の袖を下から引っ張ってくる。
ごめん、と謝りつつテンジは小鬼の頭に片手をポンと置いた。
「今日はいつもより少し強めの三等級モンスターと出会いたいかな。みんなに見つけたら倒さずに、僕に知らせるように伝えてくれる?」
「おん!」
一番最初の小鬼は、小鬼たちのリーダーであった。
だからこそ一番近くにその個体を置くことで、離れていても全ての個体に伝言を伝えることができるのだ。
何かのテレパシーのような能力で繋がっているらしい。テンジ本人は発声による指示しか出せないので、そこが少し扱いづらい。とはいっても小鬼たちも賢いので、いちいち指示を出さなくても行動してくれる機会がだんだんと多くなってきている。
「じゃあ、僕たちも始めようか――経験値稼ぎを」
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【名 前】 天城典二
【年 齢】 16
【レベル】 1/100
【経験値】 3595/5000
【H P】 1028(1012+16)
【M P】 1016(1000+16)
【攻撃力】 2049(1155+16)(×1.75)
【防御力】 1043(1027+16)
【速 さ】 1024(1008+16)
【知 力】 1043(1027+16)
【幸 運】 1045(1029+16)
【固 有】 小物浮遊(Lv.7/10)
【経験値】 33/90
【天 職】 獄獣召喚(Lv.1/100)
【スキル】 閻魔の書
【経験値】 3595/5000
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次のレベルまで、残りの必要経験値は1405。
あと数日と掛からずに、テンジはレベルアップすることになるだろう。